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ちよど
2025-06-18 06:58:02
13200文字
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アシュヨダ
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勘違いしたアシュくんがわし様に別れを告げる話
勘違いしてわし様に別れを告げてしまうアシュくんと、アシュくんのことが好きなモブ職員の話。アシュ←モブと、ほんのりとですが死○描写があります。pixivからの再掲
ドゥリーヨダナ「これだからバラモンは!!!」
「旦那
……
、俺と別れてくれ」
恋人の言葉にドゥリーヨダナは虎のように目を細めた。
南極の空は珍しく晴れていて、雪を纏わない風が赤い髪飾りを揺らしている。
向かい合う彼らふたりだけがいる丘の上からは、丸く円を描くフィニス・カルデアが小さく見えた。
「ーーーわし様の記憶が確かなら、付き合ってくれと言い出したのはおまえの方だったと思うが。わし様の記憶違いか?ん??」
ドゥリーヨダナの問いかけにアシュヴァッターマンは答えられない。
「なぁ、アシュヴァッターマン。人理修復も終わり、サーヴァントの退去も決まった。何もしがらみのないこの時だけわし様を自分のものにしたいと。そう頭を下げたのは誰だったか?ーーーおまえ覚えておるか?」
覚えている。
アシュヴァッターマンは一方的に彼に交際を願い、そして一方的に別れを告げている。
この身勝手さを数日前の自分が見れば怒鳴りつけるだけではすまないだろう。
「そもそも別れるも何も。わし様たちはまだ恋人らしいことを何もしておらんぞ。これからではないのか?」
重ねられる問いかけに顔を強張らせたままのアシュヴァッターマンを眺めていたドゥリーヨダナが、ふと思いついたかのようにあたりを見回した。
「こんな素晴らしい景色を見せにわし様を連れ出したのかと思えば、別れ話とはな」
白い山々が遠くに並ぶ一面の銀世界にドゥリーヨダナの長い髪が流れる。
サーヴァントのくせに寒いからと三臨の姿になったドゥリーヨダナは、それでもアシュヴァッターマンの誘いにこんなところまでついて来てくれたのだ。
風に乱された髪を抑えて、ドゥリーヨダナが何かを思い出したかのように呟いた。
「
……
ヒマラヤとはこのような光景だろうか」
ドゥリーヨダナ達に勝利したパーンダヴァの五兄弟はヒマラヤで没したという。
「あっちはこんなに平たくねぇよ」
つい答えてしまってアシュヴァッターマンは首を振った。
クルクシェートラの戦いまでアシュヴァッターマンはクル国の周辺にいた。とてもヒマラヤなどの遠方に足を運ぶ時間も必要もなかったのだ。だから、それはドゥリーヨダナの死後。額の宝珠を奪われ呪いを受けた後でしかありえなかった。
三千年の彷徨。
……
漏れ聞いたバラモンの口承にドゥリーヨダナ達が天上にいると知ったのはいつだっただろうか。天上にもっとも近い場所を求めて雪をかき分け、氷に爪を立てて山を這い上ったのはいつのことだったろうか。指がもげ落ちても、四肢が凍りついても、天上には届くはずもなくて澄み渡る空の下で哄笑していたのはいつだっただろう。
ーーーまだ、考える事が出来ていた頃だ。
年が過ぎるうちに呪いと孤独は河のように自我を押し流し、アシュヴァッターマンは自分が死んだ事すら覚えていない。
気がつけば英霊になっていた。
「
……
悪ぃ、聞かなかったことにしてくれ」
アシュヴァッターマンとドゥリーヨダナが再会して数ヶ月経つ。いろいろな話をしたが、アシュヴァッターマンが呪いを受けて放浪していた間の話は語られることはなかった。
呪いを受けた事も、三千年放浪した事も、恥じることではない。
だが、ドゥリーヨダナに聞かせたい話ではなかった。
