honeyhoneylaboratory
2024-10-05 18:40:58
7960文字
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今日も僕らは一緒にいる

あれからのこと。

今日も僕らは一緒にいる

 あれからこの世界がどうなったのか、少し話しておこうと思う。
 渋谷の壊滅を経て最終決戦と言われた新宿での戦いを終えると、呪術師たちは元の日常へと戻っていった。振り返ってみると、そうすることで誰もかれもが傷ついた心を奮い立たせようとしていたのだと思う。なにせ、死なないでいるほうが難しいくらいの状況だったのだ。宿儺がいようがいまいが、呪いは発生する。それはこの世の理であって、俺たち呪術師がまだ存在している意味でもある。
 そういう中で、俺たち学生もまた日常へ、つまり高専生としての生活へ戻ったのだった。授業と任務、そして五条先生の言葉を借りるなら青春の日々が戻ってきた。補助監督たちも、前と変わらず術師たちのサポートをしてくれている。こうして高専は、前と変わらない顔で呪術師たちを迎えたのだ。
 でも、すべてが元に戻ったかと言えばそんなことはないのだった。高専から所属を抜けて家族を近くで守ると決めた者もいれば、呪術師であることを辞めた者、そして逆に、発芽した術式を扱いきれずにいるところを発見され、こちら側へと足を踏み入れた者もあった。全体を見れば「戻った」と言えるが、それぞれに目を凝らせばギシギシと軋んでいるところがある。踏ん張っているのだ、みんな。そしてそれをみんなが理解している。
 ところで俺のまわりを見渡したとき、決戦の前と後とで変わった代表格と言ったら何と言っても五条先生だった。表現としては「スケールダウンした」というのが正しいと思う。六眼も術式も失われたわけではないのだが、呪力の総量が著しく減った。
 かつてはこの世界が存在する理由ですらあった五条先生は、そういうわけで最強ではなくなっている。では、最強である必要がなくなったこの世界で隠居を決め込んだのかというとそうでもなくて、それなりに忙しい日々を送っているのである。例えばガタガタになってしまった総監部の立て直しにも裏で噛んでいるようで、文句のひとつも言わずに真面目な顔でほかの大人たちと協働している。
 赫はBB弾程度の威力もないし、蒼はせいぜいプラスチックのゴミ箱を引き寄せるくらいにしか使えない。それでもゼロよりはいいよと言って、最近の先生は式を使うことにしたようだ。式と言っても俺の式神とは違って、昔からある伝統的な紙人形だ。ちょうど紙飛行機を飛ばすような恰好で式神を放つわけだが、これがなかなかに優雅なのである。
 イケて三級程度までかなと小首を傾げた五条先生は、「それにしても、何かを媒介にしないといけないのはなかなかに不便なもんだね」としみじみ言った。だいたいの人がそうなんですよと言ってやったら青い目をまんまるにして「確かに!」と言ったので、この人の周囲に対する想像力のなさは、いまだ無邪気なまでに健在である。
 そして、俺はと言うと、高専の学生として術師を続ける傍ら、五条先生の元で禪院家の財産整理と生き残った一族の人たちの追跡をしたりしている。悪しき家風は一掃すべきではあるけれど、成り行きとは言え当主であるわけだから、すべきことはしなくちゃね。そう言って俺の首根っこをまるで猫でも持つかのように掴み、当主の立場にある人間が背負うべきことを当たり前のように指南してくれている五条先生は、相変わらず俺の師なのだ。
 決戦後の療養を終えた五条先生は、高専の教員を辞した。それに伴って教員寮も退去したので、俺も東京の五条別邸を住所にしている。これは当主業を並行することを考慮され、週末は五条宅で過ごすことを許可されているからだ(そう言えば、子どもの頃を含めて五条先生と一緒に寝起きをすることは珍しくなかったが、住所地まで同じなのは初めてだ。世帯主の欄に五条悟とある俺の住民票を見て、先生はニヤニヤしていた)。
