千代里
2025-07-01 16:18:29
13282文字
Public リーブラ15話
 

リーブラの針は問う・15話・その11


「手を貸す必要はあるか、オデット。普段乗っているやつよりは、少し大きいだろ」
「いえ、もう大丈夫です。自分で乗れますから」
 差し出されたルーシャンの手に首を横に振り、オデット弾みをつけてチョコボにつけられた鞍へと飛び乗る。初めて騎乗した時は、鞍によじ登るような不恰好な騎乗をしていたが、今となっては慣れたものだ。
 慣れたのは、チョコボの騎乗だけではない。この旅路そのものにも、オデットはすでに適応を始めていた。
 ルーシャンから渡された外套を羽織り、一緒に持ってきてくれた携帯用の錬金薬、護身用の短刀などがオデットの装着するポーチの中に収まっている。流石に、武器としても用いられる天球儀は持って来てくれなかったようだが、たとえ武器がなくとも魔法の発動には大きく影響はしない。
 オデットの後ろに座り、手綱を握っているルーシャンの装備に比べれば簡素なものであったが、彼はオデットにある程度の武装と支度を許してくれていた。攫ってきた相手に対しての装備と思えば、格別の待遇だ。
(ルーシャンさんは、わたしが逃げないと信頼しているのでしょうね。それに、わたしの身の安全も気にしてくれている)
 イシュガルドの雪原は、決して子供が一人で散歩できる環境ではない。万が一のときを考えて、一人で放り出されても生きられるように準備を許したのは、ルーシャンなりの信頼とオデットは受け取っていた。
「ルーシャンさん。目的地は、遠いのですか」
「それなりにな。元はエヴラール家の領地だったところだ。ここがニヴェール家の本拠だろう。目的地までは幾らか距離はある。とはいえ、国を横断するような長距離じゃない」
 問題なく走り抜ければ、七日か八日か、とルーシャンは付け足した。
 二人きりの旅路にしては多すぎるように見えた荷物も、行程を考えた食糧を詰めてあると考えれば、妥当な量だろう。
 オデットは、今は何も埋め込まれていない自分の耳の穴に指をかける。
 ルーシャンと共にグラスバレーの街を離れた直後、オデットはリンクパールを彼の手によって外されていた。ルーシャン自身も、自分のリンクパールを外しているのだろう。たとえノエたちから連絡があったとしても、これでは会話はかなわない。
「ルーシャンさん。今からでも、皆さんに連絡をとりませんか」
「エヴラールの領地を不毛な荒野に変える魔法を発動したいから、手伝ってくれってか? お嬢ちゃんは、それを聞いたノエがどういう反応をするか、わからないほど愚かじゃないだろう」
「たしかに、兄さんは反対するかもしれません。でも、魔法を発動させたがっているのはオーバンさんも一緒でしょう。オーバンさんなら、迷わずに発動する選択をします。でも、ルーシャンさんは……
「言っておくが、俺も迷うつもりはない。親父の管理していた領地がエーテルの流れない土地に変わるのは、正直思うところはあるが……だからって、腐らせておくには、あまりに惜しい代物だ。それに、俺個人の意地もある」
 決して、イシュガルドに生きる者としての義務感だけではないだろうとは、オデットも察していた。
 ルーシャンにとって、父の遺した偉業の引き金を引くのは、彼自身の人生にけじめをつけるためにも必要なのだろう。
「そういうお嬢ちゃんも、魔法を発動させてもいいかもしれないって思うから、俺のもとから逃げ出さないんだろ」
 手綱から指示を出されたチョコボが、クエと一言鳴いて走り出す。
 木々の隙間に隠れるようにして走りながら、ルーシャンはオデットの迷いを貫く言葉を放つ。
「それは……
 オデットはルーシャンの元から逃亡しようとは考えなかった。彼が自分を無闇に傷つける人物ではない、と分かっていたからもあるが、それだけが理由ではない。
「邪竜がいなくなれば……竜との戦いが終われば、助かる人が大勢いるってことは、わたしも分かっています」
