ニヴェール家の屋敷の上階から、ルーシャンと共に飛び降りることになったオデットは、悲鳴をあげる間も、落下の恐怖に震え上がる時間すら与えられなかった。
ルーシャンに抱えられたまま、今度は下で待機していたチョコボの鞍に投げ込むように乗せられたのだ。鞍に収まるよう、姿勢をどうにか整えられたのは、ひとえにこれまで培ってきた経験の賜物だ。
オデットが混乱している間にも、チョコボは街を駆け抜け、今や雪原を走り抜けている真っ最中だった。体の硬直はチョコボに乗せられた直後はまだ継続しており、後ろにルーシャンが座って体を支えてくれなければ、オデットは早々に振り落とされていただろう。
チョコボのスピードと地面までの高さを考えると、落ちれば無事で済まないことは明らかだ。故に、麻痺が解けてきても、オデットはルーシャンを振り解いて飛び降りようとはしなかった。
(それに、ここがどこかも、わたしには分かりません。ルーシャンさんが、どうしてこんなことをしているのかも……)
体の麻痺が解けるのは比較的早かったが、声の麻痺はなかなか解けなかった。
声だけでなく、魔法を操る部分にも何らかの妨害が施されていたようで、オデットは無力な少女としてチョコボの鞍上で揺られているしなかった。
幸い、ルーシャンは走行中に一度歩みを緩め、後ろに括り付けられていた荷物から外套を取り出し、オデットへと被せてくれた。おかげで、チョコボが走っている間に凍えてしまうようなことだけはなかった。
グラスバレーの街を通り抜け、オデットの知らない峠道を幾つか越えた頃になって、ようやくルーシャンはチョコボの手綱を引いて停止した。
首を巡らせば、山林の木々に隠れるようにして崖の割れ目が見える。洞窟のようにも見えるあの場所を、今晩の宿として利用するつもりなのだろう。一日中走り続けるほど、ルーシャンも無謀な逃走劇を演じるつもりはないようだ。
先にチョコボから降りたルーシャンは、オデットを見上げると、
「流石に、パライズの影響はもう抜けてきたことだろう。自分で降りられるか」
声が出せないので、オデットは無言で頷きを返し、恐る恐る雪の上へと滑り降りた。
途中、バランスを崩しかけたが、先に降りていたルーシャンの手がオデットを支えてくれた。彼の行動からは、オデットを連れ去るときに見せたような冷たい気配は感じられなかった。
(ルーシャンさん。どうして、お父さんの遺品を持ってこんな所まで来たのですか。どうして、兄さんたちにあんなことをしたのですか)
質問はしたかったが、声が出せなかったので、オデットは彼に導かれるままに大人しく洞窟の中へと移動した。
これがもし、見知らぬ狼藉者であっても、この場で抵抗はしなかっただろう。寒空の下、ろくに野営の準備もないままに逃げ出せば命がないことを、オデットは既によく知っている。まして、自分が共にいるのは、今まで何ヶ月も行動を共にしてきた仲間なのだ。
「この辺なら、雪も吹き込んでこないだろう。オデット、その辺の魔道具にエーテルを流し込んでおいてくれ。暖をとらなきゃ、流石に凍えちまう」
ルーシャンから出された指示もまた、オデットにとっては聞き馴染みのあるものだった。
彼が示した荷物から、熱を発する魔道具を取り出し、エーテルを流す。カンテラに似た形のそれは、これまでも何度かオデットたちを寒さから守ってくれたものだ。
他にも、彼の用意していた薪に火をつけ、渡された食材と調理道具で料理を始める。たとえ、彼が何を考えていようと、暖をとり、お腹を満たさなければ人は死んでしまうからだ。
ルーシャンは、オデットたちの荷物から必要な分を持ち出してきていたらしい。彼の渡した寝具代わりの毛布は、オデットが使い慣れたものだった。
保存食の麦やら乾燥させた果物やらを硬く焼いたものを齧り、雪を溶かして沸騰させて作ったお湯でふやかしながら食べているうちに、オデットの喉も漸く音を取り戻してくれた。
「……ルーシャンさん。どうして、わたしをこんな所に連れてきたのですか」
開口一番の問いかけは、それだった。
ルーシャンは、とりたてて驚いた様子も見せず、静かにオデットへと視線をやると、
「無駄に暴れたり泣きわめいたりせずに、そうやって落ち着いて俺に質問をするお嬢ちゃんは、本当に肝がすわってるよ」
全く答えにならない回答に、オデットはむっとする。ルーシャンに揶揄われたと感じたのだ。何か反論してやろうと前のめりになり、
「そうやって気になることはすぐ質問するあたりは、本当にオディールによく似ている」
突如口にされた母の名に、湧き上がっていた言葉の全てがオデットの元から吹き飛んでしまった。ぱちぱちと瞬きを繰り返してから、オデットはおずおずと問いかける。
「ルーシャンさんは、お母さんを知っているのですか!? あれ、でも……前に聞いた時は知らないって言っていたような」
「悪いな、あれは嘘だ。オディールを思い出すと、色々と嫌な気分になるもんでな。あの時、笑ってお嬢ちゃんとお話しするには、おじさんの苦い思い出は不要だったんだよ」
「お母さんの話が、こうやってわたしを連れ出したことと関係があるのですか」
半ば予想できていたことだが、ルーシャンは首を横に振った。
すぐに答える代わりに、彼は懐に手をやり、一本の鍵を取り出す。それは、オデットが箱から取り出した鍵だった。
「では、やはり、その鍵が……理由なのですか」
「ああ。こいつは、親父が人生を賭けて編み出した魔法を隠した場所に繋がるための鍵なんだよ。前に話しただろ。邪竜ニーズヘッグをも撃ち落とす魔法の話を」
「はい。でも、だったらどうしてルーシャンさんは、わたしを連れて二人きりでこんな場所に来たのですか。つい先程までは、オーバンさんと協力していたのに……」
「協力、ねえ……。あいつも、俺が心底からあの爺さんに跪いているわけじゃないってことぐらい、とっくの昔に見抜いていただろう」
ため息混じりに話すルーシャンからは、確かにオーバンに対する親しみは感じられない。
