syanpon
2025-06-30 02:31:40
11080文字
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幸福は愛という温度をしている

オトスバ
現パロ 学パロ
小さじ1杯程度のドムサブ要素を含みます。
オットーの性格が死商ベースとなっています。
要するにやりたい放題です。

 人生というものは不幸かそうじゃないかで出来ている。
 根拠はオットー・スーウェンの18年間だ。
 幼い頃から無口な少年であったが両親からは多分な愛情を受けて育ったと自負しているし、今まで五体満足で生きている。
 ただ、オットーが何かを欲した時、欲を出した時、大抵のものはその指先から溢れ落ちていく。
 だからオットーは期待をすることをやめた。それが一番楽であり、己を納得させるに相応しかったからだ。

 だから今日もオットーは不幸かそうじゃないかの日々を生きている。

***

 生徒会長のナツキスバルは生徒に人気が高い、らしい。らしいというのも僕は彼に一度も会ったことがない。生徒会選挙の演説だって聞いていない。
 彼がステージの上で弁をふるっているとき、僕は拳をふるっていた。それだけの単純な理由である。
 さて、現在高校2年生。1年と少しでお別れするような関わりのない人間のことをどうして今思い出しているのかというと、その男が現在目の前にいるからで。ちなみに今僕はどこぞのリベンジャーよろしく返り血まみれ、状況としては大変最悪だ。
……うわ、なにこれ事故現場?」
「はあ」
「え、そのベースバッキバキじゃん。えっ私物?」
「そこらへんで拾ったやつです。え、ここで会話広げようとします普通」
 生徒会長はとんだ変人だったようだ。なぜなら普通の人間は返り血まみれの生徒に対しこんなにニコニコで話しかけたりしない。感情はそのまま表情に出てしまっていたようで眉間にしわが寄る。何が面白いのか彼は大きな声で笑った。
「いや!だって席替えしたあと隣の席になったやつにやっと会えたんだぜ?嬉しいだろ!」
「はぁ……
「俺はナツキスバル。お前の名前は?」
「じゃあ僕はこれで」
「待て待て待て待て。名前も教えてくれないままここでさよならなの寂しすぎるって!保健室いくだろ?一緒に行こう」
「これ全部返り血ですけど」
「いーや、ほっぺのやっぱケガと見るね」
 そういわれてピンポイントにけがをしている頬を軽くつねられて痛みと威嚇で片足をダン!と踏み鳴らす。そんな僕を見て目の前の男は驚いて目を丸くしたあとケラケラと楽しそうに笑った。
「いまなら大サービスでオレが手当もしてあげちゃうぜ」
「なおさらいりませんね」
「いぎぎぎぎ」
 グッと袖を握られる。汚れているというのにかまわずに彼は僕の制服の裾を強く引いた。
「やっぱ手当はしよう。じゃないと俺の夢見が悪くなる!だから、俺のためについてきてくれオットー」
なんて自己中心的で傲慢な人なのだろうか。そのあけすけすぎる言い方に肩の力が抜ける。僕がいきなり抵抗をやめたせいで引っ張っていた男がたたらを踏んだ。
……名前、知ってるじゃないですか」
「お前の口から聞きたかったんだよ」と我がルグニカ学園の生徒会長様はなにが楽しいのか笑っていた。

***

 オットー・スーウェンはDomである。
 パートナーはいない。
 作ろうと思ったことがないとは言わないが、作る必要もなかったため作ってこなかった。
 生まれてこの方、不幸体質なのかなんなのかオットーは人に絡まれることが多かった。その度に逃げ出したり回避したりしてきたのだが今はもっぱら返り討ちにしてしまう方が手っ取り早い。加虐趣味なんてものはないがこちらが絡まれてる以上正当防衛に当たるし、相手を地面に沈めてやることによって自身のDom性と幾分か折り合いをつけてきた。

