地底は脚色なく真っ暗で、『一寸先は闇』という言葉が可愛らしいものに感じられた。カンテラで強く照らせるのは、ほんの握りこぶし程度の範囲。その僅かな灯りですら、空気中に舞う埃やら巨大な地底植物の胞子を浮き彫りにさせるばかりで息苦しさが増す。だだっ広いはずなのに、閉塞感の方が強かった。
「王太子殿下に真っ当な報告が上がってこないのも仕方ないわね。こんなんじゃ、報告どころじゃないもの」
「生きるので精一杯、だな……」
調査隊の活動拠点は降りてきた深穴からそう遠くないと、アストルはゼルダから聞いていた。こんな真っ暗な空間では、移動すらも命がけになるだろう。一人ふたりならまだしも、大隊レベルの人数を引き連れるなら移動は最小限に抑えるべきだ。
「女史、具合は悪くないか?」
年下に該当するプルアにアストルは訊ねた。ゼルダとの表面上の関係は主従だろうが、本質的な関係としては友人や研究仲間に近いはず。姪が大切な友を自分に同行させてくれたのならば、それを支えるのが務めだ。
「すんごく不思議なんだけど、全く問題なしよ。姫様の言う通り、貴方に女神ハイリアの御加護があるのかしらね」
「はは、さぁ……」
アストルは笑って誤魔化した。だがこの研究者の目を欺けるとは思っていない。一万年前、厄災封印という大成功を収めたのは彼女の先祖たちの活躍あってのこと。一見非科学的なものを科学を以てして解き明かす姿勢を知っていると、側にいるガノンのことも見透かされたそうな気がする。
「とにかく、体調不良が無ければよかった。ここから地表へ戻るのも、楽ではないからな」
アストルは自分の背後に浮いているガノンのことを考えた。自分が瘴気に耐えられるのは彼あってこそ……というのはほぼ間違いないだろう。そしてそれが周囲の人間に波及する、というのも確定のはずだ。しかしその有効範囲が不明なことや、既に瘴気によって倒れた人間には効かないらしいことが口惜しい。
「あれがそうか?」
向かって北側の、比較的平地が広がっている場所にチラチラと明かりが見える。窓から覗く松明のようだ。人の手で作られた輝きというものは、何故か遠目からでも判別がつくもの。活動拠点はそこなのだろう。
アストルとプルアは真っ直ぐにそちらへ向かった。
✽✽
松明を光源にして建てられたらしい拠点は板張りで、軍隊が扱う施設というよりかは掘っ立て小屋だ。窓はあるが、板に四角い穴を空けているだけでガラスは張られていない。ハイリア人の建築技術を用いれば、もっと立派な建物が建ったはず。下手をすれば馬小屋以下の造りだ。
「アタシ、裏側見てくるわ」
「あぁ、頼む」
プルアはハイヒールを履いているとは思えないほど素早く、暗闇の中を駆けていった。アストルは、ふぅとひとつため息をついた。空気を読んで黙っていたガノンが喋りだす。
「全く、何だあの小娘は。瘴気どころか、我の怨念すら効いていないではないか」
「分派したシーカー族の穏健派閥で育ったらしい。彼女らは、お前が誕生する以前より女神への忠義者だ。……或いは、怨念などに興味は無いのかもしれぬなぁ」
ガノンは不満そうに鼻を鳴らしたのを見て、アストルはクスリと面白みを溢した。しかしすぐに建物の外観をカンテラで照らしながら観察する。
ただでさえ地底の空気は澱んでいるのに、板の隙間から漏れ出す空気は更に濁っていた。送り込まれた兵士たちは相当な人数だと聞いている。この狭い陣中は、換気もマトモに行われていないのだろう。適切な治療がわからないために放置するしか無いため、労働力となれる者もいない。ひどく体力が削られているか、呻く声すらも聞こえなかった。
「見張りの兵も置いておらぬ。警戒心がまるで薄い」
「置けるほど人材に困窮している、が正しいだろうな」
「して、正面から入るのか?」
ガノンがアストルに問いかける。アストルは訝しげな顔をして厄災を見つめた。
「それ以外にどうしろと?」
「お前は患者ではあるまい。あの女神の狗と共に、裏口から入れば良いだけではないか」
「それでは此処の現状がわからぬ」
