mikagami3
2025-06-29 02:29:11
4102文字
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蒼き貴石に手を伸ばす

当アカウントでのイリヤはどういう立ち位置なのか。生存してどのようにタリズマンへと近づき、恋に落ちるのか。その始まりの序章。後々追加修正予定
登場キャラ:イリヤ、トーシャ

白い天井だった。
見覚えがない……と思ったのは一瞬で、すぐさま軍病院の天井だということを思い出した。
若い頃は何度か世話になったものだ、と笑おうとして違和感に気づく。
体が動かない。
顔が締め付けられ、喉もピクリとも動かない。手足胴体は言わずもがな。
男は何とか周囲を確認しようと、眼球だけでも、と、緩慢にぐるりと回す。
身体中に繋げられた管、コード類、小さなテーブルの上に、花が活けられた花瓶がひとつ。
その花がずいぶんと鮮やかで、真っ白な部屋に唯一存在する色彩に、どこかほっとした。
病院である予想に違いは無さそうだ、と思いながら手を上げようとするが、どうにも動かない。
どれだけの重傷で運び込まれたのか、喉の違和感から呼吸器が挿入されてることは明らかだった。
ひとまず、起きてることを誰かに知らせなければならない。男にその手段がないことは、すぐに自覚することになったが。
ぼんやりとしてくる頭に任せて呆然としていると、ドアの開く音がした。
手馴れた様子で近づいてくる。視界に入ったのは、見慣れた茶髪。
「こんにちは、少佐。今日は遅くなりました。お加減はいかがですか?」
言い終わると同時に、目線が合う。
(意外と、悪くないぞ。トーシャ)
記憶の中にある部下より、ほんの少し精悍さが増した顔をしていた。
それでもまだあどけなさが残る目を大きく見開いて、枕元に近づく。
大きな機器が周囲を囲んでいるせいで、詰め切れない距離がもどかしい。
……少佐?起きて、いらっしゃるのですか?」
(おいおい。そんな顔をするなよ、トーシャ)
男は、にんまり笑おうとした。せめて目だけでも。
それが成功したかどうかは分からなかったが、混乱の色をした目を見開いたまま、ナースコールに手をかけ、押した。
最小限の音で何人もの看護師と医師が雪崩れ込んでくるのを、男、イリヤ・パステルナークは愉快そうに眺めていた。


