仕事は一人でするものではない。少なくとも、スターピースカンパニー戦略投資部のビジネスは膨大な情報を収集する部下達とその情報を価値あるものに磨き上げるブレイン、それを弾丸に仕立て上げる銃火器である自分のような存在が必要である。
部下はともかく、今までアベンチュリンに頭脳を貸していた輩はつまらない人間ばかりだった。薄利になると理解しながらも安全策ばかりを選択し、誰もアベンチュリンの提案を飲もうとしない。矢面に立つ人間がそのリスクを承知しているというのに、所詮は仕事だなどと嘯いてアベンチュリンの足を引っ張り時間ばかりを浪費させるのである。
彼らのそういう態度に反感を抱くたびに、自分がこの仕事に向いているのだと気づかされた。駆け出しも駆け出しの頃にジェイドからも指摘されたが、正しく天職なのだろう。この仕事はブレーキを壊す勢いでアクセルを踏まなければいけないタイミングというものが存在すると、病室で結果報告を聞くたびにしみじみと感じるわけなのである。
これも我らが地母神のお導きなのかもしれないとアベンチュリンはしばしば考える。あの女神様は随分と自分を可愛がってくれるものの、対人運の方は今も昔も全く気にしていないところが玉に瑕なのだけれど。
ジェイドが技術開発部のアポリに掛け合って寄越してくれた新しい協力者は博識学会の学者先生だった。経歴は見事なもので、家庭環境もこれと言った問題はない。むしろぬくぬくと育てられたせいで、真理大学に来るのが少し遅れたのではないかとドキュメンタリー作品で冗談めかして紹介されていたくらいである。
あえて問題があるとするならば、ヌースに選ばれると目されながらもそうはならなかったところだろうか。そんなことになっていたらスターピースカンパニーで顧問なんて職にはついていなかっただろうから、弊社からすれば渡りに船ではあるのだけれど。
ちょっと学者という肩書きだけでは片づけられない偏屈なエピソードは多々あったものの、教鞭を執って少数であっても生徒に単位を与えているのだから社会的な生活はできているという事だ。そう判断して、アベンチュリンは真っ先に彼に仕掛けることにした。自分がどういう人間であるかを伝え、力関係を示すにはそれが一番手っ取り早いと思ってのことである。
――だったのだが、結論から言えばアベンチュリンは目標を半分しか達成できなかった。シリンダーをくるりと回してから新しい協力者、即ちベリタス・レイシオにリボルバーの持ち手を押し付けてマズルを自分の体に押し当てる。ひんやりとした金属の感触を服越しに感じながらアベンチュリンの幸運を信じてほしいと告げると、彼は虚を突かれたらしかった。
そのまま彼の指ごと押さえ込んでトリガーを引こうとしたのだが、アベンチュリンが動くより少し、本当にほんの少しだけレイシオが我に返るのが早かったのだ。アベンチュリンに負けず劣らず色の境界がはっきりとした虹彩の内側で感情が膨れ上がったかと思うと、盛大な舌打ちが響いたはずである。そこの記憶が曖昧なのは次の瞬間彼がアベンチュリンの手を振り払ったついでというように、シリンダーが一周回り切るまで床に向かって銃を発射し続けたからだ。跳弾した弾がどちらにも当たらなかったのはアベンチュリンの幸運のためではなく、レイシオが完璧に弾の跳ねる角度を計算していたからなのだろう。
サイレンサーがついていたとはいえ、銃弾が床材を叩く音も加えるとかなり喧しかった記憶がある。ただ、もっと凄かったのはその銃声と破壊音を検知して鳴り響いたサイレンだった。
銃の射出の衝撃を片方の肩で受けきったらしい『学者』は君の幸運が本物ならば、これくらい簡単に切り抜けられるだろうと言い放ったのだ。その瞬間、自分の認識が如何に甘かったかを痛感した。かの高名なドクターは学者ではあったが、それなりに修羅場を潜り抜けてきた男でもあったのだ。その上、彼はくだらないと感じたゲームから抜け出すには舞台から破壊するのが一番手っ取り早いと知っていて、ちゃぶ台をひっくり返すだけの瞬発力と実行力も兼ね備えている。
もちろん事前におもちゃを使うから少しばかり目を瞑っていて欲しいと根回しくらいはしていたが、その程度ではどうにもならなかったのだ。学者という肩書きに目を曇らされていたと当時の下準備の甘さに反省する他ない、と言いたいところだが少々無茶のある反省だともアベンチュリンは思っている。
武装考古学派の肩書きがあればともかく、こんな荒事に慣れきっている学者なんて特異の極みだろう。そんなことまで想定して準備をするのはさすがに過剰で、コストパフォーマンスの面でも問題がある。きっとレイシオに伝えれば、妥当な判断ではあると納得してくれるに違いない。
プロファイルを見る限りレイシオはアベンチュリンよりも年上のようだが、だからと言って勉学や研究に励みながらそんな経験を積める程の年齢とも思えない。とはいえ、その全てが付け焼き刃でない本物だとアベンチュリンは考えている。何とかアベンチュリンが事を丸く収めた後にたしかに最初の弾倉は空だったとけろりと告げられて、そう判断せざるを得なくなったというのが正確なところなのだが。
それからレイシオとは小さめの仕事をいくつか無難にこなしてきた。その様子をそろそろ本腰を入れてもよかろうとジェイドは判断したらしく、大きなビジネスがアベンチュリンの下に舞い込んできたのである。
