77nairo
2025-07-05 23:00:00
836文字
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かたつむり


「しとしとって擬態語を最初に考えた人、たぶん『おっしゃーこれだ!』って思っただろうな」
「は?」
 一之倉の突拍子もないつぶやきに、松本は間抜けな声を上げた。それから体育館の外を見て、ああ、と頷く。練習の合間の僅かな休憩時間、開け放たれた扉の向こうでは、いつの間にか小雨が降りはじめていた。
「降ってたんだな。気づかなかった」
「練習中はそれどころじゃないしね」
 ボールが跳ねる音にもバッシュが床を擦る音にも部員たちの声にも邪魔されない雨の音は、確かにしとしととしか言いようがない。時おり風が吹いて、草木が揺れるざわざわという音がそれに混ざった。
「しとしとって言葉がなかった時代の人には、どんなふうに聴こえてたんだろう」
「いや、雨の音は今も昔もないだろう」
「そうじゃなくて、先入観の話」
 一之倉はくっと片眉を上げて、こちらを見上げた。笑っているような呆れているようなその視線に、松本の心臓がどっと跳ねる。静かな体育館にその音が響いてしまいそうで、松本はTシャツの胸のあたりをぎゅっと掴んだ。
「あ、かたつむり」
 一之倉は松本の心臓になんてお構い無しに、視線をまた扉の外へ向けた。コンクリート製の外階段を舐めるように、大きいかたつむりと小さいかたつむりがするすると歩いている。
「こうして見ると、かたつむりって案外素早いな。親子かな」
……カップルかもしれないぞ」
「えー? かたつむりにカップルって概念あんの?」
 けらけらと笑う一之倉のこめかみから、汗がぽたりと落ちる。松本のからからに渇いて引きつる喉が、ごくりと鳴った。
「す、水分補給!」
 松本はひっくり返った声で宣言して、一之倉に背を向けた。
 一之倉の視線ひとつで、汗のひとつぶで、なぜ自分はこんなふうになってしまうのか。言葉にしてしまえばもう、それを知らなかったときには戻れなくなる。もうとっくに気づいているそれから目を逸らしたくて、松本はきゅっきゅっと甲高い足音を鳴らして走りだした。