溶けかけ。
2025-06-30 20:54:16
4499文字
Public ほぼ日刊
 

帰り花

幸せになってはいけないと思い込んでいるフリーナのお話。


「ヌヴィレット大好き」
「ヌヴィレット、僕、君のこと好きだよ」
「愛してるんだ、本当だよ?」
 好き、大好き、愛してる──暖かな言葉がヌヴィレットに投げかけられる。それは何か特別なことはなく、ただ一緒にお茶を飲んでいるときだとか、本を読んでいるとき、ふと視線を感じるとそこにはフリーナがいて、柔らかな笑みで愛の言葉を唱えるのだ。
「私も君のことを愛している」

 だから、返した。
 彼女ほどの熱量は無理でも私なりに言葉を選び、熱を籠めたつもりだった。
「僕もだよ」「両想いだね」──そんなふうに暖かな言葉を返してくれるのだろうという期待が胸を占める。裏切られた、というつもりはない。ただ、私は何かを致命的なまでに間違えてしまったことだけは彼女の表情から、言葉から理解した。
……だめだよ、ヌヴィレット。キミは僕みたいな奴を好きになっちゃいけないんだ。……そ、そう! 刷り込み! 刷り込みなんだよ! キミの隣にいた異性が僕だからキミは僕のことを好きだと思い込んでいるんだ! だから……
 目を泳がせ、申し訳なさそうに眉を寄せて彼女は笑った。それから「今日はこれから予定があるんだ」と言ってその場を後にした。
「──ヌヴィレット?」
 立ち尽くすヌヴィレットの耳に馴染みのある声が届く。振り返れば、旅人とパイモンが立っていた。
……君たちか。久しいな」
「久しぶり。こんなところで何してるの?」
……告白をしたのだが……どうやら振られてしまったようだ」
 ヌヴィレットの言葉に二人は目を丸くする。パイモンに至っては口を大きく開き、周囲に聞こえるほどの大声で感嘆詞を口にしている。
「こ、告白って誰に……!?」
 パイモンがヌヴィレットに尋ねる。その瞳には好奇心が色濃く映し出されていた。
……フリーナ殿にな。近頃、良く好きだと言われるのでね。私も好きだと返したのだが……
「だ、だが……?」
 パイモンが唾を飲み込み復唱する。旅人もごくりと生唾を飲み込んで話の続きを促した。
「私の彼女への好意はただの刷り込み──思い込み、だとか」
 二人が瞠目する。パイモンは空中で地団駄を踏んだ。
「なんだよそれ! フリーナのやつ、頭おかしいんじゃないか!? ヌヴィレットに散々好き好き言っておいて、いざ自分が言われる立場になったら逃げるなんて、ひどすぎるぞ!」
「それはそうなのだが……
「ヌヴィレットもビシッと言ってやれよ! だったら好きだなんて言うなってな!」
 ふんっとパイモンは鼻息を荒くして胸を張る。一方、ヌヴィレットはというとあまり乗り気ではないらしく、その表情は晴れやかとは言い難い。
「ヌヴィレットはどう思っているの?」
 ずっと黙りを決め込んでいた旅人がヌヴィレットに尋ねる。ヌヴィレットは「うむ」や「ふむ」と意味を持たない言葉を連ねると一つ頷いた。
「私は……彼女の本心が知りたい」
 その言葉に旅人は表情をわずかに明るくした。
「そっか……なら、行動に移さないとだね」
「行動に?」
 ヌヴィレットが首を傾ける。旅人の言葉の意味ををいち早く理解したパイモンが「なるほどな!」と相槌を打つ。二人は顔を見合わせると含みを持たせた笑みで笑い合った。
「言葉に出来たら次は行動で示そう」

