千代里
2025-06-12 08:18:31
16216文字
Public ラハとエリンの話
 

ゴールドソーサーと麻雀の話


※注意
・ラハがゴールドソーサーに行ったことがない設定で書いています
・時系列としてはパッチ6.2ぐらいです

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 その日、グ・ラハ・ティアは常のように資料を探しにオールド・シャーレアンのバルデシオン分館に顔を出していた。
 現在進めているエオルゼア十二神の調査にまつわる資料を求めて、彼が分館に顔を出すのはさして珍しいことでもない。
 もっとも、そこには多少の下心はあった。
 もしかしたら、ラハが敬愛してやまない――若干異なる意味での感情も混じっているものの――英雄が滞在しているのでは、というものだ。
 何せ、星を救った英雄でもある少女は、常日頃からさまざまな難事件に首を突っ込み、出会うたびにラハの想像も及ばない冒険譚を聞かせてくれるのだ。探さない理由を探す方が難しいぐらいである。
 だから、資料室の扉からラハが出てきた時、見慣れたミルクティー色の髪と尾を持つ少女を目にして、ラハの耳は子供のようにピンと持ち上がったのだった。
「エリン、来てたのか!」
「あ、ラハ。何か探し物に来たの?」
「そんなところだ。それよりも、今日は一体どんな冒険をしてきた帰りなんだ? あっ、それとも、まだ途中だったりするのか?」
 ワクワクとした気持ちを隠せずに、ラハがぐいぐいとエリンに歩み寄る。エリンの服装は見慣れた私服のワンピース姿だったが、彼女の瞳には一仕事終えた者だけが持つ高揚が輝きとなって瞬いていた。
(これは、またすごい冒険をしてきたんだろうな……!)
 忙しい英雄の足を引き止めるのは些か申し訳ないが、本人はさほど急いでいるようにも見えない。せっかくの再会の機会を逃す手はないと、ラハはエリンの手を取る。
「一仕事……といえば、一仕事かな? ひと段落したから、一度こっちに戻ってきたの」
「やっぱりそうだったのか! どんなことがあったのか、ぜひ聞かせてもらえないか」
 そう言うと、エリンは少しばかり目を丸くし、なぜか何度も瞬きをくり返いた。
「そ、それは……構わないけれど。でも、ラハはお仕事中じゃなかったの?」
「実は、オレもちょうどキリのいいところだったんだ。エリンは、話す時間は取れそうか?」
「もちろん、大丈夫だよ」
 承諾もとれたことだからと、ラハはエリンを伴い、いそいそと建物内にある休憩室ことナップルームに入る。
 近頃はエリンの私室のようになっているものの、本来はふらりと帰ってきた研究者たちの休憩室なので、ちょっとした団欒を行うスペースもある。前の利用者が残していた茶葉を使って、手早くお茶の準備を進めながら、ラハは質問を続ける。背中の向こうでは、エリンが席に腰を下ろす音がしていた。
「それで、今回はどこに行っていたんだ?」
「ええと……ウルダハの方、かな?」
「そういえば、この前、ナナモ女王陛下に古い遺跡の調査を頼まれたって話していたよな。その件の続きか?」
「うーん……それとは別件だよ。あ、あのね……期待しているところ、申し訳ないんだけれど、そこまで大きなことをしてきたわけじゃないの。だから、ラハが喜べるような話はできないかも……
「でも、一戦交えてきたんだろ? さっき会った時のあんた、すごく達成感のある顔をしてたぞ」
 話をしながら、湯気を湧き出したケトルを魔道コンロから外し、コースターを片手に机に戻る。エリンが用意してくれたのだろうか、机に置かれていた菓子皿には、サボテンダーやチョコボを模したクッキーが置かれていた。
「確かに一戦は、交えてきたけれど……
「どんな相手だったんだ。手強かったのか?」
 お茶をエリンの前に差し出し、ラハも椅子に腰を下ろす。
