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柚子子
2025-07-03 19:38:14
9272文字
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Dog Days of Summer
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Dog Days of Summer
親友の黒尾が夏の暑さに朦朧とした結果うっかり告白してくる話。
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上履きのまま昇降口を出ると、途端にむわりとした熱気が、私の全身をくまなく覆いつくした。おんぼろ公立高校の建付けの悪いドアでも、このうだるような熱風が校舎内に入るのを阻む程度の役割は、どうにか果たしているらしい。
思わず「あっつ」とうめくと、隣の黒尾が「俺のが暑い」となぜか張り合ってきた。
「俺のが暑さをより厳しく感じてるはず」
「なんでよ。変わんないって」
「いや身長が俺のが高いんだから、そのぶん太陽との距離が近いわけでね」
「天体相手に数十センチなんて誤差じゃん」
「高身長のつらさが分からんとは
……
」
「というか、それを言ったらこっちだって、灼熱のアスファルトとの距離が近いわけだから」
「アスファルトとの距離は一緒だろ。俺だって地面歩いてんだから」
「いやいや、アスファルトと頭の距離の話でしょ」
「足を軽視しすぎだろ。無茶苦茶理論で打ち勝とうとしないでくださいー」
「先に無茶苦茶なこと言い出したの黒尾だから」
どうでもいい話をしながら、黒尾と私は体育館横の自販機へと向かう。
一学期最終日、今は学期末の大掃除を終えて、解散するのを待っているだけの休み時間だ。校舎内の喧騒は外にはあまり漏れ聞こえてこない。まだ掃除をしている教室の窓だけが、並んだ窓ガラスのなかでまばらに開いている。
この暑さのためか、辺りに私と黒尾以外に出歩いている生徒の姿は見当たらなかった。
手に持っていた財布から小銭を取り出し、自販機に投入する。自販機の商品のうち、人気がある紅茶やジュースなどの商品は、一週間ほど前から順次品切れ中になっている。
「カフェオレか、パクりのカルピスか
……
」
人差し指で自販機の見本商品をゆびさすと、
「パクりのカルピスは人聞きが悪すぎる」
黒尾が呆れた声を出した。
「これ、でもパクりのカルピスじゃない? 飲んだことある?」
「ない。けど味の想像はつく」
「ちょっと一回飲んでみてよ。やや薄めた安っぽい感じの、パクりのカルピスの味するから」
「そこまで言われて買おうとはならないだろ」
「ふうん。じゃあ私が買おう」
「買うんかい」
「パクりっていうか、廉価版のカルピスなのかな。百三十円」
「言うほど安くもないところがな」
ピ、と短く機械音が鳴った直後、ガコンとパックが取り出し口に落ちてきた。手を突っ込んで回収すると、冷たさがひんやりと手に伝わってきて気持ちいい。
今度は黒尾が小銭を取り出し、自販機へと投入した。「逆に俺もパクりカルピスにしとくか
……
?」とぶつぶつ言いながら、黒尾は私より高い視点から自販機をにらみつけている。
ふと見上げれば、頭上には雲ひとつない快晴が広がっている。七月の空は絵の具のように混じりけのない水色だ。
「なんかさー、去年の夏って、絶対こんなに暑くなかったよね?」
「賭けてもいいけど、お前去年もまったく同じこと言ってたぞ」
ピ、ガコン。
黒尾のジュースが音を立てて落ちてくる。