 イシュガルドに辿り着いてからの旅路の中で、竜の存在はいつも無視できない強敵であり、時に悲しい別れを齎す存在であった。
 ノエの父が治める街は、竜の度重なる襲撃により苦境に喘いでいた。
 竜の眷属に住む場所を踏み荒らされ、家を失って嘆く家族を何人も見た。竜から子供を守ろうと、その身を投げ出した司祭の葬儀に参加したとき、心を埋めた途方もない悲しみは今も忘れられない。
 異端者として徒党を組むことで、心の平穏を得ようとした人もいた。望まない形で、竜の血を得て人に戻らずに命を落とした少年のことは、オデットもよく覚えている。
 そして、竜の側もまた、長く続く戦いの憎悪に疲れているようであった。先だって会ったドラゴン族――ゲルダの友人でもあった竜の言葉は、オデットもよく覚えている。
(ニーズヘッグの咆哮を聞けば、どうしたって彼らは憎しみを思い出してしまう)
 何もかもを忘れて、全てを許せずともせめて忘却の海に沈めようとしていた心を、邪竜が怒りの形へと引き摺り出してしまう。
 故に、戦いを望まぬ竜もまた、気づけばヒトへの憎悪を滾らせてしまう。そうして、争いの輪から抜けられず、ヒトと竜の戦いは一千年続いている。
「エヴラール領に住んでいる方々が、何名いらっしゃるのかは知りませんが、その人たちの日常と、邪竜の咆哮が聞こえなくなった世界と……天秤にかけたら、どちらが重く感じられるかなんて、一言では決められません」
「普通はそうだな。オーバンから言わせりゃ、そんなことで悩むなんて馬鹿馬鹿しいって話なんだろうよ。あいつは、実に貴族らしい考え方をしている。平民を護る責務を感じる一方で、必要に応じて切り捨てる選択を選ぶのに躊躇はしないだろうさ」
「でも、ルーシャンさんはもし今ここに、その魔法があったなら、すぐに発動すると言うんですよね」
 先ほどは迷わないと言っていたので、間髪入れず返事があるものと思いきや、彼から回答はなかった。
……ルーシャンさんも、実はまだ躊躇っているのですか」
「他人の平穏をぶっ壊しておいて、上手くいったのだから全て許せって言い放つほど、俺が傍若無人に見えるか?」
……すみません」
「謝る必要はない。俺のやってることが、お嬢ちゃんにとって全部納得できることじゃないってことぐらいは、俺も分かっているし、俺自身に矛盾が残っているのも自覚している」
 だが、それでもルーシャンは迷う時間を切り捨てた。
 オデットが魔法に繋がる鍵を取り出してしまった以上、少しでもモタモタしていたら、オーバンが全てを終わらせてしまうからだ。
 オーバンとルーシャンの手札の違いは、彼らの持つ権力や地位の差でもある。
 オーバン自身には、ルーシャンのような魔道士としての才はない。今の二人のように、雪原を一人で行くための知恵や技術も持ち合わせていないだろう。
 だが、彼は多くの配下を動かすことができるし、足りない知識は外から人を引き込んで補うこともできる。ちょうど、ミラベルがオーバンの遺産の解析を手伝っていたように。
 だから、ルーシャンは強硬手段にでた。
 鍵を掠め取り、考えうる最速の手段でオデットをオーバンから引き離した。ルーシャンが仲間に協力を求めなかったのは、素早く移動するには人数の多さが枷となる事情もあったからかもしれない。
「エヴラール領の人に、新しい住居を用意して全員移ってもらう……というのは、無理ですよね」
 もしそれができたら、魔法による代償の影響も解決するだろうとオデットは言う。だが、ルーシャンは首を横に振った。
「もし、親父が生きていたとしても、かなり難しかっただろうな。親父が即刻発動で踏み切らなかったのも、その辺りに理由があったのかもしれない」
 大地のエーテルを吸い上げる魔法が土地にもたらす影響は、未知数だ。単に土地が枯れるだけでなく、想定外の災害が起きるかもしれない。あるいは、予想よりもずっと広い規模で大地が枯れ果てるかもしれない。
 しかし、だからといって住民全員を他領に避難させるほどの権力は、エヴラール家にはなかったとルーシャンは言う。