 用意されていたクッキーは、食べるとスパイスの味が軽く舌に残った。これは、ウルダハでよく見られる味わいだ。土産として、買ってきてくれたのだろうか。
「たしかに、手強い相手ではあったよ。いつ相手が勝ち上がってしまうか分からなくて、だけど、私が攻勢に出ることもできないから、ずっとハラハラしていたの」
「あんたに苦戦を強いるなんて、相当な強者だな……
「ポーカーフェイスが上手な相手だったからね。敵の手が読めないぶん、相手が少しずつ見せたヒントを元に何とか勝たなくちゃいけないルールだから、奥が深い戦いだったの」
 うんうん、と前のめりになりながら、ラハはエリンの語る『冒険』に耳を傾ける。
 エリンの方も自分の発する言葉に背中を押されたようで、最初の躊躇いがちな様子はどこへやら、少しずつ話に熱が帯び始めた。
(エリンがここまで苦戦する相手っていうことは、魔物じゃなくて、試合か何かか? さっきはルールが、って言っていたものな。ウルダハには、剣闘士のための手合わせ場やコロシアムもあるから、そこで試合をしてきたんだろうか)
 わくわくを隠す様子もなく、ラハはぐいぐいと続きを促す。
「それで、どうなったんだ?!」
「最終的に、私が捨てた牌が別の人の役に必要な牌だったの。実は、内心で危ないかなあって思ってたから、相手に『ロン』って言われたとき、あーやっぱり……って思ってね。でも、他に捨てる牌がなかったから、あれはやっぱりどうしようもなかったなあって……
……ん?」
「でもね、負けたけど、すっごくワクワクしたの! 私が勝つこともあったし、試しに誘われてやっただけだったけど、すごく楽しくて、対局が終わった後も練習用のマメットたちとも遊んでみたの。練習用だけどマメットたちも強くて、何回か負けちゃったなあ。負けてもポイントが取られるわけじゃないけど、役を覚えるまではまだまだ時間がかかるかも」
「なあ、あんた……。もしかして、ウルダハの方に行ったっていうのは……ゴールドソーサーに、ドマ式麻雀をしに行ったってことなのか?」
 ロン。牌。それらの独特の単語には、ラハも聞き覚えがある。
 実際に遊んだ経験はないが、東方にあるドマという国で流行しているドマ式麻雀という遊戯で使われる単語のはずだ。
 ラハが最も長い時間を過ごしたシャーレアンでは、さまざまな地方から人々が訪れており、中にはドマ式麻雀をシャーレアン魔法大学に持ち込み、流行らせようとした強者もいた。
 なお、その強者は「ドマ式麻雀の牌に描かれる図面の変遷」という史学的見地からの論文を書くための資料だと、教授に言い張ったそうだ。
 閑話休題。
 ポイントや練習用マメットという単語。そして、ドマ式麻雀という娯楽を思わせる内容と、ウルダハ方面に出かけていたという発言。加えて、サボテンダーやチョコボを模したクッキーのお土産。これらを組み合わせれば、エリンがどこに出かけていたのかは一目瞭然だ。
 すなわち、ウルダハから向かえる一大娯楽施設――ゴールドソーサーが、英雄の此度の冒険の舞台だったのだ。
「エリンは、ドマ式麻雀にハマっているって思っていいのか?」
 ラハの問いかけがおずおずとしたものになったのは、エリンが徐々に耳を頭に寝かせ、顔を掌で覆って隠してしまったからだ。前髪の隙間から覗く額は、一足早く夕日が昇ったように赤い。
……はい、そうです」
「やっぱりそうだったのか。でも、どうしてすぐにゴールドソーサーに行ったって言わなかったんだ?」
「だって、ラハが冒険に行った話を聞きたいって思っているのに、遊びに行っていたって言うのがなんだか申し訳なくて」
 結果、見栄を張ってしまったらしい。
 普段から表裏のない発言をするエリンにしては珍しい振る舞いだ。それだけ自分も顔に感情が出てしまっていたのだろうと、ラハは思わず己の頬を撫でる。
(それに、オレに土産話を送りたいって、見栄を張るなんて……