「俺とあのじじいは、もう一つの鍵……つまり、オデットをあの場所に連れて行き、箱を開くために協力していただけだ。何せ、あのじじいが俺の親父を殺した犯人なんだからな。手を取れるわけがないだろ」
突然告げられた殺人事件に、オデットは目を丸くしたまま固まる。構わずに、ルーシャンは続けた。
「親父たちが死んだ原因は、表向きには火事ってなっている。だが、真相は違う。あの男は、火事の直前に親父の元を訪れていたんだ。そこでどんな諍いがあったかは知らないが、オーバンは親父を殺した。おおかた、親父の研究成果に前々から目をつけていたとか、そんなところだろう」
「そんな……! それじゃあ、お母さんの元に『魔法使いさん』が急に来なくなったのは、事故ではなくて……」
母は、自分の夫でもあり保護者でもあったセレスタンを『魔法使いさん』と呼び慕っていた。だが、彼女はかつての知人にこう語ってもいた。『わたしを探しに来られないということは、魔法使いさんは遠くに行ってしまったのね』と。
「そういうことだ。オディールがオーバンの手が及ぶ前に、早々に娘を連れて逃げられたってことは、親父も自分に万が一のことが起きる可能性があると予想して、前々から逃亡の手筈は整えていたんだろう」
話を聞きながらも、オデットは今朝のヤルマルとの会話を思い出していた。
屋敷には、火事からも本を護る結界を敷いた書庫があった。火事が一家全滅の原因ならば、なぜ彼らは書庫に逃げ込まなかったのか。その答えは、今ルーシャンが説明した通りだ。
「何かの勘違い……ではないのですよね」
「一度、俺がニヴェールの屋敷に訪れたときに、使い魔を放っておいたんだ。あいつらはそうと知らずに、『あの時に一族の誰かを生かしておけば、こんな厄介なことにならなかった』と話していたんだよ。もっとも、親父を手にかけたのはオーバンのようだったが、家族まで皆殺しにするように進言したのは、そばにいた執事のユーガンだったみたいだがな」
「ユーガンさんが!?」
オデットにって、ノエと同様、ユーガンは知り合いであった。
イシュガルドから逃げてきた母娘の事件の際は、彼女たちの置かれた状況を説明するのに一役買ってくれた人物でもある。
「そういえば、ユーガンさんはグリダニアに戻る途中で行方不明になっていたと……」
「ユーガンは、俺の手で氷獄に送ってやった。オーバンも、薄々は俺が手にかけたと分かっていただろうさ」
「――!!」
「だが、オーバンはまだ生きている。親父を殺した奴の手に親父の魔法が渡るのだけは……その魔法を奴が使うなんてことだけは、俺は許すわけにはいかないんだよ」
思いがけなく聞かされた仲間の告白に、オデットは今日何度目になるか分からない驚きで、石像のように固まってしまっていた。
しかし、ルーシャンの説明を聞いている間に、少しずつ硬直も解けていく。少なくとも、彼が今こうして単独行動をしている理由の一端は、今明らかになった。
「……ルーシャンさんは、ユーガンさんを殺したのですか」
それでも、どうしても聞かずにはいられなかった。事情を知れば、彼を一方的に責めるのは筋違いだと分かっていても、どうしてもオデットの声音は非難めいたものになってしまっていた。
「その件で、オデットが俺を責めたいと思うのなら、好きにすればいい。俺は親父の仇討ちのために仕方なくやったとか、綺麗事で誤魔化すつもりはない」
「だったら……どんな理由で、ユーガンさんを」
「俺が、そうしたかったんだよ。親父どもを殺した奴が、のうのうと今まで通りの生活をしているのを、『俺が』許せなかったからだ。復讐のために誰かを殺すっていうのは、そういうことだ」
――少なくとも、俺にとっては。
付け足された言葉に、彼は自らの復讐をそのように定義しているのだと、オデットは悟った。
かつて、ガレマール帝国の兵士と相対したときも、ルーシャンは同じことを言っていた。失った軍団長のために英雄である光の戦士を討つと息巻く兵士に、復讐は自己満足のためにやるものだと言い放ったのは、決して一般論を語っていたわけではなかったのだ。
オデットには想像もできない、本当に大事な人を失った者の憎悪。その憎しみを、オデットが思いつくような軽々しい綺麗事で否定できるわけがなかった。
言葉が思いつかず、オデットは味の薄いお茶で唇を湿らせる。
「ルーシャンさんが、お父さんの仇にあたるオーバンさんに鍵を渡したくないという事情は分かりました。でも、それならどうしてわたしまで一緒に?」
「お嬢ちゃんは、魔法の隠し場所の鍵でもあるからだよ。この鍵を使えるのもまた、あの箱を開ける人物だけってことだ」
「だったら、せめて皆と協力することはできなかったのですか。事情を話したら兄さんだって」
問いかけに答えはなかった。薪が放り込まれ、防寒具として置かれたクリスタルからの熱がわずかに揺らぐ。
この質問には答えてくれなさそうだと察して、オデットは話題を変える。
「それなら、いつからわたしがその……鍵だってことに気がついたんですか」
「最初からだ」
「グリダニアで初めて出会ったときから、ですか」
「半分はそうだが、半分は違う」
きっぱりとしたルーシャンの物言いとは裏腹に、オデットはきょとんとしてしまった。
オデットの記憶では、ルーシャンに初めて会ったのは、黒衣森で妖異と戦っていたときに協力したのが初めてだったからだ。
「占星台で下働きをしていた娘を、俺が目をつけていたオーバンの手の者がいきなり誘拐したんだ。その動きを見て、奴らが拉致した娘が、あのじじいが探している鍵だってことはわかっていた。奴さん、俺が鍵でないとわかってからずっと、エヴラールの縁者を探していたからな。どこからか、オディールの話を聞きつけて、あいつの娘を探していたんだろう」
「待ってください。じゃあ、わたしは……やはり、どこかの占星台にいたのですね。そして、オーバンさんにさらわれた……?」