 それから、埼玉のアパートはついに引き払った。先生は何か言いたげだったけれど、老朽化が進んでいたし、なによりもう姉が戻ってくることはない。だから、これでいいのだ。
 虎杖は、一旦地元へ戻って家と墓の手入れをしてきたらしい。仙台も死滅回游のコロニーのひとつだったから、様子を見たかったのだそうだ。ちなみに、オカ研の先輩だった人たちは無事だったらしい。よかった。
「身寄りももうないんだし、もし全部引き払うっていうならウチが手伝うよ」と言ったのは五条先生だ。でも、今のところ虎杖にはそのつもりはないらしい。アイツはいい奴だから「いよいよ困ったときには頼むね、先生」と返事していたけれど、おそらくずっとあのまま持っているつもりなのだろう。それに、頼るなら年が近い乙骨先輩のほうが気楽なのかもしれない。なにしろ同じ市内の出身なのだし。
 それから、釘崎だ。彼女は、高専を卒業してもそのまま東京に残って高専所属の術師になるつもりだとお祖母様に伝えたそうだ。ただ、宿儺が消えて呪霊のランクが総じて下がったことや、ブラックめいた働き方をする必要がなくなったせいで収入が減り、いまの稼ぎでは前みたいに服を買えなくなったと愚痴っている。
 呪霊の存在が公にされた今、新宿決戦を経てなお呪術師でい続けることに合意した者にはしばらく国から補助金(慰労金のようなものか?)が出ることになっているが、これもそう大金ではないのだ。
 釘崎が険しい顔でスマホを睨みつけていたからどうしたのかと思えば、「卒業したらやっと山奥の寮から出てお洒落な街に住めると思ったのに」とのことだった。スマホで見ていたのは、単身者用の物件探しサイトだったらしい。
「寮より狭い部屋なのに、家賃が立川の相場の二倍ってどうなの?!」
「それ、都心に住もうとしすぎてるんじゃないか? 寮が嫌なら別に立川でいいだろ、十分便利だし」
「便利か便利じゃないかじゃなくて、お洒落かお洒落じゃないかを言ってんのよ。目白の豪邸に住民票移したアンタは黙ってなさい」
 そう言って俺のことを見下ろした釘崎は、黙りこくった俺の横で大きな溜息を吐いた。
「ほんと、世知辛いわね……。とにかく、アンタは金がある男捕まえたんだから、絶対に離すんじゃないのよ。私はそうね、いざとなったら祈祷師の副業でもやろうかな。ヤバいやつと縁切りしたい! みたいなやつ」
 この話を五条先生にしたら、先生は「みんな大人になっていくねえ」と喜んで、それから「恵もだよ」加えた。
「なんて言っても、当主を継いだの僕より早いんだから」
 先生はきっと、虎杖も釘崎も自立していって、俺だけが置いていかれているような気持ちになっているのを察してくれていたのかもしれない。
 こうやって、俺たちが大人になっていくのを元担任に見ていてもらえるというのは、本当に幸せなことだ。先生は、高専に残っている先生方をはじめとした呪術関係者とは今でも密に連絡を取り合っているが、これはある種のセーフティーネットを構築したいと考えているからのようだ。もう高専という組織に以前のように関係していくことはないだろう、けれども当時を知る人間ができることのひとつだと考えているらしい。
「同窓会っていうかね、同じ経験をして、同じ記憶を持ったみんなの心の拠り所になるOB団体みたいなものを作ったほうがいいんじゃないかって準備してるわけ。去った者も残った者も、まだみんながどこで何をしてるか追跡できる今のうちにね」