「随分過去の話だが、エヴラールは邪竜の討伐に一度失敗している。今回だって、きっと失敗に終わるだろうに、そんな負債を押し付けられてたまるか……と言われてしまったら、返す言葉もないだろう」
「同じ敵と戦っているはずなのに……? イシュガルドの人たちは皆、ニーズヘッグを倒したいのではないのですか」
「誰だって、自分の財産は守りたいってことだよ。ニーズヘッグを倒したからって、貴族が皆仲良くなるわけでも、教皇を中心とした権力の構図が変わるわけでもない。親父が、魔法の完成を公にしなかったのも、その辺りに関係がありそうだ」
「ルーシャンさんも、完成は知らなかったのですか」
 何気なく続いた会話が、不意に途切れる。
 チョコボの蹴爪が雪を蹴散らす音だけが、二人の間に横たわっていた。
 数秒遅れて、オデットが自分の質問があまりに無神経だったのではないかと悟る。ルーシャンにとって、父親は敬愛する師匠であり、このような行動に走らせるほどに、人生において重要な位置を占める人物だったはずだ。
 なのに、彼は父の秘密を共有されていなかった。
 その事実を今一度確かめるような問いかけは、ルーシャンの尊厳を踏み躙るも同然の質問となってしまう。
……ごめんなさい。わたし、嫌なことを聞きました」
「いや、謝罪するのはこっちの方だ。お嬢ちゃんは何も知らないんだからな。子供に気遣わせるのは、大人がすることじゃない」
「わたし、子供じゃないです」
「そう言いたくなるうちは、まだ子供なんだよ。ありがたく、子供の立場に甘えておけ。さもないと、俺の理不尽な八つ当たりを喰らう羽目になるぞ」
 その一言で、ルーシャンが「理不尽な八つ当たり」をしたくなるほど、一瞬感情を乱されたのだと理解した。彼もまた、オデットなら気づくと分かって、敢えて今のような言い方をしたのだろう。
「魔法が完成したとは、俺も聞いていなかった。親父の目指す魔法がどんなものかは知っていたが、完成にはまだまだ時間がかかると俺も思い込んでいたからな。わざわざ確認しようとも考えなかった」
 父親に言われるがままに、古い魔法の体系について、調査したり、再現に努めたりはしていたが、どれも決定的な結果には至っていなかった。
 シャーレアンから取り寄せたという資料の精査、過去の研究結果の分析、占星台に眠っていた古文書の解読。どれもルーシャンにとっては興味深いものであり、父親も強く関心を持っていたが、それでもやはり、ニーズヘッグに致命打を与えられるかと問われれば疑問が残っていた。
 だが、もとより、長期戦を想定していた研究だ。ルーシャンも、父親が次代に研究を繋ぐまでの仲介役としての立場であると自覚していた。
「俺にとっちゃ、親父がそこまで苦労して積み上げたものを引き継ぐのは、恐れ多くもあるが……あの人にできる唯一の恩返しだと思っていたんだけどな」
 はっ、と漏れた息に混じった笑いは、自嘲のそれだ。
 慰めの言葉を口にしたくとも、オデットには父子の間にどのようなやり取りがあったかは分からない。下手な慰めはかえって傷つけるだけだろうと、彼女は唇を噤んだ。
「結果は、ご覧の有り様だ。結局、親父は自分の研究成果を俺に継がせるつもりはなかったんだよ」
「もしかしたら、自分がすぐに亡くなると思っていなくて、だから、鍵にするエーテルを自分にしたままだったのかもしれません」
「そうだとしても、結局は俺は後回しにしても構わないような、その程度の存在だったってことだ。……あれほど、俺に『後を任せた』と言っておきながらな」
 ルーシャンの意見には、やや強引な部分もある。オデットが言ったように、父親がうっかり者で、鍵のエーテルを切り替える方法を忘れていた可能性もゼロではない。
 オデットは、ルーシャンのためにも仮定をもう一度口にしようとしたが、それを遮ったのもまた彼だった。
