kaede
2025-07-03 15:48:00
6199文字
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一彩くんにデッカイ声で褒められて恥ずかしくなる燐音くんのはなし

天城兄弟
⚠️とってもなかよし
⚠️オチはないです

「兄さんはとても綺麗だね!」

 と、弟の声が共有ルームのありとあらゆるものを染め上げた瞬間、時が止まったような気がしたし、実際そうであれと多少は願った。
 が、現実は誰にも平等で誰にも無慈悲だ。
 なぜか誇らしげに笑う弟の向こうに、俺たち……というか主に俺へ向けられている視線を感じて、寸秒、逡巡した。
 適当にあしらうか、今すぐこの場を離れるか。
 やめろやめろ。そんな、あらあら、って声が聞こえてきそうな目で俺を見るんじゃねェよ。っていうか実際聞こえてンだよ、ナルシー。ドラちゃんも半笑いのやれやれ顔を向けるのをやめろ。綺麗、の対象が俺の何なのか、一彩は何一つ言及してねェだろ。
 いや、言及するまでもなく、俺自身のあらゆることに対して言ってるわけだが。
 何でわかるのかって? 故郷で散々言われてたからだよ。そりゃガキの頃はかわいい弟の純粋な賞賛を素直に受け止められる兄でいられたけどよ。今は状況が違うだろ。俺はコズプロの毒蜂、Crazy:Bの天城燐音さまだぞ。綺麗って何だよ。せめて、かっこいい、であれよ。
 ……いや、一彩にかかればどんな褒め言葉だって言葉以上の威力を持っちまうんだ。いや、本来の言葉通りの威力、と言った方が正しいのか。この子は羞恥とか遠慮とか、そういった摩擦力を言葉に纏わせることがないから。
「兄さん? 聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
 と、無反応の俺を訝しがった(というか単純に言葉通りの疑問を持っただけだろう)一彩に、いくら若干冷静さを欠いていたからとはいえ生返事をしたのが運の尽きだった。
「よかった! 今日発売された雑誌に兄さんのグラビアが載ってる、と藍良が教えてくれてね、とても綺麗でまばゆくて、こんな素敵な人が僕の兄さんなんだって思ったら居ても立ってもいられなくなって、今すぐこの感動を伝えなければ、って思ったんだ!」
「ちょ、待て」
「でもやっぱり、写真よりも実物の兄さんの方が何百倍、いや、何千倍も美しいね……!」
「一彩くん!!」
「ウム? 『一彩』と『弟くん』が混ざってるよ、兄さん」
「ちょっとこっち来い!」
「ウム!」
 ウム!(満面の笑み)じゃねェよ。周りの奴らにどんな顔で見られてるのか気づけ。気にしろ。今すぐその褒め言葉のマシンガンをぶっ放すのをやめろ。
 あとおめェらはいい加減、生あったけェ笑顔で見守るのをやめろ!!