 他の仲間には見せない英雄の側面を、いじらしいなどと思ったことは流石に口にはできない。そんなことを言ってもエリンは怒らないだろうが、羞恥で部屋から立ち去ってしまうだろう。
「遊びだって立派な冒険さ。さすがオレの一番の英雄、東方の遊びにも詳しいんだな!」
「そこで一番の英雄って言われるのは、どうかと思うんだけど……
「オレにとって一番なことに変わりはないさ。そうだ! もしよかったら、オレにもあんたが臨んだ冒険のやり方を教えてくれないか?」
「つまり、ドマ式麻雀をやりたいってこと?」
 ラハは勢いよく首を縦に振る。耳がぴょんと上を向き、尻尾も同じくらいピンと立っていた。
「私も初心者だから、そんなに細かくは教えられないと思う。詳しいことは案内の人に教えてもらうことになるけれど、それでもいい?」
「ああ、構わないさ。ということは、ゴールドソーサーに行くことになるんだよな」
「うん。少し遠出になるけれど大丈夫?」
 調べ物があったのでは、と言いたげな英雄に、ラハは「平気だ」とすぐに答えた。
 実際、調べ物自体はあらかた済んでいる。それに、
(エリンと一緒にゴールドソーサーに行くなんて、こんな機会、逃したらなかなか次があるものじゃない!)
 お互い多忙の身の上に、どちらも相手の予定を気遣って遠慮しがちなところがある。
 ラハの本分が学者であることを分かっているためか、エリンは娯楽に時間を消費することに関して、遠慮がちになりやすい。己が『世界を救った英雄』という肩書きを気にしている部分もあるのだろう。
 しかし、今なら互いに時間もある。本人も乗り気であるようなので、ラハとしてはあとは背中を押してしまうだけだ。
「じゃあ、出発は明日でいいか?」
「うん。そういえばラハはゴールドソーサーに行くのは初めてだっけ? 案内なら任せてね」
 共に遊びに行くということが、それほどまでに魅力的に見えたのか。エリンのにこりと笑う顔に、ラハは再び持ち上がりそうになる尻尾を意識して抑えなければならなかった。
 
 ***
 
 ゴールドソーサーに、仲間と一緒に行く。言葉にすれば実に他愛のない内容だ。
 エリンも、一冒険者として、または時に光の戦士として注目を浴びながら、ゴールドソーサーで楽しい時間を過ごした経験はある。
 その時、傍らにいるのは行きずりの冒険者であったり、はたまた知り合いの誰かであったりと様々ではあるが、誰かとゴールドソーサーで遊ぶこと自体は初めてではない。
 そのはずなのだが。
(な、なんだか、いつもより緊張する……!)
 賑やかな音楽と共に開かれたゴールドソーサーのゲートは、エリンにとっては見慣れたもののはずだ。だというのに、ゴールドソーサー行きの飛空挺の階段から降りるとき、危うくエリンは踏み台から滑り落ちかけた。
 すぐに手すりを掴んで事なきを得たものの、ラハが「大丈夫か?」と手を差し出してくれたので、ありがたく彼の手に掴まることにする。
「なあ、エリン。本当にその格好で行くのか?」
「だって、私が顔を出して歩いていると、光の戦士と一緒にいるって見つかって、ラハに迷惑をかけてしまうかもしれないから」
 実際のところ、英雄の来訪が騒動になったのは一度きりだ。
 それ以後は英雄の遊び時間を邪魔してはならないと、ゴールドソーサーのオーナーであり、エリンの私的な知人でもあるゴッドベルト氏の配慮が発端となって、利用客の間でも暗黙の了解が広まっていった。結果、物見遊山でやってきた大衆に囲まれて動けないという事態は見られなくなっていた。
 それをうっすら悟りつつも、今日のエリンは白い猫の耳がついたフードを目深に被り、覗き込まれない限りは顔が見えないようにしていた。
(ラハと二人で、あ、遊びに行っているって、他の人に知られるのが、なんだか恥ずかしい……
 口でこそ、英雄と一緒にいると迷惑がかかると言ってはいたが、理由はもう一つある。
 最初こそふらりと出かけるだけの気分であったが、ラハとの外出を仲間の一人であるヤ・シュトラに伝えると、