 思うのだが、こういう組織を作ろうというのをフラットに話せること自体、呪術師たちはその価値観において自由でいいというメッセージなのかもしれない。こちらを去る者に対する目は、もっと穏やかであるべきだったのだ。ただ、去る者が罪悪感を感じないでいられるのも現役術師たちの労働環境が良ければこそなので、学生の教育も含め、まだまだ改革すべきことはある。そして、そういう仕事を担うのは大人たちの役目であるというのは、旧体制の崩壊を見届けた楽巌寺さんの弁だ。これを聞けば、五条先生も世代交代だなんて言っていられないのだろう。
 こうやって俺たちは、あの日からの続きの日を送っている。かつて九十九さんが提唱していたような呪力から脱却した世界にはならなかったし、天元様の結界がいつまでもつのかもわからない。何かが決定的に好転したわけではないけれど、どこか軽やかな日々が続いている。
 ああ、そうだ。虎杖の秘匿死刑はなくなった。味方の側にも敵がいるような状況でなくなったことは、本当によかったと思う。


「五条さん」
 玄関を開けてよく手入れのされた廊下を行きながら声を掛ければ、奥のほうから「おかえり」という声が聞こえてきた。書斎にいるらしい。
「仕事ですか?」
「うん、相談受けてることあってさ。ていうか僕、引退したのにしてないみたいじゃない? 顧問料もらおうかな」
「そんなん言って、いらないくせに」
 そう笑えば、先生の長い腕が伸びてきて俺を引き寄せた。この手の当たり障りのない会話は前にもあったが、先生の声に以前のような軽薄さはない。たまに我慢できなくなったようにデリカシーのないことを言ったりもするが、それを含めて五条先生だ。俺の、五条先生。
「月曜日に寮戻るとき、秋物の服を持っていこうと思うんですけど、こっちにありますよね?」
「うん、あるよ。クローゼットの中探してみて」
 するりと俺の腰回りから腕を抜くと、五条先生は仕事に戻った。特級として戦うことが仕事だった五条先生を俺はずっと見てきたし、そういう彼の仕事に対する姿勢を尊敬してもいたけれど、こうして艶のあるクルミ材のどっしりした書斎机に向かう先生の姿を、俺は好ましいと思う。そのうちこの人も、老眼になって「近くが視えない!」なんて騒ぎ出すんだろうか。欲を言えば、そういう日にも俺が近くにいられたらいい。

 先生が言うクローゼットとは、いくつかある荷物部屋のうちのひとつを指す。今風に言えばウォークインクローゼットというやつだ。一応なんとなく先生のエリアと俺のエリアに分かれていて、共有できる(と俺が思った)アウターや小物なんかは、また決まったエリアに置いてある。
 俺は自分の服をしまってある衣装棚に近づくと、たまたま目に入った衣服を手に取った。それはビニールの袋に包まれたままの、呪術高専の制服である。
 俺たちの制服はいわば戦闘服であって、身体の成長によって着られなくなる以外にしょっちゅう破れてダメになる。洗い替えを含めて何枚かは手元にあるように学校側が手配してくれていて、修繕もクリーニングも任せることになっていた。最近ではそんなふうに制服が破損するほどの任務は珍しいから、戻ってきたのを袋から出さないまま、こちらに持ってきていたのかもしれない。そう思いながら、俺は制服を包むビニールを何気なく破った。
 指がビニール袋を貫通した瞬間、濃厚で圧倒的な呪力がぶわりと溢れ出た。反射的に掌印を結んで構えたが、すぐに肩から力を抜く。それは、忘れたくても忘れられない、懐かしくて安心する呪力だった。出どころは、手元の制服である。
 よく見れば、制服は新品だった。丁寧に縫製された紺色のサージは五条先生が俺の入学時に指定したいつもの型をしていているが、それでいて何かが違う。何が違うのだろうと広げてみたら、ほんの少しサイズが大きめなのだった。
 何もかもが壊れてしまった上、財源には限りがある。だから、伊地知さんから「新しい制服の支給は以前のようにはいかないかもしれない」と聞いていた。そういうわけで、俺も渋谷へ赴いたあの日から制服は新調していなかったのだが、今ここへきて、新しい制服。
