NEO
2025-06-15 20:07:18
3787文字
Public NEO宅のDDA
 

ante tempestatem

ダンリン。静けさ、ってやつです。





 君は、聡く優しく健やかで、常に誰に対しても等しい態度で接している。敵でも奴隷でも君の前では自由民と変わらない。皆に好かれているのも頷ける。それを妬ましくすら思わせない……それが君の清らかさだろう。

 かといって、それだけで他に何も感じないのかと問われればそうでもない。

 なにしろ同程度に話の合う人材が君だけだったのだ。そも君に誘われ、君という人柄に興味を持ったからこそ同船したのだから当然の帰結だ。私が憂慮した通り、君はバッカニアというものを誤解していたし──新大陸の真の主人の同盟者、なんて戯言を疑わぬ純粋無垢といったら──私を巻き込んだ罪悪感や──その件についてはむしろ私は感謝していたのだが──陰惨な命のやり取りに参ってしまって気鬱から体を壊してしまった経緯も、君の善性を補強する材料に過ぎなかった。少々気を病むくらいなんだというのか?まともな人間性であれば海賊などになりはしない。君の居場所は完全に間違っていた。唯一の友を救うのに躊躇いなどあるはずもない。
 長年書き記した私の博物資料が君の立場を守ってくれるはずだと考え託した。私の代わりに。君の命を助けてくれるように。

 君の息災と活躍を切に願って別れた。もう二度と会うことはないだろうと覚悟した。出逢えた奇跡を喜ぶべきで、出来なかったこと、伝えられなかった気持ち、叶わなかった夢を惜しむ必要はないのだと。いつか君の書いた本を何処かで読めるかもしれないしね。

 また、会おうと君は言った。



「ダンピア!会いたかった」



 会いませんようにと、私は心から祈っていた。







 3年ぶりに再会した彼は、商船崩れの私掠船で積荷監督を務める躍進を遂げていた。一度祖国へ帰国し執筆や出版にも携わったようだが発行される前に海へ戻ったようだった。体調も整い、精神的にも打たれ強くなっている。
 しかし太腿に負った傷が再三彼を困らせていて、それを刻んだ相手に報復しようにも既に事を終えたと聞いては引き下がるしかない。有能で善良な彼を傷付けるとは業腹な。私の珠玉なる記録文書も海賊の暴挙にはまるで役に立たなかった。
 影を背負って舞い戻ってきた彼はより隠微に複雑な内面を醸し出すようになり、私としては気が気でない。何のために海賊から引き離したと思っているのか?無論、彼に陸で名を馳せて欲しかったのは事実だ。しかしそれ以上に彼を荒波に晒したくなかった。今や彼は生来の善性に加えて後天の憂いを纏っている。周りの見る目といったらどうだ──私に守りきれるかどうか!その上一番の危険人物は何を隠そうこの私自身なのだ。
 触れたいと、淡い思慕を持て余していた3年前が懐かしい。今となってはそんな生易しい感傷に浸る余裕もない。すぐにでも手を打たなければ彼にとって惨事の上塗りだ。しかし私に彼を庇う、その役目が可能なものか?この目が、この口が、この心身がおとなしく庇護の範疇に収まってくれるものか?理性で本能が何処まで抑えていられるか……全く、本当に厄介だ。祈っていたのに。
 彼が私から逃れられるようにと。

「リングローズ……乾いた?」

 まだ湿り気を帯びた金糸に海の塩が光っている。手櫛でそれを払いながら聞くと彼は思案げに私の前髪を整えてくれる。

「ええと、少し濡れてるかも。もうちょっと日向にいようよ」
「そう?じゃあマミーの実をあげるから水分補給して」
「うん!ありがとう、ダンピア」

 私の手から熟した果実を素直に受け取り、雛のように疑いもせず食む。果汁を啜る姿を見ているだけでこっちまで喉が鳴りそうだ。芳醇な香りが緩やかに私たちを包んでゆく。つられて私も実を齧り、瑞々しい黄赤色の果肉を頬張った。香り高さに相応しい美味。口の端から滴る果汁も全く気にならなかった。
 同行の説得に応じてくれた安心感で、より執心の輪郭が際立ってきている。膝を立て夜着の裾で隠せば露見はしないだろうが、辛いことに変わりはない。
 焦燥は、彼が未知への情熱を失いかけていた現状に対するものだったと思う。それが解消された今、私を脅かすものは私自身の劣情だ。安寧を得たばかりの相手に無体を強いてしまいそうな衝動にいつまで耐えればいいのだろう?彼の肉体や精神のみならず思想も守りたかったけれど、このままでは恐らく何れ侵してしまう……

