桜霞
2025-06-24 00:03:28
2071文字
Public 【RKRN】夢
 

【RKRN】この後お持ち帰りされた【ZAT夢】

お湯さん(@63_ymcs)の『雑渡さんとタバコを共有するお話(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24974215)』の続きを書かせて頂きました(許可頂きました、ありがとうございました)。
お湯さんの小説を読んで頂いてからの方が分かりやすいです。
私はラガーとヴァイツェンとコロナが好きです。
※現代オフィスパロです。





 オフィスの窓はすっかり夜色に染まり、鏡の様相を呈していた。うっすら映りこむ社内の向こう、看板や道路を照らすライトが夜闇を明るく切り裂いている。道々には駅に向かって進む人の流れができており、まるで川のようだった。
 昼間はいろんな指示や相談で騒がしかったオフィス内も、今やすっかり空気が緩んで、ほとんどの社員は帰り支度を済ませようとしていた。残っているのは特別な業務がある者と、管理業務がある上役くらいのものだった。
 ちらりと壁にかけられている時計を見上げる。定時十五分前。脳裏に作業の進捗が明滅し、彼女の心臓は焦燥に早鐘を打った。
 雑渡にある程度業務を巻き取ってもらったのにこの体たらく。気が散っていたとか言い訳したくない。焦りが募る。その度に時計を見てしまう。見るたびに針が進んでいて、当たり前の事実にちょっとだけ泣きが入ってしまう。
 ちょっと遅くなるかもしれない、と雑渡に連絡を入れた方がいいだろうか。しかし、彼女は雑渡の個人的な連絡先を知らない。社内チャットで個人的に連絡するのは憚られる。いや、そもそも今から本気出して頑張れば間に合うかもしれない。いや、本当に間に合うのか? という理性の声が、同時にド忘れしていたショートカットキーコマンドを思い出させてくれた。これで五分は縮まった。
「お先です」
「お疲れ様でーす」
 ィヨッシャイ、と内心拳を突き上げたのも束の間、雑渡が席を立つ気配がして、彼女の顔はしわくちゃのピカチュウになった。諸々に対して申し訳ないという罪悪感と仕事のできない自分への嫌悪がないまぜになった顔である。
 お疲れ様です、と鳴き声のように言うのとすれ違うようにして、ペタ、と机の上に何か貼られたことに、彼女は一拍置いて気が付いた。付箋である。彼女は慌てて向かい側の席に見つからないようにサッと付箋を剥がし、手元にしまいこんだ。
『下で待ってるね』
 知っているようでよく知らない雑渡の手癖だ。付箋の隅には、細く小さい長方形と、その端から煙のようなものが漂っている。
 いや、分かるけど。御世辞にも上手いとは言えない、ような。いやそんなことを言っている暇なんてないんですよ。
 ショートカットを多用して、なんとかそれなりの形にして、それでも十五分すぎてしまった。残ってくれていた上司に、業後ですみませんがと確認してもらい、頼むからミスが無いであってくれとぎりぎりしながら待つこと五分。うん、お疲れさま、早よ帰んなね、と言われたときには思わず万歳しそうになった。
 勤怠管理に残業時間をつけて、彼女は急ぎ足でフロアを後にした。都合三十分。許される範囲だろうか。だって本当は業後に予定なんて入れてなかったんだから。
 オフィスのエレベーターを降りて、セキュリティゲートに社員証をかざして通過する。このフロアには来客用にソファが幾つか置いてあるが、そのどれもに雑渡の姿は無い。
 更に階下の、ビルの正面玄関だろうか。エスカレーターに向かった彼女の足が、いや待てよ、と立ち止まる。彼女の脳裏には、付箋の隅に描かれていたたばこが明滅している。彼女は何とか脳みそをしぼって、この辺りに設置されている喫煙室の場所を思い出した。
 ピンヒールが鳴るたびに、むくんだ足が悲鳴を上げる。業後だなあと感じながら、喫煙室に辿り着いた彼女は、ドアのガラス越しに室内を覗き込んだ。
 気配に気づいたのか、室内にいた喫煙者たちがちらりとドアの方に視線を寄越す。しかし動いたのはスマホ片手に吸っていた雑渡で、ドアを開けて中に入ろうとした彼女を片手で制した。手早く煙草を潰して捨てた雑渡が、「お疲れ」と微笑む。
 ふわ、と煙草の匂いが漂った。───ミント系の香りでは、ない。どこか甘い、柑橘の皮をいぶしたにおい。
…………
「行こうか」
 何食べたい? と歩き出す雑渡に合わせて、彼女も踵を返した。すぐに追いつけたことに、自分の歩幅に合わせてくれているのだと気付く。気付いてしまう。自分が好んで吸っていた煙草によく似た匂いにも。
……わざとです?」
「なにが?」
 ちらりと横目で見上げると、雑渡は楽しそうに目を撓ませている。彼女はちょっとやけになりながら、「日本酒の美味しいところで」と言った。
「日本酒ね。飲む方?」
「いや、あんまり。あ、ビールでもいいですよ」
「ビール、どこのが好き?」
「ドイツですかね。スペインも好きです」
「あー……なるほど……? じゃあシュマッツにする?」
「奢りですよね?」
「しょうがないなあ」
 残業が三十分に収まったとは言え、振り回されているのは事実なのだ。誘ってきたのは雑渡なのだし、これくらい、と彼女は威勢よく地面を蹴った。同時に、足の疲れなど、どこぞに霧散していることに気付く。
…………
「あ、タクシー使う?」
「いや、歩きで大丈夫です」
「女子ってすごいねえ」
 二軒目は私が奢ろう。彼女は強く心に決めた。が、決心どおりにいったかどうかは、かみのみそしる。