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那須野
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寿月
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月明りの夜に
【寿月】CP未満*合宿所にて、海外遠征前のふたり。後輩について。
膨れたスポーツバッグのファスナーを、まっすぐ横に引き閉める。遠征の準備が詰まった鞄の感触を確かめるように手のひらでぽすぽすと軽く叩いて、床に大の字で寝転んだ。
「よーやく終わりやった
…………
」
いよいよ明日から、自身にとっては初めての海外遠征が始まる。
出立間際になって慌てて支度をすることのないように。コーチはもちろん、越知をはじめとした周囲の先輩陣からもそうアドバイスを受けてはいたものの、いざ最終確認をしてみれば所々に抜けがあり(かと思えば誰のものかもわからない充電器や靴下が複数押し込まれているなどした)、夜更けに差し掛かる手前にようやくひと段落ついたところだった。
「終わったか」
「た、たぶん
……
」
自分とは正反対に早々に確認を済ませ、机に向かい日課のラケットの手入れや読書をしていた越知が、本を閉じて静かに声をかけてくる。
三度目の合宿で慣れているからだとやんわり慰められはしたけれども、自分が彼と同じ三年生になってもここまで余裕を持って出発前夜を迎えられる自信はあまりない。ゆるく長い息を吐き、明日からの予定を反芻する。
手始めに韓国。そこからアジア諸国を訪ね、さらにヨーロッパへ。
空路を利用するとはいえ一ヶ月間にわたるタイトな行程で、予定を頭に入れてはいるが実際まったく想像がつかない、というのが本音だった。加えて今日の一軍ミーティングで新たにコーチから知らされた内容に、感情がかすかにさざめき続けている。
「
……
、中学生なぁ
……
」
仰向けに寝そべったまま、天井の明かりをぼんやりと見つめて呟く。
――
数ヶ月後に幕を開けるU-17W杯に、特別ルールとして各国中学生の参加枠が設けられる。また、それに併せてこの合宿にも中学生選抜五十名が参加予定。
中学生の招集そのものは一軍メンバーの海外遠征中に行われるため、一軍との顔合わせは帰国後だが、驚くことのないように。(コーチ曰く、「なお、合流後の様子のモニタリングを行う都合上、二軍メンバーの前では一切口外禁止です」。)
決定事項を淡々と述べるコーチの声を思い出しながら、おそらく招集を受けているであろう後輩たちの顔を思い浮かべる。
(
…………
まぁ、来やるわなぁ、そら)
今年の全国大会は優勝こそ逃したものの、実力はみな折り紙つきだ。ビッグ3と呼ばれている面々をはじめ、主立ったメンバーは概ねそろい踏みに違いない。
闘病生活からコートに復帰した幸村の体調が気にかかるのはもちろんだったけれども、彼の周囲から自身があまり快く思われていないことも知っている。自業自得とはいえ、彼らと合宿所で顔を合わせるには少しばかり心備えをしておく必要がありそうだった。
「中学生がどうかしたか」
「あ
…………
いや、」
無意識に零した呟きを拾った越知が、こちらが話し出すのを律儀に待っていてくれたのだと気付いて身を起こす。
他ならぬ越知に後輩たちとの関係性を打ち明けることに躊躇いを感じないといえば嘘になるが、遅かれ早かれ話をしなくてはならないのも確かだ。ならば早いほうが良い。
正座をして深呼吸をひとつ。椅子に腰掛けたままの越知を見上げると、突然改まった自身を不思議そうに眺めて小さく首を傾げていた。当然の反応だろうとは思いつつ、意を決して口を開く。「
……
その、」
「俺、立海の後輩らとあんま仲良ぉなくて。 自分が100パー悪いんやが」
「
…………
」
「
……
やから、もしかして一緒におるときとか、
月光
つき
さんにまで気まずい思いさせてまうかもしれん。
……
ほんま、スンマセン」
「
……
、さして問題ない」
普段通りの言葉の奥に、近頃ようやくわかるようになってきた気遣いの色を察し取り、ますます申し訳のない気分になる。しばらく黙り込んだあと、彼がふいにぽつりと自身を呼んだ。毛利。
「理由を、聞いてもかまわないか」
言いたくなければ言わなくてもいい。
