オシカ・ナタでの動乱を経て一度夜神と融合したはずの隊長の魂は再度分離して個となり、再び俗世へと降り立つこととなった。抱えていた同胞たちを還した彼の身体は、眠りに付く前よりも些か軽い。しかし隊長が玉座に座してから暫くの月日が流れていたため、かつて隊長の配下であったファデュイの部下たちも引き上げていた。滞在していた駐屯地も撤収が完了しており、きちんと指示通りに部下たちが動いてくれたことに感謝しつつも、隊長は当面の生活をどうしたものかと思案していた。
「僕のところに来るといい」
状況を察したオロルンは、半ば強引に隊長の手を引いて彼の家へと誘った。ぎゅっと握られた手首は振りほどこうと思えば容易いものではあったが、大きく感情を出された覚えのない蝙蝠耳の青年がなんとも言い難い顔をしながらも、それをこちらに見せないように背をむけつつ手を引く様を見せられては、そういう気は起きなかった。そういった経緯で女皇陛下との連絡が取れるまでの暫くの間、隊長はオロルンの家に厄介になることとなった。
魂たちを解放し、声に魘されることもなくなった。だが眠りを妨げる声が無くなったからといって、五百年間続いていた習慣はそう変わるものではない。睡眠もそこそこに隊長はオロルンがまだ寝ている寝床を横目に外に出て、畑の脇で素振りをしていた。生きていた期間に比べればほんの僅かではあるものの、全く躰を動かさない期間があったのだ。動きの鈍りを感じずにはいられなかった。大きな事柄は一つ片づけたとはいえ、まだまだやるべきことはある――。そう考えながら騎士時代に繰り返した型を思い返し、一通りこなし終えた頃に後ろからパチパチと手を叩く音が聞こえた。
「流石隊長だな、動きも無駄が無くてかっこいい」
「……実践ではあまり役には立たんが」
「そうなのか?」
「魔物は構えをとるのを待ってはくれないからな。それにしてもお前にしては随分と早起きだな、何かあるのか」
「ええと、君が外に行くのが見えたから……」
「……どこかに行くとでも思ったのか?」
「どこかに行く気だったのか?」
「いや、そういうわけではない……言った通り、女皇陛下の命が下るまでは厄介にならせてもらう」
「うん、もちろん。それでなんだが、隊長。君にお願いがあるんだ」
「何だ」
「……『働かざるもの、喰うべからず』っていうだろ?」
どうやらオロルンは、畑の収穫作業を手伝ってほしくて隊長に声を掛けたようだった。状況を把握した隊長が了承すると、嬉しそうに微笑んで手を引いた。人参、じゃがいも、トマト、キャベツ――様々な野菜たちが、オロルンと隊長の手によって収穫されていく。
「君も僕たちに食べて欲しいのか?わかった、君の期待に応えよう」
隊長は頼まれた位置にある作物を収穫していったが、その傍らでオロルンはしきりに野菜と話しかけてコミュニケーションを取っている。傍から見れば奇怪極まりない行動ではあるが、その実、話しながらその植物のことをよく観察しており、食べ頃を判断しているようにも見える。――まぁ、本人は話しているだけと言っているが。
「隊長!こっちの人参も頼む。ここからここ、あとあっちの一本だ」
「わかった。この玉ねぎはどこに置いておけばいい?」
「あの籠の上で頼む」
食べ頃の野菜たちを収穫し終えた二人は、根菜類の泥を落とすために野菜籠を担いで近くの川へと赴いた。テイワット広しとも言えど、ファデュイ執行官、それも第一位の人間に野菜籠を背負わせることのできる人間は、彼の他にはどこを探しても居ないだろう。丁度いい石のある河原に腰を下ろし、泥だらけの根菜たちを二人して洗っていく。
「なぁ、隊長」
「何だ」
野菜を洗いながら、オロルンは川の中を悠々と泳いでいる魚を視界に捉えていた。大振りで元気がよく、きっとぷりぷりとした良い歯ごたえが期待できるだろう。
「……君、得意料理とかってあるのか?」
「料理か。しないわけではないが、強いて得意と言えるようなものは無いな……」
「僕はセビチェが得意だ。そこにいる魚とか丁度いいと思うんだ。君は、生魚は平気か?」
「ああ。問題ない」
その返事を聞くや否や、オロルンは手のひらに小さな宿霊玉を出し、眼で捉えていた魚へと放った。魚の周囲に限定された紫電がパチパチとはじけ、魚が痺れて動きを止めた。オロルンはその魚を徐に掴むと、野菜籠にぶら下げていた袋に放り入れる。その手際の良さに呆気に取られていると、その様子がおかしかったのかオロルンもくすりと笑った。
「そうだ!隊長も何か作ってくれ。君の手料理も食べてみたい。安心してくれ、材料は沢山ある」
ほら、と今しがた洗ったばかりの野菜が詰められた野菜籠を指さした。
「まぁ……別に、構わんが」
「本当か!?」