「こらー!そんなとこで揉めるな!」

 そんなオットーの日常に土足で割り込んできたのがこのナツキスバルという男であった。武装手段がロッカーに入れっぱなしでケースの角がほんの少し折れている英語辞典というのは強いのか弱いのか判断に迷うところである。いやでも普通に重たいだけだしページがバラバラするし太くて持ちにくいしデメリットの方が大きいかもしれない。ちなみに昨日は何もなかったらしく首元のヘッドホンを振り回しながら来ていた。考える前に体が動くにしてもあれでは早死にするんじゃあないだろうか。
 別に彼がくるだけで喧嘩が止まるかと言われればそうではないのだが、スバルの声はものすごく大きくてよく通る。彼がくるということは先生や野次馬が集まってくるということと同義のため僕らはこの争いを中断するしかないのだ。あちらが逃げていくのであれば一方的に絡まれている僕にだって追いかけるまでの恨みはない。絡んできた男たちの背中を眺めながら隣までやってきた男を見つめる。
「いや今も一方的に絡まれているか……
「ん?なんか言ったか?」
「いや今も一方的に絡まれているか……
「そこはいいえっていうとこだろ‼︎お前可愛い彼女が『ごめん待った?』って言ってきた時『待ちました』っていうタイプか?」
「今こうやってよくわからない例えを繰り広げられてる姿はどう考えても絡まれているでしょうよ」
 可愛くないやつだと一言吠えてスバルはオットーの手を引く。オットーはそれにならって大人しく足を進めた。はじめの方こそ抵抗していたが何せこの生徒会長は人の話を聞かないし諦めが悪い。行く行かないの攻防も3日目あたりからめんどくさくなってきた。
なるようにしかならない、最近のオットーの心情である。
 だからこうやって袖の端っこを迷子が逃げないように掴まなくてもオットーは逃げないのだが、それを伝えてやるのはなんだか憚られた。多分伝えても信じてもらえないからだと思う。そう、思う。
 3階の廊下の端から2番目、使われていない教室の扉を開き中にはいる。物置と化しているそこの場所のカーテンをスバルが勢いよくひらけば日光が差し込んでオットーは眩しさに目を細めた。
 こうやって喧嘩の仲裁をしたあと、スバルは決まってオットーをここに連れてくる。怪我の確認をしながら理由を聞かれ、それに答えて昼時ならば食事をともにする。放課後ならばなんとなく日が沈むのを眺めたり、スバルの終わらない課題を見てやったりなど奇妙な時間を過ごしていた。
 今日もまるでそうすることが当たり前かのようにオットーの頬を両手で挟んで顔を覗き込んでくる。
「んでさ、本日のオットーは?」
「人の不幸を日替わり定食みたいに言わないでもらっていいですか?彼女に振られたばかりの先輩に僕の肩がぶつかったんですよ」
「むしゃくしゃしてたのか可哀想に。今度牛乳持っていってやろ」
「ちなみに振られた原因はその先輩の3股らしいです」
「自業自得じゃねーか!」
 眉を下げて同情したかと思えば吊り上げて大きく口をあけて声を出す。至近距離で表情がコロコロと変わる様をゆっくりとした瞬きでオットーは見つめた。頬に添えられていた手が耳の後ろを通り後頭部を引き寄せてくる。
 そしてそのままぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜられた。
「いや、お前本当についてないやつだな。ナツキさんがいたわってやる」
……
 グッ、と首をすくめてスバルの両手からのがれる。
 物理的にも、心の距離もとるように彼から離れて声をかけた。
「なので、僕には近寄らない方がいいですよ」
「なんで?」
「なんでって……。ここらへんずっと一緒にいてわかったでしょう」
 こんな不幸まみれの男、普通の人間ならば遠目から見て笑うならまだしも積極的に絡もうなんて思わないだろう。きょとんとした顔にオットーの言いたいことが全く伝わっていないのを察し、乱された髪の毛をさらに乱すようにグシャリと掴んだ。