彼からの問いは当然のものに違いない。その上で小さく添えられた配慮が、じわりと胸に沁みる。
彼の心遣いに応えたい。信頼に報いたい。優しさと誠実さに甘えて、自分にとって不都合な過去を隠し立てするような真似はしたくなかった。まっすぐに向けた視線を逸らさないよう彼の瞳を見据えながら、押し出すように言葉を接いでいく。
「
……
俺、中学んときはほとんど部活サボっとったんです。 っちゅーか、高校入ってからも、そーでした」
「
――
……
」
「ほんで、
……
月光
つき
さんから見たらみっつ下やから、話が行っちょったかはわからんですけど
……
俺の一個下の、幸村っちゅうめっさ上手い後輩が、いっときテニスできんようになっとって」
「
……
知っている。 雑誌の記事に載っていた範囲だが。 闘病だったそうだな」
「
……
そーです。 それも知らんと高校上がって、人から聞きやってからも、ヒトゴトのまんま、好き勝手サボっとりました」
練習など、気の向いたときに程々にやればいい。
いつからそう考えるようになったのか、はっきりとは思い出せない。ただ、周りより頭ひとつほども低かったはずの身長が、対戦相手のほとんどを見下ろせる高さにまで伸びたころには、部活動へ向かうのをやめていた。
「そんあと関東大会で
月光
つき
さんと当たって、ボロ負けしやって。 もうテニスは辞めや思いながら近所の病院行って
……
そこで、入院しとった幸村んこと見たんです」
「
……
」
「噂じゃもうテニスもできんて話やったんに、そんなん知るかみたいな顔で毎日必死でリハビリしとった。
……
自分がこない簡単に辞めようとしちょるモンを、絶対諦めんで追っかけとるヤツ見たら、
――
俺、いままで何しとったんねやろ思て」
彼は口を噤んだまま、頷くことも、否定することもせず自身の話を聞いている。
青の差す長い前髪の向こう、冬の夜のように静かな眼差しが、胸をつらぬく。わずかに震えかけた喉をどうにか宥めつけ、肺に溜め込んだ残りの思考をひといきに声にする。
「今ここにおっても後輩らの前で俺がやってきたことは変わらんし、仲間として信用してもらえるかもわからん。 チームに、
……
月光
つき
さんにメーワクかけんようにとは思っとりますけど、もし、」
――
その先は、何を言おうとしたのだろう。低い声に名を呼ばれ、身のうちで膨らんでいた焦りがひたりと凍る。
「毛利」
「
……
っ」
「ここでお前がやるべきことは変わらない。 そこから先はお前の後輩たちの問題だ」
「
…………
」
いたく正論だ。その程度わかっている。
行動で示すほかにないと理解してなお、生まれる焦りと後悔は止めようがなかった。
唇を引き結んだ自分をしばらく見つめ、おもむろに彼が椅子から立ち上がる。床に正座したままの自身の正面に腰を下ろし、呟くように言った。
「手を出せ」
「
……
、へ?」
呆けているうちに彼のほうが先にこちらへ手のひらを差し出しており、「早くしろ」という無言の圧を発している。頭の上に疑問符を並べながら促されるまま手を出すと、彼の大きな手のひらが、ぐ、と自身のそれを掴んだ。
冷え性の彼の手は少しひんやりとしていて、そして何より、ラケットを握り続けてきた時間の手ざわりがする。
「関東大会で戦ったときとは、別人の手だ」
「
…………
」
淡々と告げられた言葉に、はくり、息を呑む。
彼と初めて対戦したあの日も同じように握手をしたはずだったが、手のひらの感触に意識を向ける余裕もなかった。そのことを、いまではすこし惜しいと思う。
「ここで試合をして、たとえ負けても、お前を軽んじた者がいたか」
「
…………
、おらへん」
「それは、何故だと思う」
握られた手のひら越しに伝わる静かな声のぬくもりに、指先がじわりと熱くなる。うすく滲みかけた視界は、ぎゅっと眉根を寄せて押しとどめた。
「時間は掛かるかもしれないが、必ず伝わるときが来る」
お前が諦めなければな。
そうちいさく付け足しながらすいとほどけた手のひらが、自身の肩に軽く触れてから離れていく。まだ座ったままの自分を残し早々に立ち上がった彼の低音が、頭上からひそやかに降ってくる。
「明日は二度寝の暇はない。 支度ができたならお前も早く寝ろ」
はい、と応えた声は、掠れてはいなかっただろうか。
何も言わず普段通りのしぐさで机の上を片付け、まっすぐにベッドへ向かう広い背を見ながら、手のひらと肩に残る温度を記憶につよく焼きつけた。