相変わらず真面目なことだ、とガノンは呆れる。素早い足音と共にプルアが向かった方向から戻ってきて、「ダメね」と一言漏らす。
「どうした?」
「広すぎて、裏手に回り込むにはかなり歩くわ。だから一旦戻ってきちゃった」
「……なら、こちらからだな」
アストルは粗末な扉を開く。途端に、その場から立ち去りたくなる臭いが流れ込んできた。アストルは思わず息を止めた。隣にいるプルアも鼻を摘む。できるだけ口呼吸にすることを心がけ、二人は活動拠点へと足を踏み入れた。
「……なんだ、これは」
瞳孔が開いたアストルは、眉間に皺を寄せて、誰に聞かせるでもなく呟いた。本来ならば、入ってすぐは玄関のはず。患者がひしめき合っていると予想はできたが、まさか、こんなところにまで、布団も毛布もなく、ただ転がされているだけとは。
「ひどい……何よ、こんなの……」
プルアの怯えを帯びた声が小さく聞こえた。被検体を目にすることが多いだろう研究者の彼女も、この夥しい数の兵士が床に詰め込まれた様には恐怖を覚えるらしい。
左右それぞれの壁際に頭をつけた状態で、回廊は狭まっている。互いが互いに足を向けているという状態だ。アストルとプルアは彼らを踏みつけないよう、自身の足元をよく照らして歩いた。
「やれやれ、地に足が囚われているとは面倒だな」
ガノンはそう言いながら、重症人がぎっしりと並べられた廊下を浮いて進んでいく。
「……地獄とは、このような場所のことを言うのだろうか」
アストルの一言に、ガノンは「はっ」と嗤った。
「地獄だと? 生きておるだけまだマシではないか」
アストルは片眉を吊り上げ、反論しようとした。しかし次のガノンの一言に押し潰されて、それは結局一生出て来ずに終わった。
「地獄とは……救ってやれぬ場所のことを言うのだ」
✽✽
「占い師とシーカー族の研究者? 軍事訓練も受けていない、一般人風情で!」
ようやく責任者らへ目通りが叶ったと思えば、浴びせられたのは罵声だった。その気迫の波動に、アストルは思わず身も心も揺るがされる。ガノンのプレッシャーを浴びた者たちは、こんな気分になるのだろうか。こちらを押しつぶさんとする敵意を、彼らから感じる。だが、耐えなければ。眉頭に力を込めて、アストルは不動を貫く。
それを見たプルアが負けじと言い張った。どうやら怖気づいたと思われてしまったらしい。
「彼は王太子殿下から特命を受けて来たのです!」
「そんな報告は聞いていない。第一、我が軍の総司令官であらせられる殿下が、お前たちのような使えぬ人間を、それもたった二人送るだけで済ませるはずがなかろう!」
すると別の佐官が思い出したかのように、しかし悪辣な笑みを浮かべて別の報告を述べた。
「そういえば、王女殿下がお気に入り二人を調査に送り込むという話を耳にしたなぁ。王女殿下は、聖なる力の修行を怠り、研究にばかり時間を費やしていると聞いたが……」
「我々の成果を横取りするつもりか! あの姫は!」
ゼルダがそんなことをするはずがない。アストルの眉間に深い溝が生まれる。あの子は誰よりも一生懸命で、国のため民のため、自分に何が出来るか迷いながらも手探りの最中なだけだ。『お気に入り』という言葉を否定することは難しいが、『横取り』だけはいただけない。
「何よあんたらッ……姫様がどんなお気持ちか、何も知らないくせに!」
「やはり姫のお気に入りだな! 我らの成果を奪うべく、取り巻きであるお前たちを利用する姫に、果たして身を捧ぐ価値があるのか?」
「イカれきった無才の姫には、それがお似合いだろう」
下劣な笑い声にプルアが強く拳を握る。殴りかかるつもりだ。それを制するようにアストルは二人の間に割って入る。
「わかりました。呼ばれない限り、こちらには入りませんので……失礼します」
「誰がお前たちなど呼ぶものか! とっとと出ていけ!」
「できれば、こちらから出ていきたいのですが」
アストルはそう言って、佐官室から外へ続く扉を示した。きっとここが裏口に当たるのだろう。病人で埋まった道を歩けば、何もできない自分に耐えられない。
