オデットがルーシャンやオーバンと共に書斎でやり取りを交わしている頃、ノエは宿泊のためにあてがわれた部屋にたどり着き、長い夜をどう過ごしたものかと思案していた。
同室のオランローは、ヤルマルやティエリーと共に出かけている。だが、ノエまでその真似をするつもりはなかった。ここは宿ではなく他人の邸宅だ。案内人なしで彷徨き回るのは、流石に礼儀知らずであろう。
結局、武具の手入れをしながら皆の帰りを待とうと決めて、部屋に入る扉に手をかけたが、
「……?」
廊下から感じる、自分を見つめる誰かの視線。敵意はないが、こちらを探るような意図は感じられる。
長大な廊下には、見える限りで人の気配はない。使用人すら、屋敷の中では極力気配を殺し、姿を見せぬように徹底しているらしい。
このまま部屋に入ってしまえば、視線の主は分からなくなるだろう。だが、ノエは扉に手をかけたまま、首をぐるりと巡らせて、
「僕に何か御用でしょうか」
問いかけに答えたのは、ゆっくりと開かれた廊下沿いの扉だった。視線の主は、扉から廊下へと出る時にノエの存在に気がつき、声をかけるべきか迷っていたようだ。
扉の軋む音と共に、中から一人の男が出てくる。使用人ではないのは、身につけている衣服からも明らかだ。ゆったりとしたローブに似た長衣からも、彼の身分が高いことが伺える。
つかつかとノエに歩み寄る挙措にも、全くの躊躇がない。上に立つことに慣れている人物だと、ノエは一目で看破していた。
「貴殿が、先日ティエリーを助けてくれたという冒険者か」
間近で見た男は、どこか神経質そうな顔立ちをしていた。年齢はノエの父と同年代か少し上といったところか。後ろに全て撫でつけた黒髪には、白いものがいく筋か混じっている。
彼の口ぶりと服装、そしてティエリーに対する言及を聞いて、ノエは男が誰かをすぐに悟った。
「お初にお目にかかります、ベリトア・ド・ニヴェール卿。本日は、お招きにあずかり光栄に存じます」
慣れない貴族的な言い回しを口にしつつ、ノエは幼い頃に教えてもらった目上の人物に向けた礼をしてみせた。
屋敷の中でも、一際豪奢な装い。男の年齢。そして、先ほどの切り出し方から察するに、彼は屋敷の主人であり、現在のニヴェール家当主であるベリトアに間違いない。
ティエリーの父親であり、オーバンにとっては息子にあたる者でもある。
「そのように仰々しい振る舞いをせずともよい。貴殿は冒険者と聞いている。そのような所作は、本来の貴殿の振る舞いではないのだろう」
「ですが、よろしいのですか」
一介の冒険者に「楽にしろ」と言い切ってしまっては、貴族としての格が下がるのではとノエは危ぶむ。しかし、当の本人は本当に気にしていないようだった。
「もとより、貴殿らは父の来客だ。礼を以て接する必要があると思うのなら、その分は父に向けてもらえればいい」
「分かりました。僕としても、貴族の言葉は不得手なので、そう言っていただけるのは助かります」
いくらか肩の力を抜いて、ノエはゆっくりと視線をベリトアへ向ける。
遠目から見た時も感じていたことだが、ノエはベリトアのやや細い面差しや薄い唇、釣り上がった瞳を目にして、薄く研がれた刃のような鋭さと脆さを併せ持ったような人物であるという印象を受け取っていた。
明朗快活なティエリーとは全く異なる顔立ちなので、ティエリーは母親に似たのだろう。
「たしか、貴殿の名前は……」
「ノエといいます」
「では、ノエ殿。少し時間をもらえるだろうか。貴殿には私の息子が大変世話になっていると聞いている。できるなら、貴殿自身から息子の話を聞きたい。それに……」
途中まで流暢に語られていた言葉が、そこで不意に途切れる。
ノエは言葉の続きを待ったものの、結局ベリトアは「私の部屋に来てくれるか」と、打ち切られた言葉の続きを語ってはくれなかった。
*
ベリトアの私室は、今までノエたちが通された客間とはやや趣が異なる部屋だった。
