彼方
2025-06-22 04:25:53
7935文字
Public お題箱より
 

【013】綺麗な感情(全年齢)

#毎月20日は兎赤の日 タグ合わせのお話
お題箱より、付き合ってない大人兎赤
一人称knh🍂目線から見た、長い両片思いの結末。捏造やキュ部ネタあり
bkakの間で両方の心配をする🍂で書いてみたいお題だったので
このような話になりました
以下着想元ネタ↓

【お題箱より】
(大人です)赤葦君がずっと木兎さんの未来を案じて気持ちを抑え片思いのまま過ごしている関係性です
 その為、無理にでも他人と恋をしたりしなかったりします
 木兎さんも想っていてアプローチしてるのに頑なに拒む赤葦君。木兎さんは嫉妬します
 でも最後は強引に木兎さんが頑張ることでやっと結ばれる、というシチュエーションです
2025/05/08 のお題箱投稿より

「なあ、木葉ぁ……俺ってなんで赤葦にフられてばっかなんだと思う?」
 残り半分ぐらいになった飲み放題の生中を最後まで煽って、木兎がジョッキを座卓に戻した。ゴトンと鈍い音がして、ガラスの底が座卓にぶつかる。今こいつ、なんて言った⁈
「ふっ、フらっ……ハァっ?」
 唐突な木兎の爆弾発言に、俺は思わず持っていた茹でそら豆を握りつぶしてしまった。クソっ、まだ剥いてる最中だったのに。バラバラになったそら豆を別の皿に避けて、俺はおしぼりで手を拭きながら正面でぶすくれている木兎を見る。高校卒業以来か、このしょぼくれ顔は。
「何回俺が『赤葦のことが好きだ』って言っても、『俺も好きですよ、木兎さんは尊敬する先輩ですから』としか言ってくれねえの」
 タブレットで酒のおかわりを注文する木兎が、ブツブツ愚痴を続けている。お前それ、俺以外に言うんじゃねえぞ、絶対だぞ! そもそも俺はなんで知ってるんだ……木兎の片想いの相手が赤葦だってことを。まあ木兎があまりにもわかりやすすぎて、こっちが勝手に気づいちまっただけなんだけども。
「別に嫌われているわけじゃねえんだから、それでいいだろうが」
「ヤダ、俺は赤葦の恋人になりたいの」
「コイビト、ねえ……
 ピロンとタブレットから電子音が鳴って、酒の注文が飛んでいった。俺も注文すりゃよかった。こんな愚痴、飲まなきゃ聞いてられるかっての。
……赤葦いま付き合ってるコいたはずだぞ、知らねえのかお前」
「え、マジ?」
「少し前にたまたま赤葦と会った時に一緒にいたコ。彼女ですって紹介された」
「ええぇぇぇ……
 何それ、俺は聞いてない。こないだ会った時もそんなこと一言も言ってなかった。木兎は座卓に突っ伏してクダを巻きながら恨み節を吐いた。うるせえ、せっかくの酒が不味くなるだろうが。と言いたいところだったが、あまりにも情けない声で木兎が愚痴るもんだから、俺は黙ってタブレットを掴んだ。
「お前も知ってるだろ? 高校ん時から、あいつ時々彼女いたじゃねえか」
「それはそうだけどさあ……
 お互い無事に就職先が決まったから久しぶりに飲むか、ってことで俺たちは久しぶりに会った。俺たちが梟谷を卒業してもう3年、コイツの片想いはそろそろ4年になる。赤葦は高校ん時からめちゃくちゃモテてたし、忙しい部活の合間を縫って女の子と付き合ってたこともあった。だからもうバレーボールしてない赤葦に彼女がいても全然おかしくないんだ。
「俺が知らなくて木葉が知ってる、っていうのがイヤだ。俺のほうが赤葦とたくさん会ってるのに!」
「そんなこと言われても。赤葦に会ったのだってたまたまだし……
 ぐずり続ける木兎の面倒くささは、高校ん時と変わってなかった。これが高校の部活だったら赤葦がなんとかしてくれたのに、そもそもの原因は赤葦だからどうしようもない。
「あいつ今インターンで忙しいらしいのに、マメだねえ」
「俺が飲みに誘っても来てくれないのに、彼女の相手はしてあげるんだ赤葦は」
「そらそうだろ、なんで彼女より元高校の先輩の方を優先するんだよ……
 今日も赤葦を誘っていたらしいが、先輩方だけで楽しんできてくださいと穏便にお断りされたらしい。決まるまで打ち続けるアタッカー気質といえばそうなんだろうが、さすがに彼女持ちは誘ったら気の毒だろ……と思ったが言わないでおく。
「でも俺が困ってる時は何だかんだ言って助けてくれるんだよ、赤葦は」
「木兎係が染み付いちまったんだろうな……気の毒に」
「俺のこともちょっとは気にしてくれてるってことじゃない? 彼女よりは大事じゃないとしても」
 見たこともない赤葦の彼女に嫉妬でもしてるのか、木兎はマドラーでレモンサワーに付いているレモンをつついている。ああーもうほんとに面倒くせえ!