「僕といたら、不幸になりますよ」

 自分でいって掠れた笑いがでた。自分で自分の運のなさを認めることはひどく疲れる。真っ直ぐに見つめてくる瞳からなんとなく逃げたくなってオットーは自分の足元を見つめた。その視界にもう一つ学校指定の靴が映り込む。ノロノロと視線をあげれば案の定眉を顰めた男が目の前に立っている。鋭い目つきがさらに吊り上がってオットーだけを真っ直ぐに見つめていた。
「いやだ」
 3文字、それだけを発してスバルはまた黙り込む。
 その頑なな姿勢に柄にもなく苛ついた。
 オットーは関わらないでくれといったのだ。席が近いだけの卒業すれば会わなくなって名前も顔すら朧げになるただのクラスメイト。
 オットーの人生は不幸かそうじゃないかで出来ている。
欲を出せば足元を容易に掬われる。
 振りかざされる拳は振り払えばいい。でも差し出してくる手のひらを握り返すことはひどく怖い。
 歯を食いしばればギリ、と口腔内で歯が擦れる嫌な音が響いた。目の前の男がほんの少しだけ後ずさる。Glareが出てきてしまったらしい。あげられてよく見える額に浮かんでいるのは冷や汗だろうか。
……出口はあちらですよ」
「いやだ」
「苦しいんでしょう?」
 一般人がDomの圧を一身に受けることなんてないはずだ。スバルの足は気圧されるようにジリジリと交代するがそれでもオットーから視線を逸らしてはくれなかった。
 目線を逸らした方が負ける。まるで獣の威嚇だ。
 追い詰めているのはオットーのはずなのに口から出る声はあまりにも頼りなかった。
「なん、で」
「俺が嫌だから」
 冷や汗をかいて足だって震えている。圧に気圧されてストレスで気道が狭まっているのだろう呼吸だって浅い。それなのにスバルは笑った。
 ただ、オットーだけをその視界にうつしたまま。
「なんで……
「俺は、お前から逃げないよ。オットー」
 また一歩、本能に気圧されてスバルの足が後ずさる。乱雑に置かれた椅子の足にぶつかって目の前の男がバランスを崩した。
「あ」
「っばか!」
 オットーはスバルの腕を掴んだ。そのまま自分の方に引き寄せて人一人分の体重をとっさに受け止めきれず今度はオットーが床に倒れ込む。頭は打っていないが背中を強かに打ちつけて一瞬だけ呼吸が止まった。
「いた……
 オットーに引っ張られたスバルは彼の体の上でぽかんとした顔をしてオットーを見つめている。視線がもう一度噛み合ったその時、見開かれていた黒瞳が柔らかくほどけた。
「サンキュー!」
「え」
「助けてくれてありがとう。オットー!」

 それはどうしようもない太陽の明かりだった。

 光を受けたスバルの髪の毛がキラキラと輝いていた。転倒によってホコリが宙をまう。光をうけてチラチラと瞬くそれすらもスバルを際立たせるための演出のようだなんて熱に浮かされたことを考える。
 男の腕の中でスバルは照れたような、イタズラが失敗したような顔でオットーのことを見つめていた。黒瞳はオットーの瞳のみを映す。スバルの黒にオットーの青が反射して瞳の揺らぎと共にゆらゆらと揺れている。
 これに懲りたら関わるなとか、あんたは不用心すぎるんだとか。色々言いたいことがあったはずなのだ。なのに彼のその言葉に、オットーだけを真っ直ぐにみすえたその笑顔に知らない何かが満たされてしまった気がして、満たされた何かが出ていくのが怖くて。オットーはただただ息を止めて口をつぐむことしかできなかった。
 