自販機に伸ばした黒尾の手は、日差しをうけて汗ばんだ質感をしているように見えた。
なんとなく後ろめたい気分になって、私は視線を黒尾から剥がして言った。
「だからそれは、年々どんどん暑くなっていってるよねってこと」
「まあ、同意はするけど」
「夏休みもさぁ、講習は涼しくていいんだけど、学校に来るまでが暑いんだよねぇ」
「お前講習とってんの?」
「数Ⅱと化学と、あとリーディングは申し込んだよ。あとは塾の夏期講習
……
。黒尾は?」
「俺は部活優先。プリントだけ同じのもらえることになってる」
「三年生は講習優先って言われてたことない?」
「うちは他の高校とがっつり組んで合宿やる期間あるから、そういうのの兼ね合いがあんの」
「へーえ、部活現役組にもいろいろあんのね。あ、ていうかさ、体育館にエアコンついてよかったよね」
「それは本当にまじでそうなんだよな
……
」
「野球部とか、外の部活の人らがさ、体育館に討ち入りしてくるんじゃないの」
「いや、あいつらも屋内でやれるトレーニングはエアコンつけてやってるって」
「でも試合は外なわけじゃん。私だったら絶対無理」
「エアコンついててもやらなさそうなやつがなんか言ってんな」
教室に戻る前に、パックにストローの先端を刺した。別に掃除をさぼっているわけではないし、自分たちに割り振られた箇所の掃除はすでに終わっている。
それでも教室の掃除は多分長引いているだろうし、おまけに掃除中なのでエアコンも止めているはずだ。なんとなく、まだ教室に戻ろうという気にはならなかった。
自販機はちょうど、体育館につづく渡り廊下のわきにある。渡り廊下の屋根のひさしがぎりぎり届いているので、一応の日陰にはなっていた。じりじり白々と灼熱に焼かれる日なたに出るには、少し心の準備がいる。
「夏のアスファルトって、地獄みたいに熱いよな」
黒尾がぼんやりとした調子で言う。数歩前に広がる、熱されたアスファルトを見ての発言らしい。
「ん? ああ、まあ」
私も同じように、ぼんやりと返した。「触ったらやけどはするよね確実に」
「アリがこの暑さで絶滅しないの、意味不明だろ
……
」
「案外死んでるんじゃない?」
「死んでたらもっと問題になってなきゃおかしくないか」
「そもそもアリってやけどするのかな」
「やけどさせる方なら聞いたことあるな。ヒアリ?」
「あー、なんかね。赤いやつね」
「赤といえば俺たち音駒バレー部、か
……
」
「『か
……
』じゃないよ」
ふたり揃ってパックジュースをすすりながら、頭をいっさい使わない会話を続けていた。夏の暑さのせいだろうか、会話をするにも頭がうまく働かない。そう考えてみたけれど、よくよく考えてみれば黒尾と私の日常会話など、だいたいがこんな感じのような気もした。夏にかぎらず、私たちの会話には年中これといって実はない。
「そういえば黒尾たちって、今年も夏祭りは部活で行くの?」
「いや、今年はどうだろうな。一、二年は行くのかもしんないけど、俺らはなぁ」
「ふうん」
「なんで?」
「いや、知り合いが夜久くんの夏休み中の動向を気にしてたから。夏祭りに行くなら、偶然を装って待ち伏せできるじゃん」
「待ち伏せて。物騒すぎるだろ」
「闇夜に乗じて
……
斬りかかる」
「うちのリベロに斬りかかるな」
「夜久くんだったら闇討ちされても白刃取りくらいできそう」
「お前は夜久をなんだと思ってんの?」
「かっこいいよね」
「そもそも夏祭りって、別にいうほど暗闇でもないだろ」
ふっと鼻で笑われる。「たしかに」と私も半笑いになった。
「だいたい俺ら、部活ばっかやってるせいで、ただでさえ勉強間に合ってないからなー。夏祭りなんて行ってるが余裕あんのかという」
