シノハラ
2025-06-14 14:34:59
10803文字
Public スクシオ
 

研究が順調なので始終ご機嫌の教授に振り回される人達の話

スクシオ+チュ

 君の拠点に一週間ほど泊まらせてほしいと申し出られて、スクリューガムは二つ返事で了承した。なにせ、恋人からの依頼だったので。
 更に情報を追加するなら、彼がスクリューガムの住居を訪れる事があっても、日帰りかせいぜい一泊二日が限度だったのだ。それが突然七倍になったので、異常事態とも言える状況である。
 端的に表現するなら浮かれきってしまったスクリューガムには彼が当日姿を現すまで、理由も動機も気にする余地が存在しなかった。文字通りうきうきと自分のスケジュールを見直して、自分の星の内政に関わる執務を寄せ集めた。その結果、期間のうちの五日間は自由時間に恋人と顔を合わせられる運びとなっている。
 それと並行して、ほとんど彼専用になっている客室も見直した。一日二日であれば十分な施設となっているはずだったが、一週間となると少々話が違ってくる。小ぶりのクローゼットと冷蔵庫、簡易のキッチンを用意するために少しばかり改築を施し、大ぶりの机と彼が研究室で使っているはずの椅子と同じ物を買い足した。
 一週間もいるのであれば、あれこれと考えたくなることもあるだろう。そういう瞬間に環境が整っているのに越したことはない。
「今日はありがとう、スクリューガム。しばらく世話になる」
「もちろんです。ごゆっくりして行ってください」
 満を持しして迎えた当日、レイシオは大きなキャリーケースを手にスクリュー星に降り立った。部屋に案内すると記憶とは随分様変わりした様子に呆れたようだったが、机と椅子は気に入ってくれたらしい。
 これは助かると言いながらレイシオが開いたキャリーケースにはノートパソコンとたくさんの紙束がぎゅうぎゅうに詰まっていた。どうやら、衣服の類は後から送りつけてくる算段だったらしい。
「レイシオさん、ここでは論文の執筆を?」
「その通りだ、スクリューガムさん」
 多分、レイシオはスクリューガムがある種の期待をしていると分かっていたのだろう。それでも今の今まで目的を伏せていたのは、ちょっとしたいたずら心によるものだったに違いない。
 ようやく材料が揃ったから、後はまとまった時間を使って形にするだけだとレイシオは満足気にスクリューガムに告げる。それは何よりではあるのだけれど。
 どさどさと机に紙束を乗せるレイシオはちっとも恋人同士らしい事をすることはないらしい。もちろん、彼の執筆を見せてもらえるのも楽しいだろうけれど。けれど。
「確認:これは私が閲覧しても問題のない内容ですか?」
 純情を弄ばれた手前、駄目だと言われても少しばかりゴネても良かろうとはスクリューガムも思っていた。けれど、それも織り込んでいたのか、レイシオは当然とでも言いたげにあっさり頷いて見せる。
「僕の論文が雑誌に掲載されるまで情報を秘匿してくれるなら」
 レイシオは自分が提示した条件が破られる可能性は少しもないとばかりの、スクリューガムへの信頼と油断を孕んだ調子で口にした。視線の一つも寄越さず告げるのは、スクリューガムが邪な思いを抱いていたとしてもそれを読み取る事はできないと端から諦めているからかもしれない。けれど、視線一つで警戒を表現することは可能であり、レイシオはその手の感情表現を一つも示さなかった。
「了解:博識学会のデータベースに登録されるまで、一切の関連情報を秘匿しましょう」
「ああ、よろしく頼む」
 やっぱりどこか機嫌の良さそうな調子でレイシオが頷いて、スクリューガムの用意した机にあれやこれやと載せていく。ホログラムディスプレイを複数展開され、お気に入りらしいキーボードが机の中央より少し手前に配置された。
 一週間に亘る使用を前提にしているためか、配列は妥協がないフルキーボードが選ばれている。基本的にPC操作はキーボード操作で完結させるつもりなのか、マウスの類は用意されていなかった。
 もちろん、ジェスチャーでいくらでも操作は可能ではあるが、細かな作業を好むタイプの人間は結局物理的な入力装置を選択する傾向にあるのだ。レイシオが持ち込んだ物理キーボードもその一つである。
「画面のミラーリングをさせていただいても?」
「ああ、構わない」