 俺に腕を引かれて上機嫌な弟の心情には敢えて触れずに、一瞬迷ったのちに、行き先を一彩の部屋に決めた。単に俺の部屋よりも近かったから、というのもあるが、もし同室の人間がいた場合、どちらが気安く人払いできるか、と考えれば自ずと結論は出る。
 幸い、部屋には誰もいなかった。
「すぐにお茶を淹れるね、兄さん」
 ニコニコ顔で簡易キッチンに向かおうとする一彩の腕を、急いで掴み直す。
「おめェには俺っちが、おめェの部屋にくつろぎに来たように見えンのか?」
「多分違うというか、どうしてここに来たのかもよくわからないけど、でも、せっかく兄さんが来てくれたのだから、おもてなししたいよ」
「あー……
 おい、その顔は反則だろ。
 そんな、きゅんきゅん甘える子犬みたいな顔はよ。
 俺はお兄ちゃんなんだぞ。わかってんのか。
……それはあとでいいから、先にお兄ちゃんとお話ししような」
「ウム!」
 危ねェ危ねェ。
 うっかり絆されるところだったぜ。
 どうぞ、と一彩に促されるままにソファへ腰掛ける。それを見届けたあと、一彩も隣に座った。
「それで、お話しとは何かな」
 そんなキラキラの目で見上げるな。話しにくくなるだろ。
「あー……ああいうことはだな、時と場合を考えて言え」
「ああいうこと、とは?」
「だから、その、アレだよ」
「あれ、とは?」
 さっきの今なんだぞ、察しろよ。
「だから、綺麗とか、美しいとか、そういうことをだよ」
 言わせんな恥ずかしい。
 ふむ、と小さく呟いたあとに俺を見つめた一彩の目は、純真無垢を絵に描いたみたいに綺麗だった。……綺麗、ってのはこういう時に使うンだよ。
「それらは特にTPOをわきまえなければならない部類の発言ではないと思うけど、兄さんが嫌な思いをしてしまったなら、ごめんなさい。もう言わないよ」
「言うな、とは言ってねェだろ」
 やめろよ。弟の褒め言葉のひとつも受け止められない俺が悪いみたいに聞こえるだろ。
 いや、だからってお前が悪いわけでもねェけど。
「でも、嫌だったんだよね」
「嫌だとも思ってねェよ。ただ、人前で言われると恥ずかしすぎて死ぬってだけだ」
「フム……。どうして恥ずかしいのかはよくわからないけど、人前ではもう言わないようにするから安心してほしい」
 …………
……? どうかした? 兄さん。もしかして僕の答えは兄さんをがっかりさせてしまったのかな」
 どうしたもこうしたもねェよ。
「ほら、その、昔はよ、俺が『死ぬ』とか言ったら、やだやだってしがみついてきたろ」
「そうだね。兄さんが死ぬなんて、僕にはとても耐えられないから」
「なら何で今は、あー、なんだ」
……しがみついてこないのか、ということ?」
 何でそんなところは察しがいいんだよ。
 いや、別に、そうしてくれってわけじゃねェよ。
「おう」
 あー……なァンで俺のお口は思ったことと逆のことを言うのかねェ。
 一彩が、こくり、と首を傾げる。
 かわいいなァ、オイ。
「だって兄さんのそれは言葉のあやであって、本気でそう思ってるわけではないよね」
 言ってることは全然かわいくねェけどよ。正論パンチはやめろ。
「昔だって死ぬ気はなかったっての」
「それでも、今よりは僕にとって、とても切実に響く言葉だったよ」
……そーかよ」
 何か、馬鹿馬鹿しくなってきた。俺は何で、何をこだわって……
 ぽふん。
「ん? なんだァ?」
 ついセルフで擬音をつけちまったが、本当にそんな音が聞こえたっておかしくない。
 なんせよォ。
「兄さんがしがみついてほしそうだったから」
 一彩が俺に抱きついてンだからよ。
「そんなこと言ってないだろ」
「言ってないね。僕が勝手にそう思っただけだよ」
「そーかよ」
 弟のお節介に反抗するほど子供じゃないが、かと言ってわだかまりを丸投げできるほど大人でもない。二十歳をちっと過ぎた程度の人間の精神年齢なんて所詮、こんなもんだ。
 だから俺はため息をひとつついて、仕方がない、という空気を演出してから、弟を抱きしめた。我ながら素直じゃねェが、俺にだってお兄ちゃんとしてのプライドはある。
 ……まァ。
 ふふ、と俺の肩を温める綿飴みたいにふわふわの甘い声ひとつで簡単に溶けちまう程度のプライドだが。
 いい加減、弟離れしろ、と思うヤツもいるだろうが、いくつになったって弟はかわいいもんなんだ。
「僕ももう子供ではないのだから、兄さんに抱きしめてもらうのは少し照れくさいのだけど。でも、やっぱり、安心するよ」
 ほら。弟だって同じこと言ってるだろ。
 つーか、いっぱしにそんなこと思ってたのか。お前は照れくささとは無縁の人間だと……いや、都会で再会してからすったもんだの末に俺が『生まれた時から愛してる』って素直に言ったら、一応照れてたな。ならわかるだろ。俺の気持ちだって。
 嬉しいけど、照れるんだよ。
 照れるとよ、人間の思考回路は簡単にバグっちまって平常心を保てなくなるンだよ。
 わかるか? かわいい弟よ。
「兄さんはとても綺麗だよ」
 わかってねェな。
 いや、人前ではないから言っても問題ない、と判断したんだろうが。
 にしても唐突だな。
「藍良も言っていたよ。『燐音先輩って、黙ってれば綺麗なんだよねェ』って」
 それは褒めてるのか?
 いや、でも、まァ。
「ふゥン……藍ちゃんに褒められるのは悪い気しねェなァ」
 普段、あからさまに避けられてるからなおさら……ん?
「なンだよ一彩」
 問いかけたが、一彩は黙ったまま。
 ただ、俺に巻きつけた腕の力をさらに、強くするだけで。
「甘えんぼさんかァ?」
 からかいながら、いやこれは違うな、と思った。これは、甘えているというよりは。
「藍良の褒め言葉は嬉しいんだね」
 一彩の声がくぐもっているのは、俺の肩に顔を押し付けたままだから、それだけじゃない。
「なんだァ、拗ねてンのか」
 予想を口にした途端、自分が明確に浮かれているのを自覚して、一応兄としての威厳にも関わるから抑えようとは思ったが、自分がそこまで冷徹な人間ではないことは、俺自身が一番よくわかっている。
「拗ねてはいないよ。単純に疑問に思っただけで……どうしてニヤニヤしてるのかな、兄さん」
 そりゃ、ニヤニヤしちまうだろ。
 お前はただ、俺の答えを訂正するために顔を上げただけなんだろうけどよ。その顔にでかでかと書いてあるんだからよ。

