風が吹き渡る草原に轡を並べて立つ馬が二頭。帝王の愛馬である黒馬と、帝国に嫁いだ王子に貸し与えられた白馬。どちらもその乗り手のように美しく、猛々しさを秘めている。王の装いは黒と銀で出来ており、怜悧な美貌を際立たせていた。黒いビロードの上下に、ボタンはきらめく黒玉だった。純白のシャツの縁には銀糸の刺繍が施されている。対して異国の王子は白一色の装いだった。雪のように白いチュニックとズボンに柔らかな革製のブーツを履いている。羽根を象った金の耳飾りが小さく揺れていた。
王家の家臣も臣民も固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
「なんで他国から嫁いできた奴が帝王に喧嘩売っとるんや。所詮政治の道具やろ。立場わかってんのか?」
王家の紋章である双頭の蛇が織られた煌びやかな衣服に身を包み、ひときわ長身が目立つ男は帝王の弟である。歯に衣着せぬ物言いが周りの人々に聞こえても気にも留めない。
「まだ子どもみたいな可愛え顔しとんのに、えらい勝気な子やな」
王弟の副官もこれから行われる勝負を遠巻きに眺めながら思ったことを口にする。王弟と同じような長身であるが、こちらは声が小さいために周囲のざわめきに消され、王弟にしか聞こえない。
「まあ、クソ兄貴も臣民の見てる前で負けるわけにはいかんやろ」
「帝国の威信がかかっとるしなあ」
二人の前を帝国の紋章が染め抜かれた外衣を纏った書記官が通り過ぎる。いよいよ始まるのだという興奮に人々のざわめきが一層大きくなる。小国から嫁いできた妃が王に勝負を挑むと言う前代未聞の出来事に、娯楽に飢えている王都の人々は仕事も放り投げて城壁外まで見物に訪れていた。
「ただ今より馬競べを行う。赤い印をつけた矢を持ち帰った者を勝利者とする」
良く通る書記官の声に、勝負の予想や憶測を話していた者たちの声がぴたりと静まった。
高々と矢が放たれると同時に、二頭の馬が一斉に飛び出す。
「あんたが強いって証明してもらおうか。矢の届かない幕舎の中で兵士に守られてるだけの王様じゃないって、俺にも分かるように」
二人きりで会った途端に言われたのがこれだ。花嫁と言うより挑戦者だ。
(見た目だけなら可愛いらしい子やのに、えらいじゃじゃ馬やな。小国の第二王子、案外楽しめそうや)
淑やかで大人しい花嫁であったなら、手折る時もそっと優しく丁重に扱っていただろう。
(生意気な鼻をへし折っといた方がよさそうやな)
先陣を切って走る黒馬に、わずかに遅れて白馬が疾走する。
(自分が乗って来た馬と違う。王宮の厩舎から借りた馬や。初めて乗るにしてはよう乗りこなしとる。でかい口叩くだけのことはある)
だが、と王は思う。
「俺の勝ちや」
谷の中央、弓兵によって放たれた矢が積み藁に突き刺さっており、赤い布が風に翻っているのが見える。手綱を片手に持ち替え、姿勢を低くする。馬を全力で疾駆させたまま、一瞬で矢を抜き去る。
「このまま戻れば俺の……あぶな!!」
頭上を刃が一閃するのを辛うじて避ける。積み藁の反対側から回り込んだ王子が、馬上で剣を抜いていた。
「妨害してはいけないとは言われてねぇだろ?」
「……ホンマ、おもろいわ」
馬を走らせたまま矢を口に咥えると、腰に下げた剣を抜く。接近してきた王子が再び切りかかり、刃が交差する。キィンと鋼の音をさせて刃を切り結ぶ。
(細いのに力強いな。まだ子どもなのにようやるわ)
思わず口角が上がる。剣を投げ捨てると、咥えていた矢を二つに折ってベルトに挿しこむ。片手綱になり、後方から王子の馬に接近する。振り向いた顔が驚いた表情を浮かべた後、不敵な笑みを浮かべる。金の耳飾りが風に揺れ、琥珀色の瞳が陽光を浴びて宝石のようだ。