壁に飾られた剣や盾は、かつて彼が神殿騎士団に属していたときのものだろうか。それ以外にも、以前に騎士の詰所で目にしたような、質素な設えの小物がいくつか目に入る。
家具そのものは職人の作った上等な品だろうが、廊下や客間にあったような芸術的な細工は少なく、実用性を重視しているのが感じられた。
「外の内装と比べるとそっけない部屋に見えるだろうが、勘弁してもらえるだろうか。私はどうにも、父や先祖らが築き上げたニヴェールの家風に肌が馴染まないのだ」
「素敵な部屋だと思います。僕個人としては、こちらで過ごすのも肩の力が抜きやすくて助かると感じました」
「ありがとう。本当に、貴殿はティエリーの話していた通りの青年のようだな」
使用人もいないため、ノエは軽く一礼をしてから、部屋の一角に置かれたソファに腰を下ろした。
本来ならば、部屋に招いた来客と個人的な団欒をするために用意されたのだろう。暖炉の前に置かれた椅子は、ほんのりと暖かく、無意識にこわばっていたノエの体を優しく迎えてくれた。
「ティエリーさんは、僕のことを何と話していたのでしょうか」
「礼儀正しく、義に篤い騎士の鑑のような人物だったと。無論、あれがそのまま言ったわけではなく、あれの語った貴殿の振る舞いを私が汲み取って、解釈したものだ」
ノエが居心地悪そうな様子を見せたため、ベリトアはすぐに注釈を挟んだ。どちらにせよ、ノエにとっては少々面映い話ではあるが、己の振る舞いに対する評価として素直に受け取ることにする。
「私は、自身の忙しさを理由に、母を失った息子に対して、父として相応しい接し方ができなかった。そのため、あれは私を毛嫌いし、ひいては貴族の社会そのものを嫌厭するようになった。ティエリーは、この話を貴殿らにしたのだろうか」
「大まかではありますが、内情については伺っております」
なので、全て話す必要はないとノエはやんわりとベリトアの言葉を止める。ベリトアも、ノエの気遣いに気がつき、一度首肯を返した。
「だが、貴殿らと出会ったあとから、ティエリーは、私から逃げずに向き合うようになった。……実際のところ、私自身も息子にどう接すればよいか分からなくなっていた。だが、私を目にしても感情的に怒鳴るのではなく、真っ直ぐに私と向き合うティエリーを見て、今までと異なる接し方もできるのではないかと……今もちょうど、そう思っているところだった」
淡々と己の心境を語ったベリトアは、不意に深々とノエへと頭を下げた。
双方ソファに腰を下ろした状態とはいえ、自分よりも目上の――しかも当主に頭を下げられて、ノエは面食らってしまう。
「貴殿のおかげで、私は息子と再びやり直すことができている。感謝している、冒険者殿」
「あの、どうか頭を上げてください、ベリトア卿。僕はただ、ティエリーさんと親しくしているだけの一介の冒険者にすぎません。ティエリーさんが、ベリトア卿との接し方を考え直したのは、ティエリーさん自身が決断したことだと僕は思います」
そして、その決断に応じられるだけの実績をベリトアが用意できていたからだ、とノエは無言で付け足す。
もし、ティエリーが父との接し方を改めようと決めたところで、ベリトアが息子に幻滅されるような姿しか持ち得なかったのなら、今のような関係の変化は訪れていなかっただろう。
「ベリトア卿が仰るようなことは、どれもお二人が自ら掴み取ったことです。ですが……もし僕らがほんの少しでも、お二人に協力できたことがあったのだとしたら、僕としては今のようにお礼を一つ言ってもらえるだけで十分です」
「貴殿は、謙虚な人物なのだな」
ゆっくりと頭を上げたベリトアの姿は、ノエにはどこか父を思わせた。
だからだろう。ベリトアが「よかったら、貴殿から見たティエリーの話を聞かせてほしい」と言われたときも、ノエは不必要な遠慮を挟まずに、ティエリーと過ごした日々を語り始めていた。
ティエリーと過ごした日々は、さほど長いわけではない。それでも、ノエが彼と過ごした日々の中には、ベリトアの知らないティエリーの側面がいくつもあったようだ。