すがるようなアシュヴァッターマンの声色に、ドゥリーヨダナは逆に目を輝かせた。
生涯のほとんどをクル国で過ごしたドゥリーヨダナにとって、外の話は好奇心を刺激されるのだろう。
「旦那」
話を戻そうとするアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナは唇を尖らせた。
「でもなぁ。わし様は理由も分からずおまえと別れる気はないからなぁ」
冗談めかした口調でもドゥリーヨダナの目は笑っていない。
アシュヴァッターマンは知っている。ドゥリーヨダナが怒りを顕にしている時はまだ恐ろしくない。本当に危険なのは今のように笑ってみせている時だと。
身構えたアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナは穏やかに笑いかけた。
「おまえ。まずはわし様をここに連れ出した理由を言ってみるがいい」
答えが分かっているのだろう質問にアシュヴァッターマンはゆっくりと口を開いた。
「
……
旦那、恥をかくのが嫌いだろう?」
「ここなら誰も見ていないと?ーーー娯楽に飢えたサーヴァント連中が目立つ行動を取ったわし様達を覗いていないと本当に思っておるのか?」
「えっ!?」
思わずフィニス・カルデアの方を振り返ったアシュヴァッターマンの視界に、きらりと自然界ではありえない光がわざとらしくきらめいた。
人理修復が終わり、基本的にサーヴァント達はやることがない。レイシフトもほぼ行われておらず、彼らは暇を持て余していた。
……
だからこそ。とアシュヴァッターマンは思う。
何もない今だからこそ。サーヴァントの退去が決まっているこの時なら。ドゥリーヨダナの時間を貰ってもいいのかもしれないとアシュヴァッターマンは血迷ってしまったのだ。
ーーーあんな事をしてしまったというのに。
覚悟していた罪ならばいくらでも耐えられる。だが、知らずに犯してしまった罪は。しかもそれによって大切な人を汚してしまったのなら。ーーー耐えられるはずがなかった。
「別れてくれ」
見られているのを知っていてもなお繰り返したアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナは再び虎のように目を細めた。
「理由を言え。ーーーそれによっては考えてやってもいい」
ドゥリーヨダナの要求は正当なものだろう。
だが、アシュヴァッターマンの理由は他に聞いている者がいると分かっていて告げられるものではなかった。
だから。
「ともかく。俺と別れてくれ、」
それだけを言い捨ててアシュヴァッターマンは霊体化した。逃げ出したのだ。
◆
カルデアはいつも賑わしいが、サーヴァント達の退去が決まってからはさらに賑やかだった。仲が良い職員と別れを惜しむ者、この現世との別れを嘆く者、人理修復を終えた事を誇る者。
その中で、アシュヴァッターマンとドゥリーヨダナは目立っていた。
「待て!!アシュヴァッターマン!!」
走りながら叫ぶドゥリーヨダナに、その先を逃げているアシュヴァッターマンの速度が一瞬落ちる。だが、アシュヴァッターマンは主の声を振り切ってまた駆け出した。
駆け抜けるふたりに廊下を歩く職員やサーヴァントが生ぬるい視線を向ける。ふたりを知る者こそ何事かと思う状況は、すぐに別れ話がこじれているだけだと周知されたからだ。
アシュヴァッターマンがドゥリーヨダナに別れを告げてから、もう三日程経つ。
その間、アシュヴァッターマンは別れに納得していないドゥリーヨダナに追いかけられていた。
もちろん、速度ではアシュヴァッターマンが勝つ。霊体化するまでもなく引き離して逃げることが充分可能だったが、アシュヴァッターマンはついつい後ろのドゥリーヨダナの気配を探ってしまうのだ。
ドゥリーヨダナとは長い付き合いだったが、アシュヴァッターマンがドゥリーヨダナの後を追うことはよくあっても、その逆はなかった。