「そういうことだ。で、俺はお嬢ちゃんを移送中の奴らを襲撃した。お嬢ちゃんの記憶喪失は、連中が飲ませた薬か何かの副作用だろうな。下手に暴れられたら面倒だとも思ったんだろうさ」
そんな軽々しく語られるような事情で自分の記憶は白紙に戻されたのかと、オデットはぞっとする。もし何も思い出せなかったら、オデットは今も、母の顔やミラベルと過ごした日々を知らずにいたかもしれないのだ。
「当時の俺も、お嬢ちゃんを交渉材料にして、鍵の入っている箱に近づこうと考えていた。最初は、箱も鍵となる人物もまとめて見つけ出してやると息巻いていたんだが、流石にそう都合よくはいかなくてね」
「……でも、わたしは兄さんに助けてもらいました」
「そうだ。そんでもって、お嬢ちゃんの記憶は全部まっさらになっちまっていたってわけだ。正直、俺も驚いたさ。親父がどこぞの女に生ませた子供が鍵として代用できるってのは想像できていたが、それがまさか……オディールの娘だったなんてな」
その時、今まで淡々と事実を語っていたルーシャンの顔に、はっきりと郷愁に似たものが混じった。
その顔は、度々オデットが目にした覚えのある顔でもあった。彼は、このとき、目の前の自分にではなく、己の母に思いを馳せていたのだと、オデットは遅まきながらようやく理解した。
「……わたし、そんなにお母さんに似ていますか」
「ああ、そっくりだ。俺がオディールに会ったのは、お嬢ちゃんよりもう少し若かった頃だったが、俺の記憶の中からひょっこり顔を出したのかと思ったぐらいだからな」
初めて会ったのは夜の森の中だったので、互いの顔はよく分からなかった。
だが、再会したときもルーシャンは驚きらしい驚きは見せなかった。そのときの彼の心情は、到底オデットには想像できない。
「その後、オーバンさんと連絡を取ったのですか」
「質問ばかりしてないで、自分で考えたらどうだ……って言うのは、流石にヒントがなさすぎるか。今更隠すもんでもない。一度しか説明しないから、ちゃんと聞いておけよ」
そうして、食事の暇つぶしのようにルーシャンが語った内容は、かつてサルヒがルーシャンに語った推測や、オーバンがノエたちに明かした真相とほぼ同じものだった。
エヴラール卿は、先祖の悲願を叶え、イシュガルドを長く苦しめていた竜を滅ぼすことができるかもしれない魔法の完成に指をかけていた。
だが、発動よりも早く、エヴラール卿はオーバンによって命を奪われた。その理由は定かではない。
オーバンの名誉欲からか、あるいは娘を縁組みしたのに早逝させた件による怨恨もあったのか。確かなのは、エヴラール家の当主とその直径の血筋はオーバンの手によって絶えたということだ。
一方で、魔法に至るための鍵には、エヴラール卿の血縁者が必要だった。皮肉なことに、オーバンは自分の手で、目当ての魔法に繋がる道を絶ってしまったのである。
一度は、エヴラール卿が実子のように可愛がっていた養子が鍵ではないかと、彼を屋敷へと呼び寄せた。しかし、彼もまた、鍵ではなかった。
だが、この招聘により、ルーシャンは父の遺産が仇の手に落ちていると知った。
このことにより、彼もまた、行動の指針を変えた。父の死の真相を知った今となっては、それ以上に、父の遺した最も大きな遺産をどうやって仇から奪い返し、自分のものとするかを優先したのだ。
大まかな説明を終える頃には、オデットの手から携帯食料も消えていた。
突如もたらされた情報の数々に、頭はパンク寸前であった。一方で、ルーシャンと二人きりという普段とは異なる状況が、かえってオデットの頭を冴えさせていた部分もあった。
「……ルーシャンさんは、オーバンさんにお父さんの研究成果を渡したくなかったのですよね」
「ああ、そうだ」
「もしかして、この後、その隠し場所に到着したら、魔法を発動させるつもりなのですか」
「可能ならな。邪竜ニーズヘッグを討てるのなら、早い方がいい。それは、お嬢ちゃんもよく知っているだろう」
イシュガルドに着いてから、何度も邪竜の脅威については教えられてきた。竜と相対したこともある。
だからこそ、邪竜ニーズヘッグを討てるなどという発言は、まるで天を落とすとでも言うかのような荒唐無稽なものに思えた。
一瞬呆気に取られたオデットだったが、すぐに我に返り、「だったら」と言葉を継ぐ。
「それなら、尚のこと兄さんやヤルマルさんたちに協力を頼むべきではありませんか。事情を知ったら、皆さんも協力すると思うんです」
先ほど、ノエたちになぜ打ち明けなかったのかと尋ねた時と同じように、ルーシャンはだんまりを決め込んでいた。
その態度が、まるで子供が拗ねているような、意味のないものに見えて、オデットはムッと眦を釣り上げる。
「兄さんたちなら、ルーシャンさんの話を聞いたら、絶対協力してくれるはずです。オーバンさんがお父さんの仇だって聞いたら、オーバンさんが何を言っても味方になってくれたはずです」
「……それは、どうだろうな」
返されたそっけない回答は、オデットがノエに向ける信頼を蔑ろにしているように聞こえて、ますますオデットは胸にムカムカしたものを覚える。
「そうに決まってます! 兄さんたちと出会って日が浅いから信じられないというなら……それなら、サルヒさんはどうなるんですか!」
今度ばかりは、ルーシャンは無視はしなかった。
しかし、オデットの想像とは異なり、ちらりと向けられた視線の冷たさは、先だってオーバンを攻撃した時と同じく、全ての感情を凍り付かせたように冷え切っていた。
「サルヒだって、俺のやろうとしていることを聞いたら反対する。結果的にあんな形で巻き込んだのは、俺の失態と甘えだ。だが、あれ以上はもうない」
「ルーシャンさんが、たとえオーバンさんを殺そうとしたとしても……サルヒさんなら」
「そうじゃない。俺がオーバンを殺そうとしても、よしんば本当に殺害したとしても、あいつは受け止めるだろうさ。反対はするかもしらんが」
