小話倉庫(深上)
2025-06-13 22:44:37
5567文字
Public 悠アキ/haruwise
 

笑ってほしい(悠アキ/haruwise)

ボンプって健気な子が多いよね。ハルマサボンプもきっとそう、と思ったら書いてた話。

 今日も多忙な一日だった。深夜の帰宅は今日に限ったことではないが、こうも毎日残業と終電帰宅を繰り返していると、頭に靄がかかって思考も上手く働かない。いっそ地下鉄の最終便をもっと早めてはくれないだろうか。そうしたら、堂々と帰宅する理由になるのに。
 今の時間を慮り、玄関の鍵を静かに回すとそっと開けた隙間に体を滑り込ませる。ぱち、と電気をつけると、たたたっと飼い猫が出迎えてくれて思わず目元が緩む。
「っ、こほっ……
 自分の体調のことは自分で気をつけてはいるが、こうも連日残業が続くとさすがに体に堪えてしまう。渇き切った喉の奥が呼吸で擦れ、つい零してしまった咳をなかったことにするように、悠真は口を押さえた。
 浅い呼吸を繰り返して、肺の調子を整える。ドッ、ドッ、と鳴る心臓の音が次第に弱まってきて、落ち着いた体に安堵してため息を吐くと、足元に猫だけではなくボンプもお迎えに来てくれていることにやっと気付いた。
「ただいま。いい子にしてた?」
 まるっとしたボディをひょいと持ち上げて、視線を合わせる。ンナ、と短く答えたハルマサボンプは、しかしそれ以上の反応を返さず、だらんと腕を下げている。
「ん? あれ……
 じっと見つめるも、動きはない。悠真の理想をそのまま形にしたようなのんびり屋な気質ではあるか、目は閉じられたままで、普段より動きが鈍いようだ。もしや電気が足りていないのかと充電器に接続して床に座らせ、しばらく様子を見てみるも、何も変わらない。
「チビすけ、なんだか具合悪い?」
 こつん、と頭を軽く小突いて問いかけるも、恐る恐る揺さぶってみるも、ハルマサボンプは最後まで目を閉じたまま、「ンナ〜」という間の抜けた声しか返してくれなかった。

