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千代里
2025-06-23 12:59:25
13497文字
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リーブラ15話
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リーブラの針は問う・15話・その8
ぱしゃりと撥ねる水音に、サルヒは気づかぬ内に閉じていた瞼を開く。全身を包む程よい温もりに、意識が落ちかけていたようだ。
「サルヒさん、眠いのですか?」
「
……
ちょっと、旦那様と夜遅くまで話をしていたから。早く寝たつもりだったのだけれど」
欠伸が飛び出そうになって、サルヒは掌で口元を隠す。同時に、持ち上げた腕からポタポタと水滴が落ちていった。
ニヴェール家の屋敷に到着した、翌朝。サルヒたちは朝食の前に、お湯を湛えた石室もとい浴場に来ていた。朝食の段取りなどを伝えに来た使用人たちが、遠回しに入浴を勧めてきたからだ。
切り出してきたのは使用人からではあったが、彼らがオーバンの差し金であることは疑いようもない。
「わたしたち、もしかして臭かったのでしょうか
……
」
「特段汗をかく気候でもないし、体はちゃんと拭いていたから、言うほど臭うようなことはなかったはずだよ。ただ貴族の目線では、ボクらは身綺麗とは言い難かったのだろうね」
オデットは申し訳なさそうに自身の腕に鼻をつけていたが、ヤルマルはどこ吹く風で少女の心配を笑い飛ばしていた。
オーバンが招いた六人には、全身を洗う習慣が殆どなかった。グリダニアでも、一週間に一度、川で洗濯がてら行水をすれば良い方であったほどだ。
その上、イシュガルドは気候が寒冷である。汗をかく機会も限られているので、然程体が汚れている感覚はなかったのだが、これはオーバンにとっては『信じがたい状況』であったようだ。
最初は客人用の個室に作られた浴室に通されそうになった一同だったが、ヤルマルが「もし三人がまとめて入れる所があるなら、そっちに案内してほしい」と主張したので、彼女たちは地下の浴場に通されたのであった。使用人によると、この大きな浴室は、使用人の中でも表に顔を見せる者が身支度を整えるために利用する場所なのだそうだ。
使用人たちは客をこのような場所に連れてくるなどと、と言って恐縮しきっていたが、石づくりの風呂場は綺麗に磨かれていたし、窓はなくとも灯りが十分に辺りを照らしていたので、オデットやヤルマルには十分整った場所であると感じていた。
かくして、サルヒを含めた女性陣三名は、使用人用の浴室を借りて、のんびりと朝風呂を楽しんでいたのである。なお、男性陣も別の大浴場を借りて汗を流しているようだ。
「ところで、オデット。今日は、どんな予定になっているんだい。また、オーバン卿と何か約束をしているのかな」
「特段言われていませんが、もし時間があるのなら、オーバンさんが管理しているエヴラール家の遺産をまた見せてもらえないかと思っています」
昨晩のオーバンの話を思い出し、サルヒは首を傾げる。
「昨日の夜に、遺産は見せてもらったのではなかったの」
「一部はそうなのですが、中には書物も沢山あったんです。ルーシャンさんは、今までその本に触れる機会がなかったわけですから、好きなだけ読めるように、一緒にいようと思うんです。わたしがいないと、部屋に入れないとオーバンさんが言っていたので、それなら、わたしがいれば問題ないということでもありますから」
オデットの回答に、サルヒは眠たげだった瞳をゆっくりと持ち上げる。ルーシャンにとって、養父が残した書物がどれほど価値があるものか、サルヒはこの中の誰よりも知っていた。
「オデットにとっては顔も知らない父親の遺産でも、ルーシャンにとっては自分の育ての親の遺したものになるのだからね。早々来れる場所でもないし、急いで読みたくなるのも無理ないか」
「はい。わたしは
……
