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月見
2025-06-22 16:06:35
7475文字
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晋りょ
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壱
島が、在った。
何処とも知れぬ大陸の、その一角の一角。本土と呼ばれる陸地の海岸から容易に視認できる距離にごろりと浮かぶその島。あらゆる者の入島を禁じられた無人の廃墟だけが残っている、はずの島。
陸から伸びる数キロにわたる橋が繋ぐその島は、無秩序に、乱雑に、ひしめくように大小様々な建築物が打ち建てられ、朽ち果て、また建てられた灰色の迷宮のような島だ。
島を覆うのは乱雑に聳える廃墟のような建物群で、中心に向かって徐々にその高さが、古いものの上に無理やり新たなものを打ち建てて背丈ばかり高くなった灰色が連なっている。
そして、その中心には当たり前のようにほかの何よりも高い幾つものビルの集合体のような城が、まるで天を貫く塔の如く突き出している。
歪な島だ。かつて数多の人間が、企業が、果ては政府が財を求めて群がったその島は、美しい輝石でもあり、未知なる新物質たる輝きが唯一採掘される場所だった。
採掘に、研究に、加工に売買に、その賑わいを利用した開発、観光、利権にと人々が押し寄せたのは果たしてどれほど前の話か。
そんな新発見に世が沸いてからほどなく、その赤いきらめきは齎す恩恵以上に危険なものであることが判明し、其れにまつわるあらゆる活動が禁じられたのだ。
採掘も、研究も加工も売買もなにもかも、島ごと封じられた。紅に汚染されているだろう採掘者を始めとする島民たちごと。そうして、今は虚しく閉鎖され、汚染された人々も息絶え朽ち果て無人となった、その、はずだった。
しかし人間の欲というものはそう簡単に消えるものではない。
少々の危険性など、土地や動植物への害など、美しさと齎される富と比べれば些事たることだ。
未だ赤い輝石を求め多額の富を差し出す者は後を絶たず、需要があるということは手段を選ばず供給しようとする者も現れ続けるということ。
閉ざされたはずの島には未だ多くの人間が、勢力が蠢き、閉鎖を謳った法の範疇外の理屈で回っている。
世界の表裏、影日向を問わず、それこそ島を封じた政府側すら入り混じった欲望が注がれる島は今日も無法の元、冷たく乱れた秩序で以て派閥を作り上げ時に争い、時に血を流しながら退廃に哂って生きているのだ。
そんな島の勢力争いに、この一年で大きな動きがあった。大小様々、それこそ無尽蔵に湧いては消えを繰り返してきた派閥が徐々に統合され凡そ一強になると思われた頃のこと。
突如現れた新興派閥が破竹の勢いで勢力を拡大し、島内の利権を手中に収め始めていた。
『紅』と呼ばれるその勢力はいつしか当初一強だった『黒』と呼ばれる勢力に並び、今やむしろそれを凌ぐほどの勢いを見せている。
そうして一年、島を凡そ東西に分ける形で二分し、出来上がった黒と紅の二色で塗り分けられた。
しかし島の大半が黒紅どちらかの傘下となった現状においても、やはりどちらにも与さない、あるいは与する空白の立場というものは存在する。
あくまで凡その区分けである勢力図は二色が互いに近づくほど複雑に入り組み、混ざり合いさながら斑となっていた。
そうやって、時に紛争地域であり、時に緩衝地域でもあるラインがまるで黒と赤で作られた斑色の帯のように島に引かれている。