「それは、つまり……デートと言えるのではなくって?」
 などと言われたことがきっかけとなって、エリンの中ではラハと共に遊ぶ=特別な関係を強調しているのでは、と強く意識するようになったのだった。
 少しでも湧き上がる羞恥を抑えるため、フードは今のエリンにとって大事な盾として機能している。無理に下ろさずとも、そのうち自然に外すだろうと、ラハもそれ以上の言及は避けた。
 
 ゴールドソーサーの門をくぐると、嫌味にならない程度に落ち着いた金色の空間が二人を迎え入れた。慣れた様子の客は、受付にあるミニくじを早速引いてみたり、各々の遊びたいフロアに向かって行く。
 一方で、今日のエリンはラハの手を引いて、エントランスホールの端に移動した。
(ラハと一緒に……その、デートにきた、とはいえ、ゴールドソーサー初体験の人にちゃんと説明するのも大事な役目だよね)
 心をぐっと引き締めて、エリンはラハに相対する。
「えっと、まず、この施設内の通貨について教えるね。ゴールドソーサーには施設内だけで使える通貨があるの。何かゲームをしたり、遊んだりするときも、通貨を少し支払って始めるってことが多いんだけど、初めて来た人は通貨を持っていないから、外の貨幣を使って少しだけ購入することができるって決まりになっているんだ」
「そうなると、好きなだけギルで買えるってわけじゃないんだな」
「うん。一定量しか交換はできないから、あとは施設内のゲームとかアトラクションを楽しんで増やしてほしいってことみたい。基本的に、支払った分を上回るような損をすることはないから、時間さえかければ少しずつ増えていくはずだよ」
 他にも、施設内貨幣――ポイントによってのみ購入できる景品があることや、施設内で突発的に開かれるイベントがあることなどをエリンは簡単に説明していった。
 この手の説明は、新米冒険者が初めて施設に訪れたときにも、何度かしていたはずだが、どうにもラハが相手だと普段のようにはいかない。いつもよりも少し早口になっていたのは、緊張であがっているからでもあるだろう。
 言われた通りにいくらかのポイントをギルで購入したラハは、掌に置いた見慣れない形のメダルをしげしげと眺めていた。
「じゃあ、早速だけど、ドマ式麻雀を教えてくれないか。それも、このポイントっていうのを使って遊ぶのか?」
「ドマ式麻雀は、ポイントを使う必要はないの。東方の人たちが、遊びを広めるために持ってきたものだから、ゴールドソーサーの公的な遊戯というよりは、間借りして遊びに触れられる場を用意しているって感じなんだって」
「他国の遊戯に触れる場を設けて、異国との交流を遊びという形で取り入れているのか。ここのオーナーは、広い見識を持った人なんだろうな」
「う、うん。まあ……そうだね、先を見通して色々なことを考えてる人ではあるよ」
 ただ、少々行動がユニークな人ではあるけれど、とエリンはこっそり内心で付け足す。
 話をしている間に、いくつかの廊下を抜け、階段を登った先に、ドマ式麻雀が置かれたテーブルが並ぶ一画があった。近くにはバーや団欒のスペースもあり、たとえ麻雀で遊ばなくても、寛ぎながら異国のゲームを遊ぶ人を眺められる場所にもなっている。
「こんにちは、冒険者さま。あら、先日の方とは違う方とご一緒されていますね。今回は、そちらの方と?」
 先日、数名の冒険者と共に盛り上がっていたエリンを覚えていたらしい。東方で見られるアオザイと呼ばれる衣装を身につけた黒髪の女性が、静々とエリンの元へとやってきた。
「はい、そのつもりです。でも、彼はルールを知らないので、まずは私が教えようと思うんです。簡単な初歩の初歩の部分だけのつもりですが、もし間違っていたら教えていただけますか。あと、詳細なルールが書いてある説明書を一冊もらえますか」
「かしこまりました。ただ、少々文字量が多いので、ここで読み切るのは大変かもしれませんよ」
