もち粉
2025-06-18 21:55:48
5917文字
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効果は抜群だ


カブミス
カブ37歳
ミスさんに対して、タメ口+さん付け
取るとこなくって前半取ってみたミスさん

 ベッドの天蓋の隙間から差し込む、柔らかな朝日でミスルンがゆっくりと覚醒する。
 半ば眠りながら、ベッドの中を手で探すとカブルーがいない。さてはまた帰れなかったかと、落胆しながら目を開ければ、ミスルンの伴侶はベッドの端の方で眠っていた。
 
 深夜に帰って、寝ているミスルンを起こさないようにと気を遣ったらしい。
(起こしたっていいから、しっかり布団に入って私を抱きしめて寝ればいいものを)
 ミスルンが布団の中でカブルーににじり寄って顔を覗き込むと、カブルーがかすかに眉を動かした。
 
 青年期の頬の丸みが消え、精悍さを増した輪郭に伸びかけの髭が影を落とす。目の下にうっすらできた隈が、疲れた男の顔に愁いを帯びた色気を添えている。ミスルンは、飽かず伴侶の寝顔を見つめていた。出会って一五年、こいつは本当にいい歳の取り方をしている。
 
 見つめすぎたか、カブルーが薄く目を開けた。ぼんやりとしていた青い瞳がミスルンを認め、慈しむように細められる。
「ミスルンさん」
 布団の中でそっと指を絡める。
「まだ寝ていろ、今日明日は休みが取れたんだろう?」
「うん、とりあえず昼まで寝かせて。起きたら今日はふたりでゆっくりしよう」
「うん。――そのあとは?」
 ミスルンが指先でカブルーの掌をくすぐってくる。
 
「そうだなぁ……」いたずらな指先を捕まえて、キスを落とす。
「夕市に行く? ミスルンさんあれ着てよ、白地に銀の刺繍で青っぽい帯のやつ」
「わかった。そのあとは?」
「そのあとは……
 
 カブルーに腕を引き寄せられて転がり、腕の中に閉じ込められたミスルンは、この先を期待するような甘い眼差しで、カブルーを見あげる。
 カブルーがそっと唇を下ろし、二人の息が重なる瞬間――
 
 ――コンコン。
「失礼いたします。旦那様――
 
 無粋なノックの音ともに、二人きりの時間は終わりを告げた。
 
 ◇
 
 シャツのボタンを留める音が、静かな部屋にかすかに響く。
 ミスルンは抱きかかえたクッションの上にあごをのせて、むっすりとしている。
 
「本当に行くのか」
 
 拗ねた色の混じる声だが、ただ甘えてぐずっているわけではない。カブルーがこれで一七連勤になることを知っている。その分ミスルンが、一人寝を強いられているのだから。
 
「ごめんねミスルンさん、本当に……なるべく早く片付けて、午後までには帰るから。お昼は一緒に食べれるよ」
 
「そんなに早く片付くなら、お前じゃなくてもできるだろう」
 
 ぷいと横を向いた拍子に、背の中ほどまでのびた銀髪がふわりと揺れて、朝日に淡くきらめき美しかったが、その動作は明確に不満を表明するものだった。
 
「そうもいかないよ、迎えの馬車も、待ってるし……
 カブルーは苦笑すると、シュッと音を立てて上衣を着る。
 
「お前、もう少し部下を育てることもした方がいいぞ」寝間着の裾から傷だらけのすんなりとした脚が伸び、ちいさな足でいらただしげに床をぱたぱたと叩く動きに合わせて、桜貝のような爪が光を弾く。 
 
「じゃあごめんね、行ってくるから」
 
 せめて行ってきますのキスをしようと肩を抱いて顔を近づけたが、ミスルンは横を向いてクッションに顔をうずめたまま抗議の構えだ。
 
 カブルーはそっとため息をつくと「とっておき」を使うことにした。
 自分だって後ろ髪を引かれる思いなのだ。できればミスルンをポケットに入れて連れていきたいくらいに。
 キスくらいしてもらえないと、頑張って仕事に行けそうもない。
 