 僕は焼きもちを焼いています、って。

 お前の好意を疑ったりはしねェよ。
 でもやっぱり、目に見えるかたちにしてもらえるのは、照れくさいけど嬉しいもんだ。
 普段はそういうネガティブな感情は素通りさせちまう子だから、なおさら。

「お前の褒め言葉だって嬉しいに決まってンだろ」
 ニヤニヤしながら……いや、俺としては普通に笑ってるつもりなんだが……若干、表情筋がいつもより緩くなってる気がしないでもないが……嬉しさと照れくささを一彩の頭の上でぐりぐり混ぜ合わせていると、きょとんとした大きな目が俺を見つめる。
……困るのではなかったの?」
「あ? ……あァ、確かに言ってはなかったかァ?」
 脳内でツッコミ入れすぎて、すっかり言った気になっちまってた……というか普通は察しがつくもんなんだけどな。いや、お前はそういうのが苦手な子だったな。悪かった。……いや、こうやって脳内処理して終わるから駄目なんだよな。
「ちゃんと言わなくてごめんな。お前に褒めてもらえるのが一番嬉しいよ」
 ぐしゃぐしゃになった髪を整えてやりながら俺が謝ると、一彩が、意表をつかれた、というような顔をする。
 俺があんまりにも素直に自分の気持ちを吐露するから、どんな反応を返せばいいのかわからなくて困惑している、と言い換えてもいい。
 つまりよォ、そういうこった。

「まァ、よ。だから困った、っつーわけだ」
 俺が苦笑すると、一彩はしばらく考えあぐねたあと、小さく首を傾けた。
……『嬉しい』と『困る』の因果関係がよくわからないのだけど」
「あー……
 そんな、頭で小難しく考えることじゃねェんだけどな。
「困るっつーか、ぶっちゃけ照れくさいンだよ」
「照れくさい……
 ふたたび、沈黙。
 わかんねェかな。
 わかんねェよな。
「それなら、わかるよ」
「わかるのかよ」
「ウム、何となくだけれど」
 ふゥン……
 まァ、どうせ的外れなことを言うんだろ。お前のことだから。
 なんて、意外な返事に多少驚きはしたものの、弟には悪いが正直期待なんてしてなかったので。

「嬉しいのに、嬉しすぎて、困ったような気持ちになる、みたいな……ウム、確かに『困っている』ね」

 自分の感情の手触りを確かめるみたいに胸に手を当てて、一彩がはにかんだのには驚いた。
 マジかよ。
 あの、感情のカテゴリ分けがざっくりしすぎているお前が?
 いくつもの感情を複雑に絡ませて、ささやかに、繊細に、微笑んだ?

