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溶けかけ。
2025-06-27 21:35:43
5198文字
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ほぼ日刊
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あした来る日
すべてを失くしたフリーナとヌヴィレットのお話。
タイトルはアニメ版こばと。の挿入歌からお借りしました。
永きに渡る歌劇が終演を迎えて早半年。未だフォンテーヌは混乱の渦中にあった。フォンテーヌ廷を含めた国土の殆どが一時的とはいえ水に沈んだのだ。ポワソン町における原始胎海に溶けた者たちを除けば死者はゼロ。とはいえ、怪我やそれに伴う精神的、肉体的苦痛の被害は計り知れない。また、建造物や家財道具、その他生活における細々とした雑貨など──物的被害もそれなりにある。
復興の最中にあるフォンテーヌでは最高審判官であるヌヴィレットが多忙を極めていた。なにせ、今では最高審判官であり、水神を辞したフリーナに代わる国家元首である。普段の仕事の他に、フリーナが行っていた業務の代行、水害による被害の把握と復興。その全てをたった一人で行わねばならなかったのだ。最初の一週間、ヌヴィレットはそれこそ寝る間も惜しんで働いていた。ヌヴィレットにとって睡眠という行為はさほど必要としない体であったことも幸いした。誰もが不眠不休の最高審判官に「休め」とも言えず、さりとて、「休みたい」とも言えずに仕事に勤しむ日々。
その間、誰もこの舞台の立役者である少女のことなど全くと言っていいほど気にも留めていなかったのだ──いや、気に留めるほどの精神的・時間的余裕がなかった、というべきだろうか。
まあ、兎にも角にも、人々がその存在を思い出したのは、少女が色違いの正装を着込み、髪をばっさりと首元で切り揃えて、ヌヴィレットの執務室にやって来たときだった。
「ヌヴィレット! これはいったいどういうことだい!?」
その凛とした声にパレ・メルモニアの職員たちは血色の悪い顔を上げると互いに顔を見合わせ、開け放たれた扉の方へと視線を向ける。執務室では小さな青い影が最高審判官の机を叩き、休養の重要性を訴えかけていた。
結果として、少女の言は最重要事項として取り上げられ、職員たちは久方ぶりの帰宅と相成ったのであった。また、マシナリーのように日夜関係なく働き続けていた最高審判官も問答無用でベッドへと押し込まれ、三日三晩の休養が与えられた。少しでも仕事をしようとすれば、鬼のような形相をして少女が飛んでくるのでおちおち仕事もしていられない。
ヌヴィレットは三日三晩の休養の後、仕事に復帰してその効率の良さにまず驚いた。隣では業務を代行していたフリーナが胸を張る。──いつものお二人だと職員たちの間には笑みを溢す余裕が生まれた。
パレ・メルモニアは元の活気を取り戻した──かのように見えた。
「やあ、ヌヴィレット。
……
うん。顔色も悪くないんじゃないかな?」
活気を取り戻し始めたとはいえ、ヌヴィレットが家に帰るほどの時間はなく、すっかりパレ・メルモニアの客室の一室が寝室と化している。
「君の叱咤激励のおかげで休養のありがたみが身に沁みたのでね。また怒られては堪らない
……
というのもあるが」
「ふふっ
……
。そうだね。もうフォンテーヌの政に関われる立場ではなくなった僕に出来ることといえばキミを休ませることくらいだし
………………
ねえ、ヌヴィレット」
改めて名を呼ばれ、ヌヴィレットはフリーナに視線を合わせ
……
ようとした。
「どうかした
……
」
整ったかんばせが目の前にあった。次いで、唇に感じる熱く柔らかな感触。
フリーナはすとん、と踵を床に下ろすとはにかんだ笑みを見せた。「これ、結構恥ずかしいね」なんて言葉のおまけ付きで。
「フリー
……
」
「──もう夜も遅い。怠惰な僕と違ってキミにはまだまだ働いて貰わなければならないのだからもう眠りたまえ。睡眠不足なんて百害あって一利なしだからね」
フリーナはヌヴィレットの背に回り込むと痩躯を部屋へと押し込む。
「フリーナ?」
