Privatter+
Font
Serif
Sans Serif
Color
Light
Dark
auto
Font size
Large
Medium
Small
Language
Japanese
English
Sign in with Google
Sign in with ID and password
Account ID
Password
Sign in
Forgot password?
Create account
那須野
Public
寿月
Clear cache
追風をつかむ
【寿月】CP未満*合宿所にて、寿+月。睡眠テニスについての捏造補完多々。
医療班から借りたタブレット端末の画面を寮の自室の机で眺めながら、毛利寿三郎は小さく呻いて眉根を寄せる。
日中撮影した十分間ほどの長さの動画との睨み合いを始めてから、かれこれ一時間が過ぎようとしていた。
画面にはテニスコートに立つ自身
――
相手コートには、越知がヒッティングパートナーとして立っている
――
が映っている。
思考の余地を削ぐために返球可能な範囲ぎりぎりのラインの軌道を狙って続けられるラリーは、映像で見ているだけでも意識が研ぎ澄まされていくような感覚がある。
ダブルスパートナーとして自身の反応速度やプレーの癖を把握しつつある彼だからこそできることだろうが、思いがけないタイミングで彼との再戦が実現してしまったこともあり、緊張もひとしおだった。(否、厳密にはあくまでもラリーであって再戦という言葉は不適当かもしれないけれども。)
一対一でネット越しに彼と向き合うこと自体が、自身にとって特別な意味がある。それは確かだ。
とはいえ悠長にそんなことを考えていられたのも序盤のうちだけで
――
集中せざるを得ない状況、目の前のボールを追って返すことだけにただ集中し始めたあたりから、ふっつりと記憶が途切れていた。
その後も一貫して滞りなくプレーできているのだから、むろん体は動いている。
しかしそれに際して頭で処理していたはずの思考の形跡が、自分の中にほとんど残っていないのだ。
再びはっきりと意識が戻るまでのあいだ、映像記録の上ではほぼ別人のものだった。
(ホンマに寝とんのかいやぁ、俺
……
)
結論。
身体・大脳とも深いリラックス状態、脳波はノンレム睡眠時の波形にみられる特徴と相違なし。
オフを利用して身体状況の解析を行った結果、データに基づいて導き出された事実は毛利自身にとってもそれなりに衝撃的なものだった。
客観的な事実としてどうにか受け止めたところで、それを今後どう磨いていけばいいのかがまるで分からない。仮に意図的にこの状況を作り出せたとして、その間の記憶すら泡のように、
……
夢のように消えてしまうのでは、次へ活かすための反省も改善もあったものではないのではないか。
「うーん
……
」
唸り声をひとつ。
分析に立ち会ったコーチ陣もその場ですぐには方針を打ち出さず、「こちらでも検討します」と言って早々に引き上げてしまった。
何かヒントのひとつでも貰えるのではと安直に期待した自分のほうが甘かったのかもしれないが、それにしても、というものだ。
アカン、どないしやったらええんか全然わからんが。
いよいよ煮詰まり、思いきり頭を抱えた反動で椅子の背もたれに寄りかかって背を反らす。逆さまになった視界を巡らせると、隣の机でラケットの手入れをしていた彼と目が合った。
「
月光
つき
さぁん
……
」
「どうした」
「俺、明日からの試合どないしやったらエエです
……
?」
「
…………
」
オフは今日一日だけだ。明日からはまた海外遠征に向けた試合形式の練習が再開されるというのに、まったく思考が纏まらない。動画の再生を止め、素直に白旗を挙げてみせると、ラケットと拭布を机の上に逃がした彼が、少しの間のあと静かに口を開いた。
「
……
こちらでも考えていたが」
「へ?」
慌てて姿勢を正して全身で彼に向き直る。律儀な彼は同じように向かい合う形を取ってから、小さく咳払いをして言葉を接いだ。「恐らく」
「あの状態に入るための条件がある。 まずはこれを探す」
「条件
……
」
「そうだ。 体力の問題か、精神的な問題かはわからないが
……
今日の内容を踏まえると、前者の可能性は低いように思う」
「バテてもうたから寝とるんやないってことでっか?」
「その点については、お前自身がよく分かっているだろう」
「
……
まあ、そら、さすがにバテバテでもー無理動けん、まではいかんやったけど
……
」
淡々とした彼の問いに促されるように朧気な記憶を手繰りつつ、腕を組んで考え込む。
確かに今日のプレーに関して言えば、さんざん前後左右に走らされてはいたものの、体力的にはまだ余裕があったはずだ。
つまり、無意識に体力を回復しようとして睡眠状態に入ったわけではない。わずかに残っている記憶の欠片を拾い集めながら、ぽつり、呟く。「あんときは、」
「とにかく追っつくんに必死で、だんだん頭んなか空っぽになりよって。
