ながひさありか
2025-06-30 03:11:31
5992文字
Public STR-Phaidei
 

the world is your oyster 3

騎士王子青年期3。エイジリア遠征で聖女奪還の任についた二人。
※捏造・独自設定満載・すべてご都合。

前回(※R18)→ https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=25046866

 吹き荒ぶ風と雪が肌を切り裂くような夜だった。メデイモスは岩陰と雪に身を伏せながら、無言で震えすら耐えてスコープを覗く部下たちを一瞥する。敵情視察に明かりは厳禁とはいえ、そろそろ引き上げなければ凍傷になる兵士が出てしまうだろう。産声が弱々しかったからと心配した母親によって全身に祝福を刻まれたメデイモスは寒さを感じ難いが、そんな彼でさえ足先に少し違和感があった。
 敵方は奇襲を予測していないのか、はたまたいつでも応戦できると余裕なのか、城下街まで火を焚き、城に耐寒結界を張り巡らせて居場所と様子を鮮明に教えてくれる。城にかかったガラスのような障壁は街の明かりを外に向けて乱反射させ、熱を増幅して城に落ちる雪を触れるそばから蒸発させて行く。真夜中でもダイヤモンドダストのようにあたりがちかちかと耀く様をスコープで覗きながら、メデイモスは「撤退だ」と左耳のピアスに触れながら兵士たちに通達する。
 数年前、同盟を組んだオクヘイマの主から通信手段の提供を受けてから、情報共有は格段と楽になった。
 オクヘイマはクレムノスと違って占領国の扱いが少しばかり緩いせいか、食糧も畜産も豊かな国だった。戦士以外の働き手が極端に少ないクレムノスでは、占領国の市民を労働力として利用しているが、国土が増えるにつれ食料自給が追いついていなかった。オクヘイマの女主人はインフラと食糧を提供する見返りとして、クレムノスに戦力提供を度々要請しており、今回のエイジリア侵攻もそのひとつだ。
『彼の国に囚われている聖女を奪還していただけませんか。彼女は随分と昔に攫われた私の大事な友人なのです。手段は勿論問いません、侵略も占領も自由になさってください。ただし、彼女を少しも傷つけることなく私の元まで送り届けてください』
 他国では死神と呼ばれている女を聖女と呼ぶ女主人の要求に、兵士たちはあまりいい顔をしなかった。噂か本当かはわからなかったが、「聖女」は触れたものの命を奪うと恐れられていて、オクヘイマにこれ以上の戦力を渡しては、いずれ同盟を反故にされた際にクレムノスに不利だと主張する将校がいたせいだろう。クレムノスの戦闘は白兵戦が主で、敵軍と「触れ合う」瞬間が多いのは事実だった。
 メデイモスは同盟を解消するメリットは今はオクヘイマにもない、と諭した上で、「俺の命令が聞けぬ兵はいらん」と口にし、ファイノンを前線に立たせると決めた。万が一命令を無視して聖女を死なせたり怪我をさせてしまっては、それこそオクヘイマとの戦争は避けられない。