「行けばいいのに。一日くらい」
「一日を笑うやつは一日に泣く
……
と、教頭が言ったとか言ってないとか」
「めちゃくちゃ言いそうだけど本当に言ってたかは怪しいみたいなのやめて」
「実はギリ言ってない」
「言ってないんじゃん。ギリでもなんでもなさすぎる」
「でも今のはかなり再現度高かっただろ」
「教頭の再現度が高くて何の役に立つの」
「教頭が風邪引いたときとかにさ」
「教頭が風邪引いたとして、誰も黒尾に影武者を頼まないでしょ」
ぬるい風が一陣吹く。一瞬だけ涼しいと思ったけれど、すぐにじっとりとした熱気が戻ってきた。溜息を吐く、口のなかさえ暑い。
「そういう
苗字
は?」
「なに?」
「夏祭り。行くの?」
「んー、特に決めてない。誘われたら行くかもしんないけど、暑いし」
「だよなぁ」
「こっちから誰か誘うのもさぁ、みんな受験勉強で忙しいだろうし」
「たしかにな。それこそ彼女でもいれば、無理してでも行くだろうけど」
「あー、ね」
「別に部活のやつらと行ったとて」
「夜久くんに謝りなよ」
「なんで夜久単体なんだよ」
「夜久くんくらいしか知らないし、バレー部」
「海とかいるだろ」
「海くんあんま喋ったことないんだよなぁ
……
。いい人そうすぎて近づきにくい。黒尾くらいがちょうどいいよ」
「俺に失礼すぎるだろ」
「海くんって可愛い彼女いるよね?」
「おー、つーかそんなことばっか知ってんのなんなんだ」
「黒尾は彼女つくんないの?」
「彼女なー、そりゃ欲しくはあるけど」
「夏だし告白しちゃいなよ」
「したとて、
苗字
にその気がなさそうなんだよな」
「何それ、なんで私に告白することになんのよ」
「そりゃだって俺の好きな相手が
苗字
──」
「え」
「あ」
短い声が立て続けに発されて、それから不意に声が途切れた。ぱちりと瞬きをひとつして、私は黒尾の顔を見上げる。汗をかいて火照った顔の黒尾は、なぜか驚いたように私の顔を凝視している。
「
……
黒尾って私のこと好きなの?」
冗談めかしたはずの声は、夏の空気にもとけないくらい、固く戸惑った響きをしていた。
☼
告白をする予定なんて、今のところまったく影も形もないはずだった。かりに今告白したとして、返事は「友達としか思えない」あたりが関の山だろう。ここぞの時にそんなセリフを
苗字
から聞く気はさらさらなかった。
今の俺が
苗字
にとって友達以外の何物でもないことはよく分かっている。だからこそ今は雌伏の時だと割り切って、友達役に徹していたのだ。
これまで俺は慎重に、慎重すぎるほど慎重に、じっくりと
苗字
との距離を詰めてきた。一年で同じクラスになったときからずっと。ただの友達だとは思えない特別扱いを明確に、けれどけして警戒はされないよう、細心のさりげなさで。
そうして俺はこれまで、
苗字
の「一番気が合うやつ」のポジションを死守してきたのだ。変に
囃
はや
し立てられるのは困るが、ほかの男にまったく無害な友人だとも思われない距離。
二年以上かけてそうして守ってきたものは、すべてこの先に訪れるであろう
苗字
の「彼氏がほしい」と言い出す瞬間のために積み重ねてきた、俺の
健気
けなげ
さの
賜物
たまもの
だった。
──だというのに。
「
……
黒尾って私のこと好きなの?」
中途半端に口角が上がった
苗字
のこわばった顔を見て、俺は文字通り、一瞬にして血の気が引いたような心地になった。
まずい、やらかした。
暑さのせいで頭がどうにかなって、うっかり口を滑らせた。けして言わなくていいこと──いや、絶対に言うべきではないことを、ぽろっと言葉にしてしまった。
まずい、まずい。どうする? ここから入れる保険なんてあるのか?
