A4
2025-06-18 14:05:45
3806文字
Public 助手2号のお兄ちゃんのイトアキ
 

camera obscura/ 助手2号のお兄ちゃんのイトアキ

助手2号の兄がチャンピオンと一緒に共生ホロウの近くにある森に行く話。特に事件は起こらず二人の関係がどうこうなるわけではありません。
とびますさんの絵を見て勝手に物語が浮かんできて、助手2号のお兄ちゃんで書いていいよと言ってくださったので、ご厚意に甘えて自由に書きました。あくまでイラストから起草したものになります。へーリオス研究所時代やゼンゼロ世界観を勝手にねつ造しています。

森の中の空気は澄んでいた。
樹齢百年を越える木々に囲まれ、アキラは呼吸を浅くした。
足下はコンクリートで舗装された道ではない。かといって、乾燥し風化した土の上でもない。
落ち葉や枯れ木が幾層にも積み重なり朝露を受けて苔むしていく柔らかな地面だ。
スニーカーで踏みしめると、聞き慣れない足音がする。
静かだった。
まるで、この世に生きているものなど存在しない、そう思わせる無音の世界がここにはあった。

小屋に戻ると、小屋の屋根から引っ張ってきたタープの下でライトが火を熾していた。
湿度が高いせいかなかなかつかないらしい。
属性が炎なのに、と声をかけると、日常生活には関係ないと返された。
アキラは小屋に入る。
昼間だが、部屋の中は暗い。電気が通っていないから灯りをつけることもできない。
ベッドに投げだしたままだったバッグからエーテル量計測器を取り出す。バッテリーが入っていることを確認してスイッチをオンにした。液晶画面に灯りが点き、日付と時刻が表示された。それを持って小屋の外に出る。バーベキューコンロの前で煙が上がっていた。その向こうのライトにアキラは声をかけた。
「調査に行ってくるよ」
「飯が先だ」
「まだかかるだろう、それ」
「あんたを一人で行かせるつもりはない」
きっぱりと言われて、アキラは押し黙った。
いつしか、声の調子で駆け引きをするようになった。
ライトは頑固だ。
こうと決めたらてこでも動かないし、勝手に単独行動で事を進めてしまうことがある。
それを告げたことがあった。お互い様だと返され、アキラはぐうの音も出なかった。その通りだったからだ。
まったく生まれも育ちも境遇も違うというのに、似ているところがあるのは、不思議な感じがした。だが、だからこそ、アキラはライトのそばにいても息苦しさを感じない。
ライトは火を熾したバーベキューコンロにケトルを置いて湯を沸かしていた。
「何ができるんだい」
「インスタントヌードル」
肉や野菜は準備してきていない。妥当なメニューだった。

共生ホロウは世界各地にあり、人々の居住可能な土地を緩やかに浸食していた。
旧文明ではほとんどの場所が人類によって踏破され、果ては空の上まで開拓しようとしていたらしい。
今でもその名残がある。宇宙開発は今も、人々の夢だ。
この森は数少ない、旧文明から続くホロウに浸食されていない場所だった。
いつかはここも飲み込まれてしまう。だが、ホワイトスター学会によると、百年も先のことになるという。どのような調査によるものなのか定かではないが、確かにこの森の近くにある共生ホロウはその浸食の方向性が森ではなく新エリー都に向かっていた。
鳥や虫さえ住まない森は外界の脅威など知らないとばかりにひっそりとたたずんでいた。

ここへやってきたのは初めてではない。まだへーリオス研究所があったころ、旧都陥落の前、リンとともにカローレ・アルナの研究に従事していたときに三人でやってきた。先生は運転があらっぽく、車が入れるぎりぎりのところまでいってようやく停まり、二人して吐いたことを覚えている。そのとき先生はここには動物も虫もいないと話し、その吐瀉物を分解するものはここにはないから自分たちで片付けるようにと告げ、へろへろになりながらスコップで自分たちの吐いたものを涙目で袋に集めた。
その後、知能水晶体を入れた体で、この場所からシグナル受信のテストをしたのだった。
アキラとリンにほどこされた人体改造は極めて特殊なものであったようで、先生は慎重にテストを繰り返していた。ここへ来て吐いたのは最初の1回だけだった。
それから11年は経っていて、アキラとリンはH.D.D.システムの作動を可能なものにした。
久しぶりにアキラがやってきたのは、さらにエーテル操作を進化させるという、衛非地区での修行の前に、これまでを振り返りたかったからだった。