弟の友達の誕生会に向けて、贈り物を見つけなければと当日になってから焦って奔走していたこと。
グリダニアの見慣れない食べ物を次々口にして、食べなれない味に渋い顔になってしまったこと。けれども、気に入ったものは実家への土産として、いくつか買っていたこと。
オランローに誘われて、釣りに行ってみたものの、せっかちな彼では長続きしなかったこと。見慣れない銃という武器を、ノエたちに自慢していたこと。
短い滞在期間ではあったが、ノエたちしか知らない息子の一面にベリトアは一つ一つ頷いていた。
もっとも、先走ってノエたちに迷惑をかけた話については、流石に口にはできなかった。そうでなくとも、ベリトアは、
「うちの愚息が、貴殿らに迷惑をかけていなかっただろうか」
と、何度も口にしていた。ノエに向けて発砲したなどと聞いたら、神経質そうなこの当主は卒倒しかねない。
「貴殿の話を聞いていると、ティエリーが帰ってきたあとに私への態度を変えた理由が分かったような気がする」
話がひと段落したころ、ベリトアは途中で使用人に用意させた茶を一口飲んでから、噛み締めるように言った。
「できることならば、この地にいるときだけでもいい。また、あれの我儘に無理のない範囲で付き合ってもらえるだろうか」
「もちろんです。僕にとってもティエリーさんは友人ですから」
ノエが気負うことなく告げたにも拘らず、ベリトアの表情が一瞬曇る。
彼は数秒の迷いを挟んでから、
「そして、無理な願いを承知で頼ませてほしい。できることなら……私の父が再びティエリーを排除しようとしたときは、友人として、あの子を守ってくれるだろうか」
突如不穏な発言が飛び出てきて、ノエは眉を顰める。
「できれば、二度とそのようなことがないように、私も警戒はしている。だが、父は、家のために必要とあらば、誰に相談することなく自らが最善と思う行動をする方なのだ。私の知らぬところで、再びティエリーの命が危険に晒されるようなことがあれば……」
「待ってください。ベリトアさん。オーバン卿がティエリーさんを排除しようとしている、というのは、一体何の話ですか?」
自分の知らない前提の話が進みそうになったので、ノエは咄嗟に話を中断させる。対峙するベリトアは、怪訝そうな顔でノエを見つめ直し、
「もしや、貴殿は気がついていなかったのか」
「……恐らくは、そうかと思います。僕が知っているのは、使用人だったディアヌさんとその娘のエメーヌさんが、オーバン卿が送り込んだ偽の贈り物が呼び寄せた妖異によって殺されるところだった、ということだけです。ティエリーさんの命も、あの事件では危険に晒されていたのですか?」
ベリトアにとっては、これまた予想外の回答だったらしい。まじまじとノエを見つめてから、
「あの子は、なんと運がいい……」
偶然ではありながらも命拾いした息子の強運に感嘆の息を漏らしてから、ベリトアはノエへと説明を始めた。
ノエの知るように、醜聞の的となった使用人母娘を排除するのがオーバンの表向きの目標だったなら、その裏の目的は将来当主になる可能性があったティエリーの暗殺であった。
ティエリーは、ニヴェール家の長子であり、最も次期当主に近い位置付けの者ではあるが、前妻の息子でもある。
前妻は平民と同等の出自の者である上、ヒューラン族でもあった。その息子であるティエリーは、ハーフエレゼンという種族的な観点からも、血筋の観点からも、由緒正しい血筋を守りたいオーバンにとっては認め難い存在である。故に、彼は孫の排除を目論んだのだとベリトアは考えていた。
しかし、オーバンがティエリーを暗殺しようとした証拠はない。
イシュガルドを出ようとしたティエリーを、あっさりと国境警備の騎士が通していたこと。騎士は、オーバン卿から指示を受けて通していたこと。ティエリーが、グリダニアにて一度毒矢を受けて倒れたことなど、幾つかの事実を並べていった結果、ベリトアは父親が息子に向けた魔手を悟ったのだった。