「フフフ、ダンピアったら」

 顔を向けると、微笑を浮かべた彼が伸ばした指がそっと私の顎を撫ぜる。指に乗った果汁の雫を彼はチュッと唇で吸い上げ、にこやかに告げた。

「垂れてたよ」

 昏倒しそうだ。意中の相手に無自覚でこれをやられて平気な人間がどれだけ居る?懸念が払拭され僅かな艶気を孕むに留まった彼の穢れなき厚意を浴びて無沈着でいられるはずがない。決して私が悪いわけではない。もう彼のせいでいいだろう!こんな風に親しくされて惹かれないでいるのは無理なのだから。
 彼の手を取り、彼が吸った指に重ねて口吻る。まずは間接で様子見。これで引かれたら立ち直るまでに相当な時を要する。

「ありがとう、バズ」

 次に名を呼び探りを入れる。此処までは友人として言い訳が立つ範囲内だろう……苦しいかもしれないが、私たちは親しい仲なのだから大丈夫だと信じる。
 彼は一瞬目を見開き、瞬きをした後すぐに頬を紅潮させて狼狽えた。悪くない反応。指を絡めて弄びながら物憂げに問いかける。

「お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
……うん。何……?ど……どうしたの……
「ちょっとしたアドバイスを頼みたいんだよね」

 言質獲得。ここまでくればしめたものだ。親友の懇願を彼は断れない。私は彼のそういった誠実な質を知っていて仕掛けているのだから、始末に負えない。憐れなバジル・リングローズ。逃げてくれと心の底から祈ったのに。

「僕、君が欲しいんだ。どうしたら手に入るのか、教えて?」

 熱を持った耳元に睦言を落とす。彼は増々顔を赤くして目を閉じた。すかさず背に腕を回し引き寄せる。ふわりと漂うのは潮の名残と果実の芳香。やや強張ったものの温順しく腕に収まってくれた彼に愛おしさが増す。最高。自身の単純さに呆れてしまうが、既にこれだけでだいぶ満たされてしまった。
 多分、私は正しい。そして彼も正確に理解している。私たちは互いに惹かれていて、それは労りや慰めや思い遣りの枠を疾うに超え、より深いところでもっと貪欲に相手を渇望していた。そうでなければ私は彼から離れなかったし、彼は私を追いかけなかっただろう。
 滑らかな金髪に頬を擦り寄せる。彼は拒まない。そうさせないように仕組んだのは私だが。3年前は慈しみを込めた。今はそれ以上に欲が勝っている。
 聡い君なら解るでしょ?ねえ。求められていることが──

…………何も、」
「ん?」
「何もしなくていい……

 彼は含羞みながら私の肩に恐るゝ頭を乗せた。

「もう……ずっと前から君のものだよ……

 思わず唇を奪ってしまったのは仕方がなかった。半ば相愛を予感していたとはいえ、まさか同じ積年の想いを明かされるとは想像していなかったものだから。勢い余って押し倒してしまったのは申し訳なかったが、慌てて身を引いた私の髪を掴み再び引き寄せて続きを強請ったのは彼の方だったから、存外私たちは似た者同士なのかもしれなかった。
 一頻り互いを貪り飢えを満たしたところで距離を置く。既に汗だくだ。流石に没頭するには日中の浜辺は暑すぎる。すっかり乾いた髪や服から砂を払い、身だしなみを整えた。彼の前では少しでもまともな姿でいたい。しかし彼は乱れた様相のまま──つまり物凄い色香を放ちながら──ぼんやり宙を眺めていた。

「ちょ、……リングローズしっかり!暑すぎたよね、ごめん。大丈夫?」

 手早く彼の衣服も整え、髪や手足を扇ぎ風を送る。暑気あたりでなければいいのだが。もう船に戻った方がいいだろう。
 
「立てる?船に戻ろう」
……ゆめ」
「え、なに……?」
「夢でも嬉しい。君と一緒で……

 3年。彼を置いていったことに後悔はない。あれが最善の選択だったと今でも確信できる。しかし彼にとってはどうか?3年。私の想いは消えなかったし、いつも彼が陸で高名となり幸せになる眩しい夢ばかりみていた。自ら選んだ私でさえそうなのだ。選択の余地すらなかった彼がどれほど想いを募らせていたか……私には計り知れない。
 もう一度彼の頬に触れ、慰めるようにゆっくりと口吻ける。
 私にできることなら何でもしよう。君の慰撫となるなら、どんなことでも。

「安心して。この夢が醒めることはないから」

 しなだれかかる細身を抱きしめる。船長に反目した私たちが去った後の船で、彼の味方が誰か残っていただろうか?もしいれば、傷を負うこともなかったのではないか。追い込むつもりはなかった。むしろ、自由で居てほしくて、君を残していったのだから。

「同じ夢を見ようよ」

後戻りはできない。再び出会ってしまったからには、もう。

「一緒にね」



fin.



ante tempestatem【嵐の前に】
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