「ね、ミスルン」呼び掛けるとぴくりとミスルンの耳が動く。
 
「こっち向いて? いってらっしゃいのキスをもらえないなんて寂しいよ?」
 
 ぴくぴくと耳が震える。欠けた耳の先が、ほんのりと染まる。
 
「ミスルン?」ダメ押しにもう一度呼んでやると、しぶしぶ顔を上げた。その機を逃さずそっとキスをする。
 
「すぐに戻るから。いい子で待ってて」
 
 カブルーの指先がミスルンの寝起きの髪を軽く梳く。ああ、この髪を銀の櫛で丁寧に梳ってやりたい。
 ミスルンはようやっとこっちを向いて、クッションに埋もれるような小さな声で「……早く帰ってこい」と言ってくれた。
 その声ににじむ甘えに押されて、カブルーもやっと仕事に行く決意ができた。 
 
 これが「とっておき」
 ミスルンはカブルーに呼び捨てされるのに弱い。
 
 閉まる扉の向こう、遠ざかるカブルーの足音を聞きながら、ミスルンは顔をクッションにうずめたまま小さく息を吐くと立ち上がり、窓を開けて下を覗く。
 
(カブルーのやつ、呼び捨てで呼べば、私がなんでも言うことを聞くと思って……
 癪に障るが否定はできない。
 以前は、自分の一挙一動に一生懸命反応し、頼りがいのある所を見せようと背伸びをしていた一五〇以上も年下な可愛い若者は、最近はすっかり落ち着いた余裕を見せて、私を子供扱いするようになった。
 別に敬われたい欲があるわけではないのに、何故「さん」が取れただけで毎回動揺してしまうのか。
 こちらも呼び方を変えてみようかと思ったが、カブルーの事は昔からカブルーと呼んでいるので取るものがない。
 いっそ使用人の服を着て「ご主人様」とでも呼んでやろうか。……いや、そんなので興奮されてもそんなカブルーはちょっとイヤだ。
 
 ミスルンはしばらく窓枠に肘をついて、馬車を見送っていたが、やがてそっと窓を閉じた。
 
 ◇
 
 カブルーは揺れる馬車の中、シートに深く沈み込んでため息を吐く。普段迷宮調査に飛び回ってるミスルンが家にいる間に連休が取れるなんて、貴重な機会だったのに。けれど、恩師ヤアドがぎっくり腰で寝込み、さらに不穏な書簡が舞い込んできたと聞けば登城せざるを得ない。
 
「そろそろ部下を育てるべきだ」――ミスルンの言葉を思い返しながら、馬車の窓枠に肘をかける。夏の朝、まだ気温の上がりきらぬ風が吹き込み、心地よい。優秀な部下たちではあるが、こういうときに判断を任せられる者がまだいない。
 
 今は寝込んでいるとはいえ、塵になる気配もなく元気な恩師の手前言いづらいが、自分としても年齢的に一七連勤はキツくなってきた。確かに下の育成は考えていかねばならない。
 
 ミスルンがずいぶんとぐずってみせたのも、さみしさからだけではなく、カブルーの身体を心配してのことだと分かってる。
 
 それでも、送り出してくれた時のミスルンの表情を思い出すと、不機嫌を装う姿があまりにも愛らしくて、口元が緩みそうになる。結婚して八年――あの人はますます可愛くなった。昔は「遥かに年上だけど可愛い人」だったが、今はただただ可愛い。ミスルンだって、昔よりさらに熱を帯びて見つめてくれるようになった。多分、年を重ねた俺の方が好みなのだろう。(あの人、ブラコンだしね)そう思うと、年を取るのも悪くない。
 