父の陰謀を気がついたとき、ベリトアは震え上がった。オーバンにとって、形はどうあれティエリーは孫である。放浪癖のある厄介な跡取りだとしても、血の繋がった家族を、直接害するような真似をするなど、想像すらしたことがなかった。
「だが、父はそのような決断をする人物だと、私は結論を出さねばならなかった。今日、貴殿をここに誘ったのは、貴殿があの子の命を守ったことへの感謝を伝えるためでもあったのだ」
「……なるほど。そういう理由だったのですね」
どうりで、従者が部屋に一人も控えていないわけだと、ノエは内心で独りごちる。
使用人たちもまた、現当主のベリトアではなく前当主のオーバンに忠誠を誓った間者である可能性をベリトアは疑っているのだ。
「ティエリーさんは、今も命を狙われているのですか」
「いや、今のところ、父は目立った動きを見せていない。私が、イヴェリアスの血を引いた次男のセルジュアンを後継にと強く推したのも、父としては満足できる回答だったのだろう」
オーバンが認めていないのは、ティエリーが当主となる未来だ。ならば、ティエリーに後を継がせるつもりはないと強く主張することで、オーバンの行動を抑制できると判断したとベリトアは語った。
「ティエリー自身の身の安全については、先ほど貴殿に依頼した通りだ。しかし、私の息子の件以外でも、貴殿には忠告しておきたいと思っていた」
ちらりと揺れた視線は、どこかに父の目があるかもしれないと恐れているからか。数秒の逡巡を挟んだ後、
「父は、かように苛烈な気質をもつ人物だ。加えて、何が最もニヴェール家に……ひいては、このイシュガルドという国に利益をもたらすかを重視される方でもある」
「ええ。オーバン卿の考え方については、僕も数日間共にいて肌で感じているつもりです」
「此度、貴殿らを招いた理由は、貴殿らの仲間にエヴラール卿の縁者がいるからという話だったな。たしかに、亡くなったエヴラール卿は父の古い友人ではあったが、ただ昔を懐かしんで縁者を招くようなことは父は絶対にしない。何か父にとって利益があるからこそ、貴殿らは招かれたと考えた方がよい」
先だっての言葉に続き、これはベリトアからの忠告だ。改めて背筋を伸ばすノエに、ベリトアは端的な言葉で締めくくる。
「十分に気をつけて、父上と対峙するように」
「ご忠告ありがとうございます。しかと胸に刻んでおきます」
ノエの返答を聞いて、ベリトアはようやく肩の荷が少し降りたらしい。再び茶に口をつけ、その神経質そうな面差しを少しだけ緩めた。
ベリトアの年齢はノエの父とさして変わらないはずだが、オーバンの存在が彼にとって重圧となっているのか、彼の横顔は時に年齢以上の苦悩を思わせる。若い頃は黒々としていただろう髪に混じった白髪や、深く刻まれた額の皺が、ベリトアという男を年齢不相応に老けさせているように見えた。
何とは無しに、ベリトアを見つめていたノエは、そこでふと記憶の端に引っかかるものがあることに気がついた。神経質そうに眉を歪め、貴族としての装いをしながらも、何かに押しつぶされそうな疲弊を抱いた顔。かつて、ここではないどこかで目にした顔が、過去の一幕からゆっくりと浮かび上がってくる。
「……ベリトア卿。不躾に申し訳ございませんが、僕は以前に一度、ベリトア卿と顔を合わせてはいませんでしたか。恐らくは……皇都にいたときのことです」
「私と貴殿が? 私は、最近皇都に行った覚えはないが……」
「最近のことではありません。僕がまだずっと幼かった頃、伯父のフィリベールが、僕を皇都に連れて行ってくれたことがありました。星芒祭の頃のことです」
言いつつも、ノエはオーバン卿の言葉を思い返していた。
ベリトアは、ノエの伯父であるフィリベールのことを未だに思い出しては、愚痴めいた言葉を漏らしていると。
ノエの発言を聞き、ベリトアの顔がみるみる内に曇っていく。苦いものを飲み干したような表情を浮かべながらも、彼の視線は先ほどまでと異なり、ノエを捉えずにあらぬ方向を彷徨っていた。