「肝が冷えました」
あれから一か月経った。
まずは二週間。医師と看護師はイリヤに、己の状況を確認する時間を設けてくれた。
明確な記憶を持っている『あの日』から何日たったのか、自分の体の状況、世界の情勢、母国の体制に自分の処分の行方まで聞こうと思っていたが、戦争の後を聞こうとした際に『ご自身の体を第一に。あなたの体そのものを、まず、きちんと把握できるようにしてください』と言われた。
相手は同じ軍属とはいえ医師である。その態度には、当の患者であるイリヤは納得できた。
まず、一年間意識が無かったことを告げられた。
発見された当初から意識がなく、何故まだ心臓が動いているのか不思議なほどだったという。
全身を酷く打ち付け、無事な骨がほぼなかった。
それでも心臓は、その持ち主を生かすことを諦めていなかった。
その心臓に、身体に、尽力し続けてくれていた。
「おいおい、トーシャ」
イリヤは体を起こせる時間が伸びた。
最初の内は指を動かすのも億劫なほど筋肉が衰え、神経も仕事をさぼっているかのようだ。
今では部屋の中をぐるりと一周するには飽き足らず、リハビリ室まで自分で歩くと言い出す。
もちろん『早すぎる』と却下され、車いすで移動している。
意外と短気だ、とトーシャは思った。
今も、トーシャの話を聞きながら、手指のリハビリ用クッションを握ったり離したりしている。
前しか見ていない上司を前にして、トーシャはうなだれた。
「とうとう幻覚を見るようになったのかと。今までも何かの拍子に目を開けていて、そのたびに意識がないことに落胆していました。少佐が一番苦しんでいるのに、勝手に期待して勝手に落胆していました。
 そんな自分に嫌気がさして、とうとう起きている幻覚を見たのかと。自分の期待を正当化するために」
懺悔をするように陰鬱な声音で、イリヤはどう声をかけるべきか悩んだ。
ゆっくりを顔を上げたトーシャの目は、安堵に満ちていた。
………起きてくださって、ありがとうございます」
はぁ。お前は、本当に、真面目な奴だ。いい奴だ。気に病むなと言っても病むんだろうが、ま、気にするな。俺は平気だぞ」
……少佐」
「待て。小言はもう聞かないぞ。ドクターもナースも代わる代わる小言を言っていくんだ。今日はもう聞かないぞ!俺の耳は閉店だ!」
両耳を塞いで子供のように首を振る様子に、ほんの少しだけ笑う。
「なにしたんすか?」
「ちょっと。本当にちょっとだけ……散歩をしようとした」
「どこを?」
「外」
……中庭?」
「あー。いや、隣の運動公園」
「馬鹿ですかあんた」
さきほどしんみりとした雰囲気はあっという間に消え失せ、トーシャは落差も手伝って酷い呆れ顔だ。
医者も看護師も理学療法士も全力で叱ったであろうことは想像に難くない。
ならば自分はもう言うことはないと、トーシャは呆れ顔のまま溜息だけで済ませた。
「そんなにリハビリを急がなくても」
「だがなトーシャ。この状態じゃ面会の申し込みもできないだろう?」
「面会?ご家族ですか?」
思わず口の端に上ったが、同時に脳内で否定する。
イリヤの家族はすでに面会に来ている。一気に賑やかになった病室には笑い声が溢れ、嬉し涙が零れていた。
あまりイリヤの家族の話を聞いたことはないトーシャだったが、その表情や言葉から良好なようだと感じられた。
戦後の混乱の真っただ中、事業を抱える皆が無理やり時間を作ってくれたのだ、と照れながら教えてもらったのはトーシャの記憶に新しい。
「いや、あー……。退院しても面会が通るかは分からん。分からんが、諦めたくない。そういう相手だ」
……恋人!?」
浮名を流しそうで流さない、モテているのに誰とも付き合っていなかった男だ。
それがもしや、誰も彼もに隠し通していただけで、実は想いあう相手がいたのだと、トーシャは色めき立った。
だが、当の本人は器用に左右の眉をちぐはぐに持ち上げて、一瞬後に豪快に笑った。
「あっははは!トーシャ、気が早いぞ。誰がそんなことを言った?」
「日頃の行いでしょうよ。若い看護師みんな、少佐のこと見つめてるじゃないすか?」
「まあ、色男は隠せないからな」
イリヤは否定はしない。己の容姿には自覚的だ。それをどうこうしようという気はないらしいが。
そこそこの長い付き合いの間に、上司の顔の良さも、魅了された周囲も、どこ吹く風と気にしない上司本人にも慣れていた。
 それでも、奇跡のような生還を果たしたこの人に、何か心境の変化があったのでは、とも思ったトーシャであった。
「さすがにベテランたちは手強いぞ。お前も歯向かうなよ?さすが、歴史に残る女傑を祖とする婦人たちだ。その中で揉まれてきた男の看護師も強いぞ。今度腕相撲をしようって話になってな」
「やめてくださいまだ!」
「さすがに今日明日の話じゃないさ」
ひとしきり笑った後に、不意に真剣な顔をした。
その顔のまま、窓の外を見る。トーシャもつられて外を見た。
真っ青な空が、うっすらと白い雲の帯を纏っている。
「ガルーダ1に会いたい」
「え?」
イリヤに視線を移す。彼はまだ、空を見上げていた。
「戦争は終わった。もう、敵同士じゃないだろう?」
「少佐、でも、それは……
「分かってる。そんなに簡単じゃないことは」
空から目を離さないまま、イリヤは話し続ける。その表情は穏やかだ。
「俺は、彼と戦うためにグレースメリアに送り込まれた。俺も心待ちにしていた。それは叶ったが……すまない。欲が出てしまった。もっと、もっと、と。また飛びたい。だがそれは無理だろう。だから会いたい。彼を知りたい。もっと彼を知りたい。あの空だけでは足りなかった」
トーシャは、黙って聞いていた。イリヤの真意を掴みきれずに、じっと見つめている。
本当に、会いたいだけなのだろうか?怨みは?憎しみは?何もないのか?
空の先を見ようとしている目の光に、トーシャは口を挟めず、ただ見つめていた。
「素晴らしいパイロットだと言うことは、肌で分かった。それに、なんていうかな。善き人だと、思ったんだよ。戦争さえなければ、その技術を後進へと伝えながら、穏やかに生きて行けただろうと思う。
顔も見ずに何を、と思うかもしれないが、本当にそう感じたんだ」
そう言って、ようやく視線を下ろした。
「空の彼と、地上の彼。どちらも知りたい」
そう言い切る目は、あまりにも強かった。思わず気圧される。
……隊長。俺、たぶん、手助けできます」
「!?トーシャ、どういうことだ?」
「俺、結婚したんです。収容所内でしたが、式を挙げました。ルドミラの両親は呼べなかったので、落ち着いたらもう一回、華やかなパーティをしようという話になりましたが、仲間たちも祝福してくれて
その時、ガルーダ1も祝福してくれました」
「何!?」
「その時は、直接はお会いしていません。民間機のセスナのようなものに乗って、花びらを降らせていきました。ほんの数秒、たった一機で。その時は誰なのか知らずに茫然と見送ってしまったのが、今でも惜しく思います。あとで、秘密裏にエメリア側から誰なのかを伝えてもらうまで、分かりませんでした」
凛とした軌跡だったのは、トーシャも覚えている。
終戦直後の軍事施設の上空を何の気なしに飛んでいくものだから、その異常さにあっけにとられるばかりだった。
「隊長が言う通り善き人なのでしょう。政治を動かす力はないけれど、自分のできることで俺達を祝いたかったのだと思います」
「そうか……
「その俺なら、きっと、何かしらの方法で伝えられると思います。今すぐは無理だと思いますが、まずは俺だけでも面会依頼を出してみます」
「トーシャ
呟く。その声は、先ほどの悲痛さの混じる決意とは違い、希望の明るさが滲んでいた。
「隊長は俺たちを救ってくれました。恩を返すには足りませんが、隊長の望みに、全力で協力します」
「ありがとう
その時に、目覚めてから初めての涙を、イリヤ・パステルナークは溢した。