「それに、オーバンはああ言っていたが、親父の縁戚なら他にも何人か生きている奴がいる。その中には、親父のエーテルの波長と似たやつもいるだろう。だが、奴はそうしなかった。あるいは、もうすでにした後のかもしれない」
「だったら、オーバンさんは、どうしてわたしをわざわざ探したのでしょう」
「そうなると、オデットが開けられた理由は一つしかなくなる。お嬢ちゃんの父親じゃなくて、もう片方の親の血に反応した……ってことだな」
 ルーシャンが示した内容に、オデットはひゅっと息を呑んだ。
 あの箱は、もしかしたらオデットの母親――オディールに反応したのかもしれないのだ。
 そうなると、エヴラール卿はオデットの母親を妻としただけでなく、彼女を研究の協力者として相応しいと定めたとも言えてしまう。
……ルーシャンさんは、どっちが真実だと思ったのでしょう。いいえ、どっちが真実だったとしても、事実は一つしかないんです)
 いっそ、箱が開かなければよかったのにと、オデットは顔も見たこともない父親を恨んだ。思わず、鞍の握り手を掴む手に力を込めていると、
「先に言っておくが、オデットが箱を開いたってことは、魔法の制御をするのもこの分ならオデットということになる」
「えっ!?」
「親父の遺した文書と、実際に敷かれた魔紋が同一ならばな。鍵は、魔法につながる道の鍵であり、魔法自体の鍵でもある。同時に、それは魔法を制御するための杖でもあるわけだ。俺が使っているこれみたいにな」
 思わず、オデットはルーシャンの腰にぶら下がっている、細剣と魔法制御のための魔道具に支線をやる。
 発言を聞く限り、ルーシャンは、オデットの手に魔法を操る杖を握らせるつもりなのだろう。
 しかも、その杖が齎す魔法は、見慣れた炎やら風やらを呼び出す小規模の魔法ではなく、イシュガルドの全国民が願う邪竜の討伐という夢に繋がっている。
 思わず、その途方もなさに寒気を覚えて、ぶるりと身が震えた。
「で、でも、ルーシャンさんは……ご自分で魔法を発動させたいのではないのですか」
 父親の遺した夢を拾い上げ、己の手で叶える。それがルーシャンの大願ではないのかと、オデットは問う。
「できるなら、俺だってそうしたい。現地に到着して、使用者を選別する魔法の分析と書き換えができるなら、その時は喜んで、俺が発動の引き金を引かせてもらうさ」
 だが、時間があるかは分からない。オーバンの追手がたどり着くまで、然程猶予はないだろう。そして、オーバンは誰が利用するかなどということは、全く気にしないはずだ。
「どうしようもないってときは、悪いが……お嬢ちゃんに頼むことになるだろうさ」
「それで、ルーシャンさんは良いのですか」
――ああ。オデットをこの場所に連れてきた。それも、俺の成果であることには変わりないからな」
 だが、オデットには彼の回答は、ひどく空虚で言い訳がましく、まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。
 
 ***
 
 無意識に自分の耳の穴に触れ、そこに埋まっているリンクパールの感覚がないことに、現状を思い出して嘆息する。
 一体、昨晩から何度同じことを繰り返すのだろうと、ノエは己自身を振り返っていた。
(サルヒさんにはルーシャンさんを信用していると話したけれど、やはり内心で気掛かりだと感じているんだな……
 自分の発言を撤回するつもりはない。しかし、二人きりの旅路という状況には、何かと不安がつきまとってしまう。
 魔物や竜に襲われていないか、吹雪に巻かれて動けなくなっていないか。雪崩によって、生き埋めになっていないか。ルーシャンなら、その全てに対策を打っていると思うが、不測の事態はいつだって起こりうる。
 目の届くところに、自分が最も護りたいと思う人がいないのは、存外落ち着かないものだと思い知らされてしまった。
「連絡手段を取りあげられてしまったのは、ちょっと困ったね」
 起きてから、何度かリンクパールを求めて耳に触れていた様子に気がついていたのだろう。ノエの傍らに腰を下ろしたのは、ヤルマルだった。