 一応レイシオから許可を得てから、スクリューガムは目への負担を考慮してか彩度を若干下げた画面の情報を視覚センサーに流し込む。それを待っていたかのように、レイシオはテキストのファイルにⅲと入力した。そこから言葉が続くことはなく、彼は変換を確定するついでに二回続けてエンターキーを押して章の開始を示す。
「失礼します。ここまでの内容を拝読させていただいても?」
 スクリューガムの要請の意図を測りかねたのか、今度はレイシオが軽く首を傾けるついでのようにこちらへ視線を寄せてくる。この人は何を言っているのだろうと眼差しが雄弁に語ってくるものだから、スクリューガムも変な事を言ってしまったのではないかと自身の発言を洗い直してしまった。
……ああ、そういうことか。申し訳ないがまだ僕の頭にもはっきりあるわけではないんだ」
「確認:あのⅲが今回の思索の旅の終わりに向けた第一歩だということでしょうか?」
 レイシオの説明を素直に捉えると、彼は論文を三章から書き始めた事になる。もちろん、どこから書き始めても完成はするだろうが、頭から書き始めるのが一番素直なのではなかろうか。
「どうにも序論が苦手で」
 だからどうしても後回しになるのだと、レイシオは微かに肩を竦めながら白状する。ならば一章から始めるのが順当ではではなかろうかとも思ったが、彼なりにモチベーションが高い部分が三章だったのだろう。そういう自由奔放さを示す執筆スタイルは実に有機生命体らしく感じられて、自身にはない部分に好ましさを覚えた。
 近くでまじまじと様子を見ていては邪魔になる可能性があったので、スクリューガムは少し離れたソファに座って彼の背中を観察することにする。しっかりと鍛えられた筋肉がまだ仕事をしているらしく、レイシオまだ綺麗な姿勢を保っていた。
 深く集中してしまうと紙でもタブレットでも、彼の背中はぐっと丸まってしまう。おそらくキーボードでもそうだろう。レイシオ自身も悪癖だと思ってはいるようだが、どうにも直らないらしい。
 彼は複数のホログラムディスプレイを縦横無尽に使いながら、それだけでは足りないらしくノートやコピー用紙をひっくり返しつつ作業を進めていく。スクリューガムの事などお構いなしの様相ではあったものの、どうやら存在を完全に忘れているわけではないらしい。その証拠にレイシオはくるりと椅子を回して振り向いたかと思うと、スクリューガムの蔵書や所有データの中にこれこれこういう要件の情報はないかと尋ねてきた。
 自分を司書代わりにできる者などそうはいるまいと考えてから、自分の中に残っているらしい矜持に気づいてスクリューガムは少しばかり愉快な気分になる。もちろん他の誰かに指示を出してスクリューガムはレイシオに返事をするだけでも問題はなかったのだが、レイシオにしばらく待つように告げて一度部屋を出て司書めいた真似をして部屋に戻った。
 ぱっと表情を明るくして出迎えてくれたレイシオがスクリューガムに告げられた論文のページを従順に開き、ぶつぶつ誰に聞かせるでもない思考を巡らせ始める。その断片的な単語を拾い集めながら、スクリューガムはレイシオが入力するだろう次の一文を予測していた。
 そんなことを繰り返しているうちにレイシオは三章をざっくりと書き上げて、夕食時であることに気がついたらしい。こんな時間だと口にしてから、仕事はどうしたとスクリューガムに尋ねてくる。恋人がやって来る初日くらい完全にオフにしても許されるだろうと答えたところ、レイシオは答えに迷ったようだった。
「それにしても、どうしてここを執筆場所に選んだのですか? 貴方の身分であれば真理大学の研究室の方が情報のアクセスは容易だったと推測しますが」
「来客が億劫だったんだ。人払いをしても来る奴はお構いなしに来る」
 用意させた夕食を二人でぺろりと平らげてから、スクリューガムはようやくレイシオに問いかけた。この後も執筆を続けるつもりらしいレイシオは珍しく濃いめに用意したコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて飲んでいる。
「なるほど、ここには学生も職員も来られませんね」
「それにカンパニーの輩もだ。僕が君の所有している住居にいると言えば、誰かがアポリに泣きついたところで容易に呼び出せまい」