ほんのちょっと退屈ですけれど、その時にオーバンさんからお父さんの話を聞こうかと思っています」
元々、オーバンから父親の話を聞かせてもらうことこそが、オデットの目的だ。ルーシャンが同じ部屋にいれば、万が一のことがあっても彼が味方になってくれる。苛烈なオーバンの気質に苦手意識を持っているオデットにとっては、悪くない案であった。
「それにしても、書物が遺産の一部として残っていたんだね。火事で屋敷が焼け落ちたのなら、本も燃え尽きていそうなものだけれど」
「火災などに備えて、火が入らないように管理された書庫に置かれていたものだそうですよ」
「それはまた不思議な話だね。そんな部屋があるなら、なぜ火災に巻き込まれた屋敷の者たちは、そこに逃げ込まなかったんだろう?」
ヤルマルが口にした疑問に、答えを出せる者はいなかった。オデットも「言われてみれば」と不思議そうにしていたが、
「もっとも、寝ている間に煙に巻かれたら、そのまま意識を失ってしまう例もあるそうだからね」
というヤルマルの言葉に、納得したようだった。
だが、サルヒはヤルマルの横顔に残ったわずかな疑いの残滓を見逃さなかった。それは、かつて、サルヒの主人も見せた疑念と同じものでもあった。
けれども、ルーシャンの疑念は単なる疑問のまま終わらなかった。彼に宿った疑惑は、やがて一つの確信に形を変え、それは復讐の炎へと変化していった。
彼を突き動かすのは、自分の養父とその家族を殺した者への恨みである。今まで、サルヒはそう思っていた。
(
……
だけど、旦那様は、ただ復讐に胸を焦がしているわけではないのかもしれない。私は、そう思って、昨晩彼に私の答えを示した)
自分の肩を揺らす心地よい温度のお湯に身を委ねながら、サルヒは思い返す。
昨晩、ルーシャンを連れ出した後に交わした言葉の数々を。
◇◇◇
「それで、こんな夜更けに話ってのはなんだ。もう遅いんだから、手短にな」
人に聞かれるのは避けたいからと、サルヒはわざわざ部屋から少し離れた場所へとルーシャンを連れ出した。そうは言っても外に行くわけにはいかないので、人気の少ない廊下では密談にはふさわしいと言い難いが、使用人が夜に通らなさそうな道をサルヒなりに選んでもいた。おかげで、先ほどから足音ひとつ聞こえない。
「旦那様。私はイシュガルドに来る前からずっと考えていました。あなたが、一体何を望んで行動しているのかと」
「それはまた大層な話だな。それで?」
茶化すような切り出し方だったが、ルーシャンはサルヒの話を傾聴する姿勢を見せた。
「私は、旦那様と同行し始めたときからずっと、旦那様が
……
大旦那様の仇を討ちたいのだと考えていました。大事な人を傷つけた者がのうのうと生きているのを許せないと思うのは、私にとっては当然の考え方でしたから」
そして、その仇は今もこの館にいる、とまでは流石に言えなかった。人気が少ないとはいえ、直接オーバンの名前を出すのは躊躇われる。
「でも、旦那様は『調べることがある、探し物がある』と言って、この屋敷に招かれた後は各地を巡るばかりでした。それだけを見れば、仇を探しているようにも見えなくもなかったのですが、それはおかしな話です。だって、五年前にあなたはもう、仇を見つけていたのだから」
発言には憶測も幾分か混じっていたが、ルーシャンは「それは違う」と言わなかった。彼の反応が肯定と信じて、サルヒは言葉を続けた。
「だったら、あなたは何を探していたのか。その答えの一端は、あなたがあの日、彼らを襲撃したことで私にも少しわかりました」
言葉を濁したが、サルヒが語った襲撃の被害者は、この屋敷の者
――
ニヴェール家の手の者だ。
今から数ヶ月前のことだ。ルーシャンに、「目をつけていた奴らが動き出した」とだけ言われ、二人で向かった先にいたのは、夜陰に隠れて移動中のチョコボ車だった。
まるで人目を避けるように、素早く、どこか気忙しげに移動していくチョコボ車を、目の前の男は自らの魔法を使って火を放った。
てっきり、そこにルーシャンが望む仇がいるのかとサルヒは想像していた。ついに、業を煮やした彼が強硬手段に出たのかと。