 雪の中を兵が全て撤退したのを確認してから、尚もメデイモスがスコープを除いていると、殿下、と風の隙間を縫うように声が届く。
「撤退しろ」
「あなたが戻らないと僕も戻れない。作戦時間まであと二時間もあります、休むべきだ」
 スコープをようやく外し、メデイモスは寒さのせいか口調がやや乱れているファイノンを振り返った。軍帽から覗く雪と同じ色をした毛先と肌が凍えているのを確認すると、「そうだな」と小さく呟いた。
 岩陰にスコープを立てかけて角度を調整すると、ピアスに触れて「見えるか?」と通信兵に話しかける。雪のせいか風のせいか少し音が聞き取りづらかったが、映像は問題ないらしく、感度良好、の返事があった。
 通信を切り、メデイモスはファイノンと野営地へ帰還する。作戦時間に変更のないこと、何か変化があればすぐに伝えることと兵士たちに通達すると、自分とファイノンのための天幕まで戻り、メデイモスは服や体中についた雪を入り口で落とす。ファイノンはタオルをデイモスに渡すと、濡れた外套や手袋、軍帽とブーツを受け取り、ストーブがわりの松明のそばに干し、そうしてから自分の服をようやく脱ぐ。
「凍傷にはなっていないか」
「問題ないよ、君ほど長く外にいたわけでもない」
 笑って答えたファイノンに、どうだかな、とメデイモスは小さく息をつく。松明の熱で湯を沸かしたファイノンが淹れる紅茶のカップを受け取ってテーブルは置くと、その言葉が真実なのかどうか、手袋のない手に直接触れて確認する。
「問題ないだろ?」
 手を握ったり開いたりするファイノンの表情にも声にも、確かに痛みは見えなかった。動きにおかしいところもないか、と手を離しつつも、全身をじろじろ眺めたメデイモスに、「それより半日以上外にいた君の方が風邪を引かないか心配だ」とファイノンが心配そうに眉を寄せる。
 元よりエイジリアは豪雪地帯だが、ここ数日はひどく吹雪いていた。一メートル先も見えない吹雪の中、指揮官であるメデイモスは作戦ルートの確定や訓練と索敵で雪の中を歩き回っており、天幕へは殆ど戻っていない。
「風邪を引いたことはない。お前も知っての通り、この体には祝福が刻まれている」
 メデイモスが袖の下に隠れている紋を見るように視線を落とすと、ファイノンは右目の下の紋を指でそっと撫でる。
「それは知ってるけど、君って怪我や痛みには結構鈍感だし我慢強すぎるだろう? 体は敏感なのに」
……作戦前にしてはくだらないことを言う余裕があるようだな」
 そんなことを言っている場合か、とファイノンの指をそっとはらうメデイモスに、ファイノンが苦笑した。
「そうでもないよ。君の体を本気で心配してるんだ」
「俺より自分の身を心配しろ。今回は本陣でお前が戻るのを待つしかないからな。……通達は出しているが、万が一聖女に手を出す者がいれば容赦なく殺せ」
 戦火のどさくさに紛れて謀殺しようとする輩が出るだろう、と言う予感がメデイモスには何故かあった。だからこそ普段は護衛としてそばにつけているファイノンと隊を分け、奇襲の斥候を任せることにしている。自身の護衛は念の為ケラウトルスに任せているので特に不安もないが、本音を言えばケラウトルスもファイノンのそばにつけたいくらいだった。
「僕に君の命令を破るより怖いことなんてない」
 膝をついたファイノンはメデイモスの手を取り、主人の指先に口付けを落とす。
 メデイモスは瞳を細めてファイノンを見下ろすと、お前を信じる、と指先でファイノンの頬を撫でた。

   *

 やはりこうなったか、と返り血で血塗れのファイノンを一瞥したメデイモスは、騎士に声をかける前に、彼のそばで青い顔のまま震えている聖女に女主人から渡された手紙を渡した。手紙にはクレムノスはオクヘイマの同盟国であり、彼の国の王子がオクヘイマまであなたを無事に送り届ける旨が書かれており、手紙を読み終えた聖女が「あなたが?」と声を上げるのに、メデイモスは「そうだ」と頷く。
「お前を無事にオクヘイマに送り届けるまでが俺の任務だ。今からクレムノスに向かい、その後補給をしてからオクヘイマに向かう」
 聖女はしばし考えるような顔をしてから、背後に佇んでいたファイノンをちらりと振り返り、「……わかりました」と頷く。
 果たしてこの気弱そうな女が本当に死神と呼ばれるほど大層な人物なのだろうか、と疑いの目を向けたくなってしまったが、彼女が緊張した様子で手を自分の腹部にぴったりとくっつけている奇妙な立ち方を見て、噂は本当なのかもしれない、と感じた。
——さて」
 メデイモスはケラウトルスに聖女と護送準備を任せ、殺気だっている兵士たちに向き直る。
「俺は命令を聞かぬ兵はいらんと言ったはずだ」
 無表情に佇んでいるファイノンに「顔の汚れを落としてこい」と一瞥を向けてから、ファイノンが斬り殺した兵の上官へと視線を移す。
 怒りに炯々と耀く金の瞳を向けられた男は悪びれもせず立っている、ように見えたが、部下たちの前だからだろう。
「帰還してからお前には話を聞かせてもらう」
 この場で叩き斬ってやりたいところだったが、今は撤退する方が先だった。