「確かに、私はフィリベール卿と交流があった。神殿騎士団に在籍していた頃の数年の話であったが……」
会話こそ続けていながらも、ベリトアの視線が落ち着きを失い、狼狽えているのはノエの目から見ても明らかだ。ベリトアの父であるオーバン曰く、ベリトアはフィリベールを苦手に感じていたらしい。ならば、この話題は適切とは言い難いだろう。
「……失礼しました。ただ、昔出会ったときのことを思い出して、つい言葉に出してしまったのです。お許しください」
深々と頭を下げ、ゆっくりと持ち上げる。すると、今度はベリトアも視線こそ逸らしていなかったものの、慌てたように手を持ち上げていた。さながら、ノエが終わらせようとした話題を引き止めようとしているかのようだ。
「ま、待ってほしい。貴殿は、たしか、ラペイレット家の関係者だったな。父は、貴殿が、ラペイレット家の庶子と話していた」
「ええ、その通りです。以前、皇都であなたもそう仰っていました」
思わず言葉に棘が混じってしまったのは、ノエを連れていた伯父のフィリベールを指して、ベリトアが「慈善事業」と発言したのを覚えていたからだ。
当時は意味が分からなかったが、貴族の長子であるフィリベールが、弟の庶子を観光につれだしている様子を揶揄したものであるとは、今のノエには分かっている。
「当時のことは……本当に、申し訳ない。言い訳にしかならないが、当主の座を父から突如押し付けられて、これまでの生活を捨てるように命じられて、あの頃の私は気が立っていたのだ」
「ベリトア卿にも、卿の事情があったのだろうとは、今の僕も理解しているつもりです」
思うところはあるが、十年以上も前の嫌味を取り上げて怒るつもりは、ノエにもなかった。
「ただ、もし伯父上のことをご存じならば、お話を少し聞けたらと思っていたのです。伯父上は、ご存じの通り、あの後任務の途中で消息を絶ってしまって……それきりでしたから」
だが、ベリトアはフィリベールに苦手意識を持っているようだ。ベリトアが嫌がるようなら、早急に話を切り上げようとノエは考えていたが、予想外にもベリトアはフィリベールの話を続けようとした。
「……貴殿は、フィリベール卿とはどのような関係だったのだろうか」
「僕に剣を教えてくれた師匠でした。それに、小さな僕の面倒をよく見てくれた、僕にとって大事な家族でした」
かつては心の距離を置いていたこともあったが、今のノエは堂々と伯父と自分の関係を語ることができた。しかし、一方でベリトアの表情は益々悲壮なものに変わっていく。
「……ならば、私は、貴殿に謝罪せねばならない。貴殿だけでなく、ラペイレット家の者全員に」
「それは、どういう意味ですか」
「……私なのだ。私が、フィリベールをラペイレット家から奪ってしまった」
続きを促す代わりに、ノエは沈黙を続けた。さながら堰を切ったように、ベリトアは語り続ける。
「フィリベールが失踪した任務の中で、私は彼の部隊と行動を共にしていた。私は、奴の功績を妬んでいた。隣領で長子であるということから、何かと父や母は奴と私を比較していた。おまけに、奴は異端審問官でありながら、人徳者として一目置かれてもいた。確かに親しくはしていたが、疎ましい相手でもあったのだ」
ベリトアが見せた嫉妬めいた感情は、かつてノエが父から受けとったものに似ていた。ノエの父も、自分の兄であるフィリベールに気まずさにも似た羨望を抱いていた。
「後方に配備されていたフィリベールが、魔物の急襲を受けたと報告を聞いたのは私だった。戦闘の途中で姿が見えなくなったと言われて……だが、部隊の指揮をとっていた私は、奴の援護と捜索をすぐに口にしなかった」
尊敬していた伯父の失踪の裏に隠された真実。予想すらしていなかった内容を告白され、一瞬、ノエの息が止まった。
「失態を演じて奴が誹りを受ければいいと、私はそんな風に考えてしまっていたのだ。いよいよ吹雪が増して、捜索が困難になり、彼が襲撃を受けた場所も分からなくなってきた頃になって、漸く私は……自分が何をしでかしたのかを、理解した」
