匣舟
2025-06-15 19:10:30
4583文字
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胸を占める感情に名前を付けて

恋という感情を知らない乱に恋というものはどんなのか一緒に答え合わせをする仙の話。

胸を占める感情に名前を付けて


 彼の手は相変わらずいつも綺麗である。手ばかりではなく爪先まで整えられており、美しい。手や爪先だけでない。顔も、スラッとした身体も、艶やかしい髪も全てが綺麗で美しい。乱太郎はそのいっとう美しいその人の手が自分に触れる度にドキドキと胸が高鳴りつつ、その人の美しい手がいつも自分だけに触れて欲しいのに。と心のどこかで思っていた。
ひまだなあ。」
 授業が終わったある日の放課後、委員会もなくいつものふたりが珍しく隣にいない乱太郎はひとりでぼうっと縁側で雲ひとつない青空を眺めていた。傍から見れば日向ぼっこをしているように見えるが、乱太郎の頭の中ではあることでいっぱいいっぱいになっていた。
いつ見ても、綺麗だよねぇ……。」
 乱太郎の口から無意識に紡がれた言葉は決して雲ひとつない青空に向けて言った言葉では無い。乱太郎が呟いたそれは、まさに乱太郎の頭の中を占める人である。乱太郎が今まさに頭の中で思い浮かべている人物は、六年い組の作法委員会委員長である立花仙蔵のことだ。
 乱太郎が仙蔵の手が綺麗だと思い始め、こんなに仙蔵の事で頭がいっぱいいっぱいになっているのは乱太郎が疲れた時にピンポイントで仙蔵がいつも甘やかしに来てくれるからだった。
 いつも疲れきった時に決まって彼は来てくれて乱太郎を甘やかしてくれるのだが、なんせ乱太郎が疲れきって意識が朦朧としている時に甘やかしてくれるものだから、記憶がいつも朧気でしかとハッキリ思い出せないのだ。
 仙蔵が甘やかしてくれるときの記憶が無いことに関しては残念なのだが、記憶がなくとも仙蔵が触れた感覚は、乱太郎の肌に残っているらしく、甘やかしてくれるとき以外に仙蔵と会って頬を撫でられたり、頭を撫でられたり、手を触られたりすると胸の奥がゾワゾワして胸がドキドキする。
なんで胸がドキドキするんだろう?と思った乱太郎は色々検証をしてみた。自分の手で自分の頬を包んでみたり、頭を撫でてみたりしてもドキドキしないし、乱太郎の所属する保健委員会委員長である伊作に撫でられたりしたときは、嬉しいという気持ちはあるけど仙蔵に撫でられるときのようにドキドキや胸の奥がゾワゾワなどしない。
 なんで、立花先輩にだけこんなに私はドキドキするんだろう。なんて乱太郎はずっと考えている。
 相手のことを見てドキドキしたり胸の奥がゾワゾワするこの感覚と、相手のことばかりを考えてしまったりすることを、人はそれを恋と呼ぶのだが、乱太郎はまだ人生経験が浅く、その感覚が、その感情が恋であることを知らないため、乱太郎がひとりでこの問題を解決することは不可能である。
「やっぱりわかんないや……。」
 委員会も違うし、あまり関わりがないましてや自他ともに厳しい仙蔵がは組の落ちこぼれの乱太郎のことをどうしてこんなにも気にかけてくれるのか、可愛がってくれるのか、甘やかしてくれるのかが分からない。
 けれど、もうお前を甘やかすのはやめる。と仙蔵に言われてしまったら乱太郎はきっと、立ち直れないだろう。
 彼の気まぐれだと心のどこかでは分かっているつもりなのに彼が自分のことを甘やかしてくれることをずっと望んでいる自分がいる。それほどまでに乱太郎の胸の内は仙蔵に染まっていたのだ。ああ、色々考えたせいで何だか眠たくなってきた。
ふわあ。」
 普段そんなに使うことの無い乱太郎の脳は考えすぎたせいで眠気を促しているらしい。しかし、こんな所で眠ってしまったら縁側だし、誰かに踏まれるかもしれないし、敵が来た時に無防備だと言われてしまうかもしれない。