***

 あの一件以来、スバルとオットーの距離感は少し変化した。
 正確に言えばオットーからスバルへの距離感がものすごく近くなった。
 昼食をとるときに肩が触れ合う距離にまで近づいて世話をやこうとしてきたり。かと思えば休憩時間に余ったお菓子をスバルの頭の上に乗せていく。
 オットーの嗜好に基いた菓子達のため、どれも渋すぎたり辛すぎたりでスバルは食べるたびにオットーに文句をつける。今日も昼下がり、激辛!と書かれた菓子を食べて舌を出すスバルにオットーは無言で紙パックのジュースを差し出した。ご丁寧にストローまで刺してあるそれに吸い付き、しばらくしてからスバルは口を開く。
「なんか……
「どうしました」
「なんか俺餌付けされてる?」
……?」
「あっこれ自覚ないやつだ」
 正直、この年にもなって同い年の男に世話をされるというのは恥ずかしいものがあるのだが。表情のあまり動かない男がスバルの世話を焼く時だけなんとなく楽しそうな顔をしているためスバルはされるがままになっている。
 まあいいか、喧嘩するよりかは健全だろうとスバルはポケットからピルケースを取り出し中の錠剤を手のひらに取って水と一緒に飲み下す。
 スバルにとっては日常の一部に組み込まれた動作であるのだが、隣にいる男はその大きな瞳がこぼれ落ちてしまうのではないかというくらい目を見開いていた。ほんとにこぼれたら可哀想だな、なんてスバルがそっとオットーの顎下に両手を差し込む。ぽすん、と顎を乗せられた。違うそうじゃない。イケメンの上目遣い可愛いな、スバルじゃこうはいかない。
「それ、抑制剤ですよね」
「あ、このまま喋る感じ?お前可愛いね」
「抑制剤、ですよね」
「ん?うん」
 特に否定することもないためスバルが頷けば目の前の男の唇がわなわなと震え出した。

「あんた、Sub、なんです、か」
「うん」

 確かに目の前の男には言っていなかったかもしれないがスバルはSubだ。ちょっと体調を崩しやすいから抑制剤を服用しているがそんなに強いものでもないし、今どき珍しいものでもない。目の前の顔がくしゃくしゃになってしまっていたので顎を支えていた手を頬に当ててぎゅっと挟んでやる。それでも泣きそうな顔が変わらないからスバルはほとほと困り果ててしまった。スバルは感情の機微に疎いため困った時は直接伺うのが一番である。
「な、なんでお前そんなに泣きそうなの……
「僕は」
「うん」
「僕は、てっきりあんたはNormalかと……
 SubのあんたにGlareを飛ばしてしまったと小さく呟いたそれでスバルはようやく納得がいく。納得がいったがそんなこと気にも留めていなかったので、やっぱりこの男がこんなにも泣きそうな顔をしているのがスバルには全く理解できなかった。
「なんだよそんなこと気にしてんの?」
「そんなことって!あんた、もしSub dropでもしたら……!」
 つまりこの男はスバルのことを心配してこんなにも泣きそうな顔をしているらしい。泣きたいのに泣けないのは可哀想だな、なんてスバルは思う。可哀想だが否定してやるべきところはちゃんと否定してやらねばいけない。
 スバルはオットーの額に思い切りデコピンをかましてやった。
 泣きそうだった瞳が痛みでぎゅっと閉じて混乱したようにパチパチと瞬く。その青い瞳があまりにも美しいからそれだけでもう一度頬を挟んであやしてやりたいがスバルはグッと堪えた。堪えたせいでいつもよりも低い声が出る。
「あのな、あんまり生徒会長様を舐めるなよ」
「は……
「そりゃあ確かにSubは弱いとかあるけど!こうやって今お前と友達になれてるんだからいいじゃんか。終わりよければ全てよし」
……でも」
「あーもう!人がいいっていってるの!俺がいいって言っているの!あと俺、DomとかSubとかさ。そういう性別でお前に距離置かれたくないよ」
 なにせ、せっかくここまで仲良くなった友人なのだ。あのままだと責任とってナツキさんには金輪際近寄りませんとか言い出しかねなかったため、スバルは先回りして言葉を紡ぐ。驚きに目を見開いていた瞳が今度はじっとりと細まってスバルを見つめる。
「あんた、馬鹿ですねえ」
「おいこら表でろ!」
「予鈴もなったしそうですね。出ましょうか」
「そういう意味じゃない!ああもう」
 テキパキとスバルの広げたお弁当まで片付けて風呂敷に包むとそのままスバルの荷物まで全部持っていってしまう。すっかりいつもの調子に戻った男に対し何とも言えない感情はある。だが扉を開けて待っている男をこれ以上待たすのも悪いかと駆け足で男を追いかけた。