 *

 翌朝、まだ開いてもいない六分街のビデオ屋にはこの時間にしては珍しい客が訪れていた。
「ごめんね、こんな朝っぱらから押し掛けて」
 出勤前の悠真は申し訳なさそうに笑っている。まだ目も覚めていないうちから電話で起こされ、表示された名前に何事かと出てみると『一大事なんだよ、相棒!』という珍しく焦った声が耳元で響き渡り、寝惚け眼のアキラを飛び上がらせた。しかし彼の用件は至ってシンプルだった。
 ――ハルマサボンプの調子が悪いから今すぐに見てほしい、と。
「構わないよ。ハルマサボンプの不調は、確かに僕にとっても一大事だ」
「目の色が違うよ、さすが相棒……ボンプのこととなると新エリー都中を駆けずり回っているだけのことはあるね」
「人を無節操なボンプマニアみたいに言うのはやめてくれ」
 悠真に抱えられたボンプをよく見ようと、顔を寄せる。確かにぼんやりと目を閉じていて、これが昨日の夜からだとすると悠真が心配するのも頷ける。そんなハルマサボンプを大事に抱える両手からそっと受け取ると、悠真は安心したように息を吐いた。
「いやー、どうしようって思った時に頭に浮かんだのがアキラくんしか居なくてさぁ。診てくれるなら助かるよ」
「ソフト面なら僕でも何とかなるけど、もしハード面に及んでいるならエンゾウおじさんに頼むことになるかもしれないな」
「いいよ、この子が直るならね」
 さて、と悠真は伸びをして、肩を落とす。その顔にかかる影に疲労が見えた気がしてアキラは僅かに目を瞠るが、すぐにその影は身を潜めていつも通りの飄々とした顔に戻る。
「行きたくないけど、真面目に出勤しますかー」
「ああ、いってらっしゃい。なるべく早く帰ってくるんだよ、この子のために」
 ね、とハルマサボンプの小さな手を取って、ふりふりと悠真に向けて振ってやると、彼は驚愕の表情で固まった。何事かと首を傾げると、悠真は口元を押さえて僅かに顔を赤らめた。
……なんかこれ、新婚のやりとりみたいじゃない?」
「馬鹿言ってないで早く行きなよ、柳さんにまたどやされたいのかい?」
「あー、行きたくない! 仕事したくない!」
「はいはい、駄々こねない。戻ってきたら君の分のご飯も用意しておくから」
「う、それは魅力的……はぁ、仕方ない、おとなしく社会の闇に呑まれてきますー」
 ようやく観念したらしい悠真は、入り口の扉を開けると振り向いて「じゃ、うちのチビすけのこと任せたよ」と手を振って朝の日差しの中に消えて行った。
 やれやれ、と苦笑しながら、アキラはハルマサボンプをカウンターの上に座らせる。今日も元気に仕事をしようと動き出した18号が「ンナナ?」と客人に興味を示して寄ってきた。それに反応するように、ぴく、とハルマサボンプが動く。しかし、それだけだった。
「お兄ちゃん、朝ごはんもう食べる?」
「いや、ちょっとこの子を見てからでもいいかい?」
「あ、悠真のとこの子じゃん。何の用かと思ったらボンプの相談だったんだ」
 オッケー、とキッチンに向かうリンを見送って、再びハルマサボンプに向き合う。インプラントの機能を使って、早速とばかりに目の前のボンプにハッキングを試みる。何の障害もなく、ハルマサボンプはすんなりとアキラの侵入を許してくれたので、素早くシステムの隅々まで視線を走らせる。
(特に接続不良になっているところはないな。ただ……思考モジュールが少し、重い、か?)
 次々と思考が積み重なって、ぎゅうぎゅうになっているような感覚。なんだろう、と奥に進むと、まるで「見て見て」とでも言っているかのようにとあるデータが目の前に突き出された。
(ん? これは、彼のメモリー……?)
 戸惑っているうちに、動画が再生される。ザザッと砂嵐が飛んで、それから映し出されたのは悠真の部屋だった。
 ベッドに座って、静かに息を整えている悠真が見える。人のプライベートを覗くことに罪悪感が芽生えたが、彼がこれを見せたがっている理由があるはずだ。依頼のためだ、と思いながらアキラは動画の続きに目を通す。
『ああ、ごめんよ。煩かった?』
 ボンプに言ったのだろう、悠真は弱々しく笑うと、続けてけほけほっと咳をする。ぜぇぜぇと苦しそうに呼吸をしているのを見ていると、その場にいないアキラの心臓がぐっと掴まれたように痛む。
 部屋が暗いので夜中のようだが、眠れないのか悠真は体を横にすることはなく、足元に寄ってきたボンプの体を抱き上げてぎゅうっと抱きしめた。
『仕事が立て込むのはよくあることだよ。僕らしか出来ないこともあるからね。呼ばれたら、行かないと』
『ンナァ……
『心配してくれる? じゃあしばらくあんたの冷たいボディを借りようかな……
 はぁ、と深く息を吐いて、悠真はボンプの頭に顔を埋める。ひゅー、ひゅー、と呼吸を繰り返す音がすぐ傍から聞こえる。ボンプの聴覚が拾っているのだろう。ハルマサボンプは悠真に抱きしめられている間微動だにせず、主人を気遣ってか声も上げなかった。
 しばらくすると落ち着いたのか、脂汗を拭うとボンプを床に下ろし、悠真はもぞもぞとシーツにくるまってしまう。ベッドの下から主人をじっと見つめるボンプの思考が、アキラの中に入り込んできた。
 ああ、この子は―――
 理解すると同時に映像が切れる。瞬きをすると、アキラはハルマサボンプとの接続を解除した。現実に戻り、ぱっちりと大きく目を開いたハルマサボンプの問うような眼差しと向き合ったアキラは、口の端をにぃと上げた。
「安心してくれ。君の依頼は引き受けた。僕が必ず叶えてあげよう」
「ンナナ? ……ンナ?(本当? 出来る?)」
「ああ。何を隠そう、僕は伝説のプロキシだからね」
「ンナ〜?(関係ある?)」
「無論、あるとも。「パエトーン」の依頼の成功率は、百パーセントだ」
 目を輝かせるハルマサボンプを床に下ろすと、どうやら遊びたかったらしい18号がぶんぶんと手を振ってアピールしてきた。うちの子かわいい、と親馬鹿な感想を頭に浮かべ、アキラは今日のカウンター業務を引き受ける方向で一日の行動を頭に思い浮かべる。それから、兄を待っているであろう妹のいるキッチンに足を向けた。
「リン。今晩のご飯は、僕が作るよ」
「お兄ちゃんたら、朝も食べてないのにもう夜ご飯の話?」
 可笑しそうに笑う妹の隣で、こんがりと焼けたソーセージをつまみ食いしようとするも、ぺちりと手を叩かれてしまった。