 真新しい生地に触れた指先から、先生の呪力が、まるで無下限呪術の再現をするみたいに俺を包んでいく。糸も、生地も、全てが五条先生の呪力に浸されてから縫製されたみたいだ。
 じわじわと皮膚の表面を突き抜け細胞へと届いていく先生の呪力を受け入れながら、俺は虎杖が教えてくれたあることを思い出していた。
 先生は、獄門疆から出て最終決戦に向かうまでの間に、生徒たち全員分の制服を発注してくれたのだという。みんなボロボロで帰還したので、高専に戻って即支給されたその制服には随分喜んだらしい。秤先輩と星先輩の制服も当然のようにあって、自動的に停学は解除、二人は高専生へと復帰したそうだ。
 戦いを一緒に潜り抜け、破けたり焦げたりした制服は勲章だとは思うが、日常生活を送るには適さない。先生が制服を発注したのは、みんながまた高専生として学生の時間を過ごせるようにという願いだったのかもしれない。
 そして、その新しい制服には俺の分もあったのだ。よく考えなくても俺の分だけ発注しないのは不自然なのだが、俺はあの頃宿儺に沈められていて高専のみんなと一緒にいられなかったし、生きて戻れない確率のほうが高かったと思う。それに、療養が明けてからは寮の自室に残っていた洗い替えが十分着られたので、新品の制服のことなど考えもしなかったのだ。
 でも、みんなが着ていた制服からは、五条先生の呪力なんて感じなかったような……
 バタバタとすごい足音がしたと思ったら、俺のいるクローゼットの扉が乱暴に開いた。五条先生だった。
「恵!」
 慌てて俺に手を伸ばし、俺のことを抱き込んで守ろうとしている。暴力的な大きさの呪力を感知して、きっと俺が触ってはいけない呪具を発動させてしまったとでも思ったのだろう。その焦りように、俺は思わず笑った。
「忘れちゃったんですか?」
「なにを」
「これ、アンタの呪力です」

 ***

 居間に場所を移して、恵と話をした。
 恵がいなかった期間の話を恵にする機会は、実のところ、これまでなかった。僕自身も避けていた気がするし、恵にその覚悟を求めるのが酷だったからだ。宿儺の中からすべてを見ていたとは言うが、僕が当時何を見て何を思い、何をしたくて何ができなかったのか、そういうことのすべてを知るのは恵にとって重いことだ。
 でも、今なら話してもいい気がした。僕も恵も、互いにそばにいる。
「負ける気はなかった。でも、万が一の備えはしておこうと思ったんだよ。だからみんなに制服を仕立てておいた。恵はもうあのとき宿儺に乗っ取られたあとだったから、渋谷の直前のサイズに少し足した寸法にした。まだ成長期、どこまで大きくなるかなって考えながら、悠仁のサイズと比べて細いなーって苦笑いしながら発注書に書き込んだんだ」
 最終決戦前の一か月で僕がしたことに中に、生徒たちの制服の発注がある。
「みんなきっとボロボロになるだろうからね。戦いが終わったあとに着る服がないと困るでしょ。あれは僕ら呪術師の戦闘服だから」
 そう言いながら発注書に名前やサイズ、そして各々のカスタムなどを書き込んでいると、伊地知が驚いたように言った。
「五条さん、生徒のみなさんのサイズやカスタムをソラで覚えてるんですか?」
「そりゃ覚えてるさ」
「あんなに忙しくて、なかなか授業もできなかったのに」
「だって僕、先生だもん。それくらい当たり前じゃない?」
 そう言った伊地知こそ、みんなの身長やら体型やらを把握しているのを僕は知っている。それに、「生徒全員分です」と言って金次と綺羅羅を含めた枚数の発注書を僕に渡してくれたのは伊地知だ。あれは間違いなく、二人を復学させろという意思表示だった。規律に則って粛々と仕事をするふうでいながら、たまに自分の信念を貫き強気に出てくる。そんなところが堪らなく僕の後輩って感じがする。まったく優秀だし、信頼に足る男だ。
