溶けかけ。
2025-06-23 22:41:15
3042文字
Public ほぼ日刊
 

嘘と寝不足、時々デーツナン

初めてのお泊りデートでベッドが一つだった二人のお話。

「そ、そのごめん……ヌヴィレット。まさかベッドが一つしかないなんて思わなくて……
 灼熱の砂漠を越え、遥々やってきたスメールにて。
 フリーナは通された宿屋の一室で打ちひしがれていた。半年前からスメールの草神に連絡を取ったり、宿の手配をしたり、観光地を調べたり……ヌヴィレットとの初のお泊りデートを成功させるべく奔走していた──当日は何の瑕疵もなく出発し、旅は順調だった。その集大成たる宿の部屋がまさか、ベッドが一つしかないという大事件を除いて。
「ふむ……
 横目で盗み見ればヌヴィレットは顎に手を当てて何やら考え込んでいる様子であった。
「ふっ……ふふっ……! パンフレットで見た通り、良い部屋だね。ベッドもふかふかだし! おや? ソファもなかなか悪くないね。──そうだ、ヌヴィレット! 僕、このソファが気に入ったよ。今日はここで眠るとしよう。普段は出来ないことをするのも旅の醍醐味だしね」
 フリーナはヌヴィレットが口を挟むタイミングすら与えないほどの早口で捲し立てるとソファに陣取る。大きなソファは柔らかく、横になっても問題がないように思えた。
「フリーナ」
 ヌヴィレットが物言いたげに名を呼ぶも聞こえないフリを決め込む。渋る彼を半年かけて説得し、こうして旅行に来たのだ。苦手な砂漠を越えてきた疲労を少しでも和らげるためにはきちんとした寝床で休むのが一番だ。そもそも、この状況を生んだのはフリーナ自身である。ならば、当然、その責任を取らなければならない。
 冷や汗を流すフリーナの背後でヌヴィレットが盛大に溜息をついた。

 振り返ってはならない──振り返ったら最後、優しい彼は何らかの打開策を提示してくる可能性があるからだ。
 よって、フリーナはヌヴィレットを無視することにした。何度も読み返して、すっかり頭の中に入ってしまっている情報誌を適当に開き、さも、夢中で周りの声は聞こえていませんよ、という風を装う。背後でもう一度彼が溜息をついた気配がした。しばらくの間晒されていた鋭い視線もやがて感じなくなり、荷解きをする音が聞こえてきてフリーナはそっと安堵の息を吐くのだった。

「まったく……そのような場所で寝て疲れがとれるはずもないだろうに……
 タオルケットに包まり、自身の鞄を枕に体を小さくさせて眠るフリーナを見つめながらヌヴィレットは呆れる。部屋に入ったとき、二つあると聞いていたはずのベッドが一つしかない時点で間違いには気づいてはいた。そのことを指摘しようとすればのらりくらりと交わされてしまい、最終的にはこうして夢の中に逃げ込まれてしまう体たらくだ。
 自らの間違いを認めたくなかったか──そこまで考えてヌヴィレットは首を左右に振った。

