初めてのキスは驚くほど曖昧に始まって、曖昧に終わった。ファーストキスってもっと劇的なものじゃなかったのか? レモンの味もしなかった。
けれどどんなに曖昧でも、劇的じゃなくても、美味しい味がしなくても、やったことは確かだ。出来たことは確かなのだ。
成功体験は、次もやろうという意欲に繋がる。だからオロルンは折を見て再びイファに口付けたし、彼も同じ意欲に燃えていたのかあっさりと受け入れてくれた。
二度目、三度目、四度目と。成功体験を重ねた結果、もっと難しいことに挑戦したいという克己心が芽生え、舌を入れるキスだってやった。
これは中々難しく、息が続かなくなったり、舌を突っ込み過ぎて嘔吐かれたり、オロルンの人より鋭い牙の所為でイファが舌を傷つけたりもした。だが一度や二度や三度の失敗でへこたれることはなかった。それどころか益々奮起して、ならばこうだ、次はこうだと試行錯誤を繰り返した。
そのお陰で、今は何の苦労もなくキスが出来る。
唇を合わせる角度。舌をお邪魔させるタイミング。誘う仕草。息継ぎはどこでしよう? 鼻息が気にならないよう呼吸に気を付けるのもいいけど、余裕がないなと悦に入るのもまた乙なものだ。イファを何度も傷つけた牙が、オロルンより厚めな舌に愛撫される。幾度もオエッと興醒めな悲鳴を上げさせた喉奥を舐めると、抱き寄せた背中がぶるっと震えた。
何を考えずとも熟せる完璧なキス。もうとっくに日常的で、相手の唾液の味に安堵すら覚えてしまう。
だからこそオロルンは、最初の曖昧さをどうにかしたいと、ずっと考えていたのだ。
「という訳で、今から君にキスをする」
「うん、まあ、いいけどさぁ」
頷く素振りを見せるくせ、反応はどうも反抗的だ。しっかと掴んだ肩は今も後ろに逃げようとし続けているし、顔だって少し背けられている。まだ帽子を被っていたなら、俯いて盾にしていたかもしれない。
何をそんなに嫌がるのか。ロケーションに拘る彼の為に、人目につかないオロルンの家で事に及んでやっているというのに──イファに言わせればそれはマナーだ、とのことだが。
朝焼け色の両目は、スープに浮かぶ油の玉のようにあっちこっちへ逃げまくる。オロルンは、もう一対腕があったらなと思った。イファの顔を固定する為に肩を捕まえる手を離したら、その隙にぴゅいっと逃げられてしまいそうだ。
「おいイファ、何度してきたと思ってるんだ。そんなに怯えないでくれ、今更だろ」
「そうだよ今更だろ、だってのに何でお前はそう噛みつきそうな面してるんだ、きょうだい?」
傷跡を残す目が、嫌そうというには婀娜な流し目を寄越す。オロルンは思わず、フードから自由になった三角耳の先を跳ねさせた。
「……僕は、今そんな顔をしてるのか」
「してるよ。鏡で確認して来い」
「その間に君が逃げる」
「……に、逃げねえよ」
どうだか。「動物の鳴き声がした」とか言って、さっさと逃げてしまうかもしれない。
フンと鼻を鳴らしてやれば、自分でも自信がないのか視線が逃げて……それからおずおずと、帰って来る。垂れた目が、オロルンを上目遣いに見つめた。
「なあ、もう、したけりゃすればいいだろ、いつも通りにさ」
「いつも通りじゃ駄目だ」
何度も繰り返した「いつも通り」をやったって、曖昧な一番最初とあんまり変わらないじゃないか。
それじゃあ駄目だ。
それじゃあ嫌だ。
ええ?と困惑と反抗を綯い交ぜにした声をイファが上げる。また肩が後ろに引かれた。絶対に逃がさないぞ。
「じゃあ、俺にどうしろっていうんだよ?」
「目を閉じないでくれ」
「やだよ怖ぇよ」
お前目がギラギラしてんだもん。5歳児が駄々を捏ねる。頬を赤らめて、両目をちょっと潤ませている癖に!
「やだじゃないやれ」
「やだってば。いつも通り俺が目ぇ瞑ってる間にぶちゅっとやってくれればいいだろ」
ぶちゅっとなんてそんな色気のない。眉根を寄せたオロルンは、ふっとその言葉に違和感を覚えた。いつも通り──?
あっ、と声を上げる。
「そういえばいつも僕からじゃないか! 君からキスしてくれたことなんて一度もない!」
「あっくそ気付きやがった!」
イファが行儀悪く舌打ちをした。この野郎、気付いてて黙ってたのか。オロルンは憤然とした。
「決めた。今日は君からしてくれ」
「くっそぉ、分かったよやればいいんだろ!」
肩を掴んでいた両手を叩き落され、逆に傷だらけの手套が己の肩に乗せられる。身長差は然程ない。このまま「ぶちゅっと」やってしまえばいいのだが。
僅かに顔を寄せたまま、イファは唸る。眉を寄せ、目を尖らせ、歯噛みしてから怒鳴った。
「協力しろよ! 目ぇかっ開いたまま真っ直ぐこっち見てんなよ! いつもの俺みたいにしててくれ!」
いつものイファ? 耳をぴるぴる動かして、オロルンは考えた。
いつも彼は、キスの前にどんなことをしているだろう。例えばそう、ゆっくりと瞼を下げて。少しだけ顎を上げて。鼻がぶつからないよう、僅かに首を傾けて……。
「い」
思わず声が漏れる。
「い?」
目の前の顔が傾けられる。
「い、いやだ。恥ずかしい!」
あんなやらしい顔をして見せるなんて、あんまりにも恥ずかし過ぎる。とても素面で出来そうにない。オロルンは自分の頬が、酷く熱くなっていることに気付いた。
「はあ⁉ お前、お前さあ‼」
「やっぱり僕からする! イファは目を瞑っててくれ!」
「嫌だね! なーにが恥ずかしいだ、散々人に恥ずかしい思いさせといて!」
ギャーギャー喚き声を上げて言い争う。二人の「初めて」が出来たかは、まあ二人のみぞ知る話である。
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