2025-06-25 22:07:42
2872文字
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継承

CPなしの小話。チルさんの長女。ちょっとイヅちゃん。(※チルさんは亡くなっています)

 
 父が亡くなった。
 酒飲みの割に種族としては長く生きた方だった。父は変わらず私たち姉妹の父だったが、一方でこの国に住む同族にとっては無くてはならない人だった。私たち種族は身体が小さく力も弱いので、長いあいだ他の種族には上手く利用される事が多かった。厄介なものと対峙する時の盾役ならばまだしも、置き去りにするつもりでわざと危険な所へ連れて行くような、使い捨て扱いも随分されてきた。歳より子供に見られて侮られたり、もっと悪ければ単なる実験動物扱い、要するにナメられてきたのである。
 対等に仕事が出来なければ、暮らしのたつきを得る事も出来ない。父はそういう連中に一貫して拳を突き付け、冒険者稼業とはいえまともな額をまともに支払わなければ仕事はしない、と言い続けていた。それに賛同する同族は多かったが、一部の者には元締めみたいな顔をして気に食わないと煙たがられた事もあったようだ。それでも父は自分の信念を曲げる事は無かった。殆ど一生を、種族の地位向上に捧げたと言ってもいい。本人に言わせると、そんなつもりは全くないらしかったが。
 同族が明日の食事にも困っているという状況で、自分だけが美味い酒を呑めるか、というのが父の主張だった。
 それは一介の鍵師だった頃も、悪魔を打ち倒した救世の勇者の仲間として名を馳せた後も、変わらなかった。その甲斐あって、父が生きている間に種族の地位は明らかに向上した、と思う。少なくとも見た目や種族を理由に相手を侮り、下に見るのは、良くない事であるとこの国では周知されている。それは私たち以外にも、どんな種族でも同じことだった。
 鍵師ギルドは大きくなった。自分がいなくてもあいつらはやっていけるなと、縁起の悪い事を口にしたのが、今思えば良くなかったのかもしれない。でもきっと、本人は寿命だと言っただろう。
 葬儀は盛大なものになった。なってしまった。こじんまり終わらせようとするのは不可能だ。何しろ件の勇者、つまり国王陛下さえ御自ら弔問に来たのだから。
「立派な人だった。よく皆を導いてくれた。……居なくなってしまうのは寂しいよ」
 王様はそう言って、真鍮色の瞳から涙を一筋流した。彼らと父のあいだにどんな日々があったか、私は知らない。
 一度だけ、王城で開かれた晩餐会に招かれた事がある。独身の王様と同じテーブルで食事を、と景気のよい夫探しに躍起になっていた妹たちは色めき立っていたが、結局の所そんな浮いた話は出なかった。随分後になってから、私は父にその話の続きを聞いた。
『俺と親戚になれるんならしてもいいかと思った、だと』
 密かに話が通っていたらしいが、しかし父は冗談じゃない、と言っていた。
『そんな事でひとの娘の人生決められてたまるか。……あいつの親父になる気も更々ないね』
 私は結婚には興味が無かった。というよりも、結婚するなら父のように仕事が出来る人としたかったが、ついぞそんな人は現れなかった。そういう訳で私は父に教えられた鍵師の技術で、今もひとり身を立てて暮らしている。
 私は遺品の片付けをしながら、天井近くにある窓を見つめていた。あそこは鍵がいつも開いている。私たちはいつもそれを不思議に思っていた。用心深い父らしくないからだ。泥棒に入られる心配はないのかと、妹のひとりが父に尋ねた事がある。
『高い所にあるから、入れたとしても落ちて怪我して仕舞いだよ。ありゃ猫の為に開けてあるんだ』
 猫なら脚から降りられる、と言っていた。父は猫を飼った事はないし、私はそこから猫が入ってくるのを見た事もなかった。けれど葬儀が終わって数日経ったある日、そこから猫が入って来た。
 猫。猫のような、しかしそれは三角形の耳と尻尾を有した、女性だった。ひどく身軽で、窓から覗いているのを見て腰を抜かしそうになっている私を、大きな目でじっと見つめていた。そして狭い窓を通り抜け、見事に床に着地した。
 驚いたが、私は彼女を知っている。王城での晩餐会の時だ。それでもあの時以来、見かけた事はなかった。増してやそこから入って来る姿など、全く知らない。
 あいつはいないのか、と言ったので、私は父は亡くなったと言った。
「ふぅん」
 そうか、と猫は悲しむでも驚くでもなく、呟いた。
 友人だったのかと私が問うと、別に、と言った。
「ただここに来れば、あったかい寝床があった。……もうないんだな」
 そして猫は、ならば用はないと、来た窓から消えた。風のように、幻のように。
 父の口から聞く冒険譚が、私は好きだった。仕事が上手くいって帰ってくると、私たちによく、楽しい話をしてくれた。母にとっては、面白い事ばかりではなかったようだ。けれどいっとき離れはしたが、私は今でも両親の仲が悪くなった事はない、と思っている。きっと同じところへ行って、今頃また再会しているだろう。
 或いは本当に夢を見たのかもしれない。その後私は、父の作業机で目を覚ました。うたた寝していたらしい。
 溜息を吐いて、外の看板を外しにかかる。王室御用達の刻印が、しっかりとまだそこにある。
 父はその刻印をあえて要求した事はないそうだ。あった方がいいと思う、と言ったのは王様の方だった。権威というのは時には傲慢さを伴うが、それがあれば信用を得られるという便利な証にもなる。ある意味では、警告にも。そして刻印は本当にその通り働き、随分父の仕事の役に立った。
 これをどうしよう、と私は考えた。燃やしてしまうのは勿体ない。この刻印を他の誰かがまた賜る事は、あるのだろうか。どちらにしても大事に何処かへ仕舞っておこうと思い、手を伸ばしたが、届かなかった。
……そうだね、それは掛け替えなければ」
 と、頭上から声がした。看板に手をかけていたのは背の高い男性だった。
 真鍮色の瞳、金の髪――葬儀の時に見た姿よりも随分軽装だったが、それは紛う方なき国王陛下その人だった。
 私が驚いてその場で頭を下げると、そんなに畏まらなくていいと王様は言った。食卓を共にした仲じゃないか、とも。でもそれは、もう何十年も前の話だ。
「相談をしに来たんだよ。そこへきみの名前を入れ直すかどうか。新しいのを作ってもいい」
 私はまた驚いた。いったい何の話だろう。
 ――俺が死んだら娘に仕事を頼むといい。
 父が生前そう言っていたのを、私は王様の口から聞いて初めて知った。
「勿論我が国には、親の仕事は子が必ず継ぐべきなどという法はない」
 王様は微笑んで言った。
「そのうえで、きみ自身に改めて尋ねよう。チルチャックの娘メイジャック」
 深い迷宮の奥、人喰い宝箱、火を吐く赤い竜。
 父は何を見たのだろう。このひとと、共に、地の底まで行って。
 きっとまだほんの少ししか知らないこと。私はそれを、今からでも、知りたいと思った。願わくば自分の命が、いつか尽きる前に。
「きみの店に、同じ刻印が入った看板は必要かな?」
 私は――謹んで肯定の意を示し、王の前に跪いた。