もち粉
2025-06-18 18:30:58
4271文字
Public
 

布告、君を落とすまで


カブミス
外交官ミスさんに多大な夢を見てます
ポンコツ過ぎて1ヶ月で辞めてても 全然可愛いけど

25/6/22 リライト版に差替えました

「五年間お疲れ様でした」
「うん」
 
 軽くグラスを触れ合わせ乾杯をする。ちんと澄んだ音が耳に心地よい。今日は特命全権大使を退任したミスルンの慰労会だった。ふたりっきりで。
 
 ここ大事だ。ふたりっきりで!
 思わずテーブルの下で拳を握り締める。
 
 ミスルンの退任が決定してからというもの、離任の挨拶や引き継ぎなどで忙しく、なかなか私人として会う機会が持てなかった。
 昨夜の送別と新大使就任祝賀のレセプションが終わり、ようやく今日ゆっくり時間を取って会えているのだ。
 
「パッタドルも張り切っていた。手柔らかにしてやってくれ」
 
 ミスルンがワインを傾けつつ、静かに微笑む。その瞳ににじむ優しさは、彼女の成長を喜ぶ年長者のものだった。
 副官として長く実務を担ってきた彼女がそのまま後任となったのは、ミスルンの後任人事を固唾を飲んで見守っていたメリニ首脳陣には、驚きと安堵、多少の失望を持って受け入れられた。
 
 ――そもそもケレンシル家ほどの大貴族が、新興国メリニに駐在していたこと自体が、異例中の異例だったのだ。
 建国の経緯とミスルン本人の事情を知らぬ他国には奇異に映ったことだろう。
 それゆえに他国は、メリニの背後にある影響力を警戒せざるを得なかった。ミスルンの駐在は、建国直後の不安定な時期に、他国の介入を遠ざける抑止力でもあったのだ。
 
 西方との繋がりを示す旗印を失うのは痛いが、多人種国家を目指すメリニにとって、いつまでもエルフの国ばかりと癒着していると見られるのもよろしくない。ミスルンの退任は、メリニに取っても良い頃合いだった。
 
「でもよかった。西方に帰ってしまうのではなくて」
「これからは特命調査官となる。貴国にも色々便宜をお願いするかと思うがよろしく頼む」
「ええこちらこそ。お互いの国にとって良いように協力しあっていきましょう」
 
 問われるがままに全て語ってしまいそうなミスルンに外交など務まるのか――最初はそう思っていた。だが蓋を開けてみれば、彼ほど手強く、読みづらい相手はいなかった。
 
 感情に流されず、理で動く。我欲がない分、懐柔も効かない。こちらの立場を見抜き、必要があらばそっと寄り添ってくる。またある時はさりげなく策を巡らしてくる。
 気がつけば、形を変えた要求を飲まされていたことも一度や二度ではなかった。
 程よい所で、手打ちを差し出し、絶妙な均衡を保つそのやり方は、カブルーに取っても学ぶべき点が多かった。
 
 彼の出方によっては、いかにやり手のヤアドといえども、二国間の関係は、もっと緊張感をはらむものになっていたかもしれない。
 
 そうならなかったことこそ、ミスルンの私情の表れであったが、それはカブルーの知ることではなかった。
 
 これからはミスルンの薫陶を受けたパッタドルが直接の交渉相手となるが、ミスルンが引き続き駐在する以上、影の責任者として彼をキーパーソンと見るものは少なくない。
 彼が特命調査官となったことで、メリニは迷宮調査権という貴重な交渉材料を手に入れた。
 ライオスがほいほい与えないように、こちらも手綱を締めなければ。
 
 それは今は置いといて。
 
「でも今はプライベートですよ? 仕事の話はよしましょう?」
「うん」
 
 カブルーの慣れたウィンクには心動かされた様子もなく、もとより仕事の話を続けたい欲もないミスルンはあっさりと頷いた。
 
 もうちょっとドキッとしたりしてくれてもいいんですけどね。
 最近は落ち着きと貫禄も備わってきて、ますますいい男になってきた所に茶目っ気のある仕草が堪らないと御婦人方に評判のウィンクなんですけどね?
 
「注文決まりました? 食べたいのありますか?」
「なんでもいい。お前が選んでくれ」
「だめですよ。一つだけでも選んで」
 
 この五年間、共に食事をする度に繰り返してきたやり取りだ。飽きるほど繰り返したいと願ったけれど、自身もメリニの外交に関わる身になってみると、他国の大使と私的に会う機会というのは、想像以上に少ないものだった。
 
「お前が私のために選んでくれたものが食べたい」
「面倒くさいだけでしょう?」
「ちっ」
「おっ、舌打ちか?」
 
 結局、店のオススメマークが付いているもののうち一番上のものをミスルンが選び、それに合わせてカブルーがいくつか付け足して注文をする。
 
 しばらくはお互いの他愛のない話しをする。というかミスルンから聞き出す。
 
 自分で市場で買い物とかするんですかミスルンさん? ああ蕎麦用の食材を注文に? 迷子にならずに行けるようになったんですね。粉屋の亭主がいつもおまけしてくれる? 花? 花を粉屋が? ミスルンさん、その粉屋配達の時とか家に上げちゃだめですよ。まあ受け取るのは使用人の方でしょうけど。ていうか今度その粉屋に俺も連れて行って下さいよ。市井のお店の視察も重要ですし!
 