 彼女から提案されたスメール旅行。
 初め、ヌヴィレットはフリーナの提案に難色を示していた。砂漠にもデーツナンにも敵意を抱いているヌヴィレットにとって彼の地に足を踏み入れることは自殺行為に等しい。何度も説得され、渋々折れたとはいえ、未だにスメール以外にも選択肢があったのではないかと考える程度には不満も残っている。
 それでも、スメールに来たのは話し合いの度に増える情報誌の付箋の数であったり、実現可能な休日取得数であったり、様々な要因はあったものの、一番は彼女の健康と笑顔のためであった。
 プロ並みの化粧技術を以てしても消しきれないほどの隈と付箋で倍以上に膨らみ続ける情報誌を携えて、自身の元を訪れたフリーナに然しものヌヴィレットも折れた。デーツナンを乾燥剤だとか、抹殺計画かと揶揄したくなる砂漠だとか、そんなことはどうでも良くなるほど、それはもう、ばっきりと。眼の下のどす黒い隈をコンシーラーで隠しきれていると誤認するほど疲弊しているフリーナから情報誌を取り上げ、小脇に抱えるとベッドに放り込んだ。多少の抵抗の後、「手を繋いでくれたら眠る」という我儘を叶え、ヌヴィレットの手を抱え込んで幸せそうに眠る寝顔を見守りながら後悔した。彼女はこれほどまでに無鉄砲な人物であったのか、と。
 恋人という甘い関係を手に入れたとき、ヌヴィレットは不摂生を続けるフリーナの世話係になったという認識であった。故に、デートの誘いもコースも当日の服や髪のコーディネートまで──一任といえば聞こえは良いが、実際には丸投げにしていたのだ。フリーナ自身も不平不満の一つも漏らさずに楽しそうにヌヴィレットの世話を焼いていたこともあり、より真実の発見が遅れたというのは言い訳に過ぎない。眠るフリーナが寝返りをうち、解放されたタイミングでヌヴィレットはマレショーセ・ファントムとクロリンデを召喚し、調査を開始した。
 するとたったの数分でフリーナの努力の証がこれでもか、というほど集められ、執務机を席巻した。一度も被ったことのない誘い文句を考えるために借りたと思しき本たちの夥しいほどの貸し出し履歴に、ディナーやランチで行った店に足繁く通う姿など、例を上げればきりがないほどであった。
「私は彼女に負担を強いていたのか……?」
 思わず呟いた言葉を拾ったクロリンデに据わった目をして「やっとお気づきになられましたか」とそれはもう皮肉たっぷりに言われたことで目が覚めたヌヴィレットは「寝起きに……キミの顔が見られることがこんなに嬉しいなんて思わなかったよ」とふにゃふにゃと緩んだ笑みを浮かべるフリーナの手を握りしめ、誓ったのだ。
 もう二度と彼女をこんな目に合わせないようにしよう、と。

「旅人が言っていた『スパダリ』という境地に達するにはまだまだ程遠いようだ……
 スパダリ、つまり、スーパーダーリン。包容力があり、気遣いの出来る男性のことらしい。
 あの事件から三ヶ月。
 以前よりはフリーナのことを理解し始めてきているが、隠し事に関してはまだまだ彼女に軍配が上がるのが現状だ。
 孤独と隣り合わせの人生を歩んできた彼女にとって、本音を吐露するということは簡単なことではないはずだ。それでもフリーナは不器用に愛を伝えてくれる。ならばヌヴィレットもそれに応えられるようになりたいと考えていた。それはフリーナのためではなく、ヌヴィレット自身のために。

 フリーナを抱き上げ、ベッドへと横たえる。昨夜、部屋の明かりが遅くまで点いていたことは深夜の巡回をしていたマレショーセ・ファントムの面々から聞いている。恐らく、今日のために準備を進めていたのだろう。自身を楽しませようとしてくれる心意気は恋人として嬉しいが早晩、命を縮めるようなことはやめて欲しい。それを伝えるには信頼も信用も不足しているのだが。
「演技の得意な君も、眠っているときだけは偽れないのだな」
 腕に抱かれ、あどけない表情で眠るフリーナにヌヴィレットは苦笑する。その手にはしっかりとヌヴィレットのガウンの袖が握られていた。

 くしゅん、とフリーナがくしゃみをして小さく震える。
 昼間は酷暑と言っても過言ではないスメールも夜の気温はぐっと冷え込むのだ。
 ヌヴィレットはフリーナの隣に滑り込むと華奢な身体を抱き寄せる。
 ベッドは一つで良かったのかもしれない。でなければ、寒さに震える彼女を暖めてやることも出来なかった。
「おやすみ、フリーナ殿」
 安心しきった顔で眠る少女の額に口づける。暖かな温度に包まれて、ヌヴィレットもゆっくりと眠りの世界へと落ちていった。