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史加
2025-06-12 15:25:42
7124文字
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原神(鍾タル)
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きっといつまでも熟年の知人
鍾タル/知人の結婚式の引き出物を一緒に食べるふたりの話
※ワードパレット10 探して・肩と肩が触れる・余裕 お借りしました
雲一つない空に丸い月がぼんやりと浮かんでいる、何の変哲もない夜だった。
提灯からこぼれる橙色の光と屋台から立ちのぼる煙で星々は霞んでよく見えない。周りにいる人々のほとんどは屋台飯に舌鼓を打ち、友人や家族、店主と談笑している。辺りに漂う香ばしいにおいは、朝捕ったばかりの新鮮な魚を調味料に漬けて焼いたものだろうか。野良猫だけでなく人間をも魅了するチ虎魚焼きの香りは、八分目までしっかり食べた後だというのに一本買って帰ろうかという気にさせてくる。
日が沈み、月が空の主役となっても璃月港から明かりが絶えることはない。今日のように晴れている日はいくつも屋台が並んで出来立ての料理を楽しめるし、ぬるい潮風に吹かれながら月見酒と洒落込める。飲み過ぎた人間が路地裏で酔い潰れて寝落ちているのも珍しくない光景だ。だけどそれらはどれもが極寒のスネージナヤでは考えられないことで、タルタリヤがこの国に来たばかりの頃は慣れなかった。
温暖な気候の土地ならではの光景が当たり前のものとなり、この国で過ごす一日一日から新鮮さが消えていってどのくらい経つだろうか。今となってはもう、執行官の姿を見かけて眉をひそめる者はいても、わざわざ声を荒らげて攻撃的な姿勢を見せる人間すらいない。
……
今日は一日事務仕事にかかりきりで、満足に身体を動かせていないせいだろうか。タルタリヤは今宵の自分が妙に感傷的になっていることに気付く。これは少し気を紛らわせてから宿に戻らないと寝付けなさそうだ。戦士たるもの、睡眠を疎かにして身体を鈍らせるようなことがあってはならない。
頭を切りかえ、辺りに漂う匂いに誘われるまま屋台でチ虎魚焼きを一本購入する。こんがりと焼けたあつあつの魚の身をかじりながら宿の前を通り過ぎて、街の入口へと向かった。
今から二、三時間程度なら、少し外を出歩いたところで明日の仕事に支障をきたすこともないだろう。懐に忍ばせている時計を確認し、璃月港に戻ってくるだいたいの時間を決めておく。串焼きを一本食べ切って腹が満ちたところで、散歩中に手応えのある魔物にでも遭遇しないかとわずかな期待を抱き、タルタリヤは璃月港の北部に位置する正門にかかる橋を渡ろうとした。
「
……
うん?」
けれど向かいからやって来る人影に気付き、足を止める。暗がりの中にある顔はよく見えないが、知人に似ている気がしたからだ。
相手も同じことを思ったのか、ぴたりと一度立ち止まった後、タルタリヤへと向かって歩いてくる。ゆったりとした足取りと、ぴんと伸びた背筋。闇の中から少しずつ輪郭をあらわにして近付いてくる人物は、やはり気のせいではない。
「やはり公子殿か」
暗い橋の向こうから現れたのは鍾離だった。しかしその全身を確かめるなり、タルタリヤは目を丸くする。
普段から堅苦しい印象を与える服装をしている男だが、今日は見慣れた茶色と山吹色のコントラストがなかった。かっちりと黒のスーツを着て、手には傘と大きめの紙袋を持っている。まるで異国で開かれたパーティーに出席してきたような装いだ。晴れた璃月の夜に何ひとつ似合わぬ格好をした美丈夫からは、かすかに花と湿った土のにおいがする。
「やあ、鍾離先生。珍しい格好だね。どこかにお呼ばれでもしていたのかい」
いくつか水滴がついたままの傘を見ながら問いかけると、鍾離は頷いた。
「知人の結婚式に呼ばれてモンドへ行っていた」
「それはめでたい話だね。けど、先生の知人なのにモンドで?」
「ああ。彼女とは璃月で知り合ったが、結婚相手がモンド人でな。両親共々モンドへと移った後だから、式も向こうで挙げることにしたんだそうだ」
「なるほど。それで先生は遠路はるばる祝いに行ったって訳か」