今までは予定調和の中で終わる仕事ばかりだったものの、今回は不確定要素が随分と多い。その時々に臨機応変な対応を求められる仕事をするのは実に久々で、アベンチュリンは楽しく計画を練り上げた。いくつか綱渡りをしつつも要所要所で自分が体を張れば決して実現不可能な要件ではないだろうとアベンチュリンは最終的に結論付けて、いつもより二時間ほど遅れてベッドに潜り込んだのである。
翌日、技術開発部の用事でピアポイントを訪れていたレイシオを呼びつけて、ひとまず社用のタブレットごとPDFファイルを手渡した。それからアベンチュリンがざっくりと案件説明するより先に、レイシオが常軌を逸した速読で資料を検めていく。
彼がページを読み進めるたびに眉間に皺が寄っていったのを見て、アベンチュリンは正直がっかりした。彼もまた身の安全を重視して、得られるはずの利益を諦めるように告げてくる手合いなのだろうか。
「これは君が作ったのか?」
「ああ、もちろん」
最後まで読み進めたと思ったら、一番始めにページを戻してからレイシオは一度顔を上げてアベンチュリンに問いかけた。それからアベンチュリンからの返事を待って再び資料に視線を移し、タブレットの上に指を滑らせ始める。
「計画が杜撰過ぎる。やり直しだ。僕の指摘した内容を確認して再検討するように」
迷いなく指を滑らしながら、レイシオはアベンチュリンに一瞥も寄せないままに計画書を批評した。学生に対しても同じような態度で指摘をしているのだとしたら、見知らぬ彼らに少々同情してしまう。
「君は随分と荒事が好きなようだが、この仕事は命を賭すに値しない」
すっと液晶の上をレイシオの指が滑って、最後に爪の先が掠める音が響く。その音を掻き消すように告げられた言葉に俄に心音を意識してしまった。
「――それってさ、教授」
一度唾を飲み込んで、アベンチュリンは一度言葉を切った。なんだかとても大事な事を尋ねようとしている心地になって、手のひらにじわりと汗が滲む予兆を感じる。
否。なんだか、なんて曖昧なものでは決してなかった。きっと、とても大切な事なのだ。少なくともアベンチュリンがレイシオとこれからも仕事をしていくにあたって、はっきりとさせておきたい部分だった。
「君にとって、この世には命を賭すのにふさわしい仕事があるってことかな」
声はいつも通りの平静さを保てていたように思う。それどころか少しばかり意地悪な、重箱の隅を突っつくような調子も含められたはずだった。自分の資料を酷評されながら突っぱねられて不愉快に思った愚か者が、揚げ足を取ろうとしているように聞こえてくれていたらありがたい。
「そういう瞬間は確かにある」
アベンチュリンの問いかけにレイシオが気分を損ねた様子は見受けられなかった。アベンチュリンの杜撰らしい計画書へのコメントとさほど変わらぬ温度感で、レイシオは問いかけに肯定する。
また、そういう仕事もいくらでもある。そう、レイシオは瞬きと共にアベンチュリンに告げた。命を使ってする商売などいくらでもあるし、そういう部門をカンパニーも抱えている。そういう事実を否定するつもりはないと、理想主義者でもなんでもないらしい彼は続けた。
「ただ、今回の仕事はその域には達していない。だからやり直しだ」
最後にようやくアベンチュリンと視線を合わせたレイシオはアベンチュリンが渡したタブレットを突っ返してくる。下手に飾り付けたり言い訳をしたりせず率直な回答をした彼への謝意を込めて、アベンチュリンはタブレットを受け取ることにした。
それからすぐに画面を確認すると、彼にとって詰めが甘い部分にバツがつけられているのが目に留まる。別のページに遷移すると、指で書いたにしては随分と綺麗な筆跡で簡単なメモが追記されているのも見て取れた。三角の印の近くにはプラスかマイナスの記号の後ろに数字が記載されているので、おそらく部分加点と減点だろう。
「採点ありがとう。出直すよ」
「ああ、そうしてくれ」
これで仕事は終わりとばかりにレイシオが踵を返して執務室を出ようとするので、アベンチュリンはその背中に手を振った。さすがに背中に目はないはずの彼にそれじゃあまたと投げかけると、一応相槌が聞こえた気がする。
内側からは自動ドアになっている扉がレイシオを検知して勝手に開いて、彼はそのままアベンチュリンの前から姿を消した。この後の予定は入っていないはずなので、きっとこのまま帰宅するのだろう。
秘書が席を外していることもあって、一人きりになった執務室でアベンチュリンは思わず上等な椅子の背もたれにぐっと体重を押し付ける。今までの協力者とレイシオは違うのだと、今はっきりと理解できた。
彼とであればアベンチュリンはいつの日かこの命を使い潰せる。きっと、今までアベンチュリンが越えてきた死線などよりも苛烈で華々しい、誰もがエヴィキン人としての真価を証明しきったと認めるような最期を迎えられる日が来るはずだ。
先ほどから収まらない鼓動が示しているのは恍惚を孕む興奮と、いまだに残る生命の根源が抱く恐怖である。震えそうになる指先を握り潰し、アベンチュリンは隠しきれない熱気を肺の奥から押し出した。額にきつく固めた拳を押し当て密やかに背中を丸めながら、もういなくなった人を思い起こす。
その卓越した知性が精密に練り上げ、針の穴に糸を通してもなお足りない。いつか、そんな瞬間が訪れる。確信に似た予感を抱きながら、アベンチュリンはそっと自身の神に祈りを捧げた。
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