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桐子
2025-06-15 22:53:10
2798文字
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まっさら⑬
「なにやら揉めておるらしいの」
ゲゲ郎はのんきな顔をしてそう聞いてきた。
マンションでも会っているのに、彼は今夜もVIPルームへ水木を呼びつけた。おかげで他のホステスたちの視線が痛かった。鍵を付けてもらったが、またロッカーが荒らされるかもしれない。目の前の男のせいで。水木はむすっとした顔を隠しもせず、冷やした日本酒のグラスをテーブルに置いた。
「別に、大したことじゃない」
「わしから言うてやろうか」
「はぁ?」
どういう風の吹き回しだと、水木はゲゲ郎をいぶかしげに見つめた。
「おぬしが困っておるなら、わしが店の者たちに注意してやってもよいと言うておるのじゃ」
「
……
何企んでるんだよ」
「人聞きが悪いのう。親切心で言うておるのに」
確かに、ゲゲ郎の言うように、この状態が続くのは正直辛い。だが、注意するとはどういうことをするのか、嫌な予感しかしない。
「そりゃあ、俺がお前の愛人だから手を出すなとか、そう言って回るってことか?」
「そうじゃ。わしのオンナに手を出すとどういうことになるか、ちゃんと教えてやらねばのう」
「いやいやいや! 逆効果だろ!!」
慌てて叫んだ。そんな恐ろしいことをしてみろ、ますます水木への風当たりが強くなるだけだ。それに、水木にだってプライドはある。金のために男に抱かれて、女のように抱かれているだなんて誰にも知られたくない。口ごもっていると、ゲゲ郎は何を思ったのか「いっそ仕事などやめてしまえばよい」などと言い出した。
「そんなわけにいかないだろ」
「なぜじゃ? もう借金を返すくらいの金は貯まっておるじゃろう」
何気なく言われた言葉に、水木はぎょっとした。どうして、自分は借金のことなんて一言も話した覚えはないのに。さっと顔色を変えた水木に気が付かず、ゲゲ郎は続けた。
「れすとらんの給仕も、ここの黒服の仕事もやめて、あの部屋におればよい。仕事をしたいならこちらで手配する。故郷のご母堂の入院費用も肩代わりしてやってもよいし
……
」
血の気が引いていくのが自分でもわかった。
男は何もかも知っているのだ。どうして水木がダブルワークまでして金を稼いでいるのか。故郷の母のことも、死んだ父のことも調べ上げている。セックスをするために性病にかかっていないか検査するほどなのだ。愛人の身元調査くらいはするだろう。
ゲゲ郎が生きているのは、そうまでしなくては安心できないような世界なのだ。
だが、水木はゲゲ郎に裏切られたような気分だった。水木が愛人に身を堕とした理由を全部知っていて、わざと知らない振りをしていたのだから。もし、どうして金が欲しいんだと聞いてくれれば、話してもいいと思っていた。だが、ゲゲ郎はそうはしなかった。彼が信じたのは水木自身ではなく、探偵や調査をした者たちの方なのだ。
「馬鹿にするな」
水木はぽつりと言った。その声が震えているのに気付き、ゲゲ郎が不思議そうに瞬きをする。
「お前は、金や暴力や権力で人の心を自由にできると思ってるんだな。でも、俺はそんな安い男じゃない」
「水木
……
?」
ゲゲ郎は戸惑ったように水木を見た。
「金で買われたからって、何でも言うこと聞くと思ったら大間違いだ」
「しかし、おぬしは
……
」
「もうお前とは会わない。仕事もやめる。じゃあな」
もうこれ以上話すことなどないとばかりに水木は席を立ち、VIPルームを出た。
「くそっ」
苛立ちを抑えられずに壁を殴る。そうでもしないと、胸の奥に燻っているやり場のない感情をどうすれば良いか分からなかった。
「あれ、ミズキ君。オーナーは?」
「知りません! あと、今日限りでここ、やめさせてもらいます。お世話になりました」
フロアに戻ると、支配人が声をかけてきた。水木は彼の顔を見ると、深々と頭を下げてから裏へ向かった。
「え、ちょっと
……
!」
焦ったような支配人の声を聞き流して、従業員室へ戻る。荒々しく首元のネクタイを外しながらドアを開けると、ドレス姿のホステス二人が水木のロッカーを開け、今まさに生ごみを捨てようとしているところだった。
「あ
……
!」
まずい、という顔をするホステスたちの前に仁王立ちし、彼女たちを睨みつける。
「人のロッカー漁って、どういうつもりだ?」
自分でも驚くくらい冷たい声が出た。
「あ
……
あの
……
」
「顔は綺麗でも、中身の醜悪さがにじみ出てるんだよ。だからオーナーに見向きもされないんだ」
「っ
……
!あ、あたしたちだって好きでこんなことしてるわけじゃないわよ!!」
女たちは顔を怒りに赤らめて叫んだ。
「あんたのせいでしょう! なんであんたばっかり贔屓されてんの? あたしの方がずっと前からここにいるのに!!」
「そうよ! オーナーがあんたに入れ込むようになってから、全然呼ばれなくなっちゃったじゃない!」
つまりは嫉妬だったのだ。水木はそれを、鼻で笑い飛ばした。
「そりゃあ、あんたたちよりも男の俺の方が、あいつのこと満足させてたってことじゃないか」
「な
……
!」
女たちは絶句し、わなわなと震えている。いい気分だった。今まで我慢していたのが馬鹿らしく思える。
「じゃ、お世話になりました」
そう言って水木はロッカーから鞄と上着を取り出すと、さっさとその場を立ち去った。女たちが何か叫んでいたようだが、無視した。どうせ二度と会うことはないだろうし。
かつてない爽快な気分で、夜の繁華街を歩く。鬱陶しい伊達メガネも外して夜の空気を吸い込むと、少しすっきりした。
―――
故郷に帰ろう。
星も見えない夜空を見上げていると、ふとそんな考えが浮かんだ。母親のそばにいてやりたかったし、借金もまた地道にコツコツ返していけばいい。仕事だって贅沢を言わなければ地元でも見つかるだろう。そう決めてしまうと気持ちが楽になった。
荷物をまとめて、朝いちばんの電車で帰る。
そのためには、一度あのマンションへ戻る必要がある。カードキーも借りっぱなしだし、服や貴重品もバッグの中に入ったままだ。さすがに今夜はゲゲ郎と鉢合わせることはないだろうけれど、一応鍵を返してマンションを出る旨と、今まで世話になった礼を書いたメモを置いて出て行こう。
エレベーターで目的の階まで上がり、カードキーをかざす。ドアを開けると中は真っ暗だった。
水木が出て行ったと知っても、きっと彼は何とも思わないのだろう。その程度の存在なのだ。
「っ
……
」
鼻の奥がつんとした。だが、ここで泣くのは癪だった。もうあの男とは縁を切るのだから、涙など必要ない。水木は靴を脱ぎ、リビングへ向かった。電気を点けようとしたその時だった。
「出ていくのか」
誰もいないと思っていた室内から突然声がした。心臓が止まりそうなほど驚いて声も出せないでいると、ゲゲ郎が暗い部屋の奥からゆっくりと姿を現した。
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