「構いません。それに、彼は文字を読むのが早いですから、私たちが準備をしている間に読み切ってしまうかも」
 流石にそれは買い被りすぎだと、ラハは謙遜の苦笑を返す。
 エリンと案内係の女性から説明書をもらい、二人が麻雀のための準備を始めているのを横目に、ラハは早速説明書に目を通し始めた。
 文字を読むことに関しては、賢人の称号を得たものとしての自負もありなかなかのものであるとは自覚している。しかし、見知らぬ遊戯の説明書というものは思った以上に難しい。知らない単語が当然のようにどんどん増えていくので、まずは単語の定義を頭に入れていく必要があるからだ。
 そうこうしている内に、エリンが手招きしているのが見えて、ラハは説明書の熟読を一旦中止し、彼女へと近づく。
「ラハ、説明はどこまで読めた?」
「牌の名前と、あとは最初に書いてあった基本のルールのところだけだ。同じ柄の牌を三つ揃えたり、数字が繋がるように同一の柄で三つ揃えるのが基本的に必要なこと、と書いてあったな。そうやって揃えていった三つの牌でできた一組を組み合わせることで、役っていうものができるってのは分かったんだが、その後がまだ読めてない」
「じゃあ、もうちょっとだけ追加で補足するね。ラハが言うように、役を誰が一番早くに揃えられるかっていうのが、このゲームの勝利条件なの。自分の番が回ってきたときに牌が一つもらえるから、手持ちの牌を捨てて貰った牌を手持ちに加えるか、もらえる牌が必要ないならそのまま捨てちゃうかのどちらかを選んだら、自分の手番は終わり。後は、次の人が同じことを繰り返していく……って流れだね」
「決められた形を揃えるために、手元に配られた手札を見ながら、どれを残してどれを捨てればいち早く勝利に近づけるか考えないといけないってことなのか」
「そういうこと。役の得点とかも大小があるけれど、今は気にしなくていいと思う。先に私が練習用のマメットたちと一度誰かがあがるまでの過程を実演してみるから、ラハは後ろで見ていてくれる?」
 案内係の女性が持ってきた椅子に腰を下ろし、ラハはエリンの手元にやってきた牌の列を眺める。
 魔法人形のマメットたちは機械的に麻雀だけをするように作られているので、ラハがエリンの手持ちを見て質問をしていても、エリンが手札の説明をしても、マメットが進めていくゲームには影響が出ない。
「これ、あまり数字は揃っていないように見えるな。そうなると、なるべく近い値の数字を残して、他を捨てながら様子を探っていくことになるのか? そういえば、こっちは?」
 ラハが指さしたのは、何も絵が描かれていない牌や、『東』や『北』というドマ様式の文字が描かれた牌だ。
「これも、三つ揃えたらいいのか?」
「うん。でも、これは数字が描かれた牌とは違って、三つ揃えないと効果が発揮されないの」
「数字じゃなくて文字だものな。上下のつながりがないってことか。でも、それなら、揃えるのは数字より難しいんじゃないか?」
「私、それに気がつくのにラハより時間がかかったよ。ラハの言う通り、数字なら三つ揃えるか、上下に繋がる数字があれば一セットになってくれるけれど、字牌は三つ揃えるのが基本だから、揃いにくいんだよね」
 特殊な役ならその限りじゃないけれど、と言い置いてから、エリンは自分の手元にあった北と描かれた牌を表にして麻雀台の所定の位置に置く。それが捨てる、ということなのだとラハも一歩理解を進める。
「じゃあ、字が書かれた牌はあまり手元に残さない方がいいみたいだな」
「そうだね。私も、最初はとりあえずの感覚で捨てちゃうかな。数字の牌で揃える方が、役ができる確率が高いわけだから」
 話をしながらも、エリンとマメットたちの間では牌が目まぐるしく行き来する。見慣れない行動が入るたび、ラハはエリンに質問をして、少しずつルールを吸収していった。