 砂糖がまだ溶け切っていないように感じたのか、レイシオがスプーンでコーヒーを混ぜながらどこか楽しそうに補足をしてくる。彼が挙げた名前に肩書きは付いていなかったが、十中八九技術開発部主務を指しているのだろう。どうやら、レイシオはスターピースカンパニーの要求を突っぱねてまとまった休みをとっているらしい。
 おそらく彼が休暇を申請した後に起きた出来事だろうが、どうやら彼が所属している部署か顧問を担当する部署かのプロジェクトが炎上でもしたのではなかろうか。彼にしかできない仕事であるならばなんだかんだで彼は問題の対処を優先したはずなので、単純に人手が足りないだけの話なのだろう。誰かと代替可能な仕事のためにレイシオは自分の休暇を潰されたくはなかったし、カンパニーの人間もそんな動機ではと気が引けたのかもしれない。
 晴れてレイシオは長期休暇に入る運びとなったものの、人の心というのは移り気である。深夜時間帯の残業中に、ふとレイシオの姿を思い浮かべて堪え切れなくなる者もいるかもしれない。そういう時の対策として、スクリューガム宅の滞在というカードを彼は切ったようだった。
「期待をさせたようならすまなかった」
「心にもない事を仰いますね。ですが、ベクトルは違うにせよ十分刺激的な時間をいただけそうなので、今回はイーブンといたしましょう」
 出迎えてすぐの事を蒸し返そうとするレイシオに肩を竦めて許容すると、レイシオはコーヒーのまろやかな色合いの表面を微かな吐息で揺らしてから甘く仕上げたそれを一口飲み込んだ。それからゆっくりとコーヒーを飲み終えたレイシオは食事の礼を述べた後に、入浴の時間を取ろうとする。
 風呂場は前のものを気に入っていたようだから、これといって手を加えてはいなかった。そう聞いてそれは何よりと満足した彼は昼過ぎに届いた荷物から寝間着にもできそうな部屋着を取り出して、スクリューガムを置いて浴室に向かってしまう。
 放っておかれた格好になったが、やらなければならない事が全くないわけでもないのでこれ幸いと細々とした仕事をこなすことにする。自分がボトルネックになっていたワークフローの中から優先度が高いものを片づけた辺りで、意外にもレイシオが浴室から戻ってきた。
「湯船に何か問題が?」
 もちろん事前の点検では問題はなかったし、レイシオが好む雑貨は配置済みだったはずだ。ドライヤーを片手に戻ってきた彼がスクリューガムにそれを手渡してくるのは、毎度のようにスクリューガムがレイシオの髪を乾かしたがるからである。
「いいや、今思考を洗い流すのが適切ではないだけだ」
 スクリューガムの座る二人では少し余る長さのソファにレイシオが腰を下ろすのを待ってから、スクリューガムは片足をソファに上げて体を彼に向けてからドライヤーの電源を入れる。なるほど、と打った相槌はもしかしたら彼の耳には届かなかったかもしれないが、十分推測できる範囲だっただろう。
 今、レイシオの脳の中で渦巻いているはずのそれは論文として昇華されるべきで、ぬるい湯に漂わせるものではない。その知識と思考を守る頭蓋や髪に触れながら、スクリューガムは彼の濡れた髪を乾かした。
 以前一度同じように髪を乾かした時に、少しくらい伸ばすのもいいかもしれないとレイシオは言った。その言葉を体現するかのように、指先に触れる髪の長さが少し長くなっているのが分かる。
 これは無機生命体にありがちな微かな差分を殊更騒ぎ立てるそれではなく、はっきりとした変化として現れていた。髪のセットによっては目立たなくなってしまうが、眠る前の保護程度のオイルで落ち着かせた後であればうなじ辺りで髪を束ねられるくらいに毛先が伸びているのが見て取れる。
「執筆のお供は何にしましょう?」
「おや、夕食後も君以外にか? 至れり尽くせりだな」
 最後に整えるために緩やかな送風を選びながら尋ねると、レイシオがちらりと視線を向けてくる。昼間には紅茶をもらってしまったし、と口にしながら少し視線を下げた彼の胴に腕を寄せると、素直に身を預けてくれた。どうやら自分の恋人は今、大分機嫌が良い上に何の懸念もないいつも以上に安定した状態らしい。
 学者らしからぬ性質に思われるかもしれないが、実のところレイシオはカフェインに弱い。大きめのコーヒーカップに二杯までなら問題ないが、三杯目を飲むとちょっとした動悸を感じることがある。