「どちらかというと、彼女のほうが赤葦にベタ惚れっぽく見えたけどな」
 別に俺は木兎をフォローするつもりなんてさらさら無い。でも実際そう感じたから、正直に木兎に告げた。俺も木兎も高校の時から赤葦の付き合ってるコを見てるけど、これは赤葦の歴代の彼女全部に言えることなんだ。赤葦は相手から押されるまま付き合ってあげてるけど、いつの間にか女の子の方から離れていくパターンで破局するのがほとんどだ。あんまり言いたくないが、赤葦は本当にそのコのことが好きで付き合ってたのかはわからねえ。
「おモテになるからなあ、赤葦は」
「俺だって赤葦にモテたいのに」
「だから嫌われてないだけマシだと思え! お前みたいに手のかかるやつの相手をずっとしてくれてんだから」
 赤葦は背が高くてスタイルが良くて頭も良くて、おまけに面倒見が良い。3年の春高まで強豪校の主将をやっててそのまま大学受験も難なくパスして、いまは超有名な良い大学に通っている。あんなスペックが高くて人間の出来た男は、そうそういないだろう。
 高校時代散々木兎の世話を押し付けていた俺が言うのもなんだけど、めちゃくちゃ良いやつなんだ赤葦は。しっかりしてそうだけどちょっと抜けてるとこもあって、でもほんっとに頼りになる後輩で、大切な仲間でずっとずっと可愛い後輩なんだから。
「赤葦の彼女……可愛かった?」
……まあ、可愛い系だったとは思う」
 かなりシャクだけど、赤葦の彼女は可愛かった。どっちかというと派手めでフワフワしてて軽そうな……赤葦こういうのが好みなんだ〜って思わなくもなかったんだよな。複雑な俺の心境。
「赤葦って、高校ん時あんだけお前の面倒見ながら彼女は切らしたことなかったよな。まあ卒業してからは知らねえけど」
 朝から晩までバレーボール漬けで、なんなら木兎と吐くまで自主練もしてて、勉強もして彼女もいた。どんだけすごいんだよあいつ。
「わりぃな、手のかかる主将で」
「まったくだよ」
 赤葦が何を思ってこいつの世話と練習相手と主将の肩代わりをしながら女の子と付き合ってたのかはわかんねえ。でも木兎のことを嫌ったり鬱陶しいと思ってたことだけはないって俺は信じてる。ただなんとなく思ったのは、赤葦は赤葦なりに木兎のことを考えてたんだろうってことだ。だから赤葦は木兎のことを拒否るんだろうか……マジでわっかんねえ。
 俺は製薬会社に内定をもらい、木兎は来春から大阪の実業団チームに所属が決まった。学生時代にありがちな浮ついた時間はそろそろ終わろうとしてる。こいつが赤葦への思いを引きずったままなのが良いことなのか悪いことなのか、俺にはわからなかった。

 ◇◇◇

 俺が仕事にバレーボールにと忙しい日々を送っている間に、木兎は実業団であっという間に頭角を表していた。同じ時期に別チームに加入した鷲尾と公式戦で顔を合わすこともあるんだとか。たまにバレーボール雑誌で木兎の姿を見ると、ずいぶん普通になったもんだと感心してしまう。春高を共に戦った同世代のライバルたちと鎬を削る日々は木兎にはとても向いていたらしく、最近めっきり愚痴られることも減った。元チームメイトたちの活躍を誇らしく思いながら、俺は粛々とサラリーマン生活を送っている。
 そんなある日、俺は都内の某体育館で赤葦とVリーグの試合を観戦していた。編集者として少年誌の漫画家を担当している赤葦から、木兎が出る試合のチケットが余っているから来てくれないかと頼まれたからだ。なんでも担当の先生が急遽来れなくなったそうで、席を空けるのがしのびないんだと。
 木兎は結局赤葦から振られ続けていて、今もただの先輩と後輩のまま──これはあくまで木兎の言うことだけど。俺から見たらコイツらの関係はずっとおかしかった。赤葦は頑なに木兎の気持ちは受け入れないくせに、木兎が困っていると必ず助けに行く。一人暮らしを始めた木兎の生活が立ち行かなくて俺たちのところに救援要請が来た時も、一番に駆けつけたのは赤葦だった。公共料金や税金の支払い方から生活に必要なものの支度まで。俺たちもかなり手伝ったけど、率先してやってたのは赤葦だった。未だに月に1〜2回は大阪に行って面倒を見てるらしい……激務の雑誌編集者のくせに。