その帯の、片隅。緩衝地帯である一角に、『店』は在った。
薄く淀んだ空、灰色の雲間から細く陽光が差し込む昼日中、人通りも、潜む人間の気配も無い隙間のようなひと時に、白い指先が鈍く煤けたドアノブを捻る。
朽ちていたものを一応は補強したらしい木製の扉がぎしりと軋んだ音を立てるのを誤魔化すように、扉の上からリリン、と鈴の音が鳴った。一応、ドアベルらしい。
ドアノブを握る人物は開いた入り口をくぐる前に今一度場全容を見回した。
緩衝地帯の片隅、その一応メイン通りと言えるだろう通りから一歩裏に入った路地にそこは在った。
シミと罅が彩る乾いた泥色の壁。恐らく元々なにか店舗か、事務所を用途としていただろうこじんまりとした建物。
左右、後方と此処よりも背丈のある建物に埋もれるようにひっそりと佇むそこは、看板も何もないが確かに今も営まれている『店』だった。否、正確には営まれ始めた店、だ。
ふぅん、尖った鼻先がまるで品定めでもするようにあちこちに向き、すぐに外観には飽いたように屋内へと向けられた。
一歩、踏み出される足。それを後から追うように三つ編みに編まれた長い赤毛がふわりと揺れた。
鈴の音では誤魔化しきれない音を立てて扉は閉まる。汚れ、罅の走る壁がその振動を受け止めて。
そんな壁の片隅にぺたりと丁寧に貼られた紙。尋ね人の告知と、その更に脇に今にも剥がれ落ちそうな『万事屋』の小さなステッカーがびょうと吹き抜ける風に晒されていた。
そうして足を踏み入れた店で、男は小さな卓を挟んで店主たる青年と向かい合っていた。
お互い、年季の入った皮張りの一人がげソファに腰を下ろしている。
来客たる男は腰を越える長さの赤い三つ編みを肩から前に垂れ下がらせ遊ばせソファにふんぞり返った。拍子にちかりと耳たぶを彩るオニキスが光る。
男の装いと言えば、細身を際立たせる黒いインナーと、それをむしろ活かしつつ頼りなさを消し去るように品と貫禄を強調して纏う、大きく前を開けた深緑をベースとした長袍姿。まあるい色付き眼鏡の奥の紅色が店主を見定めた。
そんな薄黄緑の視界の向こうで、店主はにこりと柔和に微笑む。人好きのする、さりとてそれだけではない裏を感じられるのは店主の本質が滲んでいるのか、はたまたこの場所の雰囲気がそうさせているのか。
「やあ、いらっしゃいませ」
改めて、とばかりに歓迎を告げる声はやはり穏やかだ。
前髪を上げ、背に届きかける長さの黒髪を一つに括った、白い羽織の男。羽織の中といえば、奇しくもこちらと合わせたような濃い深緑の長袍だが、耳に指に首元に、あれこれと飾りをつけているこちらと比べてまっさらなままだった。替わりとばかりに己の白い手と対比のようにその手は黒い皮手袋に覆われている。
この場に第三者が居れば、装いや髪色、諸々を総合して紅と白の二色が対峙している印象を受けたかもしれない。
その二色を、ぼんやりとした橙の間接照明が店内の様子と共に照らしている。
いらっしゃいませ、の声掛けにはすぐに応えず、紅い目が店主と店主が背負う店内をぐるりと映し出した。
目立たず地味な外観と比べて、古今東西の雑貨や地図、なんらかの測量器具などが雑多に見えてそれなりに整頓されてあちこちに置かれた派手な設えと言える。
右、中央、左と順に見回し、最後に部屋の片隅の観葉植物が証明を受けて橙に彩られているのを確認し終えてようやく店主と目を合わせながら、薄い唇が皮肉気に弧を描いた。
「コレ、吸っても良いかい?」
言いながら、懐から螺鈿に彩られた煙管を取り出す。
「ええと」
相手の顔が微かに淀む。ズカズカと押しかけたと思ったら声掛けを無視し、挙句挨拶や来訪の要件より何より先に喫煙について切り出す不躾さにだろうか、それともまた別の何かにだろうか。