へや、にいかないと……ぉ、」
 だけど乱太郎の足は動かず、そのまま縁側の柱に頭を預けてそのまま寝入ってしまったのだった。
……んぅ、……?」
 微かな温もりを感じて目を覚ますと、そこには乱太郎の顔を覗き込む仙蔵の姿が。さっきまでずっと乱太郎の脳内に思い浮かんでいた相手がいたことで仙蔵の腕の中でびくぅっ!と乱太郎は肩を揺らした。
「ひゃっ!?……あ、……な、なんで立花先輩が……。」
「それはこっちのセリフだ。何故こんなところで寝ているんだお前は。」
 まさか廊下に寝ているお前がいるとは思わなかったぞ。と仙蔵が優しく微笑んで乱太郎の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。その感触があまりにも優しくて乱太郎がもっと、と思ってしまいそうになった時、仙蔵が乱太郎の頭から手を離した。
……あ、」
「ん?どうかしたか。」
「い、いえ!なにも……。」
もっとあなたに撫でてもらいたいのに。と思わず口から漏れ出た自分の声に対して不思議そうな顔をする仙蔵に乱太郎は慌てて首を振った。
「で?乱太郎は何故こんな所で寝ていたのだ。」
「えっと……、その、考え事してて……。」
……ほう?」
 乱太郎の返答に仙蔵が目を細める。いつの間にか仙蔵の腕の中から解放された乱太郎は仙蔵と向かい合う形で座らされていた。
「乱太郎。」
……はい?」
「何を考えていたんだ?乱太郎。」
 仙蔵の切れ長の瞳がじっと乱太郎のことを見つめる。その瞳があまりにも綺麗で、そしてあまりにも鋭くて、まるで心を見透かされているような気持ちになった乱太郎は思わず目を逸らした。
「え、えっと……、その……。」
 まさか目の前にいる立花先輩のことを考えてたなんて言えないしなあ……。と心の中でひとりごちていると、仙蔵の顔が段々と乱太郎へと近づいていた。
「それは?なんだ?私に言えぬことか?」
……い、言えます!でも、その、」
 仙蔵の美しい顔が至近距離にあって顔が赤くなりながら、言い淀む乱太郎に仙蔵が優しく微笑む。
「私はお前の力になりたいんだ、だから教えてくれないか?」
 それとも、乱太郎。お前の力にはなり得ぬだろうか?と悲しい顔を見せてきた仙蔵に、乱太郎は思わず、そんな訳ないです!と叫んだ。乱太郎の返答に仙蔵が驚いた顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻り、そうか。それは良かったと微笑んだ。
「それで?なにを考えていたんだ?」
……えっと、あの……、」
 言い淀む乱太郎に仙蔵は優しく微笑むだけで何も言わない。そんな仙蔵の優しさを嬉しく思うと同時に、なんだか恥ずかしくなってきてしまった乱太郎は意を決して口を開いた。
「あ、あの……、立花先輩はどうして私によくしてくれるんですか?」
 委員会も違うし、ましてや落ちこぼれのは組の私に立花先輩が気にかけてくれる理由がわからなくて。と仙蔵の笑顔に見惚れながら乱太郎がおずおずと尋ねると、仙蔵はきょとんとした顔をした後にすぐに笑った。
「はははっ!なんだ、そんなことで悩んでいたのか。」
「そっ!?そんなことって……、私にとってはとってもとっても、大切なことなんですよ!」
 自分の大きな悩みをあまりにも笑われてしまった乱太郎が頬を膨らませて怒ると、仙蔵が笑いながらすまないと謝った。そして少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「ふふ、それはなんでだと思う?」
「え、……そ、それは……。」
 仙蔵はどうして乱太郎によくしてくれるのか。そんなの私が聞きたいぐらいなのに答えは一向に分からないまま。
