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匣舟
2025-06-15 03:50:11
4942文字
Public
RKRN
愛を囁く前にキスして
リクエスト頂いた土井乱で喧嘩してしまったふたりの仲直りするまでの話。
愛を囁く前にキスして
コーヒーカップを買った。紺色のグラデーションが綺麗なものを。
今の時代は色んな柄のコーヒーカップがあって、色も様々なものがあってあれもいい、これもいいなと数十分クルクル雑貨コーナーを回りながら結局行き着いたのは、最初にいいな。と思った紺色のコーヒーカップだった。
カップの裏に書かれていた値札と、財布の中身を見ると難なく払える額だったので、乱太郎はレジへと直行する。
なぜ乱太郎がこんな朝にコーヒーカップを買ったかと言うと、今日同居人兼恋人と口論の末に割ってしまったからだった。本当に些細なことだったと思う。胃がいっとう弱いくせにコーヒーばかり飲むから、あんまり飲まない方がいいんじゃないですか。と注意しただけなのにコーヒーがないと生きていけない。だのいうのでいつだって健康でいて欲しい乱太郎はいつの間にかキレていたのである。
コーヒー以前に恋人は乱太郎がいないとすぐ食生活がみだれ、一日何も食べていない日もザラにあった。乱太郎が大学生になってから同棲し始めてもう半年は経つ。だらしない人とは聞いていたけれど、こんなにだらしないとは思っていなかった。あれも、これも!と色んな言いたいことが積み重なって来た結果が今日だった。
「
…
ちょっと頭冷やしてきます。」
朝から言いすぎてしまった。と席を立って食器だけでも片付けようと例のコーヒーカップを持った途端、コーヒーカップの取っ手が乱太郎の手をすり抜けていく。
あ、と気づいた時には遅く。パリン!という音と床にジワジワと少しだけ残っていたコーヒーの波が押し寄せていた。
地面に落ちて割れたコーヒーカップは、自分が初めて恋人にプレゼントとして渡したもので、大切なものを割ってしまったことに動揺してしまった乱太郎は朝、待ってくれ!という相手の制止を掻い潜って泣きながら家を飛び出したのだった。
「
…
はあ、せめてあと片付けをして出ればよかった。」
家事については不器用な恋人なので、高確率で床にはコーヒーのシミが付いているだろう。まあ、割れたコーヒーカップを片付けてくれているのならそれでいいか。と思いながら乱太郎はコーヒーカップを買って雑貨コーナーを後にした。
「はあ、これからどうしよう
……
。」
少しを頭を冷やすだけの為に家を出ようと思っていたのに、まさかこんな感じで家を出るだなんて思ってなかった乱太郎は溜息をつくしか無かった。
今日は平日で恋人も仕事があるだろうし、乱太郎も普通に大学がある日だ。今日は確かリモート授業でも無かったし、大学に行かなければならない。今日は自分が受けたい分野の授業だし行きたいっちゃいきたいけど、気が重たい。
「
…
多分、伝わっちゃってるしなあ
…
。」
乱太郎の通っている大学には、乱太郎の恋人のことを知っている人がたくさんいる。特にいつも一緒にいるふたりには既に恋人が相談しているかもしれない。
その二人を起点にして連絡網のようにこの喧嘩の内容が行き渡っているかもしれないと考えただけで恥ずかしいし、そんなことで喧嘩しているのか。とげんなりされるかもしれない。
でも、いつだって些細なことで恋人と喧嘩した時だって二人は乱太郎の味方でいてくれたし、今回の喧嘩の内容を考えてみれば二人はこっちを味方してくれるだろう。
絶対相談した方が楽に決まっているのに、そうと分かっていても乱太郎は大学に行く気になれなかった。
「はあ、どうしよう。」
家から二駅先の百貨店の前でいい加減黄昏ているのも限界になってきた。乱太郎は別の場所に行こうと思い、カバンの中身をもう一度確認することにした。
乱太郎が持ってきたカバンの中には、今日受ける講義のプリントとノート、パソコン、筆記用具、スマホ、財布と交通系ICカード、そして家の鍵とさっき百貨店で買ったプレゼント包装された紺色のマグカップが入っていた。