しかし、横転したチョコボ車から逃げ出したのは、サルヒが予想していた者ではなかった。
「あのチョコボ車に乗せられていたのは
……
オデットだった。彼女は襲撃の混乱に乗じて逃げ出して
……
そして、ノエに保護された。あなたは、行方知れずになった何かを探すために、一度ウルダハまで足を伸ばして、探し物を続けた」
「そんなこともあったな。あの時は、俺も焦りすぎていた。まさか、人違いをして、ウルダハくんだりまで足を伸ばしちまうなんてな」
自分の失敗を笑い話にしたものの、ルーシャンは否定はしなかった。自分が襲ったチョコボ車に乗っていた者がオデットであることを、彼はすでに知っている。
「だったら、ルーシャンの探し物はオデットかと私は思った。なのに、あなたはオデットと合流してからも、オデットに何かしようとはしなかった。彼女はあなたのすぐそばにいた。ノエもあなたを信頼していたのだから、あなたが連れ去るのは容易いことのはずなのに」
ルーシャンはおかしげに眉を歪めるだけで、サルヒの言葉の続きを待っていた。
サルヒとしては、どこかで否定してほしいと願っていた推測だった。しかし、事ここに至って引き下がるわけにはいかない。
「あなたは『待っている』とも私に言った。自分の行動の理由は、自分の『夢』にあるとも」
「そうだな。俺は、俺の夢のために行動している」
「あなたが待っている理由が、オデットのことじゃない。だったら、何を待っているのか」
探し物がオデットのことだったなら、ルーシャンが何かを待つ必要などない。だったら彼は何を待っているのか。サルヒにとって、彼の思わせぶりな態度が不思議でならなかった。
今まで不明瞭な発言が多く、おまけに仇敵であるはずのオーバンに跪くような真似までしてみせたから、余計にサルヒは混乱してしまっていた。
けれども、ひとつひとつ整理をしていけば、ある仮定が浮かび上がってくる。
「ルーシャン。あなたの探し物は
……
一つではなかった」
「さっき、お前は俺がオデットを探していたと推理していたじゃないか。それとも、オデットじゃないってことか?」
「違う。オデット『も』、あなたは探していた。だけど、他にも探すものがあった。その探しもののために、オデットも必要だったのか。それとも、もう一つの探し物とオデットは両方必要だったのか。どちらが正解かは私には分からないけれど」
けれども、前者の可能性は高いのではないかとサルヒは予想していた。
オデットが、ルーシャンの養父の実子となれば、彼女の存在が持つ意味合いは大きく変わってくる。ルーシャンが引き継げなかった遺産を、オデットは自らの血を理由に縁者として引き取りたいと主張できる立場にある。それは、十五年前のルーシャンがどうあっても得られなかった権利だった。
「ひとつめの探し物であるオデットは、誰もその所在を知らなかった。だけど、もう一つの探し物の方は
……
すでにずっと前から彼が持っていた。あなたも、そのことを知っていた」
婉曲的な表現を使ったが、それがオーバンを指すのはルーシャンにも伝わっただろう。彼の表情が曇るのは、抑えきれない感情の表れか。
「でも、それを手に入れるにはオデットが必要だった。オデットを拉致した一派も彼の手の者なのだから、その探し物の価値を引き出すのにも、オデットは必要だったのかもしれない。オデットが記憶を失ったのも、それが原因かもしれない」
強硬手段をとられたオデットは、当然、自分を拉致した者に抵抗しようとするだろう。
彼女を無理やり協力させるために、記憶や精神に強く作用する錬金薬を飲ませた。その副作用で、オデットの記憶に蓋がされてしまったのかもしれない。
「ともあれ、オデットと二つ目の探し物は、両方がその場になくてはならない。だから、あなたは
……
彼を釣り出すことにした」
オーバン卿は、自分の手元から転がり落ちていったオデットを探しただろう。
だが、イシュガルドならば己の手先を差し向けられるオーバンであっても、グリダニアまで自分の手のものを大量に差し向けるわけにはいかない。