承諾されると思っていなかったのだろう。ぱぁと嬉しそうな顔を浮かべたオロルンは、おもむろに野菜籠を背負い上げ、隊長にも早く立つように促した。
「そうと決まれば、早速作ろう。野菜たちも新鮮なうちに食べてもらいたがっている」
「ふむ」
うきうきとした足取りを隠しきれないオロルンを他所に、隊長は辺りの気配を探る。すぅ、とその手に片手剣を錬成すると、ダンと地を蹴って跳んだ。
「なんだ!?どうしたんだ、たいちょ……」
次の瞬間には、得物を手に戻ってきた隊長がそこに居た。引き摺られているそれは、豊穣の邦の辺りで見られるような大きなサイズの猪であった。
「調理するとなれば、肉もあったほうが良いだろう」
オロルンの家の炊事場は、大きな男二人で並ぶにはいささか手狭だった。それでもなお一緒に作るのだと言ってきかなかったオロルンに言われるがまま、肌が触れ合うような距離で調理を進めていく。
「僕は火を使わないからな、そっちの方は好きにしてくれ」
オロルンは先程仕留めた魚の鱗を小ぶりのナイフでを削ぎ落し、慣れた手つきで手早くおろしていく。一方で隊長は血抜きした猪肉をごろごろとした大きさに叩き切り、塩水へと放り込んだ。次に先程洗った根菜たちも同じように大ぶりに切り分けていく。おおかたの下処理が終わると、今度は大きめの鍋に油を入れ、具材を放り込んで火にかけた。
「隊長は何を作ってくれるんだ?」
セビチェの支度を済ませたオロルンは燃素式だという冷却器に器を入れ、調理過程を覗き込んできた。
「ああ、これはスネージナヤの煮込み料理だ。本当ならビーツがあればなお良かったんだが」
「ビーツってなんだ?野菜か?」
「ああ、赤い蕪のようなものだ」
「赤い蕪……見たことないな。育ててみたい」
スネージナヤに戻ったら種を送ってやるか、と頭の片隅に置きつつ、隊長は鍋をかき混ぜる。
「……重い」
背中からもたれかかる様に肩に顎をのせて覗き込んでいたオロルンは、そんなわけあるかと退く気配が無い。
「座っている間に筋力が落ちたんじゃないか?」
「……かもしれんな」
まぁいいかと思いつつ、そろそろ具合かとオロルンを背負いながら鍋に水を張る。くつくつと煮立たせながら調味料を加え、ぐるりと混ぜたあとに蓋をした。
「あとは暫く煮込むだけだ。向こうで待っていろ」
「いや、作るところを見ていたい。いいだろ?」
拒否されるとは微塵も思っていない様子だというのに、形式上は許可を強請ってくる。
「……構わんが、火を見ているだけだぞ。そう面白いものでも無いだろう」
「いや、君とこうして居られるだけで十分楽しい」
微笑んだオロルンを無下に扱うこともできず、隊長はやれやれと溜息を吐くと、隣室の椅子を二脚拝借して調理場へと置いた。
「美味しい!野菜たちもとても喜んでいる。もちろん、僕もとても喜んでいる」
「……気に入ってくれたのなら何よりだ。お前が作ったコレも旨いな」
お互いが作った料理をテーブルに並べ、二人は遅めの夕飯とした。煮込むのに存外時間がかかってしまい、気が付けば日は落ちていた。具を大きくし過ぎたのが敗因だろう。だが味は申し分なく、ごろごろと大きく切った野菜をスプーンですくい上げ、オロルンがはふはふと頬張っている。
「ブレイズ・ミートシチューと具材は近いはずなのに、味が全然違う。国が違うと味付けもこんなに変わるんだな」
興味深げにスープを掬いながらすんすんと匂いを嗅ぎ、口に含むと味わう様に転がしている。分析でもしているのだろうか。
「この味が、君の好きな味なのか?」
「……ああ。慣れ親しんだ味だな」
故郷の味、ではないが、スネージナヤ料理もここ暫く、執行官となってから生活の一部となっていたものだ。ナタの調味料で上手くできるかは不安だったものの、かなり近い味にできたといえる味だった。欲を言えばビーツが欲しかったが……致し方あるまい。
「そうか」
オロルンは二口、三口、と同じようにスープを啜る。何か合点がいったのだろうか、満足気に頷いていた。
「覚えたから、次は僕も作れるな」
「……作ってくれるのか?」
「ああ。これが『君の好きな味』なんだろう?最初は上手くいかないかもしれないけれど……ちゃんと作れるようになるから、安心してくれ」
さもそれが当然、といった具合に微笑むオロルンに、つられるように少しだけ、口角が上がった。
「なあ隊長、君はお酒は飲めるのか?いつだったかの宴では全然口にしていなかっただろう」
「人並には飲む。あの場で一番上の者が飲むわけにもいくまい」
「それもそうか。少し待っててくれ。炎水ではないんだが……イイモノがある」
窓の外には満天の星空が広がっている。ふたりの夜は、始まったばかりだ。
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