***

 大切なものを大切にする方法は様々だ。ありのままがいいとそのままにしてみたり、綺麗に着飾って一番日当たりのいい場所に置いてみたり、逆に誰にも触れさせたくないと鍵をかけてみたり。
 不幸かそれ以外しかないのならばとオットーは大切なものを作らないようにしてきた。それを失ってしまった時どうすればいいのかわからなくなってしまうから。
 だからオットーは新しくできた柔らかいそれをどう扱えばいいのか図りかねている。
 大事にしてやりたい、傷つけたくない。でもありのままでいて欲しい。
 そうしてあれを、あの人を。

「最近また校内の治安が悪い」
「はあ」
 椅子を前後にゆらゆらと揺らしながらスバルが腕を組んでそうぼやく。以前それをやってひっくり返った姿を見ていたのでオットーは立ち上がりそっと椅子を支えた。動かなくなった椅子にムッとした顔をし、椅子の背もたれに腹をつけるように向きを変えてオットーを睨む。スバルは自分の目つきが悪いことを気にしているらしいが正直そんなに怖くないためオットーは椅子を横に小刻みに揺らしてやった。わわわとスバルが揺れに合わせて声を上げるのがちょっと可愛い。しかしそれも両足で踏ん張られてしまう。
「ふんっ!」
「あんた、あんまり可愛いことしない方がいいですよ」
「は?お前熱でもある?」
 思ったことを言ったまでだがスバルは心底意味がわからないと言った風に首を傾げてきた。その仕草も可愛いからやめた方がいいと思う。
「とにかくだ、最近また喧嘩増えてんだよなあ。オットーもちょくちょく巻き込まれてるし」
「そうですねえ」
「昼過ぎふらっとでてったら大体絡まれるの何?オットーも歩けば喧嘩に当たるか」
「その都度やってくるあんたもだいぶ変ですけどね」
「なんだよ助けてやってるんだから感謝しろよ」
……よく僕のこと見つけられますよね」
「そりゃそうだろ。お前のこと好きだし」
「は」
「大事な友達が危ない目にあったら助けるのが当たり前だろ」
「ああそっち……
 一瞬にして跳ねた心臓はなかなか戻ってくれないし目の前の男はほんとうに自分に親愛の気持ちを向けてくれているのがわかるから余計にタチが悪い。
 オットー自身も18年生きてきてスバルに対して抱く感情が日ごとに変わりすぎて困っているのだ。ここには人間関係の正解を教えてくれる人は誰もいない。オットーはこの自問自答から逃げるように、とりあえずスバルの口を塞いでやろうと最近持ち歩き始めた飴玉をスバルの口に放り込んでやった。

***

「ついてない……
 オットーは遅刻確定の通学路をとぼとぼと歩き登校していた。学校と家のちょうど中間地点のところで鳥の糞を頭から思い切り被るだなんてことそうそう起きないはずなのだが。
 教室に入るとクラスメイトは誰もいなかった。1限目が移動教室だったことを思い出しオットーはさらにため息をつく。きっとスバルは何があったのかを聞いてくるだろう。
 そしてまた「お前はほんとうに運がないなあ!」と言って笑うのだ。時々犬のように髪の毛をかき乱されるのも嫌いではなかった。
 廊下を歩いていると授業中のはずなのに何故か騒がしい。野次馬の向こうにうっすらとGlareの気配を感じる。またどこかの誰かが揉めているのだろうとオットーは横目に喧騒を見やって。
 足元に転がるオレンジ色のヘッドホンを視界にとらえた瞬間走り出していた。野次馬を無理やりかき分け騒動の中心にたどり着くと胸ぐらを掴まれているスバルといつかの男が争っていた。スバルの後ろに女子生徒がいるためそれを庇ってああなっているのだろう。
「女の子に振られたからって八つ当たりは、感心しないぜ」
 逃げようとする女子生徒の時間を稼ぐようにスバルが男を煽るように口を開く。Glareの気配がより濃くなり男がスバルを思い切り突き飛ばす。
「うるせえ、Subの分際で楯突くんじゃねえ!」
周りの人間が何人か膝をつく。感情をコントロールできないままに放たれるGlareなんて小さなテロのようなものだ。据えた匂いが鼻をつく。何人かのSubはSubdropを起こしているのではないだろうか。
 そしてそれを一番近くで浴びているスバルだってSubだ。
……女の子には優しくって教わらなかったかよ」