遅まきながらも捜索を続けたものの、遺体は見つからなかった。
フィリベールと共にいた部下だけは戻ってきたが、フィリベール自身はどこにも見つからなかった。彼らを護るため、フィリベールは単身魔物と相対し、行方を眩ませたのだと彼らは語った。
自身の慢心とつまらない嫉妬が、一人の人間を死地に追い込んだ。その亡骸すら、自分の手の届かない所に行ってしまったのだと、漸くベリトアは己の齎した結末を理解した。
その後も、何度か捜索は繰り返した。
しかし、ベリトアはいつもどこかで疑念を抱いていた。
自分は、本当に身を入れてフィリベールを探しているのだろうか。自分は、フィリベールを見つけたいと心底から思っているのか。己が何を考えているかすら、もはやベリトアには疑わしかった。
「今思えば、フィリベールが庇ったという部下の者にも怪しいところがあった。彼らは、フィリベールに助けられたにも拘らず、捜索を諦めるように私に進言していたのだ」
「……では、その方達はもしかしたら、伯父上の失踪に関わっていた?」
「かもしれない。フィリベールに対して、つまらぬ嫉妬を抱く者は少なからずいた。……私のように」
もし、ベリトアがフィリベールの部下を強く問い詰めていたら。
もし、初動で適切な対応をして、すぐに救援に向かっていたのなら。
咄嗟に、ノエの喉からそんな言葉が出かかった。
(だけど、今それを言ったところで、伯父上が帰ってくるわけではない)
ベリトア自身、何度も己にそう言い聞かせてはいたのだろう。
同時に、彼はいまだにフィリベールへの苦手意識を拭えずにいたのだろうとは、オーバンから聞いた話からも推測できた。
オーバンは、息子であるベリトアのことを『器の小さい男』と称していた。フィリベールの生死に関する後悔をいつまでも燻らせ続け、失踪した男にいまだに羨望と苦手意識を持ち続けているベリトアのことは、オーバンには理解し難いものに見えたのかもしれない。
「あなたは、伯父上の失踪に少なからず責任がある立場だったことは分かりました。ですが、僕は今更あなたを糾弾するつもりはありません」
ベリトアがノエを見つめる視線に、わずかに光が走る。
その姿を見て、オーバンがなぜベリトアを『器が小さい』と言い切ったのか、その理由がノエにも分かってしまったような気がした。
「僕にとって、伯父上は大事な人でした。ですから、彼を奪った原因でもある、あなたの嫉妬や羨望の感情を、理解して受け入れることはできません。ですが、今ここで貴方に恨み言を言ったところで、伯父上が戻ってくるわけではない。だから、あなたを恨むようなことはしないと、そう言ったのです」
「……返す言葉もない。ただ、私はフィリベールを知る者に、あの時のことを話したかっただけなのだろう」
誰かに言わずにはいられなかったと言いながらも、貴族としての権力を持たず、恐らく再会する機会もほぼないノエを選んだということに、ノエ自身は少なからず反感を覚えていた。
それもまた、ベリトアが告白という形をとりながら、贖罪という行為に目を背けているように感じたからだ。
(……とはいえ、僕も偉そうなことを言える立場ではないか)
自分の手に視線を落とし、ノエは拳を握る。数ヶ月前、自分が命を奪った少年のことを、異端者のことを、指先から思い出すかのように。
「もし、あなたが叱責と贖罪を望むのなら、僕ではなく僕の父に……ベルナール卿に今のことを伝えてください。父もまた、兄の失踪のことを今も覚えている方ですから」
「ああ。……そうだな、いつまでも逃げてはいられない。貴殿の言う通りだ」
額に手をふり、ゆるくかぶりを振るベリトア。
これ以上、彼と同じ場所にいても、ベリトアにとって居心地が悪くなるばかりだろう。ティエリーの一件や、オーバン卿に関する忠告を聞けたのだから、これ以上、ここに長居する理由はない。
