spmm8ck9
2025-06-28 22:27:08
2731文字
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オロイフワンドロ「くすり」


 コン、と小さく音が鳴る。テーブルに置かれた小さな小さな瓶の音だ。
「これは?」
 手にはまだ取らず、オロルンはこれを持ち出した人物を色違いの両目で見据える。朝焼け色の両目は視線を受けて、少し面白そうに細められた。
「くすりだよ」
「何の?」
「当ててみろよ、きょうだい」
 揶揄う口調にムッと眉根を寄せる。睨んでやったっていうのに、十字傷の走る左目はパチンと気障なウインクまでして見せるのだった。
 健啖に空にした夕餉の皿をどけるなりの、突然の謎掛け。後に予定はないとはいえ──一体どういうつもりだろう。
 オロルンはグローブを剥いだ手を伸ばして、小さな瓶を取り上げる。中に納まっているのは、とろりとした薄濁りの桃色の液体だった。自身の右目より色合いは優しい。危険な物ではないだろう……まあそんなこと、出題者の人格から考えれば当然のことなのだけど。
 顔を俯けたまま、上目遣いにイファを見る。厚めの唇が浮かべる笑みは、ニヤニヤとまではいかないものの、オロルンの警戒心を愉しんでいるのが丸分かりだ。少しばっかり腹が立つ。
「イファ、これ飲んでみてもいいのか?」
 挑みかかるように訊ねると、勿論いいぞと演技がかった調子で頷かれた。彼は医者だ。生き物の口に入るというのにおかしな物を入れたりはすまい。オロルンは当たり前にそれを知っていた。
 手の中で転がしていた小瓶を握り、蓋を引き抜く。口元に寄せた際、つい匂いを嗅いだのはやっぱり少し警戒していたからだ。スンと鳴らした鼻腔に、甘い匂いが届いた。
「ザイトゥン桃だ」
 呟き、出題者をちらと伺う。イファは笑顔のまま黙っている。なるほど、ただの桃ジュースではないと。
 オロルンは僅かに黙考したが、すぐに小瓶をあおった。元より思い切りはいい方だ。
 小さな瓶に入っていたのは、ショットグラスに満たないくらいの量だった。少ないけれど、しっかり口の中で存在感を示すだけの重み。それはまず、舌を甘味で焼いた。
 甘さの正体はザイトゥン桃に加え、ミツムシの蜜まで混ぜられているようだった。スメールから輸入される果物だけでも十分に甘いのに、どうして蜜まで入れたのだろう?
 理由が分からず、イファ曰くの「くすり」を口の中で丹念に味わう。だがすぐに、そんなことすべきじゃなかったと後悔する羽目になった──舌が、喉が、口の中が熱い。
 いや、辛いのだ!
「ゲッホゲホゲホ!」
 びっくりして思わず飲み込んでしまった所為で喉まで焼けた。テーブルに突っ伏したオロルンは、痛みを訴える喉で嘔吐えずくようにして回答する。
「ハッラの実だ……‼」
「ご明察だ、きょうだい」
 ザイトゥン桃と同じく、スメールから輸入される香辛料の原料。そんなものが、甘ったるいジュースの中にこっそり隠されていたのである。涙目で仕掛人を睨み上げるが、視線は差し出されたカップに遮られてしまった。先ほどと同じく揶揄う口調で、イファはカップの中身を小さく揺らした。
「ほら、これでも飲んでおけよきょうだい。ミント入りの冷たいミルクだ」
 いらない、と突っぱねてやりたい所だが口の中は大ピンチである。べったり張り付く甘さと粘膜を焼く辛味を、すっきり冷えたミルクはさっぱりと洗い流してくれるだろう。オロルンは渋々カップを受け取った。
「そう睨むなよきょうだい」
 特効薬をちびちび含みながらも尖る色違いを眺めながら、イファは鼻歌でも歌うように言う。姿勢を崩して頬杖をついて、愉しそうにゆったりと告げた。
「俺が飲まされた時なんか、もっと辛くて酷い味だったんだぜ?」
 ぴく、と頭の上でへたれる三角耳が跳ねる。
 飲まされた、と彼は言った。一体誰に飲まされたんだ? このザイトゥン桃と、ミツムシの蜜と、ハッラの実を混ぜた液体を──。
「あっ」
 三角耳がピンと立ち上がった。思い出したのだ。かつて、このとんでもない味の液体をイファに飲ませたのは──自分だ!
「媚薬だ!」
「ご名答!」
 思わず口に出した回答に、花翼の気障なハンドサインが正解を祝した。けれどオロルンは、記憶を辿るのに必死でそんなもの見てもいなかった。
 あれはいつのことだったか……親に言われて竜用の薬を煎じていたイファの隣で、遊び半分で真似して「くすり」を作ったのだ。
 どうして媚薬なんてものを、冗談でも作ろうとしたのかは覚えていない。だけど、原料を選んだ理由は覚えている。
 媚薬なんだからピンク色がいいと思って、ザイトゥン桃を選んだ。
 媚薬って甘くてトロッとしていそうだからと、ミツムシの蜜を混ぜ込んだ。
 媚薬を飲むと体が熱くなるんだろうと、ハッラの実の粉をたっぷり入れた。
 そしてそれを、イファに飲ませたのである。トンデモ偽薬はきょうだいを酷く咳き込ませ、反撃に一発こぶしを頭に喰らった。あれは大層痛かった覚えがある。
 そして、今。
 オロルンはイファに、同じ方法、同じくすりで復讐を遂げられた訳なのだが……
「ど、どうして」
 肩を縮め、視線を泳がせながら弱々しく問う。どうして今更、子どもの遊びで作った「媚薬」なんかを飲まされたのか、と。
「どうして?」
 イファは笑う。頬杖をついて両目を細めた、婀娜あだな顔つきをオロルンに見せつける。
「どうしてだと思う?」
 テーブルの下で、脛が何かに撫でられた。多分、目の前に座っている奴の足にだ。見えもしないのに、空の小瓶が転がる天板をじっと見つめてしまう。くつくつと、男らしい喉首から漏れる笑声が、耳の和毛にこげをムズムズさせた。
「媚薬を飲ませる理由なんて、ひとつだけだろ?」
 ドッ……と、心臓が跳ねた。嘘っぱちの媚薬が効き始めたみたいに、顔に汗がふつふつと浮かぶ。飛び掛かって引き倒して噛みつきたい。乱暴なのに、飲み下したくすりのような粘ついた甘さのある欲望が胸を焼く。
 いいや駄目だ駄目だ、ばあちゃんにだって言われただろ。コイビトは大事にしなきゃいけないんだ。ゆっくり、じっくり、確かめ合って、少しずつ関係を深めていくんだと……
 強張る体に指令を下し、ぎりぎりと顎を上げていく。頬杖をついたイファが、拗ねたような顔をしているのが見える。
 5歳児め。そんな、そんなとろんと垂れた目で見られたって僕は平気だぞ。
 オロルンは息を吸い、世界一賢い5歳にコイビト関係というものを教えてやろうとして、
「やらねえの?」
「や、や、」

「もう俺、体の準備までしてんのに?」

 オロルンは頭の中で、今頃は娯楽小説を読み耽っているだろうシトラリに謝った。
 ばあちゃんごめん。だけどこれが、僕らのコイビトのやり方なので。