どうやら鍾離は凡人としての生活を満喫してきたらしい。神ではなく一介の知人として参列し、立場を気にする必要もなく心からの祝福を伝えられるのは、きっと喜ばしいことだったのだろう。物珍しい格好をしていながらも、鍾離の纏う雰囲気は普段よりもやわらかだ。今日という一日はタルタリヤにとって平凡すぎて退屈なものだったが、この男が凡人らしく一日を満喫出来たのならまあいいか、なんて思えてしまうほどに。
祝い事の後だというのなら手合わせを強請ったところで応じてはくれないだろう。さすがにタルタリヤだってそこまで無神経ではないので、良い話も聞けたことだしさっさと別れて当初の目的を果たすべく一歩踏み出そうとする。長旅で疲れただろうし今日はゆっくり休みなよ、なんて殊勝なことでも言っておけば、別段こちらの行動を気にされることもないだろう。そう思ったのだが。
「ところで、丁度いいときに会えた」
行動に移るよりも先に、鍾離が口を開いた。
「
……
何かな」
用意しておいた言葉を紡いで素通りするのは不可能だ。仕方なくタルタリヤは用件を聞くことにする。
「引き出物の焼菓子をもらったんだが、一人で食べるには少し量が多い。手伝ってくれないか」
焼菓子、という単語で、九分目まで満たされてしまった腹が妙に重く感じた。タルタリヤは間髪入れずに返す。
「それは今日じゃないとダメなのかい。焼菓子ならある程度日持ちするだろ?」
「こういうものは良き日の余韻が薄れる前に楽しむものだろう。何、一切れでいい。その程度なら夕食を済ませた後でも問題ないだろう?」
普段タルタリヤが食後でもすぐに身体を動かせるよう、ある程度食べる量を加減していることを知っている男の、打算的ではあるが悪気のない目に見つめられて閉口する。
まだ深夜というには早いこの時間帯に部下を連れて歩くでもなく、堂々と正門から璃月港を出て行こうとしているのを見られた時点で、タルタリヤが暇を持て余していることは相手にバレている。街の中心部から離れた位置にあるここは明かりが少ないから、月光に照らされた男の姿が妙に美しく見えて落ち着かない。胸の奥がむずむずとして、夜をひとりで明かすにはわずかに持て余す熱を帯び始める。
屋台で買い食いするんじゃなかったな、と少し前の自分の行動を後悔しつつ、タルタリヤは首を縦に振った。
先に湯浴みを済ませたいという鍾離にゆっくり浸かってくるよう伝えて、タルタリヤは勝手知ったる台所で茶の準備をすることにした。悪あがきのような時間稼ぎだ。焼菓子一切れなんて先程食べたチ虎魚焼き一本に比べれば可愛らしい大きさだろうが、満腹になって眠くなる、なんて子どものような姿を晒したくはない。なるべく打てる手を打っておく必要がある。
モンドの焼菓子に合わせるのなら酒や翹英荘の緑茶よりもフォンテーヌの紅茶がいいだろう。ストックされている茶葉の中から目当ての缶を見つけて、慣れた手つきで茶器を温め、茶葉を蒸らす。カフェインを多く含む飲料を就寝前に口にするのはあまり褒められる行為ではないが、それをわざわざ気にするような間柄ではないし、だいたいこんな夜に茶を飲み菓子を食べたら解散、なんていうのも面白くない。紅茶を淹れるタルタリヤの手つきに迷いはなく、ほどなくして二つのティーカップが湯気の立つ赤茶色の液体で満たされた。
「茶を淹れてくれたのか。良い香りだな」
紅茶の入ったカップと、使うかは分からないが念のためフォークを用意したところで、背後から声を掛けられる。さりげなく長湯を勧めたというのに、鍾離はいつも通りに風呂を済ませたようだ。きちんと髪も乾かし終えているので、台所から追い出す理由が見当たらない。
「焼き菓子と合わせるならこっちがいいと思ってね」
たいした時間稼ぎにもならなかったが想定内ではあるので、タルタリヤは茶会の準備を進めようと紙袋から焼菓子の箱を取り出した。
正方形のそれは思いのほかずっしりとしている。一切れ、と言われた時点でナイフで切り分けて食べるものだと想像はついていたが、タルタリヤの両手を広げて少しはみ出るくらいの大きさのそれは、確かにひとりで食べ切るにはやや厳しい。大の甘党ならともかく、鍾離にそういった食の好みの偏りはないので手伝いを頼まれたのも頷ける。
箱にかかったリボンを解いて蓋を開けると、ドーナツのように中心に穴の開いた円形の焼菓子が姿を現した。薄い生地が何重にも重なって年輪のような模様を描くそれは、結婚式の引き出物の定番だ。
「バウムクーヘンか。四等分でいいかい」