 轍の音と身体に伝わる振動の変化が、城への石畳へ入った事を知らせる。
 城が見えてきた。カブルーは深く息を吐き、背筋を伸ばす。 
 ――さあ、仕事だ。
 
 ◇
 
 はたと気づけば夕方だった。
 執務室の窓から茜色の光が差し込み、西の空が紫とピンクのグラデーションを描いているのが見える。
 
 いつの間に!?
 取り急ぎの指示を出し、ちょっとだけ書類の確認もしておこうかと思ったら、時間の感覚を忘れていた。
 机の上にクッキーの欠片がちらばっている。指でなぞると、すっかり乾いたクッキーは、ざらりとした砂のような感触を伝えてきた。そういえば口の中がかすかに甘い。これが昼飯だったのか? 集中し過ぎて記憶がないことに、我ながらぞっとする。
 昼飯? 数秒遅れで思考が回る――そうだミスルン! 一緒に食べようと約束してたのに。普段は決められた時間通りに食事をするミスルンだが、朝のさみしげに甘えた声を思えば、もしや待ってるかもしれない。
 
 カブルーは慌てて残りの書類を引っ掴む。ペンが転がって机にインクの斑点を散らしたが、今構っている余裕はない。勢いよく扉を開け、半身を廊下に乗り出して声を張った。「馬車を!」
 
 ◇
 
 夕暮れから夜に移りゆき、二番星が出る頃、屋敷にたどり着いた。
 
 子供の頃、遊び呆けて帰りが遅くなり、母に見つからぬようにそっとドアを開けた時のような気持ちでミスルンの待つ部屋のドアをノックする。
 ミスルンは一人掛けのソファに座って肘掛けに肘を置き、曲げた指の背にこめかみを預けてこちらを見ている。昔のミスルンのような感情の読みにくい顔だった。
 
「あの……ただいま
 ミスルンは無言のまま人差し指で自分のこめかみを叩きながら、じっとカブルーの顔を見つめてくる。
 
「えっと、遅くなってしまって本当にごめん。昼食は取った? 今からならまだ夕市には間に合うから、屋台で何かつまもうか?」
「私は食べた。六時間経ってないから、夕食はまだいい」 
 
 その言葉で、ギリギリまで自分の帰りを待ってくれていた事が察せられて、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
 視線を下ろして気がついた。ミスルンが、今朝自分がリクエストした服を着てくれている。
 
「あの、その服着てくれたんだね」
 ミスルンは頭を起して、服を見せるようにたっぷりとした袖をちょっと持ち上げてみせると、腕を組み長い裾の下で足を組んだ。ミスルンの動きにあわせて精緻な銀糸の刺繍がきらめく。
 そうして、ふうとため息をつくと、まっすぐカブルーを見ながら話し出す。
 
「昼時に一度、城に遣いをやった」
 
 え?
 
「お前は忙しいだろうからと、今朝迎えに来た文官宛に遣いをやって、お前は帰れそうかと聞いた」
 
 まって聞いてない。
 
「もう落ち着いたから、昼過ぎには帰れるだろうとの返答だったから、これを着た」
 
 言えよあの野郎!!
 カブルーは部下の育成問題が喫緊の課題であることを心底痛感した。メリニの未来と我が家の明日が掛かっている。
 まさか報連相から叩き込まねばならないとは。
 
 拳を握り、静かに息を吐くことで怒りを逃すカブルーの前に、いつの間にか立ち上がったミスルンがやってきて、拳を開かせそっと手を引く。
「座りなさい、怒っているわけではない」
 
 カブルーを長椅子へ座らせたミスルンは、そのまま向かい合わせに膝の上に乗ってきた。条件反射で紫陽花色の帯が結ばれた細い腰に手を回す。
 
「あの、せめて夕市にちょっとだけでも行く? せっかく着替えてくれたのに。食べ物以外の屋台もあるよ?」
「夕市に行きたかったわけじゃない。お前がこれを着た私を見たがったから、着ただけだ」
 