 今は、昨夜の怒涛の一幕から一夜明けた朝だ。普段の起床時間に合わせて起きたので、日が出る前から四人は簡単な身支度を済ませていた。
「すみません、ヤルマルさん」
「何で、君が謝るんだい」
「ヤルマルさんは、今回の件とは直接の関係があるわけではないでしょう。なのに、巻き込んでしまいました」
「確かに、ボクもオランローもイシュガルドの国民ではないし、君やサルヒのように貴族と繋がりがあるわけでもない。でも、ボクはオデットとルーシャンの仲間であり、友であるつもりだ。もちろん、君ともね」
 ぱちんと片目を瞑り、ヤルマルはノエの肩を片手で掴む。そのまま乱暴に肩揉みをするような真似をして、ノエの緊張を文字通りほぐしていく。
「だというのに、今更関係ないなんて言わないでくれよ。寂しくなるだろう?」
……はい。そうですね。それでは、全力で頼らせてください」
「そうとも。大船に乗ったつもりで任せておくれよ。それに、ボクもルーシャンには二言三言言っておきたいことがあるんだからね」
 腕組みをして、ヤルマルはにっと口角を釣り上げてみせた。ぱしっと拳を打つような素振りから察するに、言葉だけでは済まないようにも思える。
「サルヒや君だけじゃなくて、ボクにも彼に文句を言う機会をくれよ。無論、オランローにもね」
「もちろんです。事情があるのは分かりましたが、ルーシャンさんには、できるなら事前に相談してほしかったと思う気持ちに変わりはありません。サルヒさんを置いていったことも、です」
「それを言われると、少し耳が痛いんだけどね……
 ヤルマルは己の大きな耳をぺったりと寝かせて、部屋の隅にいるアウラ族の二人へと視線を送る。
 ルーシャンに置いていかれた衝撃も、一夜経ったおかげで少しは落ち着いたらしい。広々とした寝台をヤルマルと共に利用して、しっかりと疲れをとった彼女は、今はオランローと共に荷物の整理と武具の点検をしていた。
「オランローはサルヒを励ますつもりでああ言ったのだろうけれど、タムタラの墓所にいたボクを追いかけてきた時、彼がどんな気持ちだったかを全部説明された気分だったよ」
 ヤルマルの愚痴めいた独り言の理由は、かつて自分がオランローに薬を盛って眠らせた上で、一人で出て行ってしまった時のことを指していた。
 当時の自分なりに考えて導き出した答えなので、完全な誤りとも言いたくはないが、褒められた振る舞いではなかったことは自覚している。
「オランローは、ヤルマルさんに当時の自分の状況は話していなかったのですか?」
「彼は、ボクみたいにお喋りが好きな性格ではないからね。思うところはあったろうと予想はしていたけれど、改めて本人の口から聞くのは胸が痛くなるよ」
 そこまで言ってから、苦しげに胸を抱える素振りを見せていたヤルマルは、ノエへとニヤリと笑ってみせる。
「だから、ルーシャンも同じ気持ちになれば良いのさ。彼は、サルヒになじられても何も感じないほど冷血漢じゃない。サルヒが魔物に拉致されたと聞いた時の彼の顔、本人に見せてやれなかったのが残念なくらいさ」
 肩をすくめて、ヤルマルはやれやれと首を横に振る。だが、次に彼女が瞳を開いた時、そこには仲間について話す砕けた雰囲気はなかった。
……ただ、ルーシャンのことがあったとはいえ、オーバンの思い通りにさせてしまったのは、少し悔しいね」
 ヤルマルの言葉に、ノエも渋面を作る。
 オーバンの息子であるベリトアからも警告をもらっていたのに、結局ノエたちは彼の掌の上から逃れられなかったのだ。
 オーバンが利益を求めて動く人間であると言われたからこそ、当初は彼の目的が見えず、警戒を維持できた。だが、オデットに鍵を入手させるという目的がはっきりしたときに、油断してしまった部分があるのは否めない。
「ルーシャンがあんな動きを見せるとは、誰も予想していなかったんだ。何らかの動きを見せるとしても、こちらに手の内は明かしてくれるものだと、オレも思い込んでいた」