人良さげに澄まされた顔が僅かにでも動きを見せるのは、なんとなく気分が良い。
さてどう言われるかな、と返答を待てば、こちらの焦らしとは逆にすぐにその口は開かれる。
「禁煙ではないんだけれどね」
返答を待ちつつ、行動自体は既に煙管に火を入れようとしている有様の相手に対し穏やかに、少しだけ困ったような声が投げ返された。
「身体には、良くないんじゃないかな?」
柳眉を八の字にして微笑むその言葉は大半が労わりで出来ているようだった。そんな声に、カチン、と目の奥で小さく火花が散る。苛立ち、だった。
紅い男はかつて肺が弱かった。そう己の身体について記憶している。いつしか支障は無くなってはいたが、まるであれこれとままならなかった時代を見透かされたようにも感じ、一瞬眉間に皺が寄りそうになる。
そんな己とそうさせた相手に舌打ちしたい気持ちを押さえてにこりと笑い、言外に止めてくる声に構わず火を落として煙を吸い込み、肺を満たして。そして、吹きかけてやった。「ん」と引かれた顎、顰められた片目に胸がすく。
「喫煙可はありがたい。さて、本題に入ろうじゃないか」
なあ『情報屋』さん。ケタケタと笑ってやった後に一段前のめりに腰を落として見上げてやれば「一応万事屋なんだけどね」と喫煙も煙の件も咎めずに肩を竦めるつまらないリアクションだけが放られる。
「なんでもやる情報屋、だろう? 『白い竜』の異名を頼って来たんだ、つれないことを言うもんじゃないぜ」
鼻で笑って切り返せば、男は、万事屋にして情報屋の顔を持つこの店『白』の店主、『竜』と呼ばれる男は穏やかな苦笑いと共に「それは失礼」と身を引いた。
さてこれは一つ勝ちを得たと言えるだろうか。別に勝負をしていた訳ではないけれど。一瞬逸れた思考は置いておいて、宣言した通り本題に入る。
「知りたいのは一つ。『黒』の親玉の直近の居場所だ。掴んでいるんじゃないかい?」
ソファの肘掛けを支えに拳で顎を支えて竜の目をねめつける。新たに一口、吸った煙は程よく甘い。
色硝子と立ち上る煙越しでも分かる澄んだ黒い目が驚いたようにぱちりと瞬かれるのを見た。
「いやいや、流石にそんな大物は早々掛からないよ。黒も紅も、統領の名前だってほとんど出回ってない。特に黒は昔からその辺りの守りが固いのは、島で暮らしているなら知っていると思うけど
……
」
ことりと傾げられた首。結った黒髪がさらりと一房垂れる軌跡を見やりながら、お手本のような普通の答えを鼓膜に流し込んだ。
「まあね。だからこそ君のような情報屋に頼んでるんだ」
素人や有象無象よりは知ってることはあるんだろう、と追及は止めない。紛争と紙一重の緩衝地域でひそやかに名が知れるくらいの商いをしているのだ、「知らない」「出来ない」を素直に受け止めなど誰がするものか。
ん? と煽るように笑い、吸い口を噛む。きしりと犬歯が鳴った。
白い竜たる男は参ったなと頬を掻く。装いだけならそれこそ一つの派閥を束ねていても可笑しくない華を持っているのに、仕草はどこか垢ぬけない素朴さを持っていた。
竜は本当に手持ちは無いんだよ、と言い重ねるように口を開く。
「どちらの陣営も美味しい情報は出回ってない、とはいえ、『紅』の方は勢い故の隙なのか、もしくは敢えてなのか通称は知る人には知られているけれどね」
「ああ、目立ちたがりって評判だしな。後はまあ、敢えて見せてる隙で、釣り餌かな?」
「かもしれないね」
話題が『黒』から『紅』へと移る。新興勢力である『紅』のトップはまだ若く、派手好きで、やり口が大味過ぎて取りこぼしも出がちだ、と。