「ええ顔しとる。気に入った」
何度も素早く振るう刃をかわし、馬体がぶつかるギリギリの距離まで接近する。一瞬の隙をついて王子の腰に腕を回し、自分の馬上に荷物のように軽々と担ぎ上げた。
「……!!放せ!」
「この速さで落馬したら大怪我や。おとなしくしとれ」
ドッ、ドッと音を立てて蹄が大地を叩き、土くれが舞う。そのままの姿勢で大勢の臣民が待つ場所へと一気に駆け抜けた。笑顔で頷く書記官に、王が赤い布を巻かれた矢を投げると、臣民の間からどっと歓声が上がった。口々に王の名を呼び、称える声が沸き起こる。
「……放せよ。もういいだろ?」
並み脚で歩く馬上で、肩の上に担がれたままの王子が言う。
「俺の勝ちや」
何も答えない王子に、もう一度念を押す。
「俺の勝ちやな?」
「……そうだ」
溜息とともに吐き出された言葉に、ニッと口角を上げて笑う。肩の上から下ろすと、鞍の前に座らせた。目の前の少年は疾駆する馬上で見せた戦いぶりとは打って変わり、俯いた花のようにしおらしい。
「乗馬も剣術も年の割には大したもんや」
「故郷で双子の兄と一緒に習った。俺は兄が早死にした時のための予備みたいなものだから」
「まあ、王族で二番目に生まれた男子はそうなることが多いな。俺と弟も似たような感じやった」
驚いた顔で王を見上げる。
「弟の方が強くて存在自体に華がある。俺より王に向いとるって周囲に何度言っても相手にされん。結局は生まれた順番や。どんなに能力が高くても、法で決まっていたらそれを遵守せなあかん。俺は国政なんぞ弟に任せて好きなことをやりたかった。どこか遠くの国を旅したり……。はよ隠居して自由になりたいわ」
予想外の言葉に大きく目を見開き、ふっと小さく笑った。
「帝国の支配者はまだ若いが野心家で冷酷無比、傲岸不遜。他国の者には特に厳しく、何よりも血筋を重んじていると聞いた。噂と随分違うな」
「誰のことや。好き放題言われとるな。血筋云々は置いといて、この国は好きや。我が祖国やからな」
「俺もそれは同じ」
「なあ、何で勝負したいなんて考えた?誰かになんぞ言われたんか?俺の弟か?アイツはホンマ口が悪いけど身内は大切にする男や。家族になったら間違いなくキミのことも大事にする」
(違う……)
初めは、ただひたすら自分を殺して祖国の為に大人しくしていればいいと思っていた。だが、数日のうちにこの大国にとっては小国から差し出された王子の身など意味を持たないのだと知った。自分は大海に投げ込まれた小石のようなものだ。帝国にとって価値などない。ふいに、あまりにも衝動的に帝王自身に挑んでみたくなった。夫となるはずの男に。
「この大国にとって俺の存在なんて意味はない。ただの貢ぎ物だ。だから何か……」
ゆったりとした歩調で馬を進める男の青灰色の瞳を見上げる。
「見返りとして、ひと太刀浴びせたくなった」
今度は王の目が驚いたように見開かれ、次に発作のような笑い声を上げた。
「物騒やな。ホンマおもろいわ。いきなり切りかかってきた時はどうなるかと思ったで」
「面白いのは俺じゃない。こんな無茶な要求を呑むとは思わなかった。もしも負けたらどうする?」
「もしもはない。俺は必ず勝つ。それから……」
手綱を握っていた片手を、王子の顎にかけて上向かせる。
「意味はある。君は俺の妃や。我が一族は家族を守る。大切にする。帝国へようこそ」
北の帝国の王は、想像していた男とは全く違っていた。非人間的な帝王像を勝手に作り上げていた。実際に会った王はこんなにも人間臭く、人を魅了する。目を細めて自分を見つめる青い瞳に、心がざわめいていた。
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