恥をかくことを嫌うドゥリーヨダナが衆目の前で別れた恋人を走って追いかけるなど、少し前の自分に話しても信じないだろう。
しかも、その相手が自分。
それほど望まれている喜びに足が止まりそうになるが、自分の醜い欲望を知ってしまった今、恋人に戻ることなど出来るはずもなかった。
しかしだからといって、諦めの悪いドゥリーヨダナをカルデア中走り回らせるわけにもいかない。
アシュヴァッターマンはゆるくカーブした廊下を曲がり、見知った部屋に滑り込んだ。
ドアの外をドゥリーヨダナの声が通り過ぎていく。
その声が小さくなったのを確認してアシュヴァッターマンは息をついた。
アシュヴァッターマンを見失ったと分かればさすがのドゥリーヨダナでも足を止めるだろう。
そんなアシュヴァッターマンをふふふ、と笑う声がする。
アシュヴァッターマンが顔を向けると部屋の主がマグカップを片手に立っていた。
それほど広くない部屋に据え付けられた大きな棚にはアシュヴァッターマンにも分からない薬草や薬品、奇怪な標本が所狭しと置かれている。部屋の中央には三人掛けのソファと大きなモニター。そして壁際の小さな魔女の釜が置かれたテーブルには湯沸かしポットとコーヒーの瓶。
カルデア職員の制服を着た男はアシュヴァッターマンに左手でマグカップを差し出す。
「いつも無作法ですまないね」
左手を使う事の謝罪にアシュヴァッターマンは首を振った。
「勝手に入って来た俺も悪いしな」
「いつでも入ってきていいと言ったのは僕だよ」
男の顔の右半分は焼けただれている。制服の袖から見える右手にもその火傷は広がっていた。醜くひきつる重度の火傷では物を持つことも難しいだろう。
その事に触れることなくマグカップを受け取ったアシュヴァッターマンは部屋の中央にあるソファに腰を降ろした。
コポコポと男が自分の分のコーヒーを入れる音がする。
続いて、足を引きずる音。
名のあるキャスター達が揃うカルデアでも、
……
カルデアだからこそ、男の火傷は治せないのだとアシュヴァッターマンは知っていた。
アシュヴァッターマンの空けられた左側に座った男がリモコンを取り出す。
「今日は何を見ようか?」
楽しげに問われてアシュヴァッターマンは困ったように眉を下げた。
男と親しくなってこの部屋に遊びに来るようになってから、薦められるままに見た映画の数々はアシュヴァッターマンを楽しませてくれた。だけど。
「すまない。今はそんな気分じゃねぇ」
「ーーーああ、恋人と別れたんだってね。そんな時こそ映画を見るべきだと僕は思うよ。悩んでいる時、つらい時、苦しんでいる時。映画はその答えを教えてくれる」
穏やかな声にアシュヴァッターマンは笑った。
「あんた、本当にこれが好きなんだな」
アシュヴァッターマンの言葉に男は火傷に覆われた顔を緩ませた。
「
………
僕は、昔、見た人の心に爪痕を残すような脚本を書きたかったんだ」
「脚本家ってやつか。なりゃいいじゃねぇか。人理は修復しただろ」
バラモンでありながらクシャトリヤとして生きたアシュヴァッターマンの言葉に男は黙ってコーヒーを口に含んだ。
「この前の映画は、君の好みではなかっただろう?口直しをさせて欲しいんだ」
前回見た映画を思い出してアシュヴァッターマンは顔をしかめる。
あれは徹頭徹尾不快だった。だが、だからこそ気づいたのだ。自分がソレと同じだということに。
「人理が修復したからね。サブスクが復活したのは話しただろう?おすすめのリストを作ったから君に好きな作品を選んで欲しいんだ」
熱心な男にアシュヴァッターマンは苦笑した。
この男は自分が映画を見るのも好きだが、見た映画の感想を語り合うのを何よりも楽しみにしている。
アシュヴァッターマンがこの部屋を訪れるようになるまで長い間ずっとひとりきりで手持ちのディスクを繰り返し見ていたと語った男は、映画を見慣れていないアシュヴァッターマンの拙い感想をいつも目を輝かせて聞いていた。
