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溶けかけ。
2025-06-20 20:50:53
3018文字
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ほぼ日刊
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あつあつかゆかゆ
フリーナと虫除けと虫刺されのお話。
※匂わせあり。
「あ、いつの間に」
フリーナは鏡を見て声を上げた。
左側の首筋。それもシャツの襟で隠れるか隠れないかの瀬戸際の位置に赤く色付いた膨疹が一つ。
気づいてしまえば辛いもので、じわじわと痒みを訴えてくる。
──ほら、痒いだろう?
──掻いてもいいんだぞ?
そんな悪魔の囁きが聞こえてくる気がする。
「ふんっ。こんな虫刺され程度、僕の敵じゃないね!」
フリーナがぱちんっと指を鳴らせば、サロンメンバーの三人が現れた。
「クラバレッタは氷の準備を。シュヴァルマラン婦人は泡を出してくれ。いつもより大きい
……
僕の手のひらくらいのサイズで頼むよ。アッシャーは首筋が隠せるようなコーデを考えてくれ」
指示を受けた三人は各々が自らの役割を全うすべく小さな部屋の中を動き回る。三人の様子を観察しながらフリーナはメイクの準備を始めた。
「ありがとう。キミたちのおかげだ」
フリーナは自身の首筋を鏡に晒して満足そうに頷いた。冷やし、痒みと腫れを抑えたあと、患部の上から化粧をして誤魔化した。あとはこれにジェントルマン・アッシャーが選んでくれたストールを首に巻けば、よほど目敏い者でなければ上手く誤魔化すことが出来るだろう。
──目敏い者でなければ。
「フリーナ殿。それは誰にされた?」
久々の逢瀬の夜。夕食の席で出された食前酒でほろ酔い状態になったフリーナはあろうことか、人間の数倍鋭い視覚を持つ恋人の前でストールを外してしまったのだ。
薄紫色に彩られた瞳孔を細くさせながらヌヴィレットはフリーナの首筋に触れる。ぞわり、と背中が粟立つ感覚がする。
「それって
……
? あ、ああ、これのことかい? 実は昨夜──」
「昨夜?」
「昨夜に
……
えっと
……
」
正直に言うと昨夜のことはあまり覚えていない。覚えていても口にすることは憚られた。ヌヴィレットに仕事の都合で予定をキャンセルされてやけ酒を呷ってから帰り、気がついたらあった、なんて言えば「やはり、護衛をつけるべきか」なんて真面目な顔で言われかねない。やっと一人の気軽さにも慣れてきたところなのだ。こんな蚊に刺され一つで自由気ままなおひとり様ライフを失うわけにはいかない。
フリーナは頭の中で言い訳を探す。
酒に酔って夜道を歩いていたときに刺されたんだと思う──却下だ。ヌヴィレットならば絶対に酒に酔って夜道を歩いていた理由を言及してくるだろう。
実は寝ている間に蚊が部屋の中に入り込んでいて──これも無理がある。きっと「君の従者はそれほどまでに頼りないのかね? ならばやはり
……
」となりかねない。それに寝ていて蚊に刺されたなんて間抜けな理由、プライドが許せない。真実も大概ではあるけど。
「よもや、他の男に付けられたのではあるまいな?」
「え
……
!? そ、そんなことあるはずないだろう!? 僕の愛を疑うって言うのかい!?」
時折、嫉妬させるために男の影をちらつかせる、というテクニックを披露することはあれ、フリーナはヌヴィレット一筋である。初めてのキスも手を繋いだのも、デートをしたのも
……
ベッドを共にしたのだって、自慢ではないが全てヌヴィレットが初だ。神(この国にはもういないけど)に誓って、フリーナは潔白であると声を大にして言える。
「これは
……
だから、その
……
」
なんと言えば、ヌヴィレットに伝わるだろうか。今のところどの選択肢を選んでも一人暮らし終了の宣告がなされそうな気がしてならない。
