カーラジオから流れる音楽に合わせ、後部座席から友利のご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。久しぶりに外に出たのだ、気分が高揚するのも当然だろう。水分を多く含んだバスタオルで巻かれた下半身。その先に僅かに見えるのは人間の脚ではなく、尾ひれだった。──この秘密だけは、誰にも見られるわけにはいかない。
どれほど走っただろうか。ヘッドライトが照らす先に目的地は見えてきた。
砂浜の近くに車を停める。日中は海水浴に来た人たちで賑わっているこの場所も今は人気がなく静かだ。
後部座席のドアを開け、友利を抱き上げる。するりと首の後ろに回された腕はひんやりしていた。
潮風が髪を撫でつける。砂を踏みしめ、波打ち際へと向かう。サンダルを脱いで浅瀬に素足を浸す。生温い海水が足首にまとわりついた。辺りを見渡し、誰も人がいないことを確認した。
「このあたりで大丈夫?」
「うん、ありがとう兄ちゃん!」
そっと友利を水の中におろせば、彼は滑らかな動きでその身を潜らせる。ざぷん。ほどなくして友利は海面から顔を出した。柔らかな月明かりに照らされた無邪気な笑顔がそこにはあった。
「兄ちゃん、遊ぼう?」
そう言って友利は手招きをする。夜の海は真っ黒で、月の光だけでは心もとない。穏やかにうねる波に飲み込まれそうで危うい。それでも、友利が呼ぶのなら。ティーシャツを脱いで砂浜に放り投げた。
いつもの狭いバスタブよりも圧倒的な広さに友利もどこか生き生きとしていた。友利に手を取られ、沖の方まで泳ぐ。もうとっくに足がつかないところまで来てしまった。しかし、友利の手さえ離さなければ大丈夫だろうと不安はなかった。
むしろ、手が離れたその時は──そこで終わったって構わない。
器用に泳ぐ友利の姿はどこから見ても正真正銘の人魚だ。ここが彼の故郷なのではないかと思ってしまうほどに。友利がこのまま帰ってしまうのではないかと思ってしまうほどに。
「兄ちゃん、今、すっごく楽しいよ!」
「よかった、俺も楽しい。……ねえ友利」
「ん? なぁに?」
「……やっぱり、友利は家の狭いお風呂よりも海の方がいいのかな」
「兄ちゃん……?」
「なんてね。ごめん、変なこと言って。友利があまりにも楽しそうだから、つい」
誤魔化すように笑う。
「ねえ兄ちゃん、僕の帰るところは兄ちゃんがいるところだよ?」
「広い海は楽しいけど、兄ちゃんがいなかったら寂しいよ」
友利はどこか寂しそうに笑う。ぎゅ、と強く手を握られる。
「……そっか」
毎日狭いバスタブで不自由をさせていると思っていた。なかなか外に出られないことを友利も不満に思っているのかも、と。だから海に連れて行くのも少し不安だった。このまま友利が帰りたくないと言ったらどうしよう、と。
──しかし、案外、世界は浴室くらいの広さで事足りるかもしれない。
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