「はいはーい。どちらさまッ……!」
 間延びした声でフリーナが呼鈴に返事をする。扉を開けて最初に目にしたのは赤やピンクのチューリップたち。そして──
「ごきげんよう、フリーナ殿」
 バタンッ!
 勢いよく閉められた扉がヌヴィレットの長い前髪を揺らした。
「な、な、な……なんでここに!?」
 フリーナは扉の前に座り込むと疑問を口にした。
「君を口説き落としに来た」
「く、口説く!? いったい全体、キミにそんな言葉を吹き込んだのは誰だい!?」
 ヌヴィレットは暫し考えたあと「旅人とパイモンがそう言えばいいと教えてくれたのだ」と口にした。
(あの二人、余計なことを……!)
 思わず舌打ちをする。せっかく上手く言いくるめて有耶無耶にしたというのにこれでは台無しだ。
「帰ってくれ! 昨日も言った通り、キミのそれは愛なんかじゃない! ただの錯覚なんだ! 僕が勘違いさせるようなことを言ったから……! それについては謝るよ……! だから……!」
 一時、言葉が立ち消える。
 それから消え入りそうな声でフリーナが「だから、頼む……帰ってくれ……」と言った。
 予想通りだ──用意してきた台詞を諳んじようと口を開きかけたヌヴィレットの耳に届いたのは堪えきれなくなった嗚咽であった。ともすれば街の喧騒に溶け込んでしまいそうなほど小さなそれは、せめて弱みは見せまいとする少女の精一杯の見栄であった。
 フリーナの突然の変わりように二の句が継げなくなってしまったヌヴィレットは花束を握りしめると静かに踵を返した。
 
「フリーナはヌヴィレットさんのことが嫌い?」
 ある日の昼下がり。すっかり恒例となったナヴィアとクロリンデとの茶会の席でナヴィアがフリーナに問いかけた。フリーナは飲んでいた紅茶を吹きかけそうになるのを必死にこらえる。
「ぅえ……っごほっ!? な、なんで、けほっ、ごほっ……
 咳き込むフリーナの背をクロリンデの手が撫でた。
「ナヴィア」
 クロリンデがナヴィアを咎めるように名を呼んだ。ナヴィアは少し肩を竦めるだけでどこ吹く風といった様子だ。
「分かっているわよ。クロリンデ。あたしに聞く資格なんてないことくらい。でも、いくらなんでもヌヴィレットさんが可哀想だもの」
「それはそうだが……けれど……それは、当人同士で話し合うべきこと──」
「ストップ。二人とも。それ以上はこの僕が許さない」
「ですが……
「僕なら大丈夫だよ、クロリンデ」
 フリーナは心配そうなクロリンデに微笑みかけた。そして「ナヴィアの言も一理ある」というとティーカップを傾けた。
「さて、何から話そうか……
 紅茶の雫で唇を濡らしたフリーナは口火を切った。

 初まりは単純だった。
 市井に下り、人としての生活に慣れ始めた頃、ふと違和感を覚えることが増えたのだ。
 お気に入りのケーキを食べているときだとか、読んだ本が楽しかったときだとか──些細な違和感はやがて、身を震わせるほどの寒さに変わっていった。季節の変化に乏しいフォンテーヌにおいて、寒いと感じることは真冬でもない限りほぼないと言って良い。
 故に、フリーナはまず身体の不調を疑った。いくつもの医者を訪ね、様々な薬や治療法を試してみたものの、一向に快方に向かう兆しは見えず。それどころか症状は酷くなるばかりであった。
「フリーナ殿」
「ヌヴィレット」
 医者からの帰り道、フリーナは久方ぶりにヌヴィレットに出会った。上手く話が出来るだろうか──水の娘以来、会うことのなかったヌヴィレットとの会話にフリーナは内心の怯えを隠して立ち話に講じることになった。好きなケーキの話に最近読んだ本の感想など──他愛もない、わざわざ話すほどのことでもないはずのことをヌヴィレットは顔色ひとつ変えずに聞いてくれた。
 
