らぎ
2025-07-02 17:02:27
896文字
Public モノノ怪
 

青時雨

離坤字書き当て企画に提出したもの。

「髪を、伸ばしちゃ貰えませんか」
 現世に合わせて雨がしとしと降り続く十翼。縁側に並んで座っていた離の薬売りがふとそんな事を口にしたので、坤の薬売りはひとつ瞳を瞬かせた。
 坤の薬売りの朱のさした霞色の髪は、常から同輩の中でも短く整えられており、縦横無尽に跳び回りモノノ怪と渡り合う彼によく似合っていると離の薬売りもよく睦言を交えて褒めてくれる。しかし短いが故に、離の薬売りの髪のように髪紐で結い上げたり、簪をさしたりするには難しい。ここで常人ならば数ヶ月かけて髪が伸びるに任せるしかない所だが、彼らは薬売り。ある程度自身の見目や造形を変えることは造作もない事であり、坤の薬売りも自身の頸に手を遣ると瞬きの間に腰ほどまで髪を伸ばしてみせた。
「如何、でしょうか」
 向こうが言い出したことであるし、初めて髪を伸ばした訳でもないので気に入らぬという事はない筈ではあるが、マァそこは惚れた弱みというやつで。そんな坤の薬売りの微かな躊躇いをよそに、離の薬売りは飾磨紺の瞳を愛おしげに細めて髪のひと房を掬い上げた。そのまま毛先に口付けなど落とすものだから、何となくいけないものを見ているような気にさせられてしまう。
「ッ、それで、あっしの髪に何か御用で?」
「おや、これはうっかり。外つ国の手絡を、手に入れましてね」
 離の薬売りはそう言うと背負子のひと棚から外国の手絡、即ちリボンを取り出してきた。深い紺地に艶やかな金糸と爪先程に小さな宝珠のぬいとりが施された広幅のそれは、なるほど坤の薬売りの着物にもよく似合いそうだ。
「さ、後ろを向いて。」
 そう促され、坤の薬売りは素直に背を向けた。嫋やかな指先が彼の髪を梳いていくが、長くなった事と降り続く雨の湿気によりあちこちに跳ねた毛が、どうにも邪魔をしている気配がする。
「あのやはり、戻した方が良いのではありませんかね」
「心配いりませんよ。楽しみは、長い方が良い」
 離の薬売りが事もなげにそんな事を言うものだから、坤の薬売りはもう押し黙ってされるがままになる他無く。ひととき静かになった部屋には、はたはたと雨音が広がっていった。