しちろ
2025-06-24 17:18:00
3448文字
Public LOM
 

奈落の太陽

LOM、エスカデとオールボン。主人公は男女お好みで。

 この日が来た。
 長き修行に区切りをつけ、奈落を出る。
 この十年、ファ・ディール一と謳われる剣聖に師事した。力をつけた。歳を重ね、過酷な環境に身を置いたことで、小柄だった肉体は大きく、頑健になった。
 節の目立つ両手を握っては開き、感触を確かめる。固く分厚い手のひらは、寝ても覚めても剣術修行に明け暮れてきた証である。

 ──……しかし、不十分だ。

 今の自分は悪に対抗できるのか。信じる道を為せるのか。
 ……本当に、ヤツを討つことができるのか。
 ともすれば湧き上がってくる疑問を、その都度、意志と決意でねじ伏せる。
 迷いは弱さ。可能か不可能か、ではない。やらねばならないのだ。
 そのために、そのためだけに、自分は奈落の底で、腕を磨き続けてきたのだから──。

 ガン!

 目から火花が出たかと思った。
 それほど強烈な衝撃が、エスカデの脳天を直撃した。
 続けて、ガチャンと重たい金属音がし、何かが地面に落ちた。
「な、な、な」
「餞別だ」
 己の為した暴挙などどこ吹く風。
 しれっと言ってのけたのは、他でもないエスカデの師である。
「十年間、焦がれ続けた男に会いにいくのだろう。それくらい避けられんでどうする」
「誤解を招く言い方はやめてくれ。マスター」
 エスカデは頭をさすった。これくらいでどうにかなるほどやわではないが、痛いものは痛い。
 エスカデが師事するのは、大きな三つ目と六本の腕を持つ、風変わりな植物人。マナの七賢人が一人にして、奈落の主オールボンである。
 剣聖と称えられ、妖精戦争で伝説となったその腕前を見たことは、実はエスカデは一度もない。いくら手合わせを願い出ても、のらくらはぐらかされて終わる。しまいには、「私は、剣の弟子を取ったのは、お前が初めてだ。それで十分だろう」などと言う。エスカデは不服である。その不満も当然、賢人には見透かされているのだが。
 決して剣を抜かない最強の剣士は、エスカデの傍らに落ちていた『それ』を拾い上げると、箒か傘でも差しだすような素振りでエスカデに差し出した。
「旅立つ弟子への餞と言ったところだ。持っていくがいい」
「餞のつもりなら、普通に渡してくれませんか」
 頭がずきずきする。狙ってやったのか、そうでないのか。この師匠のことだから、九分九厘わざとの気がする。
 雑に渡された品を、エスカデは丁重に受け取った。……痛みと師匠の態度のバブルパンチで、しかめ面にはなっていたが。
「これは……
 細身の大剣である。
 程よい反りがあり、片手でも両手でも振れそうな長さ。鍔のない柄はいたって簡素。柄頭に大きな鉱石が使われている。一見では、どこにでもありそうな普通の剣、と言ったところだ。
 しかし、鞘から刀身を引き抜こうとして、エスカデの眼の色が変わった。
 弟子の眼識に満足したように、オールボンが言う。
「奈落の底の炉で溶かし、奈落の底の炎で鍛えた。ソルブレイド、という。よい剣であろう」
 師の声を聞きながら、エスカデは剣を翳した。
 鍛え抜かれた刀身が、奈落に燃え盛る炎を映し、ぎらりと光る。一切の装飾を捨て、性能のみを追求したと見える、物騒な輝き。それはつまるところ、この剣が敵を斬るため、殺すためだけに存在することを意味する。
「ソルブレイド……
 相応しい銘とは思えなかった。仰々しすぎる。
 そもそも、奈落の底で生まれたのに太陽の剣とはいかなることか。
「なぜ、この名の剣を、俺に?」
「他意などないが」
 さらりと答える賢人の心は、いつでも読みとれない。
「目利きのお前ならわかろうが、見ての通り、立ちはだかるモノを斬るためだけに生まれた剣だ。倒すべき敵をよく見さだめ、迷いなく振るえば、お前の望むものを討つことができよう」
……
「思ったより、嬉しそうではないな?」
……そんなことはありません」
 オールボンは深く追及はせず、そうか、と言った。そっけない言いぶりに反して、三つの目は心なしかニヤニヤして見える。
「名はモノの本質ではない。だが、エスカデよ。お前なりに思うところがあるのならば、答えが出るまで存分に考えるがいい。お前は狭窄だ。ゆえに、己の内から外へと世界を広げ、広域に思考することで、新たに見えるものがあるかもしれぬ。……ま、度を越えて真面目で堅物のお前のことだ。せいぜい、シリアスが行き過ぎてギャグにならん程度にな」
 終始、感情を押し殺しているエスカデに対し、オールボンの言葉の最後は少しおどけた言い方だった。
 エスカデは、眉間にしわを寄せたまま納刀した。鍔のない剣は、鞘に収めてもほとんど音がしない。
……剣の名など、俺にはどうでも良いことです。悪魔が討てればそれでよい」
「ならばそうするがいい」
 賢人は基本的に、人の考えを否定しない。知恵と助言を与え、選択はその者にゆだねる。マナの賢人とはそういうものらしいと、エスカデは剣聖に師事した十年で知った。
 師にこれまでの礼と別れを告げ、与えられた剣を携えて奈落を出た。
 ファ・ディールの大地に降り立ち、真っ先に見えたのは、果てしなく広がる蒼穹と。
……太陽、か」
 白く燃える天つ日。
 エスカデが『眩しい』と感じたのは、実に十年ぶりである。