そんな相手の意図の推察を見せれば白い竜はそっと目を細めて頷く。思案か、どこか回顧しているように感じるのは何故だろうか。
仕草にしろ紡ぐ言葉にせよ一々裏を探りたくなる男であり、探って、けれど読み切れない。中々の手合いであることは確かだった。
幾つか『紅』に関して巷での噂と店主の認識の擦り合わせめいた会話を交わして。
合間にぷかりと吐いた煙で輪を作れば「わぁ」と場にそぐわない呑気な感嘆を寄越す。
脱力と警戒を同時に抱かせてくる男に、やはり無性に胸が騒めく。もっと、もっとこの男からあれもこれもを引き出したい、そんな気持ちが湧いてくるのだ。
やはり面白い。と自身の胸の内が不本意に乱されるのを含めてほくそ笑む。店と店主の前情報が妙に気になり、わざわざ来た甲斐があった、と未だ本題が進まない状態で思った。
演出に作るものでなく口元が緩みかけるのをずれた色眼鏡を直す仕草で誤魔化して。
「ああすまない、それで『黒』の方だけど、正式に依頼をということなら報酬に応じて勿論出来る限りは頑張らせて──」
応酬が止まったのを逸れた話題への抗議と取ったか、再び『紅』から『黒』に話を戻して商談に入ろうとする声がふつりと途切れる。
竜たる青年が意図したことではない。こちらが、滑らかに紡がれる言葉を遮って切り出したからだ。
「白い竜がお宝を探してるっていうのは本当かい?」
無粋に突き付けた問いに、眼前の顔が固まる。ぴたりと、息を呑むようにしてこちらを見て、動かない。
ああ、これはまた随分と分かりやすい。先ほどまでと大違いさに、背を駆けあがる何か。
部屋の照明は変わらないはずなのに彩度が一段落ちたような心地すら覚える。
「なるほど、ああ答えなくて良いよ、その反応で十分だ。うん、多分僕は君の探し物を知ってるぜ? きれいな、それこそこの島で獲り合ってる石みたいに綺麗な赤い眼の
……
」
「──ッ」
反応は先程よりも鮮やかだった。明確な動揺と焦燥とに肩を揺らし立ち上がりかけた竜が、伸ばそうとした手。
無粋だと感じてしまう黒い皮手袋越しのそれを握る。握って、卓を身を乗り出し、挟んだ相手を幾ばくか引き寄せて。
「なあ、僕たち良い商談が出来そうじゃないかい?」
衝撃にずれた色眼鏡。薄黄緑の膜越しでない黒灰の瞳がやはり強い輝きを宿したまま揺れて伏せられる。
「そう、だね。依頼、受けさせてもらうよ」
伏せて、今一度ゆっくりと見開かれて。密度のある睫毛が揺れるのを眺めながら崩れた体制を立て直すようにお互い立ち上がる。
こちらの素手と、ひんやりとした黒手袋越しの握手。やわく握り返してくる手をさらに強く握ってやれば、その力に幾らか痛むだろうに今度は眉一つ動かさずにこやかに笑う男を可愛くないな、と思ってしまった。
「
……
細かい話はそうだな、折角だし酒でも酌み交わしながらしようじゃないか。三日後なら僕も大分身体が空く。僕の仕事場に来たまえ、歓迎するとも」
握り合う手を離してニッコリと笑う。断ることなどさせない。依頼を受けるといったのはそちらなのだから。
「で、来てもらう場所だが
……
紙とペンあるかい?」
まだ頷きも諾の声も上げていない竜を置いて話を進める。とはいえ此処で断る気は無いらしい、言われるがまま筆記具を寄越す相手に浮いた気分は浮いたまま、サラサラとメモを書きつける。やたらに可愛らしくデフォルメされた蛙が印刷されたメモ用紙だった。
柄を気にすることなく書き記したのは簡単な位置情報と、少しばかりの手順。
はい、と白く細い指がメモ書きを渡した先で、受け取って読み終えただろう相手がふむと小さく息をつく。小さな紙の端から端まで黒灰の視線が滑ったのを確認した上で、紅い三つ編みが揺れた。