 ミスルンは広い袖口から手を伸ばすと、カブルーの目の下の隈を親指でそっとなでた。かつてカブルーがよくミスルンにそうしたように。
 
「お前こそ、昼食は食べたか?」
「あ、ええと……クッキーを何枚かかじったような……
 ミスルンがまたふぅと息を吐く。
「最近になって、昔お前が口酸っぱく、ちゃんと眠れているか、ちゃんと食べろと言ってきた気持ちがわかるようになった」
 カブルーは気まずげに目線をそらせた。忙しさにかまけて、生活が乱れていた自覚はある。
 
 
「食事を用意させている。まず食べて、それから少し休みなさい」頬に手を添えられる。「体をいとえ、お前も、もう、トールマンとしてはそれほど若いわけではないのだろう?」
「う……
 自分だってエルフにしては人生折り返しくらいでしょ? と反論したかったが、膝の上のミスルンは、今の服装もあいまって、ともすれば少女にも見えそうな容色である。出会って一五年、結婚して八年、カブルーのお世話と愛情の賜物であった。
 すっかり磨かれた掌中の珠は、今朝のことなど忘れたように、年長者の顔を取り戻し、カブルーの膝の上、伸び上がって頭を抱き込み、なでてくる。
 
「今日はもう仕事はないな?」
「ない……です」
――
 ほんのわずかにこわばった体の動きは、密着していたミスルンには丸わかりだっただろう。ミスルンが腕を突っ張った分、体を離し、その隻眼でじっとりと様子を伺ってくる。
 
 本当は少しだけ持ち帰りの仕事がある。どうしても今日というわけではないが、できれば明日のうちには、終わらせておいた方がいいやつ。
 
「今日はもうだめだ。明日もな。明後日登城後にしなさい」
「いやでもできれば……
「だめだ」
 細い人差し指をカブルーの顔の前にピッと立てる。
「休むことも大切だぞ」
 それはそうなんですけど。
 
 人差し指をふわっと折り曲げ、駄々っ子をほほ笑ましく眺めるかのようにほんの少し苦笑する。 
「いい子だから。言うことを聞きなさい?」
「なぁ、」桃色の唇でいたずらっぽく弧を描いて小首をかしげる。「ルゥ?」
 
 その響きが耳の奥に落ちた瞬間、思考は一切の機能を停止した。
 なるほど、呼び名の破壊力ってすごいな。初めて聞いた甘い愛称が、まるで弓矢で射られたような衝撃をもたらして、気づけば湧き上がる衝動のまま、ミスルンを両腕で掬い上げて立ち上がっていた。
 
 見た目に反してそこまで軽くもないミスルンだが、今は全く重さを感じない。
 先ほどまでも膝の上に乗せていたというのに、生地越しのミスルンの体の柔らかさと体温が突然に意識され、身の内に熱がこもる。足がそのまま続き部屋の寝室へ向かう。
 ミスルンは急な高さに驚き、身をこわばらせたが、カブルーの向かう先に気付いた瞬間、その黒曜石のような瞳の奥に、銀の光がゆらりと灯った。腕にかかる重みが増して、ミスルンが体の力を抜いて身を委ねた事をカブルーに知らせる。
 無言の許しを得てますます沸き立つカブルーに、ミスルンが口元を面白そうに吊り上げた。
 
「まだまだ元気みたいだな?」
 
 ――ええもちろん。こんな可愛い事されたらね。
 
 扉の前に、紫陽花色の帯がするりと落ちる。寝室に静かに広がる影の中、銀糸の刺繍が窓からの星明かりをかすかに反射するのをミスルンの瞳のようだと思いながら、そっと寝台に横たえる。
 暗闇に彼の微笑みが滲むのを感じとり、苦笑する。
 ――ミスルンの「とっておき」にやられてしまった。
 仕事は二日後の自分に託し、年上の愛しい人に、朝の続きのキスを落とした。