随分と淡白な反応に、オデットは自分は何か見当違いの心配をしているのではと、疑念を抱く。
(ルーシャンさんが兄さんやサルヒさんに相談しなかったのは、オーバンさんに敵対しんを持っているから……ではないのでしょうか)
ルーシャンの行動の根っこには、父の仇への憎悪がある。皆に相談しなかったのは、己の復讐心を否定されたくなかったからでは、とオデットは考えた。
たしかに、ノエなら仇討ちといえども人の命を奪うことは反対しそうだと、すぐに思い浮かぶ。
だが、ルーシャンはあの場でオーバンの殺害を選ばなかった。今も、オーバンへの憎しみは語りながらも、彼を絶対殺したいとまでは言っていない。
オーバンから父の遺品を取り返し、父の果たせなかった偉業を成し遂げたいと頼んだのなら、ノエはルーシャンの願いを否定しないだろう。だというのに、彼は、ノエたちを協力者にしなかった。
「……何か、まだ他にあるのですか」
思い浮かんだ発想を、思いつくままに口にする。今自分が置かれた状況と、ルーシャンという人間がこれまで見せてきた振る舞いと、彼の選択を突き合わせて、彼が仲間を拒んだ理由を探る。
「どうして、そう思う」
「隠していることがルーシャンさんにはあって、それを知ったら、兄さんは反対する。そう思ったから、兄さんたちには相談しなかったのかと思ったんです」
だって、とオデットは続ける。
「わたしの知るルーシャンさんなら、きっとそうしたはずだから」
だか、ルーシャンは協力の選択肢を拒否した。そこには、オデットにはまだ見えていないパーツがあるからだ。だから、オデットの想定と食い違いが生じる。
「……教えてくれませんか」
「どうして教える必要がある? お嬢ちゃんを納得させるためにここまで話はしたが、別に俺はお嬢ちゃんに一から十まで説明しなきゃいけないわけじゃない」
「でも、隠し事があるってことは否定しないんですね」
にべもなく突きつけられた否定に、さらにオデットは喰らいつく。
「わたしを納得させるためにお話ししてくれたと言いましたが、わたしは今の発言で、納得しなくなってしまいました。わたしがそう思うことくらい、ルーシャンさんも分かっていたのでは? それとも、うっかり口が滑りましたか」
「…………」
前者なら、彼もまた己の隠し事を抱え持ったまま先に進むことに抵抗があるのだ。それが、できるなら、オデットという仲間を騙すことへの罪悪感であってくれればと願う。
暫くは沈黙を維持したままだったが、やがてゆっくりと彼は両手を持ち上げた。それは、降参の姿勢だった。
「口が滑ったのは認めてやるよ。このままじゃ、納得できないから意地でもここから動かないとか言いそうだからな」
実際、そのように言おうかとも考えていたので、見透かされたのが気まずくなり、オデットは少しばかり俯く。そんな少女の羞恥を見なかったように、ルーシャンは言う。
「俺たちが魔法を使いたい時、普通なら、どうやって発動させる?」
突然投げかけられた問いかけに、これまで何度かルーシャンから魔法を習ってきたオデットは、反射的にしゃんと背筋を伸ばす。
「自分の体の中を巡っているエーテルを使って、魔法という形にして外に出しています」
「そうだ。つまるところ、俺たちの出せる全力は、このちっぽけな体を巡るエーテル全てに限られる。じゃあ、次の質問だ。仮に俺やお嬢ちゃんのエーテルを全力で振り絞って使ったところで、一千年もの間、俺たちを悩ませてきた邪竜を殺せると思うか?」
ただの竜ではない。相手は、邪竜ニーズヘッグだ。
ただの竜ですら、生半な魔法なら鱗に弾かれてしまう。まして、千年も生きた竜というのなら、魔法で与えられる損傷など微々たるものだろう。
「でも、それなら……ルーシャンさんのお父さんや、そのご先祖さまの方々の頑張りは無駄だってことですか?」
「そういうわけでもない。魔法が秘める力ってのは未知数だ。かつては、大地に大穴をあけ、魔法を使いすぎて世界を巻き込む大災害まで起こしてしまったほどにな。だが、大きな結果をもたらすには、相応の燃料がいる」
「たくさんの魔道士に協力してもらうとか……?」
「悪くはないが、効率は良くないな。魔道士を一箇所に集めるには限界があるし、数が増えれば制御も乱れる」
徐々に、オデットは当初の目的を一時棚に上げ、魔法に触れてきたものへの好奇心から前のめりになって話を聞いていた。
聞けば聞くほど、そのような夢物語のような魔法があるのかという疑念が膨らむ。だが、ルーシャンもオーバンも、確かにそれはあると確信して行動していたのだ。
「規模を大きくしないと、竜には効果がない。でも、規模を大きくすると、今度は燃料がない……。それでは、一体どうやってお父さんは、燃料となる魔力を調達するつもりだったのでしょう」
「答えは、もう目の前にあるぞ」
きょとんとして、オデットは何度か瞬きを繰り返す。一瞬ルーシャンを見つめてしまったが、彼は「違う違う」と苦笑を浮かべてみせた。
代わりに、彼は人差し指をあるものへと向ける。オデットでもなければ、今置いてある荷物にでもない。彼の指先は、オデットが腰を下ろしているその場所――大地を指差していた。
「この大地には、大量のエーテルが流れている。それを上手く束ねれば、竜にすら致命的な一撃になる……親父や、その前の世代の当主たちは、そう考えたようだ」
そのために、彼らは自身の領地をめぐり、魔力の結節点を楔のように打ち込んで、大地そのものを一つの大きな魔紋へと作り変えた。エーテルが然るべき道を流れて、一つの地点へ最も効果的な形で集まり、大きな魔法を発動させる礎になるように。
ルーシャンの説明を聞いて、オデットも思わず「そんな方法が」と感嘆を漏らす。だが、彼女はすぐに画期的な手法に隠された欠点に気がついた。
「待ってください。大地を流れるエーテルがあるからこそ、そこに緑が生まれ、人々の営みが生まれると、前に教えてもらいました。イシュガルドは、寒冷化で緑こそ少ないですが、もし、本当に土地に流れるエーテルを全部魔法に使ってしまったら……」