 試合を見に行くことを木兎には黙っておいてくれ、って言われたから今日俺が赤葦と一緒にいることは内緒だ。座席も先行で取った良い席じゃなくて3階席の隅の方だから、アイツのボクトビームも届かない。
「すみませんでした、急にお願いしてしまって」
「別に良いよ。今日は練習もなかったし、木兎の試合が間近で見られるのはありがてえしな」
「アウェイとはいえ、MSBY側の席を空けるのは嫌だったので……
 相手チーム側はほぼ満席、アウェイのMSBYもそれなりに客は入ってるけど満席まではいってない。
「やっぱホームの方が有利だよなあ」
「でも木兎さんなら、アウェイ側でも相手を巻き込んじゃいそうですけどね」
「それはそうだな、あいつうるせえし」
 高校時代、相手チームの応援すら味方に付けていた木兎のことを思い出して、俺たちは顔を見合わせて思わず苦笑いしてしまった。少なくとも試合中は普通になった木兎は、誰が何と言おうと立派なエースだ。
「木兎さん、ほんと頼もしくなりましたね。今日はちょっと動きが硬い感じですけど」
「アイツが大阪行ったばかりの時はどうなることかと思ったけどな。お前まだ大阪通ってるんだって?」
……ええ、来て欲しいと言われるので」
 言葉尻を濁しながら、赤葦はアップをしている選手達を見下ろした。誰から来て欲しいと言われているかなんて、わかりきっている。俺はぴょんぴょん元気に飛び跳ねる木兎を見ていたけど、赤葦の視線はどこか遠くを見ているようだった。

 その日の木兎はあまり調子が良くなかった。ブロックに阻まれ、サーブはことごとく拾われる。超インナーのボクトビームも不発気味。俺の隣でMSBYのタオルを握り締めながら、赤葦は食い入るように試合を見ていた。
「赤葦は声出して応援しねえの?」
 ぽこぽこと応援グッズを叩きながら、俺は赤葦に聞いてみた。コイツの声が聞こえるかどうかは別として、もし木兎が赤葦を認識したら絶対に調子良くなる気がするのに。
「明日は大事な会議があるんで、声を枯らすわけにいかないんですよ」
「ふうん」
 赤葦は節目がちにそう答えたけど、ゆらゆら泳ぐ視線のせいでそれが嘘だとわかってしまった。たぶん赤葦が今日ここに見にきてることを、木兎に絶対にバレたくないんだろう。
「あ、ボクトビーム」
 さっきから止められまくっていた木兎のクロスが、ようやく一本決まった。何度も何度も宮侑のトスを打ち続ける様子が、高校時代のアイツとダブって見える。決まるまで打たせる宮もたいがいだけど、赤葦も木兎が気持ちよく決められるまでトスを上げ続けてたっけな。
「やった……
 小さくガッツボーズをして、赤葦は寂しげに笑った。
「決まったんだから、もっと派手に喜んでやったら良いじゃん」
「いいんですよ、これで」
「木兎に隠れてこっそり応援するのが?」
……はい」
 俺は鷲尾から聞いたから知ってる、赤葦がEJPホームの対MSBY戦を現地まで見に行ってたってことを。今日の試合だって、2連戦でどっちもチケットは取ってる。明日は先生と見に行くって言ってたし。木兎の様子を見ただけでその日の調子が判別できるのは昔から変わらない赤葦のクセ。木兎をずっとずっと見続けてないと無理だろ、こんなの。
 またボクトビームが決まって、会場は大盛り上がりだ。尻上がりに調子を上げていく木兎が、サーブの前に客席に向かって手拍子を求め始めた。敵も味方も関係なく巻き込んで、手拍子はピタリと揃って木兎を煽る。
「お前も手拍子したらいいじゃん、どうせ見えねえよ」
 パチパチと手を叩きながら木兎のサーブを見守る。赤葦の手は膝の上に置かれたままだ。
「俺なんかが応援しなくても、木兎さんは大丈夫ですよ」
……じゃあなんで、未だに大阪行ってるんだよお前」
「それは、木兎さんが」
 何度も何度もお前に振られ続けた木兎のわがままを、なんでお前はきいてやるんだよ?