ノエがオデットを保護した直後に、グリダニアを目指したのは、結果的にオーバンからオデットを遠ざける助けにもなったわけだ。
しかし、ルーシャンとしては、オデットがオーバンの持つ二つ目の探し物から遠ざかり続けるのは望ましくなかった。だから、仇敵であるはずの老爺と連絡をとり、オデットはここにいると伝えたのではないか。
「オーバンはあなたに気を許してはいないだろうけれど、あなた達二人が探している『何か』のためなら、協力するのもやぶさかではないと思っている。それが、あなたと彼が共にいる理由として私が推測したもの」
「なるほどな。確かに、外れている所はない。概ね、お前の言うとおりだ。だが、ひとつだけ明確な答えになっていないものがあるのは、お前も気がついているだろ。それじゃあ、満点は与えられないな」
「
……………
」
指摘を受けて、サルヒは薄い唇を噛む。自分でも、己の推測には一つの大きな欠けがあると気がついていた。
「ルーシャンの探しているものが
……
あなたの夢、なの」
サルヒには見つけられなかった疑問。それは、ルーシャンの探しているものの具体的な正体だ。
探し物はあるとヒントは貰っていたが、具体的な形や、それがそもそも形あるものなのかすらも、サルヒには示されていなかった。そして、サルヒの力だけで、答えには辿り着けなかった。
「そうだな。俺の探し物は、俺の夢にも繋がっている。お嬢ちゃんがその鍵だということは、間違っていない」
「
……
旦那様は、オデットをどうするつもり」
サルヒの一番大きな懸念が、ルーシャンが何もかもに納得して復讐の末に燃え尽きてしまうことであるなら、二番目の懸念は此度の一件で出会った仲間たちのことだった。
もし、ルーシャンが自分の夢のために、オデットを傷つけるようなことをしたら、何が起きてしまうか。
ノエは、彼に武器を向けるのだろうか。そして、ルーシャンは、情に流されて剣を鞘に収めてくれる性格でもないと、サルヒは一番よく知っている。
「答えを知りたいのか?」
「答えてくれるのですか」
今まで、ルーシャンはサルヒの質問を何度かこうしてはぐらかしてきた。意趣返しのような一言に、ルーシャンは苦笑を浮かべる。
「
……
そうだな。悪いが、一晩考えさせてくれ」
てっきり、つれない返事が来ると思っていたサルヒは目を見開く。
表情から何を言いたいか察したのか、ルーシャンは頭に手をやり、気まずさを誤魔化すように白金の髪を掻いた。
「お前が、ただ俺に質問だけをしてくるようなら、こうは言わなかっただろうよ。だから、サルヒ。俺にこう思わせたのは、確かにお前が勝ち得た成果だ」
「それでも、全ては明らかにできませんでした」
「そこで全部お見通しになったら、俺の立つ瀬がない」
一息吐いて、ルーシャンは壁へと背を預けた。
サルヒの投げかけた小石は、確かに波紋を生んだ。その波紋が生み出した成果が、今こうしてルーシャンを悩ませている。
「旦那様。ここで終わりにするという考えは、ないのですか」
「
――
それはない」
「では、あなたは何を悩んでいるのですか。オデットを自分の夢に巻き込んでいいか、ためらっているからではないのですか」
ここから先は、筋道だった推理ではない。理屈を全てすっ飛ばした、単なる感情論だ。
こうであってほしいという願望が大いに混じった懇願でもある。しかし、必ずしも願望ばかりが論拠というわけでもない。
「俺が、悩んでいる?」
「そうでしょう。もし、あなたに何も躊躇がないのなら、私に示唆などせずに、自分の思うままに突き進んでいたはず。オデットを見つけたときに、早々に手筈を整えて、あなたの夢を叶えていた。そうではありませんか」
普段は滅多に口を動かさないサルヒは、この時ばかりは湧き上がる感情のままに言葉を発する。ルーシャンに隙を与えては、彼の言葉に躍らされてしまうと彼女は長年の付き合いから理解していた。
「あなたが早々に行動しなかったのは、あなたがオデットと
……
ノエたちと過ごす日々を惜しんだからではないのですかっ」
叩きつけるような一言だった。
こればかりは彼の心に響いてくれと、祈るような一言でもあった。