「ああ、そうだ。地脈を流れる土地のエーテルは、その土地の血や肉も同然の存在だ」
ぱちん、と薪が爆ぜる音がする。
「使い果たせば、向こう千年は、雑草一本生えない不毛の大地と成り果てるだろうさ」
***
「ルーシャンさんが、あのような単独行動をとった理由は、まだ他にもあるのだと思うんです」
今までどことなく口火を切るのを避けていた三人の視線が、ノエの一言を発端として、それぞれ彼へと向かう。
オーバンにより、表向きは客人として、ノエたちは離れにある一室へと閉じ込められた。
離れとはいうものの、本邸の喧騒から離れるように置かれた小さな屋敷は、まるで流刑地のようだ。実際、窓には鉄格子がはめられ、扉も外側から施錠できるようになっている。
置かれている調度品こそ絢爛なものであり、広さも四人が一室にいても窮屈さを感じないほどに確保されているが、豪華な鳥籠という印象は拭いきれなかった。
置かれている調度品が女性向けと思しきものが多いところから、以前偏執的な領主が妾を囲うために使っていたのか、あるいは気が触れた奥方や娘を閉じ込めるところだったのでは、と予想が働く。
そんな中で、ルーシャンがオデットを連れて姿を眩ました理由を大真面目に語るのは、なんだか場違いにも思えた。しかし、ノエは思考を止め、大人しくオーバンの言いなりになるつもりはなかった。
「あいつがオデットを拉致して、姿を消した理由がそんなにも大事か。奴のとった行動が全てだろう」
オランローが苛立ったような口ぶりになっているのは、騙し討ちのようなルーシャンのやり口に強い不満を抱いている証拠だ。かつて、自分がガレマール帝国軍の元上司に脅され、ノエたちを裏切ったことを思い出したからかもしれない。
しかし、怒りを見せるオランローとは対照的に、ノエはゆっくりと首を横に振る。
「たしかに、彼の行動は事実として僕たちが目にした通りだ。だけど、それが全ての真実とするには早計なんじゃないか?」
ノエは口元に手を当て、思いつくままに思考を言葉へと変えていく。
「ルーシャンさんにとって、オーバンさんは家族の仇だという話でした。だから、彼はオーバンさんが隠し持っていた遺産を、どうにかして取り返したかった。父親の功績をオーバンさんに奪われたくなくて、オデットを連れて、僕たちの前から姿を消した」
「それが、ボクたちが見てきた事実と、あの狡猾な老人の説明の全てだったね。それだけでは、真実には至らないと言いたいのかい?」
オランローよりは幾分か冷静なヤルマルが、ノエの状況分析に付き合う。
「オーバンさんが、ルーシャンさんが裏切る可能性を知っていた上で、彼に好きにさせていた理由は納得できるんです。オデットという切り札を持っていたルーシャンさんを、彼は無碍に扱うわけにはいかなかった。オデットはルーシャンさんを仲間として信頼していますし、ルーシャンさんも自分の立場を盾にして、オーバンさんから身を守ってもいたのでしょう」
「それに、オーバンが探している魔法のありかを知っているのも、恐らくはルーシャンだけだという話だったね。もっとも、それだけ研究成果が残っているのなら、おおかたの目星はついているのだろう」
「それに、魔法の在処がわかれば、ルーシャンさんは必要なくなります。それどころか、目障りな障害にもなりかねない。仮にオーバンさんが邪竜ニーズヘッグを討伐した英雄になったとしても、盟友を殺して奪った成果で戦果を上げたと知られれば……」
「この国の連中なら、喜んで英雄を引き摺り落とすための材料にしそうだな」
皮肉が混じっていたが、オランローの発言は容易に想像できる未来を示していた。
オーバンにとって、ルーシャンは自身の未来に風穴をあける厄介な生き証人でしかない。
仮にあの老人に手を貸したならば、ルーシャンは遠からずその存在を闇に葬られていただろう。
「それが、あんたの言うところの単独行動の理由か」
「いいえ。ルーシャンさんが、オーバンさんにずっと従う理由がないことはわかりますが、それなら……どうして、僕たちに相談しなかったのか、という疑問が残るんです」
「それはまた、随分と自分を高く買うものだね」
くすりと笑うヤルマル。しかし、彼女は決してノエを軽んじているわけではなかった。
「自分はルーシャンに信頼されていると、君は確信を持っているわけだ」
「ええ、そうです。僕は何度もルーシャンさんに助けられました。僕の無茶なお願いを、彼は何度も聞いてくれました。ルーシャンさんは、合理的な判断ができる人です。僕が、飛竜に攫われた人を助けたいと言い出したとき、彼は最初断っていましたから」
ルーシャンは、感情ではなく、理性を以て、何が損で何が得かを判断できる人物だ。
単なる感情的な願望ではなく、理屈としてノエはそのようにルーシャンを捉えていた。
「それなら、僕たちが……少なくとも、オデットに一番近しい僕を味方につければ、戦力になってくれると彼なら思うはずです。父親の仇に、遺産を奪われたくない。父親の仇を、英雄にしたくない。その願いを聞けば、僕は素直に頷いて、彼の作戦に手を貸したでしょう」
「たしかに、ボクがルーシャンと同じ立場ならそうするね。君は戦力としても十分に使える。オデットを安心させるという役回りも、君なら難なくこなせるからね」
「だが、そうしなかった。つまり、あんたが反旗を翻すかもしれない理由が、あいつにあるということか」
オランローの結論に、ノエは頷き返す。しかし、推測できたのはそこまでだった。
「その理由が、具体的に何かはわかりません。大きな魔法を扱うのですから、相応に代償があるのかもしれません。向かう道中に、とてつもない危険な道があるのかもしれません。……ミラベルさんなら、あるいは何か話してくれるかとも思ったのですが」
エヴラール卿の遺産を調べていたというミラベルですら、その全容を明らかにはしてくれなかった。彼もまた、彼の立場があったのだろう。