 荷物の片付けを終えたオランローが、ノエたちの元へと近づく。昨晩はルーシャンへの怒りを露わにしていた彼も、一晩経って幾らか落ち着きを見せていた。
「後手に回るのは、ここまでにしよう。昨日調べたが、必要ならひと暴れすれば、部屋を出ること自体は可能だろう」
「暴れたら、間違いなくオーバン卿の耳に届いて、あっという間に彼の手の者に捕えられるだろうけどね。次に放り込まれるのは、もっと監視の目が厳しいところかもしれない。だから、これは最終手段だ」
 そこまでヤルマルが話した時、こんこんと扉がノックされた。「朝の食事をお持ちしました」と告げる使用人の声は、先日まで聞いたものと同じだ。
 だというのに、彼らの声音には、ノエたちがこのような場所にいるという状況に対する動揺がない。彼らもまた、オーバンの手の者であり、今の状況を薄々予想していたのだろうか。
「どうぞ。ボクたち、もうお腹がぺこぺこだよ」
 話しながら、ヤルマルとノエはそっと扉に近づく。もし、扉が開いたのなら、それを機に一気に外へと脱出できないかと考えたのだ。
 だが、扉の下にあった覗き窓のような一角が開き、そこから朝食が載せられたお盆が出てくるのを目にして、二人は揃って張り詰めていた緊張を解いた。
……まずは、食事にしようか」
「そうですね。いただけるのなら、ありがたく食べさせてもらいましょう」
 *
 扉の差し出し口からお盆ごと渡されたという部分に目を瞑れば、出された朝食は昨日の朝に食べたものと遜色ない出来栄えだった。
 まるで、食事さえ用意していれば、少なくとも無闇に反抗はするまいと考えているかのようであった。
「毒が盛られている、ということはないと思う。オーバンにとって私たちは必要な存在だから。だから、二人とも。そんなに慎重に食べなくてもいい」
「毒が入ってないだろうことは、ボクも予想済みさ」
 サルヒが指摘したように、朝食として出されたひよこ豆と野菜がたっぷり入ったスープを、ヤルマルとオランローは惜しむように少しずつ食べていた。
 彼らにしては珍しい食べ方に、一体どうしたのかと思いきや、
「昨晩から今に至るまで、ボクたちのもとに外から届けられたものは、この目の前にある食事だけだ。ミラベルがボクたちを脱出させたいのなら、こういったものに脱出手段を紛れさせているんじゃないかと思ってね」
「食事に、脱出の手段を?」
 ノエでは考えもしなかった案だったが、オランローやヤルマルはすぐにその可能性を思いついていたらしい。
 彼らに言われて、ノエも先ほどまで漫然と食べていた食事に全神経を注ぎ始める。
 出された食器に、それらしい細工はなさそうだ。かといって、目立つところに連絡手段は置けない。運んできた召使がオーバンの部下なら、目に入った時点でオーバンに連絡を取られてしまうだろう。
(だとしたら、ごく自然に入れられて、かつ、見ただけでは分からない部分に連絡手段を忍ばせているのだろうか)
 共に出された白パンをそっと二つに割り、行儀が悪いと思いながらも、細かくちぎってみる。紙切れ一枚、金属片の一欠片すら見逃すまいと思ったが、パンの残骸を積み上げるだけの結果となってしまった。
 オランローとヤルマルは、スープの底を浚うように匙を動かしている。ノエも彼らを見習い、ひよこ豆の一つ一つを取り出していたときだった。
……何か、食べ物以外に入ってます」
 匙の先端が、煮崩れた野菜や豆とは明らかに異なる感触の何かにぶつかる。皿の底にぶつかったのかと思ったが、匙の表面を撫でる、つるりとした固い感触はどこか覚えのあるものだ。
 豆や野菜で表面が濁ったスープを匙でまさぐり、中に紛れていた何かを掬い上げる。慎重に指先で具材を取り除いたあと、残ったのは、ノエたちにとって最も見慣れた連絡手段――リンクパールだった。
「さて、一体これは誰につながっているんだろうね?」
「僕たちのリンクパールをただ返してくれた、とは思えません。オーバン卿の罠でないといいのですが」