困惑したような
苗字
の表情を前に、俺の脳は試合中もかくやという速度で稼働する。
すべてをなかったことにして、笑って、冗談にして、ごまかすか? あるいは今の発言そのものまるっと、なかったことにしてしまおうか。
「いや、待て。今のは」
しかしその瞬間、俺は次に発する言葉を咄嗟に飲み込んだ。
苗字
の困惑した瞳には、必死にこの場を取り繕うとする俺がうつっている。色素の薄い虹彩には、俺はさぞかし慌てふためいてうつっていることだろう。
この場ですべてをごまかしきることも、おそらく俺ならできるだろう。俺ならというか、俺と
苗字
の関係性ならば、それもギリギリ可能といえる。
苗字
は俺のことを、友人として相当に信用しきっている。加えて、
苗字
は良くも悪くもノリが軽いから、俺がごまかそうさえすれば、たとえ何かごまかしたとバレたとしても、無理やり引き摺りだそうとはしないだろう。
もしも俺が「そりゃあ俺は博愛の人なんで」とでもいえば、きっと笑い話でこの場はまるく収まる。たとえぎこちなさが残ったとしても、明日からの夏休みが多少のことは風化してくれるにちがいない。
そうしてごまかせば。そうすればこれまで通り、俺はいつか訪れるはずのチャンスのため、
苗字
の信頼を損なうことなく足場を固め続けることができる。このまま、今まで通り。何も変わることなく。
しかし、果たしてそれでいいのか?
ごくり、と喉が鳴った音で俺は現実に引き戻される。自分の喉が鳴った音だと気付いたのは、目の前の
苗字
が音もなく、時間が止まってしまったように俺を見つめ返していたからだった。
苗字
が両の手のひらで包むようにして握る、パックのジュースが視界に入った。俺よりも一回りも二回りも小さい手のひら。うっすらと色づいた丸っこいつめ。終業式だからバレても平気と、朝いちばんで笑っていた
苗字
の顔が思い出された。
明日から夏休みに入ってしまえば、この先一か月以上、俺は
苗字
と顔を合わせる予定はない。俺は夏休みいっぱい部活漬けだし、空き時間はただでさえ手薄な受験勉強に費やさなければならない。残念ながら遊んでいる暇は、ほとんどない。
苗字
だって夏休みは受験勉強で忙しいだろう。
苗字
の志望校を考えれば、
苗字
だってこの夏をただ遊んで過ごすわけにはいかないはず。
けれど、
苗字
のその忙しさは多分、俺の切羽詰まりぶりと比べれば、多少なりとも余裕があるものだ。息抜きで遊びにいくくらいならば咎められないだろうという程度には。多分。
苗字
はきっと、高校最後の夏、それなりに楽しく過ごすことになる。俺が知らない一か月以上のあいだに、
苗字
にどんな出会いが訪れるかなど、俺にはとうてい知りようがない。その小さな爪の色づきに、俺以外に気付くやつが現れないともかぎらないのだ。
ごくりと、ふたたび俺の喉が鳴る。口のなかはさっき飲んだジュースのせいで、やけに甘ったるくべたついていた。
知らず、くちびるを軽くなめる。固まってしまった
苗字
に向け、俺は言った。
「そうだよ」
ぎくりと、
苗字
の肩が揺れる。この手の話に
苗字
は慣れていない。だからといって、ごり押しでどうにかなるとも思っていない。
それでもこういう状況になってしまった以上、今なにも言わないなんてことが、俺にできるはずがなかった。
「俺が好きな相手は
苗字
だよ」
逸る心をおさえ、できるだけゆっくりと口にする。意識しすぎたせいで、授業で教科書を読まされているときのような、やけに平板な言い方になってしまった気がした。仕方がない、こんなセリフを日常生活で口にしたことなんかないんだから、言い慣れていなくて当然だ。
苗字
はぱちりと大きくまばたきをした。困ってんなぁ、と苦笑したくなる。肩のあたりがこわばっている。表情にこそあまり出ないが、
苗字
は結構分かりやすい。
「えーと。それは、友達的なやつ
……
ではなく」
「友達的なやつでも好きだけど。恋愛的なやつでも好きです」