 スバルは立っていた。
 膝は震えて尋常じゃない冷や汗が指先から滴っている。それでも、スバルは膝をつくことなくまっすぐに男を睨みつけていた。
「跪けよ」
「い、やだね!」
 下半身の震えが全身にまで行き渡っている。歯を食いしばったのだろうか唇の端から血が流れていた。あの時オットーがぶつけたGlareよりずっと重たくて加虐生のあるそれなのにスバルは一歩も引くことなくその場に立ち塞がる。
「そしてお前もいい加減反省しやがれ!先輩!」
 スバルが目の前の男を蹴り飛ばした。Glareが緩み、騒ぎを聞きつけた教師が男を押さえつける。
 スバルはまだそこに立っていた。
「ナツキさん……
 焦点の合わない虚ろな姿でそこに。
「ナツキ、さん」
 こんな時になんと声をかけたらいいのかオットーは知らない。知らないままにオットーは腕を広げて声を張り上げた。
「ナツキさん!come!こっちに来てください!
 スバルがオットーの声に視線を向ける。
 あの時見たように黒瞳が柔らかくほどけて。

「よし!受け止めろオットー!」

 __オットーの胸の中に真昼の一等星が収まった。

オットーにしがみつくその指先は思った以上に強く握られているし身体だって想像以上に冷たく震えていた。スバルは猫のようにオットーの胸に額をすり寄せると冷や汗でびちょびちょの顔をバツが悪そうにしかめる。
「あ、わりいお前で汗拭いちまった」
「そんなこと、そんなこと気にしませんよ……
 スバルの細い体をぎゅっとかき抱く。スバルの手が等間隔でポン、ポンとオットーの背中を叩いた。これではどちらが慰められているのかわからない。
「なあオットー」
……はい」
「最後にリングの上に立ってたやつが偉いんだぜ」
「なんですかそれ……
 うたうように、囁くように掠れた声でスバルがオットーに語りかける。