ルーシャンの瞳が見開かれる。しかし、彼は返事をしなかった。
先ほどまで余裕を持って浮かべられた笑みは消え、代わりに口角が下がる。一本に引き結ばれた唇から、常のように飄々とした物言いは出てこない。
「あなたが私の言葉をはぐらかしたことそのものが、私はあなたの迷いだと感じました。もし、そうでないというのなら、あなたの示唆の理由を今ここで説明して、私を納得させてみてください」
「
…………
」
「お願いです、旦那様」
最後の言葉は、追及ではなく縋るような物言いになってしまった。
ルーシャンが、何を考えているか、その全容をサルヒはつかめなかった。だが、彼は決して「サルヒが心配しているようなことではない」とは言ってくれなかった。
オーバンは、自身の利益のために行動できる貴族らしい貴族だ。彼がオデットを求めた理由が、単なる気まぐれなどとは思えない。
(きっと、何かよくない変化が起きてしまう。旦那様にとっては、その変化の先に叶えたい夢があるのだろうけれど)
だが、彼が夢を叶えた裏側で、オデットやノエが傷つくようなことがあるのかもしれない。彼らが別れ別れになる未来があるのかもしれない。サルヒには、そのような場面を見ても、素知らぬ顔ができるなどとは、もう言えなかった。
ルーシャンは答えない。沈黙を維持したまま、感情を極力殺した表情で、サルヒを見つめるばかりだ。
「
……
旦那様。答えていただけないのですか」
「その回答にも、少し時間をくれ」
「旦那様!」
「お前の願うこともわかる。俺も、何も喜んでお嬢ちゃんや若人に黙っていたわけじゃない」
「では、それなら
……
」
「だけど、俺にも諦められないものがあるんだ。たとえ、ただの俺の意地だとしても、こればかりは簡単に譲れるもんじゃないんだよ」
これ以上は平行線を辿ると分かったのだろう。ルーシャンは軽く空を切るように手を動かし、「話は終わりだ」と言い切ると、踵を返した。
もう遅い時間だ、と付け足された言葉は、彼が発する言葉としては、あまりにも言い訳くさかった。
◇◇◇
(結局、帰ってからもなかなか寝付けなかった
……
)
まだどこか眠りの中に置いてきたような頭に、ざばりとお湯をかける。
サルヒがのんびりとお湯に浸かってふやけている間に、オデットもヤルマルも湯から上がろうとしていた。置き去りにされるのも嫌だと、サルヒも慌ててその後を追う。
オデットの背中を無意識に目で追ってしまったのは、昨晩のやり取りが尾を引いているからであるのは、サルヒ自身重々承知していた。
***
「サルヒさん、眠そうですね」
「
……
起きたばかりだから」
階段から足を滑らせないよう、手すりを使って慎重に降りていく。つい十分ほど前までソファを借りて眠っていたサルヒは、寝不足ではなく寝起きから生まれる眠気に襲われているところだった。
朝食を食べたあと、予定通りルーシャンを連れて再び遺産を見せにもらいに行ったオデットとは別行動となり、サルヒはノエたちと共に行動していた。具体的には、昨晩ヤルマルたちが親しくなったというティエリーの弟であるセルジュアンの元を訪れていたのだ。
セルジュアンは兄の客人にすっかり夢中になっており、家庭教師の指導すら一時的に中断して皆の語る話に夢中になっていた。
もっとも、彼はただ冒険譚に夢中になっていたわけではない。ノエたちが見聞きしていたイシュガルド国内の情勢を詳しく聞きたがる様子は、幼い彼から感じた為政者の片鱗でもあった。
午前はセルジュアンの部屋で時間を潰した一行は、屋敷の反対側にいるオデットたちと玄関で集合しようと、こうして玄関ホールにつながる階段を降りているのであった。
「オデットたちは、午後はどうするんだろうね」
「というよりも、そろそろ彼女への用事が終わるのはいつになるのか、確認をするべきだろう」
ヤルマルの何気ない一言に、オランローが警戒が滲んだ言葉を被せる。
彼のいう通り、オーバンの目的は今のところすでに達成されているように見える。
エヴラール家の最後の一人であるオデットに、オーバンが管理している遺産を提示し、今後の利用方法について何らかの合意をとる。オデット曰く、それについてはすでに一つの結論が出たらしい。