 致命傷だった。
 剣を支えに、エスカデは片膝を折る。だが、もはやそれも困難だった。
 受けた傷が深すぎる。手で押さえつけたところで、吹き出す鮮血は止まらない。
 ──助かりはすまい。
 自分で分かった。
 悪魔が復活させた古代のワーム、ルシェイメア。
 十年前、悪魔を追って地の底へ落ち、地上を探し、ついには空の上まで追いかけた。あいつのことだ。きっと、自分のことなど眼中になかっただろう。そう、エスカデは思う。
 それでも、がむしゃらになってやってきた。悪魔が気に食わなかったのは、間違いない。憎らしくなかった、と言えばうそになる。
 エスカデの中に、悪魔への嫉妬は間違いなくあった。悪魔に心奪われる『彼女』に憤りを覚えたのも確かだ。
 正義を信じる自分と、その内に存在する醜悪な自分。エスカデの内にある醜さが、より己を己の信じる正義に固執させた。……腹立たしいが、それは認めざるを得ない。
 身体が重い。目がかすんできた。
 自由を失っていく肉体とは裏腹に、奇妙に思考だけが冴えている。
 
「一人で突っ走ってきたが……ここまでのようだな……

 悪魔を倒すことはできなかった。自分の剣は届かなかった。
 自分は目的を果たせなかった。この日のために費やしてきた年月も、剣聖に習った技も、すべては無に帰した。なのに、エスカデには不思議と、満たされた気持ちがあった。

──自分は、本当に、何もできなかったのか?

 ……いいや、そうではない。

 ひとつだけ、あった。

 この世界の未来を、ある若者に託す。ただ、それだけのこと。
 親しい間側ではなかった。
 むしろ、相手のほうはエスカデを快くは思っていなかっただろう。意見を違え、剣を交えたことすらあった。互いに、詳しい素性も知らない。
 なのに、エスカデには確信があった。アイツならば自分の望むことをやってくれる。人の信頼に足る何かを、アイツは持っている。

「英雄になれ……お前ならできる……

 ぐらりと身体が傾いた。
 血まみれの身体は腐った竜の背を滑り、中空へ投げ出される。
 急速に閉じていく意識の中、エスカデがにやりと笑ったのは、やはり確信があったから。

「エスカデ!」 
 
 ああ、やはり来た。思っていた通りの人物。
 若者は、必死の形相で、エスカデに向かって手を伸ばしてきた。血に濡れるのも構わずに、自分まで竜からずり落ちそうになってまで。
 だが、その手をつかむわけにはいかない。
 救いの手を拒絶し、エスカデははるか地上へと落ちていく。
 途中、太陽の剣が、手から離れた。
 剣とともに、聖騎士は大地よりさらに下へ、下へ。
 今度は、地上に還ることはない。
 堕ちて行きつく先はまた奈落なのか、それとも別の場所なのか。
 そんなものはないのか。
 ……どれでもいいか、と思えた。

──……マスター。俺にも、見えたのかも、しれません。

 空の古代の竜。うなだれ嘆く、小さな人影。
 その、向こう。
 ファ・ディールの広い空に、白く輝く太陽が、見える。