 そういえば衛兵のトーマスに稽古をつけてやっていると噂をききましたけど? ああなるほど自分より体格のよい相手と戦うコツを教えてくれと頼まれた? 熱心に教えを請いに来る? 休みの日にまで? 城を守る衛兵が鍛練に熱心なのはいいことです。ですが庭先とはいえ大使館へ一般人の立入りは避けたほうがいいでしょう。よければ城の道場を使えるように手配しますよ。ミスルンさんの稽古なら他にも受けたいやつが多いと思いますし。
 
 なんてこった。自分が立場上身動きの取りづらい内にわるい虫がついている。
 
 なんかちょっと楽しそうですね。貴方意外と若者に教えるの好きですもんね。
 ほんのりと口元を緩めて、衛兵の成長具合を語るミスルンを見ながら、鶏の香草焼きを口に放り込む。
 
 ちょっと待って。食事に誘われた? トーマスに!? 結局、蕎麦を振る舞ってやった?
 
 あの野郎、配置換えしてやろうか。いやそれはいくら何でも職権乱用だ。
 俺だって最初の頃は、もっと気兼ねなくミスルンさんを誘えていたのに。あの頃は純粋に友情のつもりだったさ自分でも。
 でもあっという間に国の重鎮みたいになっちゃって。正直仕事はすごく楽しくてやりがいあって全力で走り続けてふと気づいたら、長らくミスルンさんとふたりでゆっくりご飯なんて行けてないなぁって気がついたらさみしくなって。
 気づいてしまったらもう駄目だった。何でもいいというあなたを諭して、メニューを選ばせて。どうしてそれにしたんですか? って聞いて「以前お前がうまいと言っていた」なんて返ってきた日には、ささいな会話を覚えていてくれたことが嬉しくて。またあんな風にふたりの時間を過ごしたい。髪をそっと耳に掛けてやって頬をなでたい。ほろ酔いになったあなたと手を繋いで屋敷まで送り届けたい。できたら別れ際にキスもしたい。
 
 好きだと気付いたときには互いの立場上気軽にふたりきりとは行かなくなってしまっていた。
 
 だがそれも今日で終わりだ。
 グラスをあおって勢いをつける。たん、とテーブルに戻す音を合図に話し出す。
 
「ミスルンさん、今日辞令が出ましてね。俺今度、教育や国内の研究所の統括なんかを担当する大臣になることになりました」
「そうか」
 
 ミスルンは短く答えたのちに、一瞬考えるような間をおいて「おめでとう」と付け加える。
 
「今までヤアドさんの下で政治を学ばせてもらいながら、役職のないまま何でも屋として飛び回ってましたけど、将来の事を考えるなら色んなポストを経験したほうがいいという事になりまして」
「そうか」
 
 ならば彼は実質的に次期宰相候補の一人として認められたという事だ。
 あの日、迷宮の崩壊を防ぐために島に上陸したカナリア隊の前に立ち、長命種による迷宮の秘密の独占を阻止し短命種により迷宮の攻略をなさせるために弁舌を振るった若者を思い出す。
 エルフのミスルンからすれば五年程度誤差のようなものだし、生まれて三十年も経ってないなんて赤子も同然だ。
 しかしトールマンとは五年でこうも変わるものだろうか。あの時の若者は、今やすっかり大人の顔をして、目の前に座っている。
 けれどもその輝きを宿した眼差しは変わっていない。迷宮の攻略に向けられていた情熱が、今では国の運営へと向け先が変わっても、熱意に満ちて煌めく青い瞳は美しい。
 
「それでですね、一旦外交関係は外れる事になったんです。ライオスもいちいち全ての人の名前を囁かなくてもなんとかなるようになってきましたし、ヤアドさんもいますしね」
「そうか、今日はお前の慰労会にもなるな」
「いいえ、俺の慰労会は別にして下さい」
「わかった」
「ミスルンさんの迷宮調査官としての門出を祝う会もやりますし、俺の就任祝いもしてくださいね。あなたが迷宮に潜る前には必ず壮行会をしますし、帰って来たら無事に帰ってきたお祝い会をします。調査の合間は用がなくても一緒にご飯を食べましょう。迷宮調査の結果なら国立魔物研究所にも報告が回りますしね。業務の関わり上、親しくしたっておかしくありません」
 
 仕事とはいえ魔物と関わるなんてまっぴらだが、こういった口実になるならそれも悪くない。
 なんだかミスルンがびっくりしたような顔をしているが構うものか。やっと前ほどの配慮が必要なく会えるようになるというのに、カブルーの好きな人は迷宮に行くと言う。まるで悪魔のよすがを探し求めるかのように。
 あなたを待っている者がここにいると分からせなくては。カブルーが待っているから帰らなくてはと思ってもらわなくては。カブルーの元に帰りたいと思ってもらいたいのだ。
 
「そうか」
 
 なんだってカブルーは、まっすぐこちらを射抜くような瞳で、熱を込めて見据えてくるのだろうか。
 ミスルンは居心地の悪さに戸惑い、逃げ出したいような、その青を見つめ返したいような、相反した気持ちに襲われてうろたえた。カブルーの視線に囚われたまま、昔の自分に助けを求めると、銀の瞳の美青年はつんと尖った耳をぴこりと動かしあきれてみせた。
『お前本当に分からないの? 一目瞭然だろう? このトールマンの若造はね、お前のことを……
 
 過去の自分が正解をミスルンの耳に吹き込む。
 
 カブルーの声がする。
 
 
「今日からガンガン口説いていきますからね、覚悟してください」