シェラカップに入ったインスタントヌードルを渡され、アキラは箸ですすって食べた。ライトはフォークを使っている。
「美味しい」
「湯を入れただけだぞ」
「うん、それでも、いつもと何か違うな。環境のせいかもしれない」
子どもの頃に訪れたきりの場所で、何かの縁で知り合った男と二人して食べている、その状況が特別なものに思えた。
ライトを誘ったのは、このようなところにやってくる奇特な人間は彼しかいないという偏見によるものだった。
事実、アキラは妹に比べると人間関係が希薄である。これまで、全ての行動の起点はリンにあった。彼女が中心の生活だったのである。へーリオス研究所がホロウに飲み込まれ、先生を失ってから、彼女だけがより所でもあったのだ。ビデオ屋を営むようになってからも、アキラは極力、付き合う人間を選んできた。客商売であるから人付き合いはするが、深い関係にはならなかった。リンにはわからぬよう、彼女の周りの人間にも気を配っていた。
パエトーンのアカウントを失ってからはジェットコースターのように日常がめまぐるしく変化した。そして、二人が追い求めている真実に近づくにつれ、新たな出会いがあり、頼れる仲間が増えていった。これは兄妹にとって、大きな誤算であり、嬉しい思いがけない出来事でもあった。
あくまでアキラはリンのサポートに徹し、極力前に出ないようにし、冷静に状況を見極めようとしていた。
そこへ、この男の登場である。
強者の余裕とでもいうのか、人をぎりぎり不快にさせない程度の馴れ馴れしさを持つライトという男を、アキラは警戒した。リンに近づく悪い虫ととらえたのである。
が、いろいろあって、どういうわけか、アキラは体の関係をこの男と持っている。まったくもって理解できない謎の状況だった。
アキラが警戒していた当初は向こうもこちらなど眼中になかっただろうに、今や、好いているという。おかしな男だった。
自分たちの容姿が他者から魅力的にうつるというのは、研究所時代から知っていた。ビデオ屋でも距離感のおかしな客は二人に突然愛の告白などしてきたりもする。人のあしらい方が慣れていなかったころは街中を歩くだけでも苦労した。
しかし、どうやらライトは、別に見た目でこちらに懸想しているわけではないようなのだ。変な男だった。
もっとおかしいのは、彼を受け入れてその気持ちを宙ぶらりんにさせておきながら、彼との時間の共有を楽しむ自分である。
自己分析はとっくに放棄していた。
心の赴くままに従った結果が今なのだ。
シェラカップをバーベキューコンロの金網の上に置いた。まだ炭は真っ赤に燃えさかっていたが、端っこに置けば問題ないはずだった。
「アキラ、ついてる」
ライトはグローブを外して、アキラの口の端を指で拭った。ライトはごくごく自然にその指を舐めて再びグローブを装着した。
このようなことをされても不快でないのは、どうかしていた。

エーテル量計測器はものすごい音を立てて、巨木の先にエーテル反応があることを示した。
生き物の気配がしない森の中で、電子的な音が鳴り響く。
アキラは持ってきていた蛍光色のリボンを、巨木の近くの適当な樹木に結びつけた。何本かの木に同じ事をする。こうすることで、この先が危険だと示すことができる。
「向こう側から来る場合はどうなるんだ?」
腕組みをして立っているライトが尋ねる。
「さあ。調査って基本的に、調査する人の目線が中心になってしまうから。向こう側は共生ホロウがあることがわかっている。あちらから見たら、このリボンの先が安全ということになるんじゃないかな」
「わからないのにやってるのか」
「子どもの頃にこうしていた。先生に言われたとおりに。あの頃は意味なんか考えなかったから。リンと二人で競争したよ。どっちが早くたくさんリボンを結べるか、ってね」
「そのリボンはもうないのか」
「この先にあるんだろうね。もう行けない、向こうに」
アキラは目を細めた。
幼い頃の自分たちが目の前の風景に現れる、そんな表現は、映画の中だけのことだ。
しかし、もし、自分の心情を映画にするなら、そのような演出をするだろう。
小さな妹、かわいい妹、飛び跳ねる妹はアキラの憧憬なのだ。
しばらくその場にたたずんでいたが、同行者がいることを思い出して、振り返った。
ライトはじっとこちらを見ていた。
サングラス越しでもわかった。
彼は自分を捉えようとしている。
不躾な視線は人を傷つける。たとえ直接的にそれを感じなかったとしても、インターノットの画面の向こうで、あるいは都会の喧噪の中で、誰かが丸裸にしようとして見れば、それは暴力と変わらない。
ライトの翠の目にはどこにも、こちらを知ろうとするところがなく、ただ自分を見つめているだけなのだった。
それが嬉しいのだと伝えれば、どんな表情をするだろう。きっと、顔をしかめる。彼にとって自分は答えを与えない厄介な相手なのだ。
アキラはエーテル量計測器をポケットにしまった。
両手を自由にして、それからライトを抱きしめる。
ライトは何も言わなかった。
心音が五つ打つのを聞いた後、ライトの腕が自分の背の後ろに回った。
これからも彼がそのように自分をとらえるならば、アキラは自由に、遠くを見つめることができる。
それをいつか、彼に教えたかった。