「出ていくならどこからでも構わん。我々は忙しい。取り合ってもらえたことに感謝するんだな」
「はい。お忙しい中、失礼しました」
アストルは深々と頭を下げ、今にも瓦解しそうな木の扉に手をかけた。プルアはまだ刺々しく殺気を放っている。噛みつかないか心配になったが、彼女もゼルダをよく知る者のひとり。名誉を傷つけるような真似はしないはずだ。
「ちょっといいの!? 言われっぱなしだし、姫様のことだって……」
扉から出てすぐ、プルアはアストルを非難するべく声を上げた。こちらに矛先が向いても仕方がない状況ではある。
「ゼルダの悪口は、私とて腹が立っている」
「それに、アタシたちは王太子殿下の命で来たのよ。断るなんて……話がおかしいわ」
「情報が錯綜しているの間違いなさそうだ。故に、これ以上かき乱すのは得策ではない。それに……」
「それに?」
「私たちは地底の調査をしに来たが、彼らと協力しろなどと言われていない。着任が拒否されたのなら、独自で動くしかなかろう」
「……まあ、その方が楽かもしれないわね」
「加えてもうひとつ」
アストルはひとつ咳払いをすると、プルアの顔をまじまじと見つめた。深く広がる地底の、塗りつぶされたように黒い世界を探るが如く視線を動かしている。あまりに凝視されすぎて、「ど、どうしたのよ」とプルアは顔を顰めた。
何か納得いく収穫を得たのか、アストルはようやく顔を逸らした。
「顔色が良くない。慣れぬところへ来たのだ。今日はもう休もう」
そう言うとアストルは背負った荷物を降ろし、いそいそと広げ始めた。プルアは不意を突かれた気分になり、思わずその場にしゃがみこむ。
「……なんでわかったわけ?」
「アデヤで診ていた村人たちと比べて、経過は遅いが確実に具合が悪化しているのが見て取れた。一度休んでから、調査を始めよう」
義憤していたプルアも、その言葉に大人しくなった。休みが必要なことはわかっている。それぞれがテントを建て、各々の場所で休息を取ることにした。
✽✽
「絶望したか?」
「ガノン」
眠ろうとするアストルの枕元に、ガノンが胡座をかいて現れた。側にいるとわかっていても、目の前のことに集中すると、存在を忘れそうになる。
「……いや、すまないがまだだ。ああまで言われて、拒否されるとは思わなかったが」
アストルは目を閉じた。すると不思議なことに、目で見るよりもガノンの姿が鮮明に浮かぶ。本来彼は不可視の存在。視覚というものに惑わされず、触覚で感じるからだろうか。
「とっとと寝ておけ。そして以って、早いところ絶望するだな」
「あぁ。……そうさせてもらう」
その小さな呟きから数秒と経たず、アストルの静かな寝息が聞こえ始めた。余程疲れていたらしい。
アストルが寝付いたことで、彼の心から吹く風が止む。じりじりと自分の中で上がっていく怨念の熱は、いつもよりも強い。
人間だった頃、身体の熱が上がるのは風邪を引いた時程度だった。幼少の時分、それが起こす怠さと息苦しさに心細くなり、どうしてこんなことになるのかと周りの大人に訊ねたことがある。
『それは、身体の中に入った病の元凶を殺すためだよ』
幾つか聞いた理由の中で、一番納得がいったものはこれだった。体温が上がって苦しいのは、悪しき物質を抹殺するためなのだと。己の身を守るためには苦しみも伴うのだと、ガノンはその時学んだ。
瘴気に中てられた者は、病の床に伏す。今ガノンの内側で怨念がざわつきながら燃えているのは、靄のようなこの身に瘴気が混ざってしまったからだろうか。
「……不快だな」
早くアストルが起きてくれないものかとガノンは思う。高まる熱を冷ましてほしい。あまりにも熱されては、蒸発してしまうかもしれない。彼の絶望する姿を見るまで、消えたくない。
そのためには、瘴気を撒き散らしている元凶を探さなければならない。風邪の大元を、叩かなければいけないように。
続く
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