「オーバンさんに会ったら、そのことについても確認しましょう。ああ、オデット。僕たちはこっちだよ」
話をしながらも、廊下は玄関ホールに入ってきたオデットを見つけて、ノエはひらひらと手を振ってみる。彼に気がつき、オデットはぱっと顔を輝かせて走り寄ってきた。
「オデット、お疲れ様。オーバンさんから話は聞けたかい」
「はい。昔のお話をされている時は、オーバンさんも楽しそうにしていましたよ」
「あの方が? 何だか意外だな」
「オーバンさんにとって、お父さんはそれだけ古い付き合いの方だったみたいです。二人でこっそり家庭教師の悪口を言っていた話なども聞けました」
オデットの元気そうな笑顔に、ノエも笑みを返す。
どうやら、オーバンと話している間に酷いことを言われるような場面はなかったらしい。ルーシャンから昨晩は剣呑な雰囲気になったと聞いていたので、ノエは内心でほっと息を吐いていた。
「ルーシャンは、お父さんの遺した本は読めたのかい」
「主要なものは大体な。いくら俺でも、流石に百冊以上の本を一日二日では読めないさ」
ヤルマルに話しかけられ、肩をすくめてみせるルーシャンは、口ぶりとは裏腹に満足そうではあった。オデットに「ありがとうな」と話しかけている彼の様子は、普段通りそのものだ。
(昨日はあんな話をしたのに
……
)
ようやく眠気から解放されてきたサルヒは、じっとルーシャンを見つめる。視線に気がついているはずなのに、ルーシャンはこちらを見ようとはしなかった。
その態度に不満とも寂しさとも思えぬ感情を抱きながら、サルヒは一歩を踏み出す。
夜の約束を忘れていませんよね、と一言問いたかった。オデットといた時、あなたは何を考えていたのですかと尋ねたかった。それらの質問をここでしては、二人で話した意味がないとわかっていたけれども、喉の奥まで言葉が出かかったとき、
「あっ」
オデットの声に、サルヒの問いかけは霧散する。彼女が驚きの一言をあげた理由は、別の廊下から姿を見せた人影が原因だった。
「お兄ちゃん! こちらに到着していたんですね」
「ミラベルさん、ご無沙汰しています。シュガーグレイヴの方はもう落ち着いたのですか」
旅装のローブに身を包んだ、見覚えのある銀髪の青年が、廊下から玄関ホールへと姿を見せる。オデットは見慣れた昔なじみの姿に、一目散に駆け寄った。一同も、遅れてその後を追った。
「二人とも、元気そうで何よりです。先ほど、漸くこちらに到着したところだったのですよ」
「それにしては、随分と早い到着だね。シュガーグレイヴからここまで、ボクたちは七日はかかったというのに」
「すぐに出立できなかった分、チョコボを急がせましたから。おかげで、くたくたです。お昼は少し休ませてもらおうとお願いしていたところだったのですよ」
苦笑いを浮かべるミラベルの顔には、確かに疲労の色が濃かった。孤児院の引き継ぎが一朝一夕で終わるとは思えない。そうなると、彼は、ノエたちの倍以上の速さで追いかけてきたのだろう。
「無理に急ぐ必要はないと言っておいたが、聞くような男ではないからな。もっとも、この場合は良い時期に来たと言うべきなのかもしれぬ」
嗄れた声の主はオーバンだ。従者の開いた扉から姿を見せた彼は、今日も変わらずに気力に満ち溢れている様子だった。
「途中で席を外してどこに行ったのかと思ったら、そっちの兄さんを迎えに行ってたのか」
「ああ、そうだ。此奴も私にとっては客人であることに違いない。シュガーグレイヴがどうなったかも、聞いておかねばならなかったからな。現地にいた者の言葉は重要だ」
「オーバンさん、部屋の扉は閉めたら自動で施錠されました。ちゃんと確認しておきましたよ」
ルーシャンの口ぶりから察するに、オーバンは中座してミラベルを迎えに行っていたらしい。オデットは施錠の確認を彼から頼まれていたようだ。
鷹揚に一度頷き、オーバンはその場にいる面々をぐるりと見渡す。折しも、ここには、ミラベルを含む客人の七名が全員揃っていた。