とりあえず、ずっとここに留まっておくのも良くないなと乱太郎は目の前の交差点を渡ったのだった。
「
…
一旦ここで休憩しようかなぁ。」
ぶらぶら歩いて着いたのは住宅街にあるこじんまりとした公園だった。平日の昼前なので、遊んでいる子どもなどひとりもおらず遊具は乗りたい放題だった。乱太郎はチラチラと視線を交わしながらブランコに座って漕いでみる。
「
……
はあ、」
ブランコを漕いでいたら気分が晴れるかなあなんて安直な考えから乗ってみけれど、ギコギコと揺れる度に逆に乱太郎の気分は下がっていくし、むしろどんどんと憂鬱な気分になってくる。
ブランコが揺れる度に雲ひとつない青空が乱太郎に近づく。そんな青空を見て、心がモヤモヤとしている乱太郎は悪態を付きたいような気分になりつつ、こんなことならば喧嘩しなければよかった。と泣きそうになっていた。
思い返せばいつも喧嘩して折れてくれるのは相手だった。毎回、私が悪かった。ごめんな。と乱太郎の頭を撫でて、大人の余裕を醸し出してくるのだ。そんな恋人の大人の余裕に乱太郎はいつもやきもきしていた。自分はまだ子どもで相手は大人。そんな事実がいつも突きつけられるような気がしていた。
「もう、やだな。」
子どもっぽい自分も、子ども扱いされる自分も。ブランコを漕ぐ気力が無くなってしまった乱太郎はブランコを漕ぐのをやめた。
そして、そのまま公園にあるベンチに座って項垂れる。
「
……
はあ、」
溜息ばかりが漏れて、なんだか自分が惨めに思えてくる。恋人と喧嘩しただけでこんなになってしまうなんて情けないなと乱太郎はまた溜息をついた。そんな時だった。乱太郎の前に客人が現れたのは。
「なぁ〜ん。」
「
…
ん?」
溜息をつきながら座っていると、乱太郎が座っているベンチの目の前に一匹の黒猫がやってきた。黒猫はそのまま乱太郎の方へと近づいてゆく。
「わ、」
乱太郎の足元にすり寄って来た黒猫はゴロゴロと喉を鳴らしている。その黒猫は誰にでも人懐っこい性格のようで初対面の乱太郎が座っているベンチの上に飛び乗ってきてそのまま丸くなった。
「
……
ふふ、可愛いなあ。」
思わず笑みが溢れる。こんなに可愛い猫に癒されるなんて思いもしなかったな。
…
幸運だな。と思いながら乱太郎は猫を撫でた。すると、猫はまた嬉しそうに喉を鳴らすのだった。
「
……
ねえ、猫さん。どうしたら子ども扱いされないと思う
…
?」
「にゃー。」
「
…
ふふ、分からないよね。ごめんね。」
乱太郎は猫に問いかけてみたが、猫は当然人間の言葉など分かるはずもなくただ鳴いただけである。そんな時、公園の入り口から乱太郎を呼ぶ声が聞こえてきた。
「
…
っ、乱太郎!」
「
……
え、」
その声の方を向くと、そこには今朝喧嘩した恋人がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「な、なんで
……
。」
乱太郎は驚きのあまりベンチを立ってしまった。そんな乱太郎を見て猫はまたにゃーん。とひと鳴きしてどこかへと走り去って行ってしまった。
「
……
はぁ、はぁっ。
……
やっと見つけた。」
乱太郎の目の前にいる恋人の土井半助は全身に汗をかいていて、息もゼェゼェと荒い。乱太郎は自分のことをここまで探してくれたという驚きで胸がいっぱいすぎて吃ることしか出来ないでいた。
「ど、どうして
……
?」
今日は平日で乱太郎も大学があるし、大学の准教授を勤めている半助も言わずもがな授業を受け持っている。しかも今まさに半助の講義の時間だろうに、何故ここにいるのか。と疑問に思っている間にも恋人は乱太郎に近づいて来てそのまま乱太郎を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと
……
!」
「
……
すまない。」
「え?」
乱太郎の耳元でボソリと呟いた恋人の顔は酷く落ち込んでいて今にも泣きそうな顔をしていた。そのままぎゅううう。と半助の腕が痛いくらいに自分の体を締める感覚に息苦しささえ覚えてしまうほどだった。
「ど、どうしたんですか
……
?」
「
……
本当にすまない。」
「だから何が
……