人と触れ合えない孤独をアシュヴァッターマンは知っている。
そして、この男が体を覆う火傷のせいでカルデア職員でありながら居ない者として扱われている現状を静かに受け止めていることも、アシュヴァッターマンは知っていた。
男が困ったように眉を下げる。が、顔の半分を焼く引き攣れのせいでその表情は歪んだものに変わってしまった。
「査問会が到着するのと、サーヴァントが退去するのと、どちらが早いか分からないけど。
ーーーこうやって、君と僕が一緒に映画を見られるのも後数回だ。友達のわがままを聞いてくれないかい?」
古参ではないがセプテムの頃に召喚されたアシュヴァッターマンと男は長い付き合いだ。
「友達、か。なんだかくすぐってぇな」
頻繁に部屋に招かれ娯楽を共にするならそれは友だろう。生前、友といえば戦友しか知らなかったアシュヴァッターマンにはこの関係は新鮮だった。
でも、それは後しばらくで終わってしまう。アシュヴァッターマンの退去という形で。
「わかった、わかった。で。なに見ればいいんだ?」
誘いに乗ったアシュヴァッターマンに、男はゆっくりと微笑んだ。
◆
「最近の人間はすげぇなぁ」
何本かの映画を見て気分転換になったのだろう。すっきりした顔で帰っていったアシュヴァッターマンを思い返して、男は笑みを浮かべた。
火傷痕が残る唇や頬が引き攣って痛みを訴える。夜になったのだろう。南極の夜は冷え込んで半身を覆う傷口が大声で存在を主張していた。
洗浄の魔術をかけたふたつのマグカップ。そのひとつを持ち上げて男は唇を寄せた。
冷たい陶器の感触に褐色のサーヴァントを思い返す。
半身を苛む痛みが遠のく心地に男はうっとりと目を閉じた。
「いじましいものだな」
目を開ければ、男の他には誰もいないはずの部屋にもうひとり男が立っていた。
ふわりと乱れた紫の髪。男らしささがありながら甘さが滲む顔。ほんの少しの顎髭がその年齢を不確かなものにしている。武器の棍棒は持たず、薄紅色のドーティに二輪の花を飾っている。
「ドゥリーヨダナ、さん」
男の声にドゥリーヨダナは鷹揚な笑みを形作った。
「わし様は寛大だからな。おまえのようなクズにわし様の名前を呼ぶ許可を与えよう」
クズと呼ばれた男は口の端を吊り上げた。
「プライベート空間への霊体化しての侵入は禁止されているでしょう?もしかしてご存知ない?」
「わし様がルールに縛られるのではない。わし様がルールなのだ」
「査問会の到着も近いというのに。
……
なるほど、彼が苦労するわけですね」
監査が近い今の時期、サーヴァントの動向は厳しくチェックされている。いくら非実体化していたとしても魔力跡を辿ればどこに行ったか程度は一目瞭然だ。それが魔力のコントロールとは縁遠いバーサーカーならなおのこと。
ため息をついて、男は棚からもうひとつのマグカップを取り出した。自分用と並べていつもと違うインスタントコーヒーの粉を入れる。
「彼とあなたは好みが違う。こちらの味をおすすめしますよ」
「映画ばかりではないということか」
男の事を知っているドゥリーヨダナに男は驚かなかった。
日頃のアシュヴァッターマンの態度から、彼がドゥリーヨダナに隠し事が出来るとは思っていない。
「
……
彼は僕の事をどんなふうに話していました?」
「教えてやるはずがなかろう」
露骨な拒絶に男は湯を注ぐ手を止めた。
「そうですね。僕もあなたの口から彼の話が聞きたいわけではないですし」
「だったら聞かなければいいだろう?」
にやにやと意地悪く笑っているドゥリーヨダナに、男は湯気が立つマグカップを差し出した。
「どうぞ。サーヴァントに毒を盛るなんて無駄なことはしませんよ」
「確かにそうだろうな」
言いながらもドゥリーヨダナはマグカップを受け取ろうとしない。男は諦めてマグカップを机に戻すと自分のマグカップに口をつけーーーようとした。
ガチャン、と床に陶器の破片が散らばる。
「どうして?」