「ああ」
鍾離にナイフを譲ることなく、タルタリヤは焼菓子を箱から取り出して切り分ける。小麦と卵、蜂蜜の匂いのする菓子はしっとりとしていてやわらかい。自分の分だけ小さめに切って皿に取り、残る三つを鍾離の皿に容赦なく積み上げてやった。
これで突発的に開催されることになった夜の茶会の準備は終わりだ。本格的な食事ではないし、長椅子でくつろぎながら楽しむのが丁度いいだろう。タルタリヤはそう判断して台所と居間とを何度か往復し、長椅子の前に置かれている脚の低いテーブルの上に紅茶の入ったカップや菓子を乗せた皿を運ぶ。いっぺんに茶器と菓子を運ぶためのトレーもこの家にはあるが、今のタルタリヤに必要なのは効率性ではなく余分なエネルギーの消費だ。
タルタリヤが忙しなく動き回るのを、家主たる鍾離は咎めない。先ほどまでの余所行きの雰囲気をすっかり湯と一緒に流し、見慣れた部屋着姿で先に長椅子に腰掛けて、タルタリヤが落ち着くのを待っている。黄金のひとみに微笑ましく見守られるのはなんとも居た堪れず、少しは手伝えと言いたい気にもなるが、手伝わせたら手伝わせたで妙なこだわりを発揮して茶会の開催が延びる可能性もある。なので悲しいかな、こういう突発的かつ簡易的な準備をするときには、自分ひとりで動いたほうが間違いない。
タルタリヤの地道な努力は実を結び、鍾離の隣に腰を下ろす頃にはバウムクーヘン一切れを許容出来るくらいにはなった。
「手間をかけたな」
傍観に徹していた鍾離が悪びれることを知らない声でいたわってくるので、タルタリヤは肩を竦めてみせる。
「別に、このくらいどうってことないよ。先生に全部任せたら朝まで待たされそうだし」
「む、いくら俺でもこの時間から茶会をするのにそう待たせたりはしないぞ。二時間で十分だ」
「俺が待ちくたびれて寝落ちるにも十分だね。
……
おっと、こんな雑談で結婚式の余韻を薄れさせてしまうのも勿体ないか。紅茶も冷めてしまうし、早く食べよう」
鍾離と会話の応酬をするのも悪くないが、目的を忘れてしまってはいけない。いただきます、と呟いて紅茶をひと口啜ると、鍾離もそれに倣った。それからタルタリヤが雑に築いたタワーの一段目に手を付け、大きな口を開けてバウムクーヘンを頬張る。一応フォークも添えておいたのに、手づかみで、だ。
ごくり、と紅茶を飲み込んだ喉から大きな音が鳴る。
「そういえば、今日のモンドは雨だったのかい」
失態を誤魔化すようにタルタリヤは尋ねた。それは鍾離と会った時から気になっていたことでもあった。今日の璃月は一日中晴天で、雨の気配など微塵もなかったからだ。
菓子を咀嚼して飲み込んだ鍾離は頷く。
「朝から一日中な。式の段取りにはいくつか外での催しも含まれていて、特に大変だったのは西風協会での誓いの儀式の後、外に出て門出を迎える新郎新婦に花びらをまく時だった」
「フラワーシャワーだっけ。確かに傘なんて差すわけにはいかないし、髪にも服にも花びらが張り付いて大変だっただろうね。天気が悪かったなら中止にして室内で出来る催しだけにすればよかったのに」
一生に一度きりの大切な日のために用意した衣装は汚れてしまうし、写真映りも当然快晴の日には劣ってしまう。それに、年中雪の降るスネージナヤではドレスのような薄着で外に出るなんて有り得ないから、結婚式の途中で外に出て催しを行うこと自体タルタリヤには馴染みがない。あの荘厳で美しい西風教会のあるモンドなら室内でも十分に華やかな結婚式を開けそうなものなのにと、純粋に疑問に思っての言葉だった。
鍾離はバウムクーヘンの一切れ目を早くも食べ終えて、紅茶を飲み干す。漂う蜂蜜の匂いに違わず、結構甘いらしい。ポットにたっぷり淹れておいた茶のおかわりを注いでやり、タルタリヤもようやくバウムクーヘンに口をつけた。ストレートの紅茶がよく合う味だった。
「フラワーシャワーには花の香りでふたりの周りを清め、悪しきものから守るためという意味がある。外せない行事だったのだろう」
二切れ目のバウムクーヘンをかじった鍾離が語り出す。
「それに、モンドやフォンテーヌでは、雨の日の結婚式は幸福をもたらすものとされている。何でも、神が新郎新婦に代わって一生分の涙を流してくれていると捉えるのだそうだ。
……
フォンテーヌはともかく、あの飲兵衛がそのようなことをするはずもないが」