 なぁ、俺のこと褒めてよオットー。

 いつもの使っていない教室の扉を開けてスバルを椅子に座らせる。授業があるかもしれないがきっとそれどころじゃないだろうし、オットーにしてみてもそれどころじゃなかった。
 スバルの右手を取りそっと自分の頬に寄せる。ほんの少しでも自分の体温が移ればいいと思ってそうしているとスバルがオットーの頬を引っ張った。
「あのさあ……
「はい」
「俺、褒めてって言ったんだけど」
……はい」
 沈黙。沈黙と同時にスバルの顔がどんどん赤くなっていく。額まで赤くなったところで口を何度も開閉しヤケクソ気味に言葉を発した。
「俺は!お前に!ケアして欲しいっていったの!」
「けあ」
「え、お前俺にコマンド使ったよね?」
「こまんど……
「え、待ってパートナーいたことないの?」
 頷けばスバルは固まって頭をガシガシとかいた。いつもの調子に見えるが指先の震えは止まっていない。オロオロとスバルの指先を撫でるオットーにモゴモゴとスバルが言葉を発する。
「えっ、とお……ですねえスーウェンさん」
「はい」
……俺のことをめちゃくちゃ褒め称えてくれ」
「危ないことをしたのに?」
「待って今その正論はものすごく効くから!」
「__ナツキさんが無事でよかった」
 指先をなぞって手のひらを撫でる。そのまま両の手で握り込むようにしたあとオットーは祈るような体制でスバルの手を自分の額に寄せた。この男の震えを止めてやりたいと、そう思えば口から自然と言葉が紡がれる。
「ずっと立っていて偉かったですね。卑劣な人間なんかにあんたは負けなかった」
……うん」
「僕の声に応えてくれてありがとうございます。それもほんとうに嬉しかったんです」
「ん」
 何かを噛み締めるようにスバルの瞳がパタリと閉じる。それが寂しくて甘えるような声が出た。
「ナツキさん、顔が見たい……
「う……
 ゆっくりと再び開いた黒瞳に自分が映っているのを確認してオットーは笑う。指先の震えが止まったらしいスバルがバツの悪そうな顔でオットーを睨む。
「お前本当にコマンド知らねえの?」
「す、すみません……
 「あの時、俺を呼んだくせに」とスバルはオットーの髪の毛をかきまわす。なんとなく今日はお返しがしてやりたくなってオットーもスバルの髪の毛に指を滑らせた。思ったよりも柔らかい感触を楽しんでいるとスバルがボソリと呟く。
「なんか普通にケアうまくてムカつくな」
 猫のように大人しくオットーに撫で回されているスバルをみてなんとなく「好きだな」なんてことをぼんやりとオットーは考えた。
 多分本当にはずっと前から好きで。やっとその形を掴んだという方が正しいのだろうけれど。
……ナツキさん」
「んー?」
……好みのタイプとかはありますか」
「なにそれ」
「こ、こまんど!こまんどです」
「それちょっとかなりズレてるだろ!」
 ヤケクソじみて上擦った声に応えるようにスバルはくしゃくしゃの笑顔で笑う。オットーの顔をみて、宙に視線をやってまたオットーに視線を向ける。

「俺のこと、ずっと好きな人。とか?」

 スバルの両の手を握りしめてオットーは立ち上がる。口をついて出てくる言葉は全く整理されていないものばかりだったが、心臓が今までよりも慌ただしく動いていて。何か言葉を発さないとこのまま死んでしまいそうだった。
「ぼ、僕じゃだめですか。喧嘩っぱやいところしか見られていませんけど。成績もそこそこですし文武両道です。えっと、えっと……!な、なので多分将来性もあって……!だからですね、あ、青田買いを、しませんか。ナツキさん」
「それ好きなタイプと関係ないだろ!……何、早期購入特典とかある系?」
……いまからこいびとになれ、ます」
 絞り出したどうにもならないメリットにスバルは声をあげて笑った。目の前で足がパタパタと楽しそうに揺れる。
「あのな、オットー」
 内緒の話をするように立ち上がり、スバルがオットーの耳に口を寄せてくる。この部屋には二人しかいないというのに不思議に思いながらオットーが耳を傾ければ頬に一瞬柔らかい感触が降ってきた。ばっと顔を向ければイタズラが成功したような顔でスバルが笑っている。
「どうしよう!俺いますげードキドキしてる!」
「あ、あんたねえ!」
「なぁ恋人になったオットーはどんなことしてくれんの?」
 イニシアチブをとった気でニヤニヤと笑う男に意趣返しがしてやりたくなり、その口を己の唇で塞いでやる。唇を離してスバルの顔を見ればいっぱいまで目を見開き、顔を真っ赤にして金魚のように口をぱくぱくさせている。
 その姿が可愛くてもう一度キスをした。
「な、な……!!」
 単語しか発せなくなった男がどうしようもなく愛おしくて我慢できずにオットーはスバルを腕の中に抱き込む。
「あのね、ナツキさん。僕、人生って不幸かそうじゃないかだけだと思ってたんですが」
「?」

 今からこの腕の中の温もりに幸福という名をつけてやろうと思うのだ。