男の質問に、男のマグカップを叩き落としたドゥリーヨダナは口の端で笑った。
「わし様に毒は効かなくても、貴様には効くであろう?」
「ーーーどうして?」
質問を繰り返した男にドゥリーヨダナは嘲笑を浮かべた。
「わし様ほど魅力的で金も権力もある男だと。貴様のような者が蝿のように湧いてくるものだ」
ドゥリーヨダナの言葉に男は唇を引きつらせた。
「僕はあなたの事などどうでもいいですよ」
「アシュヴァッターマンが傷つきさえすれば、か?」
指摘を男は否定せず、無防備にドゥリーヨダナに背中を向けた。壁際の棚から密封された小瓶を取り出す。
「これは揮発性ですから。人間は注意するように伝えてくださいね。うかつに吸い込むと即死しますから」
「さすがにそれだとわし様を犯人に仕立て上げられないのではないか?」
おかしそうなドゥリーヨダナに男はうっすらと笑った。
「毒殺でも同じですよ。ーーー要はあなたの前で死体がひとつ出来上がればいい。あとは査問会が好きなように介入するでしょう。
……
バーサーカーの主張など誰も聞きはしない」
人理修復を果たしたカルデアはその偉業ゆえに危険視されている。一騎当千のサーヴァントが何百騎も揃うカルデアに査察に入るのは利権目当ての側面も否定出来なかった。
それに対してカルデアはデータを偽造し、サーヴァント達を退去させ、マスターを守ろうとしている。
だが、このタイミングでサーヴァントが一般職員を殺害したという可能性が発生したらどうなるだろうか。
それがどんな微細な可能性でも査問会は手に入った大義名分に狂喜してカルデアをむしり取るだろう。彼らが守ろうとした全ては踏みにじられ砕かれる。マスターももちろん無事ではすまないだろう。
その起点が、ドゥリーヨダナであるならば。
ーーーアシュヴァッターマンはどれほど傷つくだろうか。
◆
「チッ!」
まだマスターがセプテムにいた頃。男がアシュヴァッターマンと初めて会った時浴びせられたのは舌打ちだった。
カルデアはバリアフリーではない。だから、廊下で転倒した男は滑る壁に片手を付いてなんとか起き上がろうともがいていた。
すれ違う靴達は誰もが男を見なかったように足早に通り過ぎる。
その中で立ち止まった赤い靴。金属の光沢にサーヴァントだと分かり、男は顔を上げた。
褐色の顔が忌々しそうに顔を歪めていた。
「どうして誰も手を貸さねぇんだよ」
サーヴァントは脚と同じ赤色の甲冑を纏った手で男を無造作に引き起こし、目を見開いた。
「医務室に行くぞ」
男の体半分を覆う火傷痕に気づいた褐色のサーヴァントが男を抱えようとする。
もちろん、この程度の火傷は医務室にいるサーヴァントなら治せるだろう。
だが、
「無駄だ、やめてくれ」
もがく男に褐色のサーヴァントが理由を尋ねるより早く。
「アシュヴァッターマン!」
フランスの処刑人の声に褐色のサーヴァントが振り返った。
駆け寄ってきた医務室の主はアシュヴァッターマンに首を振る。
「彼は僕らには治せない」
「神代のキャスターがいただろうが」
「いいかい。アシュヴァッターマン。僕たちは彼を治療してはいけないんだ」
言い聞かせるようなサンソンの言葉にアシュヴァッターマンは不快そうに眉を寄せた。
「彼のように、カルデア首脳部を暗殺した爆発に巻き込まれた者が何名いると思う?後遺症を患っている者も多い。それ以外にも怪我や病気を持つ者がいる。ーーー彼を治療するということはその全ても平等に治療しなければならないということだ」
現在カルデアは人理焼却のため外界と隔絶している。食料も医療品もサーヴァントと維持する電力も限りがあった。
「分かっています」
男が言うと金色の瞳が男を見た。そこに同情はなく、怒りだけがきらきらと篝火のように輝いていた。
アシュヴァッターマンと呼ばれたサーヴァントにも分かっただろう。これは仕方のないことなのだ。
むしろ、この極限状況で半身を満足に動かせない男を排除しないだけ、ここの人々は魔術師としては破格の善良さだった。
