たいようのうた

【寿月】数年後同棲プロ時空*野菜のお裾分けの話。

 休日の昼下がり、ふいにリビングに響いたインターホンのチャイムに雑誌を捲る手を止める。
 応答がてら備え付けのモニターを確かめれば、しばらく前に近場の量販店まで日用品の買い出しに出かけた同居人の姿が映っていた。

『スンマセン月光つきさん、ドア開けてもろてもええですか?』

 スピーカー越しに投げられたのはそんな声で、珍しく鍵を忘れて出ていったのだろうかと首を傾げつつ足早に玄関へ向かう。錠を上げてドアを押し開け、そこに立つ男の様子に、思わずまばたきをひとつした。
「どうした」
「いやぁ……めっさ豊作で」
 自然と口をついた問いに、毛利が冗談めかしてちいさく笑う。
 両手には少々重さのありそうなビニール袋や紙袋が複数個。出掛けに聞いていた買い出しの内容からはいくらかかけ離れているように見える大荷物で、なるほどこれでは手助けを求めて呼び鈴を鳴らすはずだった。
「帰りにそこの角んちのおばちゃんと会うたんですけど、よおさん採れたから持ってき!って」
……そうか。 いくつか貸せ。 どこへ運ぶ」
「おおきに。 ええと、ほんならとりあえず台所に……
 男の手を占領する袋たちをいくつか引き受けながら、廊下を抜けてひとまずキッチンへ移動する。
 カウンターに載せた袋の中には採れたてのものと思しい野菜たちが数種類、土のついたままごろごろと詰められており、豊作、という言葉も納得の状況だ。

 毛利がいうところの『そこの角んちのおばちゃん』はいわゆる顔なじみの近隣住民で、家庭菜園と呼ぶにはいささか気の引ける本格的な広さの畑で種々の野菜を育てている年配女性である。
 実家に菜園があり、自分でも世話や収穫をしてきた毛利は、持ち前の人懐こさもあってかいつの間にか時折畑の調子について立ち話をする仲になっていた。
 連れ合いである自身についても何かと気にかけてくれているようで、いままでにも何度か「二人で食べるように」と野菜を分けてもらったことがある。……が、今回はそれらの比ではない物量だった。
 野菜の群れと表現するに相応しい光景を見下ろしていると、袋の中身を検分しはじめた毛利が楽しげに口を開く。

「世話ん仕方変えやったら大当たりしてもうたんやて。 形も色ツヤもええし、めっさうまそうでっせ」
……そうだな」
「おばちゃんちで必要な分は採ったし、ウチで食べ切れん分は配ってええて言うてはったんで、ありがた~くいただいてまいました」
 クラブに持ってけば誰かしら使てくれはるやろ。ええ感じの箱と袋探さんとあかんな、物置にあったかいや。
 今後の段取りらしき独り言を呟きながら、慣れた手つきで野菜を仕分ける男の横顔にそっと視線を向ける。コートでのそれとはまた違った光を宿したひとみは弾むように生き生きとしていて、知らず目を細めた。
「せっかくやし、今夜は野菜天丼とサラダにしましょ。 任せたってください」
…………よろしく頼む」
「はいっ」
「野菜は種類ごとに分ければいいのか」
「あ、はい! とりあえずこんだけウチでもろて、他のをこっちで……。 スンマセン、先に物置から箱持ってきますわ」
「ああ」
 足取り軽くキッチンから出ていく背中を見送って、かすかな物音を聞きつつひとまず種類ごとに作業台の上で野菜たちを選り分けていく。普段あまり意識することのない乾いた土の匂いが、手を動かすたびにほんのりと嗅覚を擽った。
「あんがとございます、やってもろてしもて」
「さして問題ない」
「おかげさんで物置に丁度ええのありましたわ」
 ややして折り畳みのコンテナボックスを抱えて戻ってきた毛利が、手際よく箱を並べていく。(有り合わせの段ボール箱よりも、確かにこちらのほうが頑丈だろう。)
 手分けして早々に箱の中に移し替え、収まるべきところへ収まった野菜たちを満足げに見渡したあと、男は傍らでしみじみと声をこぼす。
「しっかし、ホンマ、こない大きなってくれたら世話すんのオモロいやろなぁ」
「そうだな」
「いまは遠征やなんやあるからちゃんと世話できへんけど、いつか庭で畑やるんもええね」
――……、」
 ごく自然に続いたそれに、迂闊にも返す言葉を掴み損ねて取り落とした。突然黙り込んだ自身を訝しんだらしい男はきょとりと首を傾げてこちらを見上げ、――それから、手で額を覆って盛大に息を吐く。
………………その、スンマセン、そないあの、深い意味やのうて」
…………そうか」
「いや、ホンマに本音は本音やねんけど……
 ああもう、ほんまにかっこつかん!
 早口にそう言って呻く男の耳朶がじわと赤みを帯びるのを、行き場を探しかけて引いた指先を持て余しながらじっと見る。

『いつか』とは、今の暮らしのその先のことでよいのだろうか。
 寝起きを共にし、同じテーブルで食事を摂り、国々を渡りながら隣り合ってコートに立つ。忙しなくも満ち足りたこの日々の――その先の安穏に、自分たちが変わらず寄り添っていると、傍らの男も信じているのだろうか。

「毛利」
 ぽつりと口から零れた名前は、それ以上の言葉にはならなかった。呼び声に応えておもてを上げた男の、人懐こいまるいひとみが、自身をまっすぐに映してゆるくまばたく。「……やっぱ、今んナシや」
「あんね、月光つきさん」
……なんだ」
「さっきの、深い意味やなくて、言うたまんまの意味です」
 わずかに掠れた中低音。
 はっきりと視線が噛み合う。かちり。
「いつになるかまだ全然わからんけど、ふたりでゆっくり過ごせるようになったら。 ちっちゃい庭でもええから、一緒になんか育てたいなぁ思てます」
……、」
「野菜だけやなくて、猫さんと住むとか、盆栽とか、遠征やない旅行とか。 今はなかなかやれへんことも、いつか絶対一緒にやりましょ。……ね?」
 体の横で持て余していた指先を、問いとともに伸びてきた手のひらがそっとつかむ。土がついた手はすこしざらついていて、けれどもひどくあたたかかった。
「わるくない」
 五指を絡めて応えれば、しなやかな腕にぐいと引き寄せられる。呼吸ごと食んで呑み込むような口付けのさなか、頬を掠めた髪からは太陽の匂いがした。