 記入済の発注書の束を渡すと、いちばん上にあった恵の分の発注書に目を留めた伊地知が言った。
「伏黒くん、少し大きいサイズにしてあげるんですね」
 この一言は、僕を大層センチメンタルな気分にした。この制服に恵が腕を通すとき、僕はそこにいてやれるだろうかとふと思ったからだ。
 学生のシンボルである制服というものが、僕は好きだ。だが、中でも120センチとかいう子供服のサイズ時代から知っている恵の制服というのは、彼の成長を如実に示すのでやはり特別だ。
「小さくなってもう着られない」と言われることが嬉しいだなんて、恵と出会わなければ知らなかった。アパートの周りに張り巡らせた結界。マメに呪霊を祓っておいた通学路。教科書も鉛筆も消しゴムも、持ち物は全部僕が自分の目でチェックしたあとじゃないと触らせなかった。そうやって育ててきた恵が着る制服だった。
 もしかしたら、僕がいなくなった後の世界で着ることになるかもしれない制服。そう考えれば、僕が最強の守りを恵の制服に施したくなったわけもわかってもらえるだろう。僕の呪力に浸された制服ができあがったのは、そういうわけだ。
 勝つことは決めていた。でも、自分が生きて戻るとは限らなかった。「勝つ」の主語は「僕」じゃなくて「僕たち」だ。これは別に弱気になっているということではなくて、僕ひとりが背負うことに疑問を持ってくれる生徒たちを見ていて思ったことだ。
 五条悟が負けるなら、ほかの誰が戦ったところで負ける。みんながそう思っていたのなら、あの一か月で必死の鍛錬なんかする必要はなかった。入れ替わり修行なんてよく考えなくてもどうかしている。でも、そのどうかしている修行をしてまでも、みんなは無理にでも能力を上げなくてはいけなかったし、そこには確かにいろんな芽が芽吹いていた。
 僕は決戦後、自分に起きた変化のこともあって高専の教員を辞した。だからこうして思い返してみれば、みんなに制服を仕立ててやったことが、実質生徒たちに先生らしいことをしてやれた最後だった気がする。そして、闘いのあとそのまま療養に入った恵の制服だけは、僕がうちのクローゼットにしまったのだ。

「恵ったら物持ちがよすぎるでしょ。この制服、いまごろ下ろそうとするとか思わないでしょ。仕立ててくれたテーラーさんも笑ってるよ絶対」
 照れ隠しにペラペラと喋り続けていると、正面に座っていた恵が立ち上がり、僕の隣にやってきた。手には新品の制服を抱えている。
「ずっと」
……うん」
「ずぅっと守っていてくれて、ありがとうございます」
 恵はそう言うと、抱えた制服を更に大事に抱きしめる。僕はそれを見て言葉に詰まった。
 最強の看板を下ろしたいまの自分は、この子にとっていかほどの価値があるのだろうかと毎日考えていた。なにしろ最強を称していたころでさえ、恵がいちばん僕を頼りたかったであろうときに何もしてやれていない。
 だって僕は、あのにくたらしい奇妙な箱の中で「どうにかなるでしょ」なんて呑気な軽口を叩き、恵がいちばん大切にしていた姉が失われるというとき、彼女を助けるどころか恵の隣にいてやることすらできなかったのだ。
 だから本当は、いっそ恵のことは手放すべきではないのかと、悠仁に言ってやったように「僕のことなんか忘れて世界を見ておいで」と言ってやるべきではないのかと迷っていたのだ。なのに、恵はこんなことを言う。守っていてくれてありがとう、だなんて。
 手を差し伸べると、恵はすいと身体を寄せてきた。僕は腕の中に恵を収め、ゆっくりとその身体を抱きしめる。小さい頃から変わらない、今日も元気に跳ねている髪に鼻を埋め、胸いっぱいに息を吸い込んだ。かすかに外の匂いがした。
「細いなあ」
「うるさいです」
 いつも通りのやり取りに、二人でくすくすと笑った。
 大丈夫、きっと涙は誤魔化せたはずだ。
 大丈夫、今日も僕らは一緒にいる。