支えてくれたアシュヴァッターマンの手を借りて、男は立ち上がる。
「ありがとうございます」
「いや、
……
俺は何もしてねぇ」
そのやりとりからサンソンは申し訳無さそうに視線を逸らせた。
「もうすぐレイシフトからマスターが帰ってくる」
心優しい少年が男の姿を見て、その事情を知れば心を痛めるだろう。ただ一人しかいないマスターにそんな心労をかけるわけにはいかなかった。
言外の促しに男は壁に手をつく。
「部屋に戻ります。
……
用事は終わりましたので」
右足を引きずりながら歩き出すと、アシュヴァッターマンが何か言いたげに男を見ていた。
その視線は見慣れた同情でも罪悪感でもなかったから。
男はつい言ってしまったのだ。
「
……
よかったら、部屋にいらっしゃいますか?コーヒーでもご馳走しますよ」
社交辞令にアシュヴァッターマンが笑った時から、男の世界は塗り替えられた。
壁を伝って歩く男の斜め前を歩く背中が同情の視線を遮ってくれているのだと気づいたのはすぐだった。ソファを勧めれば男が動きやすいように左側を空けてくれた。男がふらついても反応せずに気づいていない振りをしてくれた。片手で淹れるコーヒーがいくら時間がかかってもくだらない話をしながら待っていてくれた。苦すぎるコーヒーを表情ひとつ変えずに飲み干してくれた。乱暴な口調は恐れるものではないと知った。話題が続かなくて見せてみた古い映画を食い入るように見ている横顔が精悍なのを知った。怒りっぽいが博識で深い見方をするのだと知った。見飽きた古い映画がアシュヴァッターマンを通すだけでこんなにも輝いて見えるのだと知った。
アシュヴァッターマンさえいれば、世界中から見捨てられても、この火傷の苦しみにも耐えられる。
そう思っていたのに。
ーーーどうして僕から去ってしまうのか。
◆
「Aperta(開封)」
男のスペルに小瓶に閉じ込められていた揮発性の毒ガスが勢いよく吹き出す
……
はずだった。褐色の手が瓶の蓋を抑えていなければ。
「ーーーアシュヴァッターマン」
アシュヴァッターマンの対魔力はA。現代の魔術のほとんどを無効化する。男の一小節のスペルなど無効化したうちにも入らないだろう。
「君もいたんだね」
ずっと霊体化してドゥリーヨダナの側にいたアシュヴァッターマンに男は笑いかける。
「全部聞かれてしまったね」
「
……
ダズル、なんでだ?」
今ではアシュヴァッターマンしか男の名前を呼ばないのだと、彼は知らないだろう。
向けられた表情に満足して男は口を開き。
「おい、アシュヴァッターマン。餌をやるな」
ドゥリーヨダナに遮られた。
「餌?」
「その手の輩は反応してやればやるほど喜ぶ。見るな聞くな、こっちに来い」
ドゥリーヨダナの言葉にアシュヴァッターマンは一瞬だけためらったがすぐに男から離れて行った。男から取り上げた小瓶の蓋から手を離さないのは、アシュヴァッターマンの男の信用が無くなった事を表していた。
それを見て男はうっとりと微笑む。
ーーー君は傷ついただろうか。
サーヴァントの前に魔術師は無力だ。正攻法では彼を傷つけることなど出来ない。だが英霊も人間だ。精神はその外殻に比べて脆く柔らかい。
「友人と思っていた僕に何よりも大切な者を毀損されそうになった気分はどうだい?」
ドゥリーヨダナの隣に立ち、見るなと言われた通りに男に背を向けているアシュヴァッターマンに声をかけると、彼の代わりに尊大な男が顔をしかめた。
「黙れ、と言っても無駄だな。おまえのような奴は手足と舌を切り落として河に流すのが一番手っ取り早いのだが」
「僕は暴行事件でも構いませんよ。似たような結果になりますからね」
要は一般人にサーヴァントが危害を加えたという可能性があればいいのだ。それが殺害でも暴行でも大した違いではない。
男がそう言うと、ドゥリーヨダナはおかしそうに笑った。