「木兎が『もう来なくて良い』って言ったら辞めるのか?」
「辞めますよ、きっぱり」
 じゃあ逆に『一生俺の世話をして』って言われたらやるのか? まあこいつならやりそうだけど。
「木兎の世話をしてくれるヤツが出来たら?」
「そうしたら俺はお役ごめんですね、ようやく肩の荷がおりますよ」
 嘘ばっかり。本当にそう思ってるのなら、そんな傷ついた顔するわけねえだろ。
「お前は本当に頑固だなあ……
「はぁ……
 一瞬で表情を元に戻した赤葦が、甚だ不本意という顔つきで俺を見た。でも俺は知ってる、これは赤葦的最大級のやせ我慢なんだって。
「いい加減、木兎の気持ち認めてやったら? 最近じゃあもう俺に愚痴も言わなくなったけど、まだずっと断ってるんだろ告白」
「何で木葉さんがそんなこと言うんですか……
「だって俺高校ん時からお前らのこと見てんだぞ。他のやつがどう思ってるかはわかんねえけど、俺からしたらなんでお前らくっつかねえんだ? としか思えねえもん」
「くっつくも何も、俺たちは男同士ですが」
「んなもん、見りゃわかるっての」
「今の木兎さんが俺のことを好きでも、それがずっと続くかなんてわからないじゃないですか」
「少なくとも高校から今まで、木兎はお前のことずっと好きだったと思うけどな」
「それに、好きだけで全てが解決するのなら世の中こんな面倒くさくないですし」
「まあそれは認める。でも木兎ならそんなこと気にしねえだろ」
「俺は気になるんです」
「だろうなあ」
 ああ言えば、こう言う。真面目で頑固で常識人で、いろんなしがらみに囚われている赤葦らしい答えだと思う。もしこれが木兎と赤葦なら、俺はここまで突っ込んだ話をしなかっただろう。でももういい加減、認めりゃ良いのにっていう思いの方が強いんだよな……木兎の片想いはそろそろ10年近い。見たくなくても見えてしまう腐れ縁の仲間同士の片思い、ちょっとぐらい背中押したってバチは当たらねえだろうが。
「木兎は、馬鹿だけど冗談やおふざけで男に告白するようなやつじゃない」
……知っています」
「アイツの〝好き〟って気持ちは、本物だと思う」
……はい」
「んで、お前も木兎のことを嫌いじゃない」
「はい」
 ……これに関しては即答だった。だろうな、と思う。じゃないと今お前はここにいないだろうから。
「じゃあ、どうして……って聞いてもいいか?」
 もつれにもつれた試合はシーソーゲームのまま最終セットを迎えた。観客の興奮は最高潮なのに、俺と赤葦の間だけはどこかひんやりとした空気が漂ってるようにも感じる。でもここで話を終わらせたら、たぶん俺は後悔すると思う。
「こんな汚い感情、木兎さんに押し付けるわけにいかないじゃないですか……
「汚い、って?」
 吐き捨てるように〝汚い〟と言った赤葦の顔は、苦痛に歪んでいた。俺が戸惑っていると、喉の奥から絞り出すみたいに赤葦がぽつりぽつりと話し出す。汚い、と言った理由を。
「世間体とか、そういうのもありますけど……俺があのひとの人生を歪めるわけにいかないんです。オリンピックにも出て、世界で活躍して、日本のバレーボール界を牽引していくひとなんです」
「まあ、バレーだけはできるやつだからなあ」
 私生活は相変わらず赤葦の力を借りてやっとの木兎が、一番必要としてるのはお前じゃないのかと言いたかった。でも赤葦はそうじゃないと言うんだきっと。
「俺よりも木兎さんに相応しい相手はいくらでもいます。俺じゃなくても良いんです」
「でもアイツはお前が良いんだろ」
……俺は、男です」
「知ってる」
「俺は、汚い……