しかし、あともう一人。この中で、ルーシャンに深く関わってきた人物がいる。
その人物は、先ほどからソファの片隅に膝を抱えて座り込み、置物のように微動だにしていなかった。
「……サルヒさん。もし、ルーシャンさんの作戦について、何か知っているのなら教えてくれますか」
声をかけると、サルヒの顔がゆっくりと持ち上がる。
酷い顔だ。元々血色の薄い彼女であったが、今はまるで幽鬼のようである。
ノエは、同情を顔に出さないように全力を注げなければならなかった。ここで同情されることを、きっとサルヒは望んでいないだろうと思ったからこそだ。
「私は、何も旦那様に知らされていない。だから……私を、あの人は置いていった。利用するだけ、利用して」
「サルヒさん……」
サルヒがここまで打ちのめされている理由は、ノエにもいくらか想像できる。サルヒはルーシャンの従者としてそばにいたのに、ルーシャンは決定的な離別の際にサルヒにすら協力を求めなかったのだ。それは、サルヒにとっては何よりも痛烈な裏切りだっただろう。
「でも……それも、仕方ないのかもしれない」
だが、サルヒはルーシャンへの恨み言を口にはしなかった。
「だって、私は……ずっと気づかなかった。あんなにもそばにいたのに。旦那様が、大旦那様に裏切られていたなんて、気づきもしなかった!」
今まで何も話さずにいたことで堰き止められていた感情が、サルヒの瞳から一つの雫となってこぼれ落ちる。
「私はただ、ずっと旦那様がそばにいればいいって……それだけしか考えてなかった。旦那様もそれが分かっていたから、私に何も教えなかった」
細い髪に指を埋め、掻きむしる。置いて行かれたのはサルヒの方だというのに、彼女は自身の行動にその理由があると、己を罰するかのように頭に爪を立てていた。
「一晩経ったら、話をすると言っていたのに……あの人は、私に話すつもりなんて、最初からなかったに決まってる……。だって、私は、旦那様のそばに十年以上もいたのに、何一つ、あの人の考えを、悩みを、分かろうとしなかったから……!」
細く乱れた吐息が、ひゅうひゅうと部屋に響く。普段のサルヒからは到底想像もつかない取り乱しように、ノエはかける言葉を見つけられずにいた。
「……それで、あんたは嘆くだけ嘆いて、あんたの約束を無視した嘘つき野郎をそのままにしていていいのか」
どう声をかけたものかと躊躇うノエを押し除け、オランローがサルヒの前に立つ。俯いたままの彼女の腕を掴み、彼は強引にサルヒを立たせた。
「オランロー。いくらなんでも、それは」
「こいつは、これくらいで凹むようなやつじゃない。サルヒ、あんたは言っていたな。ルーシャンが、自分を試すような振る舞いをする理由がわからないと。その答えが、あの場にはあったんじゃないか」
無理やり地に足をつけさせられたサルヒは、どこか焦点の合わない瞳でオランローを見上げる。
膝を折らず、見下ろしたままオランローは言う。
「ルーシャンにとって、あの場面で最も恐れていた状況は、武器も持たない自分が護衛に殺されるかもしれないという点だったはずだ。その時、あんたがそばにいてくれれば、必ず自分を守ると信じていたからこそ、あんな思い切った行動をとったんだだろう」
かつてオランローがサルヒに言ったように、ルーシャンは自分が危険に晒されたとき、サルヒなら何がなんでも自分を護ってくれると信じていたのだ。そこには、主人なりに従者に向けた信頼があったとも、一人の男が仲間に命を預けるほどに信じていたとも言える。
「……でも、旦那様は私に何も言わなかった」
「そうだな。それで、あんたはルーシャンに利用されっぱなしでいいのか。あんたへの信頼を使うだけ使い捨てて、どこかに消えた男を、そのままにしていいのか!」
恫喝めいた一言に、サルヒの肩が跳ねる。
「オレから見れば、あいつの行動は臆病で卑怯としか言いようがない。あんたに全部を話さなかった? あんたが気づいてやれなかった? なんで全部あんたは自分の責任にするんだ。あんたを信じて話さなかったのは、あんたが自分の全てを受け止めてくれるはずだと信じなかったのは――ルーシャンの方だろう!!」
今まで暗く沈んでいたサルヒの瞳に、微かに火花が散る。それは、今まで確かに持っていたものなのに、自分の至らなさを責めていたせいで見えなくなっていた熱が生んだものだった。
「あんたは、あいつにやられっぱなしでいいのか! 好きなだけ自分を振り回して、用が済んだら適当な理由だけ押し付けて逃げる奴を、あんたは追いかけなくていいのか!!」
恫喝を受けたサルヒの目が、大きく見開かれる。先ほどまでの深く沈んだ瞳には、今度こそ確かな灯火が揺らめいていた。今はまだ小さくとも、彼女は打ちのめされたままで終わりとすることをよしとしなかった。
「……旦那様は、私を信頼して、行動した」
数日前、バンダースナッチと戦った時、ルーシャンがわざと危険な戦い方を選んだ理由がわかった。彼は、知りたかったのだ。どれだけ自分がサルヒに疑念を抱かれていたとしても、彼女が守ってくれるかどうかを。
それは信頼であると同時に、彼の弱さであり、甘えでもある。今のサルヒなら、そう思えた。
「だけど、私がルーシャンが何を考えているかを知ろうとするまで、いえ……積極的に動き始めても、ルーシャンは私にも何も教えようとしなかった」
盲目的に従っていた頃は、それでも良かった。ルーシャンがただ隣にいてくれるだけで、サルヒは安心できたのだから。
だが、今はもう、二人だけの問題ではなくなっている。
「あの人はいつも、私に『無理についてこなくていい』とか、そんなことばかり言って、私を遠ざけようとした。それは、あの人なりの気遣いだとは、分かっているけれど」
しかし、サルヒが望むのはそうではない。
「私は、あの人の胸の内を知りたい。ここまで巻き込んで、一方的に別れるなんて……私は、認めない」
それがルーシャンなりの気遣いだというのなら、見当違いも甚だしい。