「なるほど。これが詰みというやつか。ーーーところで、今サーヴァント達は暇でなぁ。娯楽に飢えておる」
「それが?」
「わし様はここに来る前にとあるキャスターに言ったのだ。『面白い見世物を出してやるから、カルデア中に中継しないか?』とな」
「えっ!?」
思わず周りを見回した男の目の前の空気が揺らいだ。実体化したのは今のカルデアの最高責任者。美女の姿をしたサーヴァントは悼むように目を伏せた。
「残念だよ。ーーーダズル・ブレア。私達は君の強さを見誤っていたようだ」
ダ・ヴィンチの言葉にダズルはぐるりと視線を巡らせた。
「アシュヴァッターマンもそう思うかい?」
褐色の背中は振り向かなかった。
「ーーー俺はあんたを戦士だと、思っていた」
呟くような声にダズルは声を上げて笑った。
アシュヴァッターマンのように不条理に怒り続けるのが戦士ならば、不条理に抗う力もなくただ受け入れていた男が戦士であるはずもなかった。
「あはは。僕はどうやっても薄汚い魔術師だよ。ーーー君のようにはなれない。ぎっ!!!」
「舌を噛む前に拘束させてもらったよ。
……
執念だね」
魔術で縛り上げられたダズルが床に倒れる。その音にもアシュヴァッターマンは振り向かなかった。
◆
アシュヴァッターマンが事情聴取から開放されたのは明け方近くになってからだった。別室で聴取されていたドゥリーヨダナはアシュヴァッターマンより早く開放されたらしい。
きっとドゥリーヨダナは呆れているだろう。カルデアでのぬるま湯のような生活に慣れて悪意に気づかなかった愚かな戦士に。
気づかなかったどころかドゥリーヨダナを巻き込むところだった。
あの時映画を何本か見たアシュヴァッターマンはダズルの部屋から出た後にドゥリーヨダナに呼び止められたのだ。
ーーーアシュヴァッターマン。
口に出されたのはそれだけ。
しかし逃げ回っていたとしても、ドゥリーヨダナが本気で呼ぶならばアシュヴァッターマンは必ず馳せ参じる。
すぐさまドゥリーヨダナ元に戻ったアシュヴァッターマンに彼の主は大仰に息を吐いた。
ーーーわし様は三日も待ったのだぞ。いい加減飽きた。
逃げたいアシュヴァッターマンに付き合って追いかけっこをしてくれていたドゥリーヨダナは退屈そうに耳飾りを弄んだ。
ーーー今は誰もわし様たちを見ておらん。全て吐け。
主に言えと命じられれば、アシュヴァッターマンは全てを話すしかなかった。
話したのは友とのやりとりと見た映画の内容と別れを告げた理由。それを聞いたドゥリーヨダナは露骨に顔をしかめた。
「ーーーたちの悪い者にひっかかりよって」
その時のアシュヴァッターマンはダズルの事を理解していなかった。だから、ドゥリーヨダナがキャスターと話をしているのも、霊体化してついて来いと言われたのも何をしようとしているのか分からなかった。
本当に愚かだった。
自分の愚かさに怒りが込み上げて来てアシュヴァッターマンは廊下を進む速度を上げた。夜明け前の沈むような静寂にカッカッカッと靴音が響く。それが止まった。
ドゥリーヨダナの部屋の前だ。
アシュヴァッターマンはゆっくりと息を吸って静かに吐く。ドゥリーヨダナは睡眠を好む。事情聴取が終わったこの時間なら疲れて眠っている可能性が高かった。
気配を殺して滑り込んだ室内は暗かった。慣れた間取りを進み、寝室のドアを開ける。
大きなベッドの中央でドゥリーヨダナが横たわっていた。
何故か掛布の上に仰向けになり胸で手を組んでいる。奇妙な格好に疑問を持つよりも、アーチャーの視力がその胸が上下していない事を捉えてしまった。
「だんな?」
サーヴァントの睡眠は生前の模倣だ。肺も動くし呼吸もする。
ふらふらとベッドに近寄ったアシュヴァッターマンが口元に手をかざすが、そこには何の呼気も感じ取れなかった。
「旦那!!」
肩を揺すってもがくがくと頭が揺れるだけで目すら開かない。それどころか掴んだ肩に体温が感じ取れない。
すがりついた体はひどく冷えていた。
「旦那っ!だんなっ!!!!
