草枕
2025-06-27 20:01:00
2045文字
Public syzygy
 

syzygy_overmeight_008

光.
青年隊員蘇生に関する秘匿公開後



酷い悪夢を見た。

前線からアルゴスへ物資を取りに行く仕事を頼まれ、医療物資や食料などを船から取り出す。数を確認して再出発するまでの間、自室で休んでも良いと言われる、夢。

自分の部屋の扉の先には、何も無い。
全ての荷物が消え去って、がらんどうだ。

──何も、なかった。


「────────ッ!!」

夢の中のシルーは叫べたのか。起きたシルーは叫んだのか。分からない。ただ早鐘のように打つ心臓は、上手く吸えない呼吸は、起き抜けの身体には辛い。それでもここは医療テントの側だ。不要な喧騒は在るべきではない。上掛けから這い出て、使った寝具を整える。染み付いた動きだ。条件反射に動かされて外に出ると、夜警明けに床に就いて三時間といったところだろうか。今だに朝の名残りがあった。



六年前、補給部隊が壊滅した時にシルーが思ったのは、「どうして」という単純な疑問だった。
どうして先の戦争で死んだ子どもたちは蘇生されて、この人たちは蘇生されないのか。遺体が無いから?ならば、軍の私室に残された服でも寝具からでも、毛髪や皮膚片を回収すれば、肉体くらい作れるだろう。

蘇生技術の記憶を保持していたのは、syzygy隊員と、隊員になることを打診されて回答を伸ばしていた者だけであった。つまり補給部隊の遺族は、家族が生き返る可能性を知らない。ただシルーだけが、彼らがいつか生き返るための可能性を潰えないよう守るに他はないのだ。
これは我欲である。ただ、会いたいという自分勝手な欲。それでも、いつかシルーがsyzygy内で死者蘇生の権限を握れるだけの立場になることを決意するに充分な祈りだった。

前例があるのだ。シルーの大切な人が、蘇生されて悪い訳はない筈だ。──あるとすれば、子どもたちの時と同じく、遺族がそれを拒んだ場合。それから、生き返った人たちが、蘇生を苦に思った場合。
その時。前者なら潔く諦めるべきだと思った。
シルーは部隊員にとって、ただの、同じ部隊の一番下っ端の、ほんとうにただそれだけの、路傍の石に過ぎない。
でも、了承さえ得られたなら。
どんなに恨まれても憎まれても、彼らの生活を助け、彼らの意思を尊重し、──怒りをぶつけてほしいと思った。


今だに残る朝の冷えを引き連れた風が、肌を粟立てる。夢で聞いた、空になった部屋の無音が耳を支配して、風の音が遠い。
恐怖の源泉に触れることが、自分が何を恐れているのか明瞭になることが、怖かった。
現実のアルゴスのシルーの部屋には、大量の衣装ケースが積んである。部屋の広さに対して荷はあまりに多いが、多いだけであって整理整頓はしているつもりだ。中にあるのは、集められるだけ集めた遺品である。思い出になるような品を遺族が回収したあとの、衣類や寝具、生活用品。毛髪や皮膚片が残っている可能性が少しでもあるもの。

希望は一つ、断たれてしまった。
青年隊員が蘇生されたことには、選定の基準があった。神とやらの、超特例の御技であった。

蘇生の望みはあくまで付随品だ。彼らに生かされた意義を果たす、ついでの我欲。彼らに会いたくなってしまった、余分な欲望。なら、ならばこれくらいで足を止めてはならない。
シルーは、彼らの死に値する人間でありたかった。そうでなくてはいけなかった。彼らが生きていたら成し遂げた筈のこと、その全てを遂げるべきと思って、その果てしなさに慄いて、ただ、彼らを覚えていることだけ、なんとか上手くやっていた。
つもりなのだ。
まだ、────まだ。
全然足りていない。

でも、例えば。
どこまでの記憶が現実に存在したのか、ここに至って断言できる成人隊員はいるだろうか。
青年隊員においても、生前と連続した自己同一性を持ったままの者がどれだけ居るか。

六年前から、遠い記憶を繰り返すことをよすがにしてきたシルーには、記憶の欠落が何よりも怖い。あの人たちを取りこぼしてしまうことが怖い。

例えば、アルゴスに帰って、『見慣れない遺品』を見たら?『知らない名前』があったら?
遺品がまるきり消えていて、リードにラウラとは誰だと言われたら?
いや、これから先いつかぷっつりと、彼らの記憶を消されてしまったら?
最後はいっそ幸せかもしれない。本当に何も残らない。

自己の同一性が崩壊しそうな恐怖に、地面が揺れる。溢れそうになる声を両手で押さえ付けた。
恐れを抱く自分など、失くしてわすれてしまえ。
記憶を覆される可能性がある不安定さが怖いなら、その目を鈍らせればいい。
希望の光が消えて目の前が暗いなら、いっそ目を閉じればいい。

そうすれば、少なくとも貰った命の分、肉体だけは動く筈だ。

いつだって、どんな時だって、ほとんど無意識のうちに反応できるくらい、反復した。
戦闘も、思考も、あの人たちの行動も話し方も。

一つ、深呼吸をする。
閉じた瞼を貫いて、朝の光がチラついた。
地面はまだ少し、揺れていて怖かった。