「今日は、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。オーバン卿のことは、僕も気をつけるようにします」
辞去するための言葉を口にして、ノエはソファから立ち上がる。流石に客人を座ったまま見送るわけにはいくまいと、ベリトアがその後を追った。
「ノエ殿。フィリベール卿のことは……本当にすまなかった。庶子とはいえ、貴殿にとっては大事な家族だったろうに」
――何か、私にできることはないだろうか。
口にこそしてなかったものの、ベリトアの目は雄弁にそう告げていた。少しでも何かをすることで、自分の罪の意識を軽くしたいのだろうと分かる視線だった。もっとも、ノエにもベリトアの精一杯の気持ちを非難するつもりはない。
「もし、僕に申し訳ないと思っているのなら、一つだけ、質問に答えていただけますか」
「ああ。私で答えられることなら」
「異端審問官として勤めていた伯父上は、どのような方に見えましたか」
甥の前に立った時の伯父のことなら、ノエはよく知っている。弟と共にいたときの話は、父から聞くことができた。ノエが知らないのは、フィリベールの外の姿だけだった。
「……フィリベールは、職務に忠実な人物だった。異端者を裁き、人々の安寧を護ることこそが使命だと信じているような男だった。貴族の出自であるにも拘らず、身分問わず誰に対しても公平に接していた」
行動を共にしたことがあるベリトアにとっては、フィリベールは自分に劣等感を抱かせる存在だったのだろう。だからこそと言うべきか、彼の言葉はフィリベールという人間の像をよく捉えていた。
「奴の尋問は、異端審問官の中では人道的だと言われていた。だが、婚約者が異端者に殺された時だけ、奴は感情的な尋問を行っていた。奴は、後でそれをひどく後悔し、より自分の行動を戒めるようになったのだ」
「……伯父上は、異端審問官としても、騎士としても、誠実に生きていた方だったのですね」
「多くの者が、そのように評価していた。だが、どこかで自分の職務に疑問を抱いている場面もあったようだ。……異端審問官の尋問は、冤罪の場合も多い。教会の権力者の顔いろを伺って、誰もそれを指摘しないが、フィリベールにとって思うところはあったのだろう」
ベリトアが語った言葉を最後まで聞き届けてから、ノエは一礼して部屋を後にする。
廊下を数歩歩き、一つ息を吐いてから、瞳を閉ざす。
瞼の裏に思い返すのは、ノエを指導していた伯父の穏やかな微笑みだった。彼は、吹雪の中置き去りにされた時、自分は同僚に裏切られたのだと知っていたのだろうか。
(伯父上の遺体は見つかっていない。できることなら……ここでははないどこか遠くに、旅立っていてくれていないだろうか)
己の居場所はここではないと見切りをつけて、イシュガルドの地を抜け出て、自分のことを誰も知らないような異境へと旅立つ。
その妄想めいた空想は、ノエにとってはほんの僅かに残った希望の糸を手繰り寄せるようなものだった。
――キミがいう悪い人とは、どんな人だ。
――正義のために剣を振るうとキミが言ってくれるのなら、私にとって、これ以上嬉しいことはない。
幼い頃にかけられた言葉が、くっきりと浮かび上がってくる。
正義の味方になりたいと、無邪気に口にしていたあの頃のノエに、伯父が真摯に向き合ってくれていた。
(僕はもう、あの頃のように無邪気に正義を口にすることはできません。だけど)
自分の部屋に戻る途中、隣にある部屋の扉が開き、ひょこりとオデットの顔が覗く。どうやら、遺産の話を無事に終えて帰ってきたらしい。
ひらひらと手を振る少女に、手を振り返しつつ、心の中でノエは伯父の背中に語りかける。
(今の僕は、オデットを守るために全力を尽くしたいと願っている。それだけは胸を張って、あなたに答えられます)
かつては遠くに見えた師の背中。しかし、今のノエには、以前よりもずっと近く彼の姿を感じられた。
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