サルヒはゆっくりとかぶりを振り、オランローを見つめ返す。
「ありがとう、オランロー。おかげで、目が覚めた」
「やっぱり、その方があんたらしい。さめざめと泣き伏すなんて、あんたに似合う役じゃないだろう」
「そういう役は、旦那様を困らせるために取っておく」
自身の指先で、目尻に浮かんでいた涙を強く拭い去る。擦りすぎて少し瞼が痛かったが、今はその痛みすらも糧になってくれそうだ。
「ルーシャンは、何の説明もなくオデットを巻き込んだ。それだけでも、私が……私たちが追いかける理由になる。たとえ、それが旦那様の夢を叶えるために必要なことだったとしても、黙って見守るなんてできない」
「サルヒさんは、今回のルーシャンさんの行動について、どこまで知っていたのですか」
ノエの再度の質問に、サルヒは一拍置いてから、固く閉ざした唇を開いた。
「全ては知らなかった。でも、ルーシャンがオデットを探していたことと、オデットと一緒にないと意味がない『何か』を探していたことは知っていた」
そして、サルヒは語った。
昨晩ルーシャンに聞かせた推理とほぼ同じものをすべて語り終えた頃、ノエはゆるくかぶりを振って「そうでしたか」と呟いた。
「……最初から知っていて、僕たちのそばにいたのですね」
「ごめんなさい。私は、オデットに会った時から、旦那様が追いかけていたチョコボ車に乗せられていた女の子とだと気がついていた。旦那様は気づいていないように見えたから、暗くてよく見えていなかったんじゃないかと、最初はそう思っていたのだけれど……」
「だけど、彼も気がついていた。けれども、サルヒの言う通り、彼の行動はやや迂遠に過ぎるところがある。迷いがあるのかもしれない、というのは強ちハズレでもないかもね」
端的にサルヒの説明をまとめ終えたヤルマルは、続けてノエへと向き直る。
「それで、ボクたちはどうしようか。オーバン卿がオデットを連れ戻してくれるのを待つっていう手も、一つの方策ではあるけれど?」
「当然、このままここにいるつもりはありません。何とかして外に出るつもりです」
だが、武器を取り上げられた彼らの使えるものは、せいぜい部屋にある調度品くらいだ。解錠に使えそうな品がないだろうことは、探すまでもなく予測できる。かといって。下手に暴れれば、見張りが飛んでくるのは目に見えていた。
「具体的な方策はあるのかい?」
すると、ノエはヤルマルの予想に反して頷いてみせた。
「部屋を出る前、ミラベルさんが僕と目を合わせていた時、声に出さずにこう言っていたのが見えたんです」
――また、後で。
唇の動きだけで伝えられたそれは、あまりに素早く、微かなものだった。気まずさから目を逸らすのではなく、敢えてノエを見つめ続けていたミラベルの意図が気になり、顔を凝視していたおかげで、ノエは彼が託したメッセージに気がつけた。
「ミラベルさんも、今回のような危険かつ厄介な事件に、オデットを巻き込みたくはないはずです。……彼はずっと、オデットを連れてイシュガルドを出るように言っていましたから」
今思えば、あれはこの件についての警告だったのだろう。しかし、彼ははっきりとした説明はしなかった。もし説明を受けていたら、ノエは自分の考えを曲げ、もっと早くからオデットを連れての逃亡生活について、真剣に考えられたはずだ。
「ミラベルが黙っていたのは、オーバンと同じ意見だったから?」
「僕はそうは思いません、サルヒさん。ただ、彼は……オデットを大事に思っている人であると同時に、イシュガルドに生きている人でもありますから」
一千年続く竜との戦いに、人々は疲弊しきっている。力を持たぬ子供たちは、竜によって保護者を奪われ、雪原に彷徨い、命を落としていく。一人一人を助けても、根本である竜との戦いが終わらない限り、多くの命が失われていく状況は変わらないことを、ミラベルは骨身に染みて理解させられているはずだ。
そんな生活を終わりにできるかもしれないと言われて、たった一人の少女の身の安全のために、その希望を捨てると言い切れないのは当然だろう。彼がノエに全容を打ち明けられなかったことこそが、彼の中にあるイシュガルドの平穏を望む気持ちがそれだけ強いことの証でもある。
「消極的だろうが積極的だろうが、外に協力者がいるのは朗報だね。そうなると、ボクらが今することは、体を休め、英気を養うことだ」
「オレは念の為、窓の施錠や扉の様子を確認しておく。オーバンに悟られて、ミラベルが動けない可能性もあるからな。それに、暴れもせずに大人しくしているだけでは、オーバンに疑われるかもしれない」
オランローはヤルマルを誘うと、宣言通り、窓の格子に手をかけたり、家具の引き出しを一つ一つ確かめたりして、自力の脱出方法を探し始めた。
残されたノエは、もう一度ソファに腰を下ろし直したサルヒの隣に腰を下ろす。オランローに喝を入れられて立ち直ってはいたものの、今のサルヒは精神的に安定したとは言い難い。話し相手となって、彼女の気持ちを立て直す手伝いをしたかったのだ。
それに、サルヒにはまだ聞きたいこともある。
「サルヒさん。……一つ、聞いてもいいでしょうか」
「何?」
「ルーシャンさんが大旦那様に裏切られたというのは、一体どういう意味でしょうか」
サルヒが激しく己を責めた理由。
それは、ルーシャンの気持ちに自分が気づけなかったからだと口にしていた。
彼女がそれほどまでに深く後悔するということは、大旦那様の裏切りとやらは、ルーシャンにとってはよほど深い傷になっていたのだろう。だからこそ、彼に寄り添うと言いながら、気づけなかったことをサルヒは今になって知ったために深く後悔した。
裏を返せば、おそらくは、今もまだ癒えないほどの傷を、彼は最も身近にいたサルヒにすら、悟らせまいとしたのだ。
「大旦那様というのは、ルーシャンさんのお父さんのことでしょうか」