 *

 アキラから「修理完了」の短い報告をノックノックで受けた悠真は、その瞬間課長である雅に「定時帰宅」を宣言していた。
「いいだろう。……そこにある報告書を全て終わらせられたら、な」
 悠真の勢いにすんなり許可を出しそうな雅だったが、柳の視線を受けて条件を追加してきた。しかしこれも予測済みだ。その日の悠真の集中力は六課の誰もが口を挟むことを躊躇うほどのもので、実際普段以上の働きを見せて悠真は宣言通り定時退勤を果たした。
 その足で向かった六分街、ビデオ屋の扉を遠慮なく開けて、驚く客の視線をくぐり抜けるとそのまま二階のアキラの部屋へ向かう。
「おや、早かったじゃないか。悠真」
 その微笑みに釣られるようにつかつかと足を進め、ソファに座るアキラにぎゅうっと抱きつく。
「疲れたよーアキラくん」
「お疲れ。あと、お帰り」
「ふふ、ただいま」
 朝もそうだったが、この挨拶はなんともくすぐったくてむずむずする。連勤の疲れも吹っ飛ぶというものだ。もう少し彼を充電したかったのだが、アキラはするりと悠真の腕から抜け出ると、ベッドの上でごろりと横になっているハルマサボンプを持ち上げて見せた。だらーん、と完全にアキラの体に身を預けるボンプに、悠真は眉をしかめる。
……悪化してない?」
「うちの子たちと散々遊んで、疲れてしまったみたいでね」
 アキラにポンポンと頭を撫でられたハルマサボンプは目を開けると、ようやく悠真の姿に気付いたようでその帰宅を喜ぶように手足をバタバタと動かした。
 元気になってる、と喜んだのもつかの間。ぴょん、と床に飛び降りると、ハルマサボンプは何故か悠真ではなくアキラの足にぎゅっとしがみついてしまった。
「え。なんでアキラくんにそんなに懐いてるの?」
「悪いね、これが彼の意思なんだ」
「いや、えぇ……? 愛情かけて面倒見てるつもりなのに、愛想尽かされちゃったとか……?」
 あり得る。最近は仕事ばかりであまり構ってあげられていない。ボンプにも非行とかあるのかなと焦る悠真に構わず、アキラは言葉を続ける。
「さて。じゃあ、修理代の話をしようかな」
「えっ! お金取るの!?」
「勿論だとも。で、お代は……そうだな」
 に、と悪い笑みを浮かべたアキラは、一度上に向けた人差し指をすいっと倒して、悠真の方へ向けた。
「君の、今晩の時間を頂こうか」
「ええっと……つまり、どういうこと?」
「君にはここで一晩、僕たちとゆっくり過ごしてもらう」
「それがお代?」
 予想外のことに面食らいそれ以上の言葉を紡げない悠真の前で、アキラは呆れたように息を吐く。
「君、あまりよく眠れていないだろう。最近の様子を彼からリークしてもらってね」
……アキラくんに売ったね、僕を」
 じとりと足元を睨みつけるも、ハルマサボンプはアキラを盾にするようにして悠真の視線を逃れている。ずるい奴だ。
「彼を責めるものじゃないよ。君が無理しているのをずっと心配してたんだ。構ってほしい、でも迷惑になりたくない……二つの気持ちがぶつかって、思考モジュールの働きが鈍っていたんだね。まったく、健気じゃないか」
……ああ、そういう」
 ふ、と肩の力を抜く。自分のことを不甲斐ない主人だと思っていたが、ボンプの方も主人と同じ気持ちだったらしい。主人の不調に何も出来ない、と悩んでいたのか。ちら、とアキラの足の端から顔を出して様子を窺うハルマサボンプに、気持ちで負けたみたいだ、と苦笑する。
 この子の方が、周りがよく見えているではないか。最近の悠真は自分のことばかりで、外側に目を向けることがほとんどなかった。考えてみれば大好きなアキラとだって、こうして顔を合わせることは久し振りだ。仕事が立て込むと余裕がなくなるのは今に始まった話ではないが、かなり毒がたまっていたらしい。
「ごめん、アキラくん。結構余裕がなかったみたい……で、そのお代の内訳ってどんな感じ?」
「しっかりご飯を食べて、ゆっくりお風呂に入って、よく寝る。アロマも焚こうか? 安眠できそうだろう」
 なにそれ、と悠真は笑う。支払うどころか、貰いすぎだ。くく、と喉を鳴らして笑うと、段々可笑しくなってきて、気付けば悠真は口を開けて笑っていた。
「あははっ……じゃあ、あんたの添い寝もサービスで付けられるかな?」
「ああ、子守唄も付けられるよ」
「それはさすがに眠れなくなりそうだから遠慮するよ」
 彼の壊滅的な楽器演奏を知っている悠真が揶揄するように返すと、アキラは拗ねたように唇を尖らせた。
……ハーモニカよりは上手いと思う、たぶん」
 不貞腐れた声に、また笑う。いつもは胸のあたりを支配する重い感情も、肺のあたりに溜まるもやもやも、今は感じられない。今夜は本当にぐっすりと眠れそうだと確信して、悠真はますます笑みを深めた。
 今回の立役者はどうやら、うちのボンプらしい。
 腰を屈めると、きょとんとするハルマサボンプの頭を撫でて、ありがとね、と小さく呟いた。

 ハルマサボンプは、自分の主人の顔をじっと目に焼き付ける。
 ―――伝説のプロキシ、凄い。本当に彼を一瞬で元気にしてしまった。
 柔らかく笑う悠真に「ンナッ!」と元気に答えて、ハルマサボンプはぴょんとその場で飛び跳ねてみせた。