「どこが?」
 どうして赤葦は自分のことを〝汚い〟って言うんだろう。ずっと心酔している先輩に尽くしているコイツが、汚いわけないのに。
「木兎さんへの気持ちを忘れたくて、好きでもない人と付き合いました。女の子の方が好きなんだって、思い込もうとした。でも無理だった……何人もの女の子を傷つけて、のうのうと木兎さんの思いを受け入れるわけにいかないんです」
「お前の元カノ、お前のこと好きだった子もいたと思うけど……主にお前の外見が良かったんじゃねえの?」
 グズグズ言い訳を重ねる赤葦に、俺は思っていたことをズバリぶつけてしまった。相手の方も100パーセント純粋にお前のことが好きだったって、言い切れないんじゃないかと。
「そういう子もいたかもしれませんね、俺も打算で付き合っていましたし」
「それが木兎のことを思って、の行動なんだったら、全部が全部汚いとも言い切れねえよ」
 打算と打算、お互い様だ。ハイスペックな彼氏というアクセサリーを欲しがる女の子と、彼女という言い訳が欲しい男。それを汚いというのなら、世の中の恋愛は綺麗なだけじゃない。
「そんなこと言うんだったら、お前の歴代の彼女に嫉妬してた木兎も、汚ねえってことになりそうだな」
「木兎さんは汚くない、あんな綺麗なひとを……汚いなんて、言えません」
 同じやつのことをこんなに長く思い続けてきたことを〝綺麗〟と言うのなら、お前だってそうだろうが赤葦。
「アイツはお前の〝スター〟だもんな……守りたかったんだろ、木兎のことを」
……俺時々木葉さんのことが、すごく苦手です」
「そりゃどうも。じゃあ苦手ついでにお願いしとくよ。アイツとのこと、真剣に考えてやってくれないか……木兎はいつだって、お前のことしか見てねえよ」
 ほら、と俺がコートを指差すと、試合の終わった選手たちが整列していた。木兎の視線はまっすぐこちらに向いている。たぶんどっかのタイミングで気が付いただろうな、目ざといヤツめ。
「ぼくと、さん」
 赤葦のことを認識した上で、アイツがこっちに突進して来なかったのは普通になった証拠だろう。俺の役目もそろそろ終わりだ。
「最後のお願いだから、もうこれ以上なにも言うつもりは無えよ。試合も終わったことだし、帰るかぁ」
 ざっと荷物をまとめて、俺は席を立った。その場から動けないでいる赤葦を引っ張るように体育館を出て、正面出入口のあたりで別れた。ポケットの中では鬼のようにスマホが震えてたけど見るもんか、見たくもねえ。
 帰りの電車の中から見える風景をぼんやり眺めながら、俺は赤葦がずっと何かを堪えるような表情をしていたのを思い出していた。たぶんあれは泣きそうだったんだろう。アイツは高校ん時からずっと泣き虫だったからな──アイツの感情の発露のカタチが涙なのだとしたら、なんて綺麗な感情だろうかと俺は思う。
 綺麗は汚い、汚いは綺麗。大学時代に教養の授業で聞いたようなフレーズがふと頭をよぎった。ずっと汚いと思っていた感情が、実はとても綺麗なものだったってこと。アイツは気づいてくれるだろうか。
 ふとポケットからスマホを取り出して、最新の通知を見た。
『ずっとご心配をおかけして、すみませんでした。解決しました』という赤葦からのメッセージと、『やったぜ木葉!』という相変わらず主語も目的語も無い木兎からのメッセージ。
 ようやく片付いたかという気持ちと同時に、ジワッと目の奥が熱くなる。アイツらの綺麗な感情がこの先もずっと綺麗なままであるように、俺は心の底から願わずにはいられなかった。

 2025.6.21