「ちょうどいい。全員が揃っているなら、ここで伝えておこう」
彼の一声は、人の目を惹きつける凄みがあった。上に立ち、命令することに慣れている者の言葉でもあった。
「今朝、私の元にあるものが到着した。それは、エヴラール家当主が遺した最も重要な遺物である。迂闊に人前に出すわけにも、屋敷のように人の出入りが激しい場所に置いて盗まれる訳にもいかぬため、私と一部の信頼できる部下のみが知る場所で、密かに管理していたものだ。だが、ここに当主の血を引くものがいる以上、隠しておく訳にもいかないと判断した」
突然告げられた内容に、当の本人であるオデットすら困惑しているようだった。彼女のもの言いたげな視線を無視して、オーバンは続ける。
「オデット。お前には、あれに触れる権利があるはずだ。私は、この瞬間を長らく待ち望んできた」
「それでは、今晩もわたしとルーシャンさんと二人きりで、お部屋に向かった方がいいでしょうか」
「いいや。その際は、お前たち全員の立ち会いを許そう」
昨日は頑なに部外者を追い払おうとした者の発言とは思えなかったが、気が変わる前にと、オデットは素直に「ありがとうございます」と返していた。
しかし、サルヒはオデットが安堵している傍らで、ルーシャンの顔によぎった翳りを見落とさなかった。まるで、オーバンが誰かに遺産を見せるのを嫌がっているかのようにも見えたが、彼の影はすぐに消え去った。残ったのは、サルヒにも見覚えのある諦念混じりの微笑だけだ。
「オーバン卿。僕たちをその場に立ち会わせてくれるのは、大変ありがたく思います。ですが、ご家族の方は立ち会わなくてもよろしいでしょか」
ノエが気にしていたのは、自分が昨晩話したベリトアや、これまで世話になったティエリーのことだ。息子の妻や幼い孫たちはいざ知らず、彼らは家に関する話に立ち会う権利を持っているはずだ。
しかし、オーバンは首を横に振った。
「これは、あくまで私とセレスタン・ド・エヴラールとの話であり、我が血族とは縁のないことだ。よって、我が息子や血族の立ち会いを私は許さない」
「そうですか。
……
分かりました」
オーバンの論を元にするならば、ノエたちもほぼ無関係と言ってもいい。だというのに、なぜノエたちは参加を許され、息子や孫は除外されたのか。
疑念は残るが、下手な質問をして老爺の機嫌を損ねては元も子もない。ノエにできたのは、ただ頷くことだけだった。
「では、私は準備を進める。ミラベル、お前も来い。お前とは、他に話すこともある」
「分かりました。オデット、また後でな。皆さんも、後ほどお話ししましょう」
ミラベルはさっと短く一礼すると、すでに歩き出したオーバンの後を追った。
残された面々は、突如言い渡された夜の会の情報を消化しきれず、未だにどこか狼狽の気配を残していた。
「オーバンさんがわざわざ遠くに隠していたってことは、すごく大事な遺産ってことですよね。一体何なのでしょう
……
」
「たとえそれが何だったとしても、オデットが不要だと思うのなら、無理に全てを背負いこむ必要はないよ」
不安げなオデットを真っ先に励ましたのは、ノエだった。
「エヴラール家の最後の当主は、確かにオデットの父親なのかもしれない。でも、だからといって、オデットがお父さんの責任を引き継ぐ必要はない。ルーシャンさんも、そう思いませんか」
エヴラール家の遺産を望むのは、むしろルーシャンの方だろう。彼ならば、自分に任せておけと言ってくれるのではと、ノエは期待を込めてルーシャンへと話題を振った。
だが、返事はなかった。
「
……
旦那様?」
数拍遅れて、サルヒがもう一度問いかける。
「ん? ああ、いや
……
悪い。少し別のことを考えていた。何か言ったか?」
「
……
いえ、大したことではありませんから。オーバンさんが何を見せてくれるのか、という話をしていたんです」
「その件か。まあ、そこは蓋を開けて見なきゃ分からないだろう」
「ルーシャンの言う通りさ。たとえ、とんでもなく高価ななお宝だったとしても、使用用途不明の遺物だったとしても、オデットが要らないなら断ればいい。欲しいと思うなら、そう言えばいい。それだけの話さ」