……
そんうちなんや音もせんようになってきたなぁ、しんどいけど気持ちええなぁ思て、ほんで
……
」
「
……
」
「
……
ほんで、そっから覚えてへん」
「
…………
、」
それはまるで水底深くへ潜っていくような感覚だった。
心音も呼吸も忙しなく繰り返され続けているというのに頭の中はひどく静かで、なにもかもがコマ送りのようにゆっくりと過ぎていく。夜の海に似た静けさに揺られ、ああ、と心地好く目を閉じて
――
そして。
「もうり。
……
毛利」
「
……
ッ、」
「大丈夫か」
肩に置かれた大きな手のひらの感触に、ぐっと意識を引き戻す。椅子から腰を浮かせた彼が眼前に立っていた。ぼんやりと目瞬きを繰り返して切れ長の瞳を見上げると、彼の静かな夜色がかすかに緩んだように見えた。
「
……
、俺
……
?」
「
……
感覚としては残っているらしいな」
恐らく、
それ
・・
だ。
彼の手のひらがポンと自身の肩を叩き、そんな言葉とともに小さく息を吐いて離れていく。もう一度椅子に座り、彼は改めてこちらを見た。
「毛利」
「はい」
「お前は、戦術を組み立てる上で、何が重要だと思う」
静かな問いに、まばたきをひとつ。
運動量、パワー、スピード、技術、メンタル、ウィニングショットの有無、その他諸々。どれも欠かせない要素だが、優先順位をつけられるものだろうか。すぐには答えあぐねて視線を迷わせると、彼からはそれが正解であるとでもいうようにはっきりした首肯が返ってきた。
「無論、一概にはいえないが
……
ひとつは確実性だと、俺は思う」
「
……
」
「どんな練習も、実戦での確実性を高めるためのものだ。 それがあって初めて、『作戦』が成立する」
「
……
、はい」
知らずのうちに背すじが伸びる。セカンドショットをまったく必要としない精度にまでサーブを磨き上げてきた彼だからこその重みが、そこにはあった。
いましがた聞いた言葉を、脳内で繰り返す。
確実性。
睡眠状態に入る条件を見つけるということは、コントロールができるようになるということと同義だ。
偶然の状況に左右されるのではなく、自分の意思で、行動を選び取る。そのために何が必要か。
「
…………
もーちょっと、考えてみます」
「ああ」
胸中に漠然と広がっていた戸惑いが、落ち着いた彼の声とともに方向性を得ていくのがわかる。
順を追って記憶を辿れば、感覚を思い出せる。繰り返すことでそこに到達するまでの時間も徐々に短縮できるだろう。ただ、目まぐるしい試合展開の中で即座に対応していくには、やはりスイッチを押して切り替えるような明確さとスピードが欲しい。
この合宿所や身の回りに、参考になるような選手はいなかったか。景色を見渡すように順に記憶を辿り、
……
ふと過ぎった姿に思考を止める。
(
…………
、そーいや、確かおったな、ウチの中等部に。二年の
……
切原、やったっけ)
中等部の面々の試合をこっそりと見に行った折に見かけた彼は、何かのきっかけでガラリと様子が変わる選手だったはずだ。
まるで、スイッチを切り替えたように。
「
…………
なんやったっけ、あれ、言うたらアカンやつとかなんか
……
」
「毛利?」
「あっ、いや、スンマセン、呆けてもうた」
「
……
いや。 構わないが」
黙っていたほうがよければ、ここで切り上げる。
机の上に置いたままのラケットと拭布にちらと目をやり、仕草だけで彼が問う。
一瞬何かの尾を掴んだような気はしたが、それとは別にまだ彼に確かめたいことが残っていた。手の中の欠片を逃がさないように気を払いつつ、彼の名を呼ぶ。
月光
つき
さん。視線だけで応えた彼に向けて、問い掛ける。
「あの、
……
これ、どないかして試合で上手く使えるようになったとしますやん?」
「ああ」
「
……
でも、俺があない好き勝手デタラメに動きやったら。 もしかせんでも、
月光
つき
さん、めっさやりづらいんやないですか?」
無意識状態の自分のプレーを、受け止めあぐねた理由のひとつがそれだった。ほとんど反射だけで動いているらしい自分の動きは世辞としてもおよそスタンダードとは言い難く
――
そもそもダブルスに向いたスタイルなのか、それすら自信が持てなかった。
数秒の間。彼の両目がまっすぐに自身を映し、それからゆるく首を横に振った。
「さして問題ない。 それはこちらでなんとかする」
「
――
……
、」
「それぞれの武器を活かす。 そのためのダブルスだろう。
……
違うか?」
静かな低い声。けれどもその裏にある熱を、すでに自分は知っている。心地好い高揚が、首筋をざわりとさざめかせた。
息をひとつ吸って、吐く。同じようにまっすぐに彼を見た。
初めて会ったときには淡白に自身を見下ろしているようにしか思えなかったひとみに、いまは直線の視線を返すことができる。その事実が、今日もまた少しだけ自身の背中を押す。
膝に乗せていた指先を握り込み、よろしく頼んます、と頭を下げた。