   *

 通信手段をオクヘイマから提供されていると言うことは、作戦行動の殆どは女主人に筒抜けだと言うことと同義だ。
 エイジリアの追手を悉く討ち滅ぼしながらクレムノスへ帰還し、オクヘイマに聖女を送り届けたメデイモスは、要約すると「あなたの騎士はよくやってくれましたが、クレムノスとしては何か申し開きをする必要があるのでは?」と散々に抗議と誹りを受けることになった。半ば予想していたとは言え、なんとか後ほど王から正式に謝罪する旨を伝えようやく許されたメデイモスは、帰還しても王や大臣たちからも管理不行届をなじられ、心身共に疲弊した体を引きずって邸へと帰宅した。
 先に戻っていたファイノンに出迎えられたメデイモスは、彼の視線に自分を気遣う色が滲んでいることに気づいたが、あえて気づかないふりをした。
「今日は先に休め。お前も疲れただろう」
 メデイモスの言葉に、ファイノンは緩く首を振る。
「僕は謁見を許されなかったから先に戻って休んでいたし、今にも倒れそうな君ほどじゃない」
 メデイモスは重い外套を受け取ったファイノンから既に血の臭いがしないことに少し安堵し、「無理はするなよ」と念押ししてから、執事に軽食を部屋へ運ばせるよう命じる。
 雪中行軍の後だ、食欲がなくとも食べられる時に食べなければ恢復が遅くなってしまう。義務のように頭の中で繰り返して部屋へ戻る間、ファイノンが隣から何か話しかけているような気がしたが、疲労で頭が回らなくなっていて、まともな返答はできなかった。
 嫌な予感がしたのであればやはりファイノンと共に行くべきだったのかもしれない。聖女を狙った兵とその上官の男は、己の存在をよく思わない王や大臣たちの命を受けていたかもしれない。王はオクヘイマとの同盟を甘んじて受け入れていると言う考えで、きっかけさえあれば攻め入るつもりだと言うことはわかっている。それが民のためにならないこともわかっているだろうに。——ファイノンにさせたくないことをさせた。命令違反者は俺が処罰すべきだった。
 澱んだ思考が駆け巡った終わりに、後悔がメデイモスの胸に込み上げた。今更人を殺すことを躊躇するほど柔な生き方はお互いにしていないが、それでもファイノンを自分の手足の代わりとして使い、同胞に手をかけるのはやらせたくないことだった。
(俺が行くか、誰にも文句を言わせないほど圧倒的な力を得ておけば)
 部屋へ入る直前に足を止めてしまったメデイモスに、ファイノンは無言でドアを開ける。そうしても、彼は微かに俯き、瞳を細めたままその場で動かない。
 ファイノンはそっと主人の腰に手を添えると、「休んだ方がいい」と極力明るい声をかけた。ああ、と聞いているのかいないのかいまいち判然としないいらえがあったが、それでもメデイモスの足は進む。
「お風呂に入る気力がないなら拭くけど、どうする?」
 帰ってくる前にお湯は沸かしておいたよ、と笑うファイノンを一瞥したメデイモスは、座れば気力がなくなるとわかっているのか、そのまま浴室へと足を向けた。
「今日は一人でいい。お前はもう休め」
「いや、君が湯の中で溺れたりしたら大変だから手伝うよ」
「俺を幾つだと思っている?」
「二十二。ほら、こんなくだらないことを言っている元気はもうないだろ? さっさと僕に洗われて綺麗になった方がいい。その方が気も休まるだろうし、余計なことも考えずに済むさ」