「もうこんな時間だ」
 お喋りを放り出し、夕焼け色に染まったフォンテーヌ廷を二人はしばしの間、無言で眺めていた。
「そろそろ帰ろうかな」
 日が沈み、地平線の境界線が薄い緑色に染まる頃、フリーナはふと思い出したように呟いた。それを聞いたヌヴィレットが歩み出て左手の手のひらを差し出した。フリーナが堪えきれない、というように頬を緩める。
「ふふっ……ヌヴィレット。僕にはもうエスコートなんて必要ないんだよ」
 数百年間、幾度となく繰り返した行為。神であったフリーナをエスコートをするのは当然、ヌヴィレットの役目だった。それも、フリーナが神の座を下りたことで終わりを迎えたはずだったのに──
……君が市井にあろうと君が私にとってエスコートすべき淑女であることは変わりない。お手を、レディ・フリーナ」
…………そこまで言われては断る理由はないね」
 フリーナはヌヴィレットの手のひらに自身の右手を重ねる。小さな手は見た目よりも逞しい腕へと導かれた。
 無言の時間が続くも気まずさだとかそういったものではない、心地のよい静けさに包み込まれながら、フリーナはヌヴィレットと帰路につく。自然に合わせられる歩幅は長い時を共に過ごしてきた証のような気がした。
「ありがとう。ヌヴィレット。おやすみ」
「ああ、おやすみ。フリーナ殿」
 遠ざかっていく背中を見つめながらフリーナは身を切るほどの寒さがすっかりなくなっていることに気づいた。
 ヌヴィレットの姿が見えなくなり、震えの止まった手のひらを見つめる。そこで初めて、我が身を苛んでいた寒さの正体に気づき、思わず笑みを浮かべた。
(ああ、そうか。僕は彼のことが好きなんだ)

「と、まあ。こんなところさ──って二人ともどうかしたのかい?」
 フリーナは珍妙な顔をしているナヴィアとクロリンデを見て首を傾げた。ナヴィアはギギッ……と油を差し忘れたマシナリーのように首を動かすと顔を突き合わせた。
「クロリンデ、どう思う?」
「どうも何も愛の告白そのものだと思うが」
「やっぱりそうよね……
 ナヴィアは再びフリーナに体ごと向き直ると細い肩をつかんだ。
「フリーナ一つだけいい?」
「な、なんだい改まって……?」
 肩を掴まれたフリーナは目を見開くと居心地悪そうに身動いだ。カッとナヴィアの青空のような瞳が大きく開かれる。「ヒィッ」とフリーナが小さく悲鳴を上げた。
「それだけ想っていて、どうしてヌヴィレットさんを振ったのよ!?」
「うわあああ!? そ、それは……!」
 ガクガクと勢いよくナヴィアがフリーナを揺さぶる。華奢なフリーナの体はナヴィアの動きに合わせ大きく前後を繰り返す。その勢いはクロリンデが止めに入らなければ脳震盪を起こしていそうなほどあった。

「それで? なんでヌヴィレットさんを振ったの?」
 クロリンデが止めに入ったことで多少なりとも冷静さを取り戻したナヴィアは鋭い瞳でフリーナを射抜いた。
「それは……
 フリーナは俯くと唇を噛みしめる。
 正直、理由は単純だ。僕は彼に愛されていい人間ではない──ただ、それだけのことだ。
 僕はフォンテーヌとヌヴィレットを騙してきた罪人であり、裁かれるべき存在だ。それに比べ、彼は最高審判官でありフォンテーヌの国家元首。身分もだが、正義の象徴であるヌヴィレットを僕という罪人のせいで穢してはならない。
「それは……すまない。言うことは出来ないんだ」
 フリーナは席を立つ。背後から聞こえてくる「フリーナ!」と語気を強めたナヴィアの声から逃れるように早足でその場を後にした。

 家に帰ったフリーナは家中の鍵という鍵をかけ、ベッドの上で毛布を被って蹲る。
「たくさんの人を死に追いやった僕が……幸せになっていいはずないだろう……っ!」