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著者: 雷歌/らいと
2025-06-15 17:34:58
2449文字
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むそオリ
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【むそオリ/桃無】寂しさは杯に満ちて
孔明を迎え入れてからの無名、関羽、張飛は──
※主人公の名前は「無名」固定です
やや劉備寄りですが、義兄弟×無名と言い張りますっ
三顧の礼をもって、劉備が軍師・諸葛亮孔明を陣営に迎えてから、いくばくかの時が流れた。
まるで渇いた大地が水を得たように、劉備軍の戦略は多彩かつ精緻になり、誰もが「大義」というものがより確かな光を放ち始めたのを感じていた。その中心で輝く劉備は、もはやただの人徳ある兄貴分ではなく、確固たる意志を持つ「主君」の顔つきをしていた。
その変化を、無名は少しだけ寂しく思っていた。
以前は、戦の合間に気落ちした様子を見せたり、未来への不安をぽつりと漏らしたり、そんな人間らしい弱さを見せてくれる瞬間があった。だが、孔明が来てからというもの、劉備は無名の前でさえ、決してそのような姿を見せなくなった。それが頼もしくもあり、同時に、自分と劉備の間に見えない壁ができたようで、胸の奥が小さく疼くのだった。
「近頃の兄者、少し張り詰めすぎではないか」
「ああ。孔明殿を得て気合が入るのはわかるがな」
ある夜、関羽と張飛に呼び止められ、そんな懸念を打ち明けられた。どうやら
義兄弟
きょうだい
としても同じことを感じていたらしい。
「無名よ、少し様子を見てきてはくれぬか。お主の顔を見れば、兄者も少しは気が休まろう」
関羽にそう促され、無名は静かに頷いた。灯りのともる劉備の居室へと向かったが、中から聞こえてくるのは、孔明と軍略について熱く議論を交わす声だけ。無名が入る隙は、どこにもないように思えた。
踵を返し、自室へ戻ろうとしたその背に、穏やかな声がかかる。
「やはり、お主でも入れぬか」
振り向くと、そこにいたのは関羽だった。無名の沈んだ表情から全てを察したのか、長い髯をしごきながら、ふ、と笑う。
「ならば、今宵はこの関雲長と語り明かそうぞ。お主という人間を、拙者はもっと知りたいからな」
その夜、二人は杯を酌み交わした。翌日、その話を聞きつけた張飛が「ずりぃぞ二人とも! 俺も混ぜろ!」と乗り込んできて、その夜は三人で宴が始まった。
「わっはっは! やっぱお前さんと飲む酒はうめぇや!」
「翼徳、少し飲みすぎだ。無名に絡むでない」
「いーじゃねーかよぉ!」
豪快に笑う張飛と、それを窘める関羽。そのやり取りに、無名は知らず知らずのうちに柔らかな笑みを浮かべていた。
その部屋の前を、劉備と孔明が偶然通りかかる。
賑やかな声が漏れる戸の隙間から、弟たちと楽しげに笑い合う無名の横顔が見えた。その頬はほんのりと赤く、目元は心地よさそうに細められている。その顔を見て、劉備は心の底から安堵し、どうしようもないほどの愛しさが込み上げた。
「
……
よろしいのですか?」
隣を歩く孔明が、静かに問う。
「何がだ?」
「あの方は、てっきり貴方のものなのだと。特別な存在であるとお見受けしておりました故」
その言葉に、劉備は小さく首を振った。
「俺のもの? まさか。確かに俺の麾下にあって、誰より大きな力を貸してくれている。だが、無名の魂は、誰にも縛られるものじゃない。あいつは、あいつ自身のものだ。それでいい」
それでいいのだ、と劉備は自分に言い聞かせるように呟いた。
やがて宴の喧騒が嘘のように静まり返った頃、劉備は再びその部屋を訪れた。
中では、机に突っ伏して眠りこける関羽と張飛の巨体が二つ。その傍らで、どうしたものかと途方に暮れた顔の無名が、来訪者に気づいて顔を上げた。
「劉備
……
」
安堵したように小さく名を呼ばれ、劉備は思わず笑い声が漏れた。
「はは、
義兄弟
きょうだい
がすまないな」
「いや
……
どうやって部屋に連れて行こうかと」
「放っておいていい。あの二人だ、起きれば自分で戻るだろう」
「そう、か」
「お前も疲れただろう。部屋まで送る」
無名は頷き、せめてもの気遣いか、散らかった酒器を隅に寄せておく。
月明かりだけが照らす静かな渡り廊下を、二人並んで歩く。酒のせいか、それとも夜の静寂のせいか、無名がぽつりと、独り言のように零した。
「俺たちは、寂しいのかもしれないな」
その言葉に、劉備は足を止めた。
「
……
珍しく、酔っているのか?」
問われた無名は、劉備の顔を見つめ返し、ふわりと儚げに笑った。
「そうかもしれない」
「そうか
……
」
劉備は一瞬言葉に詰まり、何か言いたげに口を開きかけては、また閉じる。やがて、少し困ったように眉を下げて、ぽつりと言った。
「あー
……
たしかに、お前たちと語る時間が取れていなかったな。すまない」
その、あまりに素直な謝罪に、今度は無名が慌てた。
「いや、酔って余計なことを言った。忘れてくれ」
ぶんぶんと首を振り、取り繕うように言葉を続ける。
「少なくとも、関羽も張飛も、そして俺も、劉備が活き活きとしている様は嬉しく思っている」
その言葉が紛れもない本心であることを伝えるように、無名は劉備の瞳をまっすぐに見つめた。
「
……
そうか?」
その真摯な眼差しを受けて、劉備が問い返す。無名が力強く「ああ」と頷くと、劉備の強張っていた表情が、ふっと和らいだ。
「そうか。
……
それなら、明日はお前たちと酒盛りでもするか」
まるで何かから解放されたように、明るい声で劉備が言う。その唐突な提案に、無名は怪訝な顔をした。
「それなら、とは?」
劉備は悪戯っぽく片方の眉を上げ、無名の顔を覗き込むようにして言った。
「俺は、お前たちの前でも活き活きとしていると思うんだがな?」
その言葉は主君のものではなく、昔なじみの兄貴分の響きをしていた。
意表を突かれた無名は、きょとんと目を丸くする。やがて、その言葉の意味がじんわりと心に染み渡り、堪えきれないようにふっと頬を緩ませた。
「そう
……
そうだな」
その声には、氷が解けていくような温かさが宿っていた。見えない壁だと思っていたものは、案外、少しだけ踏み出せずにいただけなのかもしれない。
月は高く、静かな夜の空気に、二人の穏やかな気配が溶けていった。
end.
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