 そう、スクリューガムに彼が打ち明けたのはカフェを梯子しながら意見交換を続けていた時だった。三つ目の店で少し悩んでから生クリームのたっぷり乗ったココアを選んだので、スクリューガムがてっきり自分との会話に辟易したのだと思い込んでしまったのだ。
 お疲れであればと会話を打ち切ろうとしたスクリューガムにレイシオはきょとんとしてから、手の内にあったココアに視線を落とした。それから、こうも濃密な話が続くと疲れるのも確かだと同意してから、決して切り上げたいわけではないのだと飲み物のチョイスの理由を教えてくれた。
 そんなレイシオの本日のカフェインの摂取量はスクリューガムが知る限り、上限ぎりぎりのはずだった。もしも彼が目覚めのコーヒーを飲んでいた場合、すでに適量をオーバーしているかもしれない。
「では、フレーバーウォーターにしましょう。レモンとミントの物ならすぐお出しできますが、ご希望はありますか?」
「ありがとう、味もそれでお願いできるだろうか」
「もちろん」
 相槌を打って肯定しながら自分の分も合わせて依頼をすれば、四分と十七秒後にやってきた10度のそれを口につける。温度としてはどうにか冷水と呼べるラインではあるが、風呂上がりであれば十分冷たく感じられただろう。
 半分ほど一気に飲み干したレイシオはすでに散らかり始めている机の前に腰を下ろし、ディスプレイを点灯させた。ディスプレイの表示が安定するのに合わせて映し出される情報を取り込むべきか回路が確認してくるので、スクリューガムは届く情報を許可して受け入れる。
 レイシオは先ほど書いた文章をざっくりと見直して、修正のためのコメントをいくつか追加してから新しい文を書き始めようとしたらしかった。けれど、続きの文が打ち込まれる前に指先がぴたりと止まる。
「君は凡人の未完成原稿を見て楽しいのか?」
「そうですね、そもそも私と貴方の生涯を費やす課題は異なっていると階差宇宙で痛感した件は現在も撤回するつもりはありません」
「ああ。そこも含めて懸念している」
「だからと言って、貴方の課題に全く興味がないというわけでもありません。星海の如くの問題からどれを掬い上げ、自身の課題とするかは結局のところ優先度の問題でしかありません。レイシオさんにも似たような判断で階差宇宙についても助力いただいたと認識しています」
 そこで一度言葉を切ると、空白を埋めるようにレイシオが相槌を打った。なるほど、と語尾の上がるそれは続きを促してもいるらしい。
「他者の課題は自身にとって手つかずの白雪と等しい。その時点で一定の魅力があると考えます。また、私は貴方のように教育者の立場にあったことがありません。そのため、他者の第一稿未満のものを見る機会はそうはなく、その点でも新鮮に感じています」
「教育者だからと言って、そんなものを読まされるのが仕事ではないんだが」
 スクリューガムの言論に思うところがあったらしく、レイシオが少しばかり眉を顰める。彼の主張を聞く限り、第一真理大学という銀河の学びの中心である場所であってもろくでもない提出物の類というのは存在するようだ。
「まあ、なら今回は『先生』をやるのも楽しいかもしれないな」
 妙な部分があったら指摘を頼むとスクリューガムに言いつけると、レイシオは本格的に執筆に戻るつもりになったらしい。メッシュの背もたれに一度背中を弾ませて、最初だけでもとばかりに真っ直ぐ背筋を伸ばす。
 それから心地いいタイプ音に耳を傾けながら、A4用紙に文字が埋まるまでの間にスクリューガムは一か所だけ誤字を指摘した。それ以外には意味が通らないところも、論理の飛躍も存在しない。そこらの研究者であればこのまま提出して一つの手直しもなく雑誌に掲載されるだろう品質の理論が、相応の文章に織り込まれていっていた。
 ちょうど次のページに移って二行分文字を埋めたところで、レイシオが懐に手を差し込んだ。彼が引っ張り出してきたのはむーむーと音を立てるスマートフォンで、ちらりと液晶に彼の視線が移ったのが分かる。
「君に任せる」
 座席をくるりと回転させると、レイシオが彼のスマートフォンを差し出してきたのでソファから立ち上がって受け取りに向かう。スクリューガムに向きを合わせられた液晶画面にはアベンチュリンからの着信が表示されていた。
「よろしいのですか?」
「ああ」