 ファイノンは妙な強引さでメデイモスの背を押すと、慣れた手つきで服を脱がせ、湯の中へと導いた。手早く身を清める手伝いをすると、体が温まったのを確認して湯から上がらせ、つるりとした手触りの薄いガウンを羽織らせて一旦ソファへと座らせる。
 部屋を一度出ると、湯浴みをしている間に用意されていた軽食のワゴンを運び、「食べさせてあげようか?」と断られるのがわかっているような声で、優しく微笑みながらオートミール粥の匙を持ち上げる。
 体が温まって清潔になったせいか、少しだけ先ほどより感覚がまともになった感覚がした。チーズとミルクのいい香りがメデイモスの鼻先を擽り、ほっと息を吐いた。
「髪を乾かせ」
 メデイモスはファイノンから匙を取り上げると、濡れた髪を乾かすよう命じ、無心で匙を口の中に運んだ。ファイノンが無言で髪に触れて来る感触に心地よさを覚えながも、今すぐに休ませるべきだ、と何度も考えた。けれどもそう口にできなかったのは、今は、ファイノンの肌と熱を手放したくなかったからだった。
 暖かな食事が胃に収まると、ようやく生きた心地がした。エイジリア遠征から強行軍で帰還し、オクヘイマへの聖女の護送と王の応対で疲弊していた。
 ソファの上で眠ってしまいそうな予感がし、メデイモスは「俺は休むから、お前も休め」と何度目か口にし、洗面所へ行く。ファイノンはわかった、と言わなかったが、どうせ言うことを聞かないだろうとわかっていた。
 歯を磨いてベッドへ向かう頃には室内の灯りが半分ほどに落ちていて、焚き忘れていた香が窓際で細く煙を上らせているのが見えた。嗅ぎ慣れた、落ち着く甘い香りにゆっくりと息を吸う。
「僕は隣に居ない方がいいかな」
 メデイモスがベッドに腰を下ろすと、ベッドヘッドの淡い明かりを残し、部屋の明かりをすべて落としたファイノンが小さな声で尋ねて来る。
 ベッドは十分な広さで、もう何度もファイノンと夜を共にしていた。
……お前こそ今夜は一人でゆっくり休みたいだろう」
 そう口にしながら、メデイモスは中心からずれて体を横たえる。
 ファイノンがどう選択しようと構わなかった。自分も一人で眠りたいのか、それとも隣にこの男がいて欲しいのか今はよくわからなかったからだ。
 ベッドの上で目を閉じたメデイモスは、ファイノンがベッドヘッドの明かりも全て消してしまうのを閉じた瞼の裏で感じた。
 暗闇と静寂。
 窓の外は天幕に叩きつける雪もなく、身を切り裂くほど冷たく鋭い風もない。血や涙が凍るほどの寒さもここでは無縁で、静かで、穏やかな夜だった。
 やがて隣にファイノンが身を横たえ、優しく名を呼ばうのが聞こえたが、手足はもう一ミリも動きそうになかった。
 身体より精神の方が疲労していて、全ての動作が億劫だった。
 怒るなよ。
 真剣な声でファイノンが口にし、メデイモスが瞼を持ち上げるか数秒考える間に、体が抱き寄せられていた。胸の前で手を握ってくるファイノンの唇が肩口に触れている。
 柔らかで暖かな感触に、メデイモスは疲れたように嘆息した。
「おやすみ、メデイモス」
 返事の代わりにそっと手を握り返し、重い体を手放した。


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