口にしているそばから、頭を抱えたくなってくる。なんだ、このバカみたいな言い回しは。もう少しなんか、あったんじゃないのか。
腹は括ったものの、だからといって如才なくこの場を切り抜けられるほど、俺も手馴れてはいなかった。むしろこういう事態に対処するだけの経験値を、俺はまったくと言っていいほど持っていない。何せここまで、部活一筋で来たもので。今だって、はったりだけでこの場に立っているといっても過言ではない。
と、
苗字
がすう、と大きく息を吸った。
「ご、」
「待った」
口を開きかけた
苗字
を、俺はすかさず制止した。最初の文字が『ご』から始まる、告白の現場で使用される言葉、一個しかないだろうが。
ジュースを持っていない方の腕を、俺はぐっと
苗字
の方に突き出す。手のひらを
苗字
に向けると、
苗字
は「わ」と小さく声をあげた。機先を制されたことで、逆に緊張が少し解けたのかもしれない。
苗字
が言葉をつぐより先に、俺は大急ぎで口を開く。
「待った待った。さっきの告白への返事を今すんのは、ちょっとやめてほしい」
「え」
「今ふられると、夏休み中の俺のメンタルに響くから。大会がね、あるんだよ」
「あ、そうか。ごめん!」
苗字
があいている手で自分の口元をおさえる。そりゃもう可愛く見えてはいるものの、それはそれとして、普通に「ごめん」って言っちゃっている。それをやめてと言っているんだけど。
「いや、だからさ、
苗字
サン
……
」
「あっ、いやいや違う違う。今の『ごめん』はその『ごめん』じゃなくて、配慮が足りず『ごめん』の『ごめん』であって」
「わざとやってんのか!?」
「違うんだってばぁ」
喋れば喋るほど墓穴を掘る女すぎる。掘ってるのが俺の墓穴であるあたりが恐ろしい。
もはやうっかり告白をしてしまった俺以上にうろたえる
苗字
に、俺はおほんと咳払いをして見せた。
苗字
がばたばたしていた動きを停止する。素直だ。
「とにかくさ、返事聞くの、夏休み明けでいい?」
「
……
うん、はい」
少しだけ躊躇って、けれど結局、
苗字
は小さくこくんと頷いた。そこでようやく、俺も胸をなでおろした。少なくとも今この瞬間この場で、ばっさり切り捨てられることだけは回避できたらしい。
俺はそれとなく
苗字
の様子を観察した。照れているんだか何なんだか、
苗字
は少しだけ顔を俯けたまま、指先でジュースのパックの表面をつるつるとなぞっている。視線は合わない。日焼けなのか照れているのか、耳のてっぺんと首がいつもより赤くなっている気がした。
苗字
、可愛いな
……
。
一瞬だけ思考にさしこまれた煩悩を、俺は慌てて頭のなかから追い払った。せっかくこの場を最善のかたちでおさめたのだ。ここでふたたび口を滑らせたりしようものなら、さすがに今度はリカバリーしようがない。
ひたいに浮かんだ汗を手の甲でぬぐう。俺の身じろぎにつられてか、
苗字
が顔を上げて俺を見上げた。
苗字
と視線がぶつかる。少しだけ考えてから、俺はにっと口角を上げた。
「夏休みのあいだに、ちょっと俺のこと考えてみてよ」
「黒尾のことならもう結構考えてるよ」
「んっふ」
「あっ、違う。変な意味ではなく」
「いや、オーケイオーケイ、分かってる」
今んところ脈がないことくらい、ちゃんと分かっていますとも。
とはいえ──俺は気を取り直した。なんといっても、夏休みは長い。高校三年の夏なんて始まってみれば一瞬かもしれないが、それでも俺と
苗字
の関係が変わるのに必要な日数としては、ぎりぎり十分足りているはずだ。
苗字
から告白の返事をもらうのは夏休み明け。
こうなればどうにかして、四十日で
苗字
に俺を好きになってもらわなければならない。好きまでいかずとも、せめて意識してもらうところまではいかなければ「ごめんなさい」確定だ。
相変わらず
苗字
は俺を見上げている。と、
苗字
が問う。
「
……
夏休み中、連絡してもいい?」
「いーよ」