 レイシオとアベンチュリンは所属する部署こそ違えど、頻繁にチームを組む間柄である事は知っていた。そして彼の雑談にも良く出てくる名前で、気安い仲であるのも察しがつく。だから多少の事故が起きても構いはしないというように、レイシオは肯定と共に椅子の方向を正してしまった。
「良かった出てくれないと思った! 今、論文の切りはいいかい? 少しだけ君の時間をもらいたくって」
 呼び出しが終わる前に応答のボタンをスワイプすると、弾んだ声がスピーカーを震わせた。スクリューガムはアベンチュリンと直接の面識はないが、十の石心の当代アベンチュリンとして活動する彼のデータであればいくらでも知っている。
 公的な彼はどこか不遜で支配的な調子で喋っていたはずだが、ビジネスパートナー兼友人の前ではその性質は影を潜めるらしい。その人懐っこさを感じる響きを受話器ではなくスピーカーモードにしてレイシオにも聞こえるようにすると、機械生命体か相当に感覚が鋭い有機生命体でもない限り分からないくらい微かに彼の体が反応したのが分かった。
「もちろんタイミングが合わなければ後でかけ直すよ。何時間後が良いかな……レイシオ?」
「申し訳ありません。レイシオさんは今論文の執筆に集中したいようで、私にスマートフォンを渡して対応するように求めています。申し遅れました。私はスクリューガム1世と申します」
 休暇中に電話をかけてしまっている点に後ろめたさがあるらしく、譲歩を示してきたアベンチュリンがようやく違和感に気づいたらしくスマートフォンの持ち主の名を呼んだ。呼びかけに込められた疑問に答えてやると、喉の奥で空気が掠れる音が微かに響きアベンチュリンが絶句したのが分かる。
 懇意にしている同僚に電話が繋がったと思ったら、突然自分のテリトリーでも何でもない星の支配者が喋り出したのだ。彼が自分とレイシオの関係をどこまで把握しているのかも怪しいのを考えると、当然の反応にスクリューガムは思わず憐憫を垂れてしまう。
……こちらこそ名乗りもせず大変な失礼を。突然のお電話で失礼いたします。スターピースカンパニー戦略投資部、十の石心のアベンチュリンと申します。以後お見知りおきください」
「感謝:ご丁寧にありがとうございます。御高名はかねがね伺っています、アベンチュリンさん」
 それでも何とか持ち直したらしい青年はメディアの前に出る彼とも、先ほどまでの友人を前にした彼とも違う調子で喋り始めた。ビジネスの基本に則った挨拶は少し気取ってはいるものの、自身を誠実に見せようとする響きを帯びている。
「その、重ね重ね申し訳ありません。先ほどの放言の通り、僕はDr.レイシオに意見を求めたいと考えています。どうか、彼にお繋ぎいただけないでしょうか? 時間としては二十システム分ほど、これから七システム時間以内であれば、いつでもかけ直しが可能だとお伝えください」
 そこに少し困った響きが塗されてなかなかの役者だと評価することもできたけれど、おそらく彼は本当に困っているのだろうとスクリューガムは結論付けることにした。そうでなくては、嫌がられるのを覚悟で休暇中の相手に仕事の電話など寄越さないわけで。
「承知しました。良い知らせをお持ちできるかは分かりませんが、しばらくお待ちください――レイシオさん?」
「僕は替わらない」
 ほとんど百パーセントに近い確率でそういう答えが返ってくると分かってはいたものの、実際にきっぱりとした返事を聞くと苦笑してしまう。視線の一つも寄越してもらえなかったと受話器の向こうの彼に伝えたら、一体どんな反応をされるだろうか。
「随分と困っているようでしたが」
「なら、君が助けてやったらどうだ? 僕が受話器越しで話すようなことなら、事情を良く知らない君にも十分できる」
 少し上体を倒してレイシオの方に近づくと、ようやく彼がスクリューガムに視線を投げかけた。けれど途中で十分だと思ったのか、視線はディスプレイに戻ってしまう。声の調子を聞く限り冗談ではなさそうだったが、彼の言う通りスクリューガムでもできなくはなかろう。
「お待たせしました。意見を述べるなら私にも可能だろうとレイシオさんは言っています」
……いやその」
「もちろん、社外秘の情報も多いでしょうから無理にとは言いませんが」
 通話の保留を終了し、アベンチュリンに結果を伝えると呆気に取られたような調子でもごもごと言ってくる。重ねて当然だろう反応にこちらから辞退するべきかと思った瞬間に、ネットワーク越しにいいのでしょうかと戸惑いを含みながらの問いかけが続いた。