あまりに強引な態度にヌヴィレットは困惑を隠せずにいた。ヌヴィレットを部屋に押し込んだフリーナは不安そうに自身を見下ろすヌヴィレットにとびきりの笑顔を向ける。
「おやすみ、ヌヴィレット!」
「あ、あぁ
……
おやすみ、フリーナ殿」
僅かな違和感がピリピリと皮膚を刺激する。ヌヴィレットが振り返るも言葉を探している間に扉は無情にも閉じられた。
「
…………
フォンテーヌを頼んだよ」
誰もいない廊下で一人、昇降機を背にフリーナが囁いた。昇降機が到着を知らせる音がして、フリーナは静かに乗り込む。
「ごめん、ヌヴィレット」
止め処なく溢れる涙を拭う。時折、しゃくりあげながらも人目につくことなくスイートルームへと辿り着いたのはある意味僥倖とも言えた。疲労で重くなった体を引き摺り、ベッドへ倒れ込む。いつまで保つか──そんな言葉が脳裏を過った。
それから数日後のことだった。
彼女──フリーナがいなくなったのは。
神を辞し、新居に向かうための準備を進めていたはずの部屋は、そのまま時が止まったかのように放置されていた。ドレッサーの中には使いかけのメイク道具が整頓された状態で置かれ、クローゼットには処分と書かれた紙の張られた服が並んでいる。
「
……
?」
ヌヴィレットはドレッサーの引き出しに隠されるように仕舞われていた手紙を見つけると手に取った。ヌヴィレットへ──簡潔に書かれた宛名にペーパーナイフを使う時間すら惜しいと感じながら震える手で封を切った。
ヌヴィレットへ
どうか、僕のことは探さないで
きっと僕はキミの知る僕ではなくなっているはずだから
フリーナより
たった二行の短い手紙。
それでも数百年間続いた関係性が終わったことを示すには十分過ぎるほどだった。
「捜索の打ち切りを」手紙を手にヌヴィレットはフリーナの捜索に関わっていた全ての人々に告げた。悲しみのあまり泣き出す者、ショックから寝込む者──ありとあらゆる者たちがあらゆる手段を用いてこの宣言に落胆の意を表明する。
ただ一人、ヌヴィレットだけは沈黙を保ち続けていた。
フリーナが失踪して一年になろうかという頃、ヌヴィレットの元へフリーナの情報を持ってやって来たのは意外な人物であった。
「私はフリーナ殿の居場所を知っている」──そう言ってアルレッキーノはソファの上で足を組んだ。
「彼女を発見したのは今から一年ほど前になる」
壁炉の家へとヌヴィレットを招き入れたアルレッキーノは子どもたちがいる大広間を抜け、奥へ奥へと進んでいく。何枚もの扉を潜り抜け、長い廊下を抜けた先、廊下の中央にあちらとこちらを隔てるように不自然に設置された扉があった。その様子はヌヴィレットに隔離病棟を思い起こさせた。
「感染症に感染した者のための部屋だ。子どもたちのなかには長い路上生活でそういった病に罹患している者も少なくない。鍵は私の他、医療に心得のある年長者が管理している。悪戯に出入りして感染を拡げるのを防ぐためにな」
「
……
そうか」
アルレッキーノはヌヴィレットを横目で見たあと、鍵を開けた。
「事前に説明した通り、フリーナ殿は感染症ではない。だが、ここには彼女に憧れる者も多くいるのでね。あのような姿は見せるべきではないだろう」
五つ並んだ部屋の一番奥の鍵を開けたアルレッキーノはノックをすると中へと声をかけた。
「フリーナ殿、客人が来ている」
しばしの沈黙の後、アルレッキーノは肩を竦めた。「いつものことだ」そう言うと扉を開けた。
ハンプティ・ダンプティが塀に座った
ハンプティ・ダンプティが落っこちた
王様の馬と家来の全部がかかっても
ハンプティを元に戻せなかった
(マザーグース:ハンプティ・ダンプティより)
そこには一人の少女がいた。
少女は古い童謡を口遊みながらぬいぐるみとダンスを踊るようにくるくると回っている。こちらのことなど気づいてもいないようだった。
「フリーナ殿」
アルレッキーノが名を呼べば、少女は踊りの途中で不自然に止まり、こちらに振り返った。
「あなたに客人だ」
ととと、と軽い足音を立てながら少女はアルレッキーノの後ろへと回り込む。
「
……
召使殿の紹介にあったヌヴィレットという。
は
・
じ
・
め
・
ま
・
し
・
て
・
、フリーナ殿」
「
……
」
青い色違いの瞳がヌヴィレットをじっと見つめる。それから腕に抱かれた兎のぬいぐるみに困ったように視線を向けた。
「フォカロルス、僕、どうすればいいんだい?