……
ドゥリーヨダナっ!!」
「なんだ?」
ドゥリーヨダナが目を開けると、うるさく叫んでいたアシュヴァッターマンは大きく口を開けた状態で固まった。その金色の瞳から思い出したようにぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「
……
旦那、なんでっ、」
泣きながら責められてドゥリーヨダナはその涙を拭ってやった。
サーヴァントは所詮霊体。人間の真似事など意識すれば止めることが出来る。それをしたのは。
「これで分かったであろう。お前は死んだ振りをしていたわし様に据え膳ラッキー!とならなかった」
「すえぜんらっきー?」
頭がまわっていないアシュヴァッターマンが繰り返すのに、ドゥリーヨダナは説明してやった。
「わし様を汚してしまった!と深刻そうな顔をして言っておっただろう。わし様は死んだ後ちょっといろいろされた程度は気にしたりせんぞ。ーーービーマはまだ生きているわし様の顔の上で踊ったからな。あれに比べれば」
「あいつと一緒にしないでくれ!!!」
叫んだアシュヴァッターマンを逆に抱え込んでドゥリーヨダナは体を倒した。二人分の重みにベッドが沈む。
「正気に戻ったな。さぁ話せ。おまえわし様になにをしたんだ?あんなことかぁ?そんなことかぁ?それとも
…
」
わくわくと至近距離で顔を覗き込まれてアシュヴァッターマンは悲鳴を上げた。
「悪趣味だぞ!旦那!!」
「わし様の体のことだが?」
正論にアシュヴァッターマンは黙り込んだ。しばらくの沈黙の後、視線が逸らされる。
「
……
を、た」
「もっとはっきり。いつもの調子はどうした?んん?」
「唇を!重ねた!!!!」
「カーーーーーっ!! これだからバラモンは!!!」
アシュヴァッターマンの告白に吐き捨てたドゥリーヨダナは言葉を続けた。
「葦から子供が生まれるとかぬかしている連中はこれだから!汚すというならもっといろいろあるだろう!!いろいろ!!!」
「その
……
悪かった」
「わし様と別れたいと言うからどれほどの事かと思えば
……
」
まるで大したことをしなかったと責められているようなアシュヴァッターマンの体をドゥリーヨダナは引いた。
そのまま背後に転がると、アシュヴァッターマンがドゥリーヨダナに覆いかぶさるような体勢になる。
なすがままのアシュヴァッターマンにドゥリーヨダナは内心ため息をつく。
あの手の輩の相手はカルナが得意なのだ。あの舌鋒に虚飾を丸裸にされ自分の醜さを直視させられた連中が発狂するのを、弟たちとゲラゲラ笑いながら肴にしていたものだが。
ドローナ師の鉄拳制裁が恐ろしくて、アシュヴァッターマンはそういう場には連れて行かなかった。
もうちょっといろんな事に耐性をつけてやれば良かった。
「わし様、おまえのペースに合わせるのやめるわ」
宣言にアシュヴァッターマンの目が丸くなる。子供のようなその顔をドゥリーヨダナは手の甲でぬぐった。
「わし様はこの上もなく賢いからなぁ。おまえを傷つけることしか思い浮かばなかった愚か者とは違うのだ」
「
……
あんなに憎まれていたとは思わなかったんだ」
アシュヴァッターマンの勘違いをドゥリーヨダナは訂正しなかった。
別れがつらいから相手を傷つけようとするのも、別れが間近だから付き合おうと持ちかけるのも本質は同じだということもアシュヴァッターマンに言う必要はない。
ーーー忘れないで。
その想いはドゥリーヨダナの中にもある。だからドゥリーヨダナは恋人の体を抱き寄せた。正確にはまだ復縁していないが、原因は解明したのでドゥリーヨダナの中では恋人に戻っている。
そもそもアシュヴァッターマンはドゥリーヨダナのものなので何の問題もなかった。
「アシュヴァッターマン。わし様が汚し方というものをたっぷり教えてやろう。だからーーー」
ーーー『座』までこの記憶を持っていけ。
真っ赤になった恋人に、ドゥリーヨダナは顔を寄せた。
◆
ーーー査問会の到着日が決まった昼下がり。男は足を引きずりながらカルデアの廊下を歩いていた。半身を火傷に覆われた男をすれ違う人々はみな遠巻きに見ない振りをする。
いつもの事だった。
ふと、前からサーヴァントの二騎が親しそうに並んで歩いてくるのが見えた。紫と赤い髪。一方の服からしてインド系だろうか。
すれ違う一瞬、赤い髪のサーヴァントがこちらを見たような気がした。
勘違いだろう。
ーーー名前すら知らない相手なのだから。
頭を振って、男はまた壁伝いに歩き出した。
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