 お盆の上にあったナプキンでリンクパールに付着していた具材やスープを拭き取り、ノエは早速耳へと装着する。付け心地がいつもと違うことからも、普段用いているリンクパールとは異なるものだとすぐに分かった。
 ツーツーという聞きなれない呼び出し音が、何度も続く。誰にも届かないのかと不安になった頃、やっと呼び出し音が止まった。
……聞こえますか」
 自分が何者かは敢えて伏せたまま、問いかける。しかし、返事の代わりに聞こえたのは、
……現在地は、この辺りですか。随分と山の方を通っているのですね」
『木々に姿を眩ます程度には、奴も知恵が回るようだな。近くの村に立ち寄って、どこに向かうかを漏らしてくれれば話が早かったのだが、そう上手くはいかないか』
『慎重な方のようですから。ですが、目的地がはっきりとしないのは少々厄介です。遠方の場合、連絡をもらってから行動しても、我々が後手に回る可能性が高くなります』
 聞こえてくるのは、誰かと誰かが話している会話の内容だけだ。
 だが、リンクパールをつけている側の人物が誰かはすぐにわかった。中性的な落ち着いた声音は、ミラベルのものだ。少し遠くに聞こえるのは、くぐもってはいるがオーバンのものか。
(ミラベルさんには、僕が連絡してきたと分かっているはずだ。だけど、返答をできる状況ではない。だから、会話をこうして聞かせているのか?)
 余計な発言をしてミラベルと繋がっている状況を悟られてはなるまいと、ノエは声を殺す。
 オランローたちは何か言いたそうにしていたが、片手で「今は待ってくれ」と示して、沈黙を促した。
『奴が目的地に到着したら、すぐにセレスタンの遺した魔法を発動させるというのなら……それもまあ、いいだろう。最悪、私が引き金を引かずとも、邪竜ニーズヘッグを討伐さえできれば、それが誰であろうと構わぬ。後始末は、魔法が効力を発揮した後でも十分可能だ』
『ならば、追跡をやめさせますか』
『いいや。万が一ということもある。奴が妙な情を出して、手を引いてしまったら、全てが振り出しに戻る。それに、もし、あの娘が道中で失われてしまうようなことがあれば……それこそ、全てが無に帰す』
 オーバンの発言を聞いて、ニーズヘッグを討伐した後のことはともあれ、彼がすぐにルーシャンやオデットをどうこうするつもりはないことは察せられた。
 やはり、オーバンにとって、ルーシャンは目的地を示すための重要な案内役でもあるらしい。
 彼らが負傷したり、命を失うような状況は、オーバンにとっても避けたい展開のようだ。
(だとしたら、万が一魔物や竜に襲われても、オーバン卿の手の者が助けてくれると考えられそうだ)
 ノエたちを閉じ込めた者に手を貸されるのも不思議な話だが、今はその支援をありがたく利用させてもらおう。
 更に話が続くのかと思いきや、不意に通信は途切れた。直前に『少し連絡をとってみます』と言っていたので、別のリンクパールを起動させる必要があったため、結果的にノエからの通信を切らねばならなかったのだろう。
「ノエ。そのリンクパールは、誰と繋がっていたんだい?」
「ミラベルさんのようです。ただ、僕が連絡したときはオーバン卿との会話の真っ最中だったので、横から立ち聞きするような形になりました。折り返しで、後から連絡をしてくれるのではないでしょうか」
 そして、ノエはオーバンとミラベルが語った内容をかい摘んで説明した。
 オーバンの考えを聞き、再びサルヒは口元に手を当て己の考えに耽り、オランローとヤルマルも空になった食器を片付けながら、次の行動に向けた相談を始めていた。
 一方で、ノエも朝食を食べ終え、思索へと時間を費やす。
(妙な情を出して手を引く……というのは、どういうことだろう。ニーズヘッグを討伐できるかもしれないという状況だけを見るなら、イシュガルドに生きる人々にとって、これ以上ないくらい望ましい展開のはずだ。ルーシャンさんだって、自分の故郷を救いたいと思うのは自然な流れだと思うが……当事者であるルーシャンさんすらも躊躇うような理由が、まだ隠されているのか?)