……
うん、うん
……
わ、わかった。やってみるよ」
お揃いのワンピースを来たぬいぐるみに助言を求めたフリーナはしばし、ぬいぐるみとお喋りに講じたあと、ヌヴィレットを見上げた。すぅ、と小さく息を吸う音が聞こえてくる。
「はじめまして、ヌヴィレット。僕はフリーナ、いご、おみしりおきを」
裾をつまみ足を斜めに引いたフリーナは淑女の礼をとった。それから再びアルレッキーノの後ろへと姿を隠した。
「
……
すまない。彼女は人見知りが激しくてね」
「構わない」
幼児退行と記憶喪失、どちらも聞いていたこととはいえ、話で聞くのと実際に目にするのとでは雲泥の差があった。
だが──。
ヌヴィレットはフリーナに視線を合わせるように屈み込む。それから少しだけ視線を彷徨わせたあと、兎のぬいぐるみに目を向けた。
「君と揃いの服を着ている彼女は何という名なのだ?」
ヌヴィレットは不器用に微笑んで見せた。フリーナはアルレッキーノの服の裾を握りしめながら消え入りそうなほど小さな声で「フォカロルス
……
」と返した。
「フォカロルスか
……
。君とフォカロルス殿に良く似合っている」
ヌヴィレットがワンピースを褒めれば、フリーナがはにかんだ。──まるで、あの日のように。
「ありがとう。僕もフォカロルスもおきにいりなんだ。ねえ、フォカロルス」
フリーナはフォカロルスに笑いかけると「ほら、フォカロルスもよろこんでいるよ」とぬいぐるみを見せた。
「そうか。ところで君は甘いものは好きかね?」
ヌヴィレットの問いかけにフリーナは目を輝かせた。
「これを君に。よかったら、他の者にも分けてあげるといい」
「いいのかい!? あ、僕としたことが。キミに僕のともだちをしょうかいするよ。ほら、はやく!」
フリーナは貰った包みとぬいぐるみを脇に挟むとヌヴィレットの手を引いた。
その日からヌヴィレットは足繁くフリーナの元へ通った。あまりに頻繁に通うため、二本しかないはずの鍵が三本に増えるほどであった。
「ヌヴィレット! きょうはなにをするんだい?」
初めは怯えていたフリーナも足繁く通うヌヴィレットを友達だと認識するようになっていた。
抑えきれない心を表すかのようにフリーナはヌヴィレットの前でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「フリーナ殿。今日は君に話があって来た」
「
……
ヌヴィレット?」
フリーナはヌヴィレットの並々にならぬ態度に背筋を正して聞く態勢を作る。
「フリーナ殿
……
私と一緒に来ないか?」
「キミといっしょに
……
?」
フリーナを引き取る──アルレッキーノとヌヴィレットの間で水面下に進められていた話だ。ヌヴィレットは彼女が提示した幾つかの条件を飲むことでフリーナを引き取る権利を手にした。とはいえ、フリーナが望まないのであれば話は立ち消えることになっている。
「
……
君が嫌ならば無理強いはしない」
「
…………
」
フリーナはヌヴィレットにまん丸な瞳を向けたまま凍り付いている。
「君を混乱させてしまったようだ。返事はまた後日
……
フリーナ殿?」
ヌヴィレットが立ち上がる。その裾をフリーナが引っ張った。
「フリーナ殿?」
俯き、震えるフリーナが顔を上げた。大きな瞳には大粒の涙が浮かぶ。
「ヌヴィレット、かえっちゃやだぁ
……
!」
わぁ、とフリーナが声を上げて泣き出した。ヌヴィレットはどうして良いかも分からずにフリーナの前で途方に暮れる。やがて決意したようにフリーナを抱きしめた。
「僕、僕
……
いや、なんていってない
……
!」
「
…………
すまない」
わんわんとしゃくりあげながら泣くフリーナの頭を撫でる。彼女はこんなにも小さく、頼りない存在だっただろうか──。
「あれは治るのか?」
フリーナと初めての面会を果たした帰り道、ヌヴィレットはアルレッキーノに尋ねた。
「精神学的には防衛機能の一種だとされている。医師が言うにはある日突然良くなることもあれば、一生をそのままで終わらせることもあるそうだ。──彼女がどちらの例に当てはまるかは未知数だがね」
「フリーナ殿、大丈夫だ。私はここにいる」
泣き続けるフリーナの頭を撫でながらヌヴィレットは安堵する。ポワソン町のことも、フォンテーヌの水害も
……
忘れたままでいれば彼女はもう苦しまずに余生を送ることが出来るのではないか、と。
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