わずかに苦い表情を浮かべる鍾離に、タルタリヤは思わずくすりと笑ってしまう。その口ぶりから察するに、件の酒好きな旧友とも出会ったようだ。隣国の自由を愛する神はそういう祝い事の雰囲気も好みそうだし、パーティーといえば当然酒が振る舞われる。きっと絡まれたに違いない。
「とにかく、雨で苦労したところもあるが良い式だった。主役のふたりも、その親族も、皆不満なく今日という日を迎えられたのだろう。式の始まりから終わりまで、幸せそうな表情をしていた。実にめでたいことだ」
鈍色の空と陰鬱とした雨に負けぬ、晴れやかな式だったのだろう。異国の地で紡がれる誓いの言葉から閉会の挨拶まで一言一句違わず覚えていられる男は今日という一日を振り返り、黄金のひとみを細めて微笑んでいる。
「そうかい。良い一日を過ごせたなら何よりだ」
なるほど、祝いの日の雨は必ずしも悪いものとして捉えられるわけではないのかと、タルタリヤは新たな知見を得た。
あたたかな金色と共に記憶に刻まれた知識は、いつか故郷の妹が嫁ぐ日を迎えたときに役立つかもしれない。まだ幼い彼女が他人と家族になる未来など想像もつかないことだが、母や姉に似て顔立ちの整っている彼女が放っておかれることはないだろう。相手が誰になるのかはさておき、もしもそのときを迎えてひとりで食べ切るには少し持て余す大きさの菓子を土産として渡されたら、今度は鍾離に手伝ってもらうのもいいかもしれない。
タルタリヤは食べかけのバウムクーヘンをひと口かじる。上品ながらも存在を主張する蜂蜜の甘さとやわらかな生地の食感は、幸福の余韻に浸りながら食べるといっそう重く感じるのだろうか。鍾離がまたもカップを空っぽにしているのに気付いて、自分の分を注ぎ足すついでにおかわりを入れてやる。
それからしばらく、ふたりの間に言葉はなかった。黙ってバウムクーヘンを咀嚼し、口の中に残る甘さを紅茶で流して、静けさに身を浸す。鍾離の長ったらしい話を聞くのは慣れているし、嫌いでもないけれど、沈黙を分かち合うのも悪くない。ただ今日は少しばかり胸の奥をじりじりと焼く熱が煩わしくも思えて、段々と夜の終わりを引き延ばしたい気分が勝ってくる。
鍾離が三切れ目のバウムクーヘンを食べ終えるのと、タルタリヤが最後の一口を紅茶で流し込み終えるのはほぼ同時だった。
「公子殿」
不意に甘い声がタルタリヤを呼ぶ。肩と肩が触れる距離で囁かれる声は艶めいていて、期待で背筋が震えた。
「片付けは俺がやろう。お前も風呂に入ってきたらどうだ」
温い手のひらがタルタリヤの右手に重ねられ、長い指先が薬指の付け根に触れてくる。そこに存在しないもののかたちをなぞるような動きに心臓がどっと跳ね上がった。瞬く間に赤く染まった頬の熱に呼応するように、腹の奥がじくりと疼く。
「もう遅い時間だし、今夜は泊まっていくといい」
有無を言わせぬ声の響きがずるかった。きっと鍾離は橋の前で出会ったあのときからすべて見透かしていたのだろう。タルタリヤが今日に限って買い食いなんてしたことも、熱を持て余していることも、一人寝をする気にはなれないでいたことも、全部。
元々そうなるように仕向けるつもりでいたが、相手のほうが一枚も二枚も上手だった。けれどこれがある意味鍾離とタルタリヤの間で交わされる「合意」だ。どちらかにその気がなければこうも話が上手く進むことはないし、胸の奥で燻ぶる火だって大人しく鎮まる。だからこれは当然の帰結とも言える。
とはいえ、鍾離ばかり余裕でいるのは面白くない。なにか一つくらいタルタリヤから不意を突いてやれることはないだろうかと思案する。
雨。結婚式。バウムクーヘン。口の中に残る、紅茶でも流し切れなかった平凡で甘い幸福の味や、今日の話題の中に足掛かりとなるものがないかを探して。
「
……
口直しから付き合ってくれるならね」
ありふれた甘いだけのものはもう十分だからひどくしろと、そう言外に伝えると、鍾離は少しだけ残念そうな顔をした。その表情がちょっぴり情けなく見えたので、まあ今日はこれでいいかとタルタリヤは機嫌よく風呂へ向かう。
その後、口直し、という言葉を逆手に取られてキスだけでどろどろに溶かされ、それはもう丁寧に可愛がられて焼菓子の甘さなど比べ物にならないくらい恥ずかしい思いをする羽目になるのだが、そんなこと今のタルタリヤには知る由もなかった。
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