。」
半助は乱太郎を抱きしめたまま謝罪の言葉ばかりを乱太郎の耳元で呟いているが、何に対して謝っているのかさっぱり分からない乱太郎は困惑していた。そんな乱太郎に半助はぽつり、ぽつりと今朝のことを話し始めた。
「朝、あれから出勤したら山田教授になんだその頭からキノコが生えそうなほどジメジメして。って言われて今朝の事の顛末を話したんだ。」
そしたら、それはお前が悪いよ。と言われてね。それも分かっていたし、家に帰ったら謝ります。と教授とどう謝ればいいかとかと話し合ってたんだ。それまでは良かったんだけど
…
、きり丸が乱太郎と連絡がつかないから、何か知らないかって私のところに来て、山田先生と同じように話したらね、まあ私が悪いって話になって
…
。
まあ、今回の件は私に非があるからそれは分かってる。って言ったら、次にこう言われたんだ。
…
そんなんじゃ乱太郎に愛想尽かされるんじゃないですか?乱太郎を好きな奴なんてこの大学にわんさかいるから、これが知れ渡ったら乱太郎取られちゃいますよ。って。
「
……
え、」
きりちゃん、半助さんに発破かけるようなこと言わなくても
…
と乱太郎が呆れていることも知らず、半助は話を続けていく。
「そしたら急に頭がサーッて真っ白になってね。気がつけば大学を抜け出して、乱太郎を探し回ってたってわけさ。」
講義もあるのに飛び出してきたとは。と乱太郎は驚く。講義はどうなったんですか。と訪ねようと、乱太郎は話そうと口を開いた。
「
……
あの、」
「ねえ乱太郎。私に愛想が尽きてしまったかい
…
?」
半助は乱太郎の話を聞く余裕は全くなく、腕の力を弱めて乱太郎と向かい合い、首を傾げて不安そうに聞いてきた。その目は潤んでいて今にも泣きそうである。そんないつも大人の余裕を醸し出してくる恋人の情けない顔を見て、乱太郎は講義のことなど吹っ飛んでゆき、思わず、ふ。と笑いが溢れた。
「
…
ふふ、そんなことで愛想を尽かすわけないですよ。」
「
……
本当に?」
何度も聞いてくる半助にはは、と笑いながら、こんなことで愛想を尽かすのならもうとっくに終わってますよ。と乱太郎が言う。一度は回復したものの、また落ち込む半助に乱太郎はちゃんと言葉を最後まで聞いてくださいよ。と言って続ける。
「
…
半助さんがだらしないのなんて分かってるんですよ。生活にしろ食生活にしろ。だらしないなあって呆れることもありますけど、それをひっくるめて半助さんの事が好きなんですから。」
…
もう、こんな恥ずかしいこと言わせないでくださいよ。と乱太郎は顔を真っ赤にして半助から顔を逸らしたのだった。
そんな乱太郎の言葉を聞いて、半助はきゅうううん。と胸が締め付けられる心地がして、ぎゅう。ともう一度力強く乱太郎を抱きしめた。
「
…
ありがとう、乱太郎。」
半助はだらしなく頰を緩ませて乱太郎を愛おしそうに見つめる。そんな恋人に乱太郎も思わず笑みが溢れた。
「
……
ふふ、でもさっきもう愛想尽かされるんじゃないかって焦った半助さんは面白かったですよ。」
そんな乱太郎の言葉に、大人を揶揄うんじゃないよ。と半助は苦笑して少しだけ体を離して、乱太郎の唇にキスを落とした。
「ん、」
「
…
乱太郎。愛してるよ。」
お前なしじゃ、生きていけないほどにね。そんな甘い言葉と共に、また唇が重なる。
今度は触れるだけのキスだったけれど、半助の愛が伝わってくるようなそんなキスだった。
「
…
私もです。」
私も、半助さんのこと愛してますよ。そんな恋人に乱太郎も微笑んでそう返すと、そのままもう一度半助からキスをされたのだった。
その後、ふたりで大学へ行った後に講義をすっぽかした事と、連絡がつかなかったことに対してこってりと山田ときり丸に怒られたふたりはすみませんと土下座する勢いで謝ったそうな。
その後、ふたりが住むアパートのキッチンの棚には、その日の帰りに半助が乱太郎に送ったコーヒーカップと乱太郎が割ってしまったお詫びとして買ったコーヒーカップが仲睦まじいふたりのように一緒に並んでいた。
了
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