「そう。セレスタン・ド・エヴラール。旦那様の養父で、旦那様が最も慕っていた人だった。ルーシャンにとって、あの人はただの養い親や父親代わりだけではなかったのだと思う」
「魔法の研究を引き継ぐために引き取った、という話でしたよね」
「たしかに、大旦那様がルーシャンを引き取った理由は、ノエの言う通り。大旦那様はルーシャンを実子のように可愛がっていたし、大事にしていた。でも、それだけが理由じゃない」
サルヒの目から見ても、二人は実の親子よりも親子らしい関係を築いていた。魔法を愛していた父親と同じく、ルーシャンも魔道に興味を持ち、積極的に関わるようになった。
親子としても、師弟としても、あるいは荒唐無稽とも言えた邪竜を倒す魔法を目指す同胞としても、彼らの間には一言では言い表せられない絆があった。
「ルーシャンは、いずれ先に逝く大旦那様の研究成果を引き継ぎ、次代に渡すことを何よりも誇りと思っているようだった」
ようやく思い出せた。かつて、大掃除に向かった別荘のはずれで、サルヒに見せてくれたルーシャンの笑顔。彼が語った『夢』を。
途方もない夢だ。千年経って誰も成し遂げなかった偉業に、諦めずに手を伸ばし続けるなんて、意味がないと笑い飛ばしてもよかったのに。
けれども、ルーシャンは誇らしげだった。
――親父の魂なら、俺だって継ぐことができる。
――俺以外に託せないって、そう言ってくれたんだ。
それが叶わない夢であったとしても、父に託されたことを誇りに思い、彼は父の夢を叶えることこそが己の夢だと笑ったのだ。
「……ですが、ルーシャンさんはお父様の研究の集大成に、触れることすらかなわなかった」
オーバンの語った言葉を思い出し、ノエは思わず唇を噛む。
いったい、そのときの彼はどんな気持ちだったのだろう。
物理的な遺産を得ることは叶わずとも、父の夢と魂だけは引き継げたはずだと自負していた青年の心は、目に見える形で拒まれ、折られてしまった。
しかも、それが第三者ではなく、他ならぬ父が遺したものが示した答えなのだ。
「だけど、旦那様は私に一言もそのときのことを話さなかった。……それに、私も、気づこうとしなかった。私にとって、旦那様の隣にいることだけが全てだったから」
先ほどのように取り乱しはしなかったが、サルヒの言葉は暗い。
形はどうあれ、十年以上寄り添っていながら、サルヒがルーシャンの絶望に気づけなかったのは事実だからだ。
しかし、サルヒの自責に、ノエはゆっくりとかぶりを振る。
「むしろ、サルヒさんが気づかないことを、ルーシャンさんは望んでいたのかもしれませんね」
「旦那様が、望んでいた?」
「だって、ルーシャンさんは……その、サルヒさんの前では、格好いい人でいたいのだと思いますから」
あまりに場にそぐわない発言に、ノエも苦笑いを浮かべる。首を傾げるサルヒに向けて、
「つまり、ルーシャンさんは、自分の情けないところとか、苦しんでいるところか、一番近いサルヒさんだからこそ、見せたくないんじゃないでしょうか。僕も、オデットに僕の情けない姿を見せるには、すごく勇気が必要でした」
「つまり、旦那様は私に向かって十年以上ずっと、格好つけたってこと?」
「そういうことです。もしかしたら、出会った頃からずっと……かもしれませんね」
ノエに言われて、サルヒは一つ一つルーシャンの姿を思い出してみる。
思いだせたのは、いつも自信に満ち溢れた彼の横顔と、何をするにも迷いらしい迷いを見せなかった背中だった。
「……馬鹿な人」
「そう思うながら、本人に言ってください。僕も、色々と言いたいことはあるので」
「そういえば、ノエ。あなたはオデットが誘拐されたというのに、あまり動揺していないように見える。異端者たちがオデットたちを誘拐したときは、あんなに取り乱していたというのに」
サルヒの「誘拐」という単語を、いまさらになってノエは口でなぞる。さながら、今の今まで、オデットが「誘拐」されたと思っていなかったかのような仕草だった。
「たしかに……言われてみれば、そうですね。あの時と違って、オデットと一緒にいるのがルーシャンさんだって分かっているからかもしれません」
ソファの背もたれに、ノエは身を預け、考えてみる。オーバンと言葉を交わしていたときにあった、敵に対して向ける研ぎ澄まされた刃のような鋭さはそこにはない。
結論は、実にあっさりと出た。
「ルーシャンさんが、オデットを傷つけるなんてことはない。だから、僕は落ち着いていられるんでしょうね」
「旦那様にとっても、オデットは魔法につながる鍵だって分かっているから?」
「理屈の上では、そうですね。でも、ルーシャンさんはこれまでずっと、オデットに親切に接してくれていました。僕は、それを覚えているんです」
指を一つずつ折り、ノエはルーシャンと共に行動した場面を思い返していく。
「オデットに魔法を教えてくれました。僕が帝国兵に攫われたときも、オデットを宥めてくれたと聞いています。オデットにケーキの作り方を教えてくれたのも、彼でしたね。オデットが自分の過去のに触れるのを怖がって泣いていたときも、氷の薔薇を作って慰めてくれたそうですよ」
ノエが信じているのは、ルーシャンの合理性だけではない。彼と今まで共に歩んできた日々もまた、彼が信じているものだ。
「それに、サルヒさん。ルーシャンさんが激しく動揺したのは、僕の知る限り、あなたが窮地に陥ったと知ったときだけなのですよ」
「…………」
「だから、サルヒさんが本気で向き合えば、きっと彼は答えてくれると思います。もしまた逃げようとしたら、今度こそ捕まえましょう。僕も協力しますから」
ノエの言葉に、サルヒはふっと口角を緩める。今まで見せていた厳しさの残る表情は緩やかに氷解し、残ったのは常と変わらない彼女の落ち着いた表情だけだった。
「ええ。そのときは、ぜひ」
ノエが差し出した手を、サルヒは迷わず握り返した。
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