 推測を重ねても、答えは出ない。
 朝起きたばかりなのに思考を巡らせ続けて、頭痛がしそうだと思っていると、今度は耳に着信音が響いた。今度は向こうからかけてきたということだ。
……聞こえますか」
 今度も名乗りを上げずに、全く同じ言葉で応答する。周りの三人の視線が、こちらへと降り注ぐのが見ずとも分かった。
『聞こえています。リンクパールが無事に届いたようで何よりです。セルジュアン様が手を貸してくれて、助かりました』
 予想外の協力者の登場に、ノエは目を丸くする。だが、ノエが更に声を発する前に、「手短に伝えます」と声が重なる。
『あなた方がいるその別邸につながる鍵は、ベリトア様が管理しているのを見たことがあります。セルジュアン様は、父なら説得できると言ってくれました。しかし、部屋の鍵については私もセルジュアン様も見覚えがないのです』
「つまり、部屋から密かに抜け出すことさえできれば、脱出は可能と?」
『ええ。今晩、日付が変わる頃に迎えに行きます』
 だが、まだ部屋を出る方法が見つかっていない。無理やり部屋を破壊して外に出ろとでも言うのか。しかし、そんな荒っぽい方法では、すぐにオーバンたちに見つけられてしまうのではないか。
 通信を切られる前に、せめて解決方法だけでも教えてもらわねばと言葉を発する直前、
『セルジュアン様は、部屋を出る方法は、すでに託したとおっしゃってました。兄君が聞いた話が事実なら、それで事足りるはずだと』
「え?」
『部屋の鍵は、複雑そうに見えますが古式の錠前です。……失礼。別の通信がかかってきたので、ここで切ります。また夜に』
「待ってください。まだ話は――!」
 ノエの呼びかけを無視して、通信が途切れる。怪しまれるのを避けるために必要とはいえ、光が差し込んだと思いきや、暗闇の中にいきなり放り出されたような気分になるのは避けられない。
「ミラベルはなんと言っていたんだ」
「建物の鍵は用意できそうだから、日付が変わる頃には迎えに行くと言っていました。ただ、部屋の鍵は手に入れられないので、自力で出てきてほしいようですが……
「鉄格子を壊す?」
 サルヒが窓の鉄格子を指差す。彼女の人並外れた腕力ならそれも可能かもしれないが、外す時の騒音までは消せないだろう。
「どうやら、ミラベルさんはセルジュアンさんと協力して行動しているようです。彼曰く、ティエリーさんが聞いた話が事実なら、すでに託したもので脱出できると……
 心当たりはあるだろうか、と問おうとしてノエをは、そこで気がつく。
 ヤルマルが、空になった皿上から、一本の小さな黒く細い何かを取り出してきたことを。それは一見すると髪に留めるピンのように見えた。
「きっと、ボクがティエリーに話した昔話を思い出したんだろうね。パンの中に紛れ込んでいたんだ」
 小さな金属の棒をポンと空中に投げ上げ、地面に落ちる途中で、ヤルマルはそれを掴んでみせる。
「ボクはこう見えて、森を出た後にトレジャーハンターの真似事もしていてね。伊達に七十年近く冒険者をしていないってところを、見せてあげるよ」
 にっと口角を釣り上げた彼女は、ピンをまるで極上の武器のように携えて、いそいそと錠前を確認し始めた。どうやら、そのピン一本で古い錠前くらいなら開けられると言いたいらしい。
……一応聞いておくけれど、悪事には使っていないと思っていいんだよな」
 ノエに肘をつつかれたオランローは、数秒の間を置いてから、ため息とともに言った。
「オレの知る限りはな。だが、オレがあいつと共にいたのはせいぜい五年だ。残りの六十五年で何をしていたかは知らない。それに、今気にするべきは、ここを出られるほどの腕前があいつにあるかどうかだ」
 オランローの言う通りだと、ノエは深く頷く。もっとも、ヤルマルの手つきをサルヒがじっと観察し、技術を会得しようといくつか質問している姿を見て、少々複雑な気持ちになるのは否めなかった。