ぱんぱん、と軽く手を打って、ヤルマルは気詰まりな空気を緩める。
「さて、それよりボクは今日の昼食が楽しみでね。やれやれ、この宿泊が終わる頃には、ボクの舌はすっかり貴族様の味に慣らされてしまいそうだよ。そういうわけで、食事の部屋に案内してくれるかい?」
ヤルマルが呼びかけたのは、オーバンが残していった従者だ。今まで影のように沈黙に徹していた男は、粛々と一礼をすると、一同の先頭に立って案内を始めた。
ノエに連れられて、オデットも彼の後をおう。数時間ぶりの兄妹の会話を楽しんでいるのか、足取りは軽い。その後を、オランローがルーシャンの軽口を聴きながら追う。
サルヒもまた、彼らの後に続こうとした時だった。
「サルヒ。ルーシャンに、何かあったのかい」
「
…………
」
「お父さんの秘蔵の遺産を見せてもらえるというのに、あまり嬉しそうには見えなくてね。サルヒ、何か君には思い当たることがあるんじゃないかい」
ヤルマルからの問いを受けながらも、サルヒは回答の代わりに別の部分に思考を割いていた。
思い出すのは、昨晩の会話だ。自分がルーシャンから満点をもらえなかった理由は、彼が探し求めていた二つのもののうち、一つが何かが分からなかったからだ。
一方で、彼は探し求めていた一つがオデットであることを否定しなかった。オデットと、もう一つの探し物が揃って、ようやく意味があるという推測を受け入れていた。
(オーバンが持ってきた遺産が、旦那様がずっと探していたものなら、辻褄は通る。旦那様は、オデットをわざとオーバンに託すことで、彼しか知らない場所に隠されたもう一つの探し物を引き出そうとしたんだ)
だが、それならルーシャンにとって現状は望ましい状況のはずだ。二つが揃うことで何が起きるかは分からないが、ルーシャンが十五年間望んだ瞬間が、今晩にも訪れることになる。
「
……
旦那様が手放しに喜んでいないことは、私にも分かる。でも、旦那様が考えている全ては、私には分からない」
「うーん、長年の付き合いである君がそう言うのなら、ボクの推測はきっと外れているだろうね」
「ヤルマルは、どう推測したの?」
先を行く面々の背中は、どんどん小さくなっていく。その殿にいる男の背中を見つめ、彼女は言う。
「なんだか、故郷で護人だった頃のボクみたいだなって」
「あなたが、お兄さんの真似をしていた頃の話?」
「そうだよ。ボクの嘘は、最初はたった一人の人間の気を引きたくて始めたものだった。もちろん、褒められた話じゃないのは分かっていた。だけど、止められなかった。その人に止めてほしいようにも思っていたし、やっぱり気づかないでいてほしくもあった」
相反する二つの感情に板挟みにされ、揺れる気持ちを騙し騙し生きていた。
その時の自分が浮かべた表情は、よく覚えている。頻繁に水鏡を覗き込んで、己の姿が兄に見えるかを確かめているうちに、自然と目にしていたからだ。
「ルーシャンの顔が、何だかその時のボクに似ているように思えてね。でも、やっぱり気のせいかもしれない。彼にとっては、長年目にできなかった父の財産に触れるんだ。少しぐらい戸惑っていても、不思議じゃない」
「
……
うん」
ヤルマルの話を聞いても、サルヒの懸念は晴れない。一晩考えたら、彼は答えを言うと話していた。
その約束は、まだ生きていると信じている。
今晩、遺産を見せてもらって、その後にルーシャンはサルヒに、一つの答えを見せてくれるはずだ。自分の考えを隠すか、教えるか、そのどちらかは分からなかったけれども。
「そろそろ行こうか。ボク、もうお腹ぺこぺこだよ」
「ええ。私も
……
腹が減っては戦はできぬ、と言うから」
「それ、東方の格言だっけ。全くもってその通りだよね」
うんと背伸びをして、ヤルマルは皆の後を追い始める。サルヒも、体の内をぐるぐると巡る言葉にしがたい塊を一度遠くに押しやって、遠くに見えるルーシャンの背中に向かって歩き始めた。
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