むしろ俺からしてみれば、
苗字
から連絡がもらえるのは願ったり叶ったりといえる。夏休み中、いかにして
苗字
の好感度を稼ぐかを考えている俺にとって、休み中のこまめな連絡は欠かすことができない。
「つっても部活とかあるから、返信は遅くなるかもしんないけど」
「
……
うん、それは大丈夫」
「俺からも、夏休み中、メールとか」
「ん、待ってます」
「待っててくれんの?」
「
……
まあ、はい。ほどほどに」
「ほどほどね」
会話がふつりとそこで途切れた。なんとも気まずい沈黙が落ちる。
そのとき、ちょうどよくチャイムが鳴った。ジュースのパックは徐々にぬるくなりつつある。さぼりにきたつもりはなかったが、いつの間にか結構な時間が過ぎていた。
「あー、教室戻るか
……
」
「
……
うん」
未だかつて見たことがないほどしおらしい
苗字
とともに、俺はだらだらとした歩調で教室へと戻り始めた。昇降口を抜けると、エアコンの空気と外気がいりまじったような、まだらにぬるい空気が俺たちを迎えた。どのクラスもSHR前なのか、あちこちから笑い声や話し声が聞こえてくる。すでに午後からの部活のため、ジャージに着替えた生徒もちらほら見える。
かくいう俺も、このあと部活が控えている。うっかり告白し、玉砕を先延ばしにしつつ事実上振られているも同然のこの心境で、果たしていつも通りの練習ができるだろうか
……
。いや、そこはそこ、切り替えていかなければならない。主将たるもの、面目というものがある。
「あのさ、黒尾」
ここまでずっと黙りこくっていた
苗字
が、ふいに俺を呼ぶ。制服のシャツの袖をくいと引かれて、俺は
苗字
の方に顔を向けた。
苗字
もあごを上げて、俺の方を見上げた。
「黒尾、なんで今このタイミングで、こう、さっきみたいなことを言おうと思ったの?」
「は? 普通に口滑らせたからですけど?」
「
……
本気で言ってる? もしかしてそうなのかもとは思ったけど、本当に? 本気で、うっかり言っちゃっただけ?」
「逆に聞くけど、さっきのあれが事前に入念な準備をしてきた告白だと思うのか」
そうだとしたら、俺って大馬鹿者すぎないか。逆に自然体でかっこいいまであるか? いや、ない。ないだろ。俺が
苗字
の立場だったら、さっきの俺をかっこいいとは絶対に思わない。なんだこいつ、と引いて終わりだ。
想像しただけで悲しくなった。できれば
苗字
には、この件についてはもう蒸し返さないでもらえると助かる。
「黒尾、ちょっと
……
さすがにださすぎない?」
「言うなよ。傷つくでしょうが」
「まあ、今の私も結構ださいし人のこと言えないけど」
「そうか?」
「ださくない? なんか、さっきとか言ってることバカみたいだったし」
「それはいつもだろ」
「ちょっと!」
「いつも
……
つーかさっきも、可愛いと思ってたよ、俺は」
その瞬間、
苗字
が「ぎ」と妙な声を出して固まった。眉間に思い切りしわを寄せ、傍目には怒っているようにも見える。
しかし俺には分かる。なにせ俺は、二年以上がっつり
苗字
に片思いをしているので。
「お、照れてる」
俺が言うと、
苗字
は顔を真っ赤にした。
「だっ、え!? なに!? 告白したらそういう感じにしていいルールなの!? 聞いてないんだけどっ」
「返事は保留にしてもらってるけど、返事聞くまで今まで通り何も変わらずに過ごすとは、俺は一言も言ってないからな」
「なっ、そっ、そんなの黒尾だけずるじゃん!」
「じゃあ
苗字
も何かルール足せば? フェアにいこうぜー」
へらへら笑って見せると、
苗字
は真っ赤な顔をぎゅっとしかめた。それから俺の肘のあたりを、こぶしで軽くこつんと叩くと、余裕なんかどこにもなさそうな顔で、
苗字
は俺をにらんだ。
「告白したからっていい気になんないでよね」
「どういう日本語?」
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