 ただひとつ分かっていることは仙蔵が質問の答えを教えてくれないことだけだ。
……立花先輩のいじわる……。」
 むすっと頬を膨らませながらジト目で仙蔵を見ると、彼は悪びれもなく笑った。
「ははは!すまんすまん。」
 乱太郎の膨らんだ頬を仙蔵がぷすりとつつくものだから乱太郎の口から空気が抜けた。その様子を見てまた仙蔵は笑う。
では、質問を変えようか。乱太郎。お前は私に撫でられたり、甘やかされたりした時、どんな気持ちになった?」
「え、」
どんな気持ちになったんだ?」
 仙蔵の切れ長の瞳が乱太郎を真っ直ぐに見つめる。その瞳に射抜かれてしまったらもう逃げられない。乱太郎はゴクリと唾を飲み込んだ後に口を開いた。
……な、なんだか胸がドキドキして、胸の奥がゾワゾワしてもっと甘やかして欲しいとか、頭を撫でて欲しい……っていう気持ちでいっぱいになって……
 今にも消え入りそうな声で乱太郎がそう呟くと、仙蔵がニッコリと笑ってみせた。
「まあつまり、そういうことだな。」
……へ?え、……どういうことですか?」
 真っ赤な顔をしながらも困惑する乱太郎に仙蔵の手が優しく乱太郎の頭を撫でる。その手付きはとても心地よくて、ついうっとりと目を細めてしまう。するとそんな様子を見た仙蔵が小さく笑った。
 乱太郎。と目の前の彼が自分の名前を呼ぶ。乱太郎は顔を真っ赤にしながらもはい。と仙蔵を見つめる。
「乱太郎、お前はな。」
─私に恋をしているんだよ。そう言って笑う仙蔵があまりにも美しくて、乱太郎は見惚れてしまった。まるで時が止まったかのように感じられた次の瞬間、やっと我に返った乱太郎はまるで乱太郎自身が沸騰してしまったかのように顔が赤くなっていた。
……うう、私が立花先輩に恋をしてるって……。えっと、つまり、わたしは……立花先輩を好きってこと……?」
 まるで火が出そうな程に熱くなった顔と頭を抑えながら乱太郎が呟くと仙蔵がその両頬に自分の両手を添えて壊れ物に触れるように優しく撫でた。
乱太郎。お前のことを甘やかすのは、私だけを見て欲しいし、私だけを好きになってもらいたかったからだ。」
「っ。」
 仙蔵の突然の言葉に乱太郎は更に顔が赤くなってしまった。しかしそんな乱太郎をよそに、仙蔵は言葉を続ける。
……私はお前が思うよりもずっと狡くて、欲深い人間なんだ。」
 乱太郎が早くこの感情に気づいてくれればなと、はやく私のもとへと堕ちてきてくれないか。と何度も思った。と耳元で囁かれた言葉に乱太郎の心臓が大きく脈打った。
 その心臓の音が仙蔵に聞こえていないか心配になる程だ。そんな乱太郎の心配も露知らず、仙蔵の切れ長の瞳が乱太郎を射抜く。
乱太郎。私の想いに気づいたのならば、どうか私のものになっておくれ。」
 柔らかな笑みを浮かべる仙蔵に乱太郎の思考が甘く蕩ける。ああ、そんな美しい表情で見つめられたら頷くことしか出来ないじゃないか。と乱太郎は目の前の仙蔵を見ながら頷く。
っ、はい……。」
 乱太郎が小さく頷くと仙蔵が嬉しそうに微笑んだ。その笑顔を見てまた胸が高鳴る。ああ、もう私はこの美しい人のものになってしまったんだ。と改めて自覚した乱太郎は真っ赤にさせた顔を見られたくなくて、思わず仙蔵の胸元に顔を埋めた。
「ふふ……、可愛いな。」
私のかわいい、かわいい乱太郎。そう言って笑う仙蔵の声があまりにも優しくて甘くて、そしてどこか色っぽいものだから乱太郎は更に顔を赤くするのだった。
 乱太郎の真っ赤になった耳にキスを落としながら、仙蔵は乱太郎にしか聞こえないようにと小さく囁く。
「これから私のことしか考えられなくなる程に甘やかして愛してやるから覚悟しておけよ?」
 甘い声で乱太郎の耳元に仙蔵はそう囁いた。そしてそれを聞いた乱太郎は更に顔を赤くして仙蔵の腕の中で幸せそうに小さく頷くのだった。