「ぁ、」
黒に覆われた手からそのメモ書きを取り上げ、「覚えたかい?」と問えば、「まあ、大体」と返される。大体と言いつつ綺麗に暗記くらい出来ているだろう。そう確信の元に決めつけた紅い眼がひんやりと細められ、煙管の火入れにも使ったライターでメモを、焼いた。
火をつけた途端、小さなメモ用紙など一瞬で燃え落ちる。つまむ指先を炎が舐めるより前に卓に落とせば赤瑪瑙だろう天板の上でチラチラと炎に巻かれて踊り、朽ちていく。
ついでとばかりにその火に吸い終えていた煙管の灰も落として小さく揺れる光を見下ろした。
いくら非可燃性の材質とはいえ直火を落とすものではない。暴挙といって良い振る舞いに、しかし更なる上乗せとばかりに微かな残り火の始末とばかりにダンッ、と足が乗せられる。
靴底で念入りに踏み消され、燃え殻未満の灰がこびり付いた卓とそれを成した相手を順に見やる白い男を、色硝子に覆われて紅が隠された目が愉し気な視線で射貫く。
「楽しみに待ってるよ」
不遜な挑発、純然たる高揚の暴走、なんとでも取れる、薄く紅に染まった頬と爛々とした光を帯びた目に、竜と呼ばれる男は逆鱗でも何でもないとばかりに受け流して微笑み返してきた。
「ああ、お招き感謝するよ。紅の、麒麟さん」
そうして意表を突かれたのはこちらの方となる。危うく揺らめいていた目がきょとんと見開かれて獰猛さすらあった網も消える。
そうして生まれた空白と沈黙が、一瞬、二瞬。次いで店内に満ちたのは弾けるような歓声で笑い声だ。
「アッハハハ! いや人が悪いな君は。なんだい分かってたなら言いたまえよ! まあ確かに依頼するってのに名乗りもしなかったのは僕だけどな」
けらけらケタケタ、腹を抱えて笑い手を叩く。彼なりの意趣返しだっただろう返しにこの反応は想定外だったのだろうか。「ええと」と僅かに身を引くつれない様にようやく笑い声を収めて九の字に折った半身を起こす。
ああ面白い。そう、『紅』のトップであり麒麟と称される男は最高の気分で自身の正体を看過した相手を見た。丸い色付き眼鏡が照明を反射してどこか妖しく光る。
「君を持て成すのが楽しみだ」
「はは、それは、どうも」
心なしか引き攣って見える笑みに麒麟はにんまりと口角を上げ、ああそれと、と付け足した。
「悪くは無いが所詮周りが勝手に付けた通り名だからな。それじゃなく一応「晋作」って名前がある」
君ならこっちで呼んでくれて良いぜ? 破格の情報開示と許容をしたのはノリと勢いと、その勢いに任せるべきだと思わせる何かを目の前の男に感じたから。
自分では自覚し難い程度に情緒の起伏が増している紅い男に、白い男は一瞬何か考え込むように、次いで「じゃあ」と遠慮がちに眉を下げた。
「よろしく、晋作さん」
上げられた前髪がはらりと一筋垂れるのと同時に呼ばわれた本当の名前。さわり、と妙なざわめきに喉が鳴ったが、それを打ち消すように「ところでそっちは?」まさか僕にだけ名乗らせはしないよな? と視線を向けて。
りょうま、龍馬という音と字を、躊躇いのような探るような目をした相手から引き摺り出した晋作は、幾度かその名を舌で転がしながら店を出る。
三日後を愉しみに、帰路の中でも幾度か龍馬、龍馬、と溶けない飴玉を転がすように名を繰り返しながら。
「
龍馬君
・・・
、ね
……
」
不意に立ち止まって見上げた空。店に入った頃より雲は厚くなり日差しの差し込む余地は無くなっていたが、替わりに黄昏の時分となった空は仄赤く、仄昏く、染まり始めていた。
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