「ふむ。君が黙秘を選ぶというのならば仕方ない。君の潔白は君の身体に聞くことにしよう」
「──え?」
腕を引かれたかと思えば、天井を見上げていた。顔の両側にはヌヴィレットの腕があり、まるで逃さないとでも言われている気分になる。干したてのお日様の香りと背に当たるふわふわとした毛布の感触にようやく、ベッドに押し倒されたのだと理解した。
「ヌヴィレット
……
! 僕は
……
!」
「案ずるな、フリーナ殿。私は君が裏切ったとは思ってはいない。だが、それはそれとして、君は何かを隠している。ならば恋人として秘密を共有することは決して悪いことではないだろう」
「待ってくれ!? なんでそんな話になっているのさ!?」
迫りくる唇を押し返しながらフリーナは声を荒げた。
おかしい。何を間違えたら身体に聞こう、などという発想になるのだろうか。
「すまないが、この件についての苦情は受け付けていない」
ヌヴィレットはフリーナの腕を掴むと頭の上で一つにまとめ上げた。
「ふっ
……
。ああ、すまない。それほどまでに期待させてしまっているのなら答えないわけにはいかないようだ」
「待って
……
待って、ヌヴィレット! 話し合おう! 僕が悪かった
……
! だから────あっ
……
!」
「おーい! フリーナ! ヌヴィレット!」
聴き馴染みのある声に二人は振り返った。
「君たちか。久しいな」
「ひさしぶり。ヌヴィレット、フリーナ」
「久しぶりだね、元気だったかい?」
朗らかな社交辞令のあと、パイモンと旅人は二人揃って首をかしげた。フリーナの服装はいつものモーニングだが、ショートパンツが足首まである濃紺のスーツパンツになっていた。首元まできっちりと留められたボタンの上にはジャボの代わりにモーニングと同色のスカーフがこれまたきっちりと結び、その中に顔を埋めている。
「
……
フリーナ、その格好
……
暑くないか?」
「あ、暑くないよ。その、ほら、日焼けは体に悪いからさ! こら、笑うな! ヌヴィレット!」
フリーナは後方で口元を手で覆い、小さく震えるヌヴィレットに振り返ると頭の数センチ上にある胸板をぽかぽかと叩いた。
「でも
……
もう少し涼しい格好にした方が良いんじゃない? ほら、今日は特に暑いし」
「そうだぞ。日焼けは体に悪いかもしれないけど、暑さで倒れたらしょうがないだろ?」
旅人とパイモンはフリーナをつぶさに観察する。雪のように整ったかんばせには玉のような汗が浮かび、頬は林檎よりも赤く染まっている。
「せめて、スカーフを外すとかどうだ? 首が出るだけでも少しは違うんじゃないか?」
パイモンの提案に旅人も首を上下に振って同意を示す。
「あ、えっと
……
そ、そう! 虫刺され! 虫刺されが酷くてね! 腫れているからあまり人に見せたくないんだ!」
背後のヌヴィレットがくすくすと笑いだす。フリーナはそんな彼をぎょろりと睨めつけた。パイモンはうんうんと何度も頷きながら相槌を打っていた。
「そういうことか。確かに、たくさん虫に刺されるとぼこぼこになっちゃうもんな。おいらもこの間、旅人と野宿したらたっくさん刺されて顔とか足がぼこぼこになっちゃったんだ。あのときばかりはみんなの前に出るのが恥ずかしかったぜ」
「顔パンパンだったもんね、パイモン」
そのときのことを思い出したのか旅人はふふっと笑いを溢した。パイモンは顔を火がついたように赤くするとその場で地団駄を踏んだ。
「そのことはもう忘れろよ!」
「でも全身刺されるなんてどんな虫なんだ?」
「それもそうだな。私にも教えてもらえないだろうか、フリーナ殿?」
三人の注目がフリーナに集まる。
フリーナはヌヴィレットと視線を合わせると頬を膨らませ、そっぽを向いてこう答えた。
「僕が知る限り一番大きくて、強くて、厄介な虫さ!」
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