「きっと僕が思いもしない視点からのご意見がいただけるに違いないので、助かりはするのですが」
「ええ、もちろん」
 シンプルなスクリューガムの返答の後、アベンチュリンの肩書きを持つ青年が抱えているビジネス上の問題を紡ぎ始めた。外に出せない情報が多いせいで所々でぼやかし方に迷いながらも、おおよその状況は捉えられる形で説明を無事終えた。おそらくしっかりと情報を分析すればどこで起ころうとしている出来事なのかくらいは特定できるだろうが、初対面の相手にも恋人の友人である人に対してもやる事ではないだろう。
 でしたら、とスクリューガムが対処案を述べるうちに相槌に紛れながらも紙面にペンが滑る音が聞こえてきた。通話の内容は録音と自動書き起こしをしているだろうに、加えて要点をまとめたメモを取っているらしい。どうやら彼はその手のアナログの表現が誠実さに繋がるものと知っていて、そういう姿をスクリューガムに示したいようだった。
 彼はスターピースカンパニーにやってきた経緯はもちろん、ギャンブル癖でも悪目立ちする人物ではある。ただ、同時にいまだに基礎を捨てずにいられる若者でもあるらしい。誠実さを表現する手法そのものより、そういう部分にスクリューガムはアベンチュリンの中にある誠実さを見出した。
 それから追加でいくつか質問があって、スクリューガムも確認を加えながら彼の疑問に答えてやる。必要ではあるものの少しばかり意地が悪くなってしまう問いを選んだ時も、彼は上手に情報の取捨選択して答えてくれた。
 欠けたりあやふやだったりする部分を作りながらも細部が補強されるさまに、スクリューガムは年若い才能に触れる喜びを覚える。その若さ故に経験が不足している部分があるのももちろん分かってはいるが、レイシオが一緒に仕事を続けているのも頷けた。
 きっと普段はレイシオが示しているであろう不足を代わりに埋めてやれば、若者はスクリューガムが言わんとすることをしっかりと読み取った。打てば響くし、一を聞いてより多くの事を理解してくれる。後進の育成なんてものからは縁遠い生活をしてしまっている手前、随分と新鮮な感覚だった。
「ありがとうございます、これで無事計画が立てられそうです。ご迷惑でなければ、後日お礼をさせてください」
「お力になれたようで何よりです。またお話しできる日を楽しみにしています、アベンチュリンさん」
「はい、僕も楽しみにしています。彼にもよろしくお伝えください」
 どうやらスピーカーモードで聞こえている話題にレイシオは耳を傾けていたらしく、ちらりと視線を寄せてくる。その眼からは随分と機嫌がよさそうな事が伝わってきて、どうも彼はずっと電話の内容を面白がっていたようだった。
「確認:お伝えする内容は本当にそれでよろしいですか?」
……そうですね。クレームは後程個別で送信しておくことにします」
 アベンチュリンはスクリューガムの問いかけに少しだけ迷って、結局素直になることにしたようだった。少し砕けた答えを聞いていたレイシオが視線をディスプレイに戻すのを見ながら、スクリューガムは微かに笑ってやることにする。
 それから通話の終わりの挨拶を交わし、スクリューガムから通話を終了した。そこでようやく完全にキーボードから手を離したレイシオが、スクリューガムから戻されたスマートフォンを受け取る。
「ありがとう」
「貴方によろしくと仰っていました」
「そうだな」
 一応伝言を頼まれていた手前自分からもアベンチュリンの言葉を伝えれば、レイシオが口角を少し上げて笑って見せる。きっとしばらくはかけてこないだろう、なんて言いながら早速短めに振動してメッセージ受信を伝えたスマートフォンをレイシオがサイレントに設定して机に戻す。
「貴方の言っていた『先生』とはこういう事でしたか?」
「さあ、どうだろう」
 機嫌の良さを残したままレイシオは雫のついたグラスを持ち上げて、一口二口と飲み下す。それからガラスの溜まる底をデスクに下ろすと、軽やかで心地よい音が聴覚モジュールに届いた。
「まあ、良ければもう少し相手をしてやってくれ」
 どうもお礼をしたいらしいので、なんて彼はやっぱり愉快そうに続けながら、書きかけの四章をほっぽってⅱとディスプレイに表示した。