 ……………………
 ………………
 ……おぉ。

 意識の奥底で発生した振動が、ようやく表層にまで届いたんだろう。どういうことかというと、弟の成長を目の当たりにしている、ということがようやく嬉しさと結びついて、何だか抱きしめたくなっちまった。ということなんだが。
 だが、いくら弟のことを生まれた時から愛してる(現在進行形)とはいえ、溺愛してるわけじゃないし、弟を甘やかすのもよくない。俺は愛を安売りするようなお兄ちゃんじゃねェンだ。
 だから抱きしめたりなんてしないんだが。

「人前で一切褒めるな、とはいわねェけど、ほどほどにしてくれ。でないとお兄ちゃん、照れくさすぎて死んじまう」

 ぽふん。

 ……うん、まァ、そうなるわな。

 かわいい音を立てて弟が抱きついてきた時にまで、くだらねェプライドを突き通すようなお兄ちゃんでもない。
 弟が求めるなら、ちゃんとそれと同じ、いやそれ以上の愛情を返すに決まってるだろ。
「抱きつくのは照れくさいんじゃなかったのかよ」
 こっちの感情を見透かされたくはねェから、揚げ足は取らせてもらうけどよ。
「抱きしめてもらうのが照れくさいんだよ」
「そーかそーか、じゃあもっと照れろ」
 ったくよォ。まるで独占するみたいに俺の胸に飛び込んでくんなよいい加減兄離れしろよ、と思いながら……いやまァ、本気でそんなこと思ったわけじゃないが……いくつになっても俺の弟はかわいいからな。

 恥ずかしい目に遭ったのは災難だったが。
 久しぶりに何のてらいもなく弟を抱きしめられたのは、うん、悪くなかったなァ。


 とか思ってたこの時の俺は、あんまりにも能天気すぎた。
 ってことに今さら気づいたところで後の祭りなんだがな。


 思いがけず兄弟水入らずで過ごせて上機嫌のあの日から三日後のことだ。共有ルームで競馬新聞を読んでいると、兄さん!と弾けるような明るい声を上げながら、一彩が俺の隣に腰掛けた。
「昨日、兄さんが出ているドラマを見たよ!」
「おう」
「役とはいえ、真面目な兄さんなんて変な感じ、とみんなは言っていたけど、僕は……っと!」
 言葉の途中で、何かに気づいたように一彩が手で口を塞ぐ。
 三日前に俺が言ったことをもう忘れちまったのか、と。用意していたツッコミを使わず済んで、ほっとしたのも束の間。
 ぴったり密着してきた弟に、んん?と内心首を捻ってないで、察するべきだった。

「とても綺麗だったよ、兄さん」
 
 耳元でイケボでささやくな。
 っていうか。
 指の先まで所作が美しかっただとか、兄さん本来の品があって好きだとか、感想を詳細に耳打ちしてくるだけならまァ、何とか耐えられたよ。多分。
 けどなァ、お前の声に混じって、遠巻きにひそひそささやく(おおむね微笑ましいものを愛でるような)声まで聞こえて、俺は、もう、マジで! 恥ずかしくて死にそうになってンだよ!
 気づけ、弟よ!!

「弟くん!?」
「ウム?」
「三日前にお兄ちゃんが言ったこと、もう忘れちまったのかなァ!?」
「覚えてるよ。だから、みんなには聞こえないような伝達方法を取ってみたんだ。どうかな? 兄さん」

 どうかな?(満面の笑み)
 じゃねェよ。
 人前で褒めるな、ってのは、他人に聞こえなければいい、って意味じゃねェよ。
 って、言うつもりだったのに。

「恥ずかしくて死にそう……

 なんて、脳みそがバグって別のことを言っちまったばっかりに、さらに恥ずかしいことになってもうしっちゃかめっちゃかだったわけだが、その辺のことはもういいだろ。

 それくらい、察しろ。