 聞けば、マメットと参加者が協力して一緒に打つことも可能で、その場合はマメットがどの牌を残すべきか教えてくれるらしい。玄人相手では難しいが、素人同士ではマメットに教えてもらいながら遊ぶことはそこまで珍しくもないということだった。
 そうこうしている内に、マメットのうちの一体が「リーチ」と甲高い声で言う。
「これは、オレも聞いたことがある単語だな。勝ちそうとか、手札が揃いそうってことだろ?」
「うん。あのマメットは、狙っている牌が一つ手元に来るか、捨て牌として対戦相手の手元から離れたら、勝者になることができるって状態になってるってこと」
「確かに、これはハラハラするな……。これからどうするんだ? 仕掛けるのか?」
「麻雀では、相手に挑戦するようなことはないんだけど、相手が勝たないように調整することが『仕掛ける』ことになるかも」
 よくよく見ると、リーチと叫んだマメットはこれまでのような牌を捨てる時に見せた思考の時間がなくなり、機械的に牌を捨て場に置いていっている。取捨選択の余地はもはや無いと言わんばかりだ。
「もしかして、リーチって言った状態のときにできた役以外を目指すことってことは、もうできなくなってしまうのか」
「そういうこと。リーチって言った時点で出来そうだった役に縛られるっていうのかな。だから、役を作ってくれる最後の一個が来るまで、あのマメットは牌を捨て続けなければならないってルールなんだ」
「でも、そうすると、あのマメットが何を欲しがっているかって、手札が見えなくても予測できてしまうんじゃないか?」
 ラハとしては何気ない思いつきで口にした内容であったが、エリンは色違いの両目を丸くして、「そうなの!」とわくわくした調子で声をあげた。
「対戦相手が捨てるものを見て、相手は何を欲しがってるのかなとか、どんな役を作ろうとしてるのかなって想像するのが麻雀の醍醐味だって、私は思ってるの」
「あんたが興奮しているのも分かる気がするよ。最初は運が強く絡むゲームなのかと思ったんだが、駆け引きと推理も必要になるゲームなんだな」
「でも、最後には運が勝つこともあるよ。ほら」
 エリンの指差した先、先ほどリーチといったマメットが手元に渡された牌を手にすると、ゆっくりと己の手札を倒してみせた。どうやら、渡された牌で役が揃ったようだ。
「なるほど。これは、確かに運も絡んだ勝利だな」
「偶然、牌が手元に来るときもあるからね」
 案内係がマメットの牌を覗き込み、役を読み上げていく。どのような揃え方か、どんな牌が含まれているか、点数に繋がる特殊な牌があるか、などが最終的な計算には必要となるらしい。
「これは確かに、一朝一夕で全部覚えるのは難しいだろうな」
「でも、基本の揃え方さえ覚えていたら、遊ぶこと自体は難しくないの。私は役を全然覚えられなくて、いつも審判のお姉さんに読み上げてもらっているんだけど、思いがけなくすごい点数がついて驚くこともあるんだ」
「そうしているうちに、いつかは全部覚えられるってことか。……よし、大体わかったからオレも加えてくれないか?」
「じゃあ、マメットたちと一緒にやってみようか。すみません、仕切り直しをお願いします」
 案内係の女性は、手早く先ほどまでのゲームの場を崩し、改めて牌を配り直していく。
 エリンとて、麻雀の初歩的なルールを知ったのはつい数日前のことだ。先達のように偉ぶって教えてみたものの、実際は自分の役をなんとか揃えるのに精一杯であった。
 対局が進むうちに、ラハもなかなかの手強さを見せるようになった。教えてもらったルールを元に、あれこれ試してみながら、彼は彼なりの勝利の道筋を見つけ出そうとしているようだ。
 時に思いがけない振る舞いをしてみせながらも、何度かの対局では勝ちを拾い、エリンをあっと言わせていた。
 最後にもう一試合。そうやって始まった対局は、可もなく不可もなしといった様子で最終局面に至っていた。しかし、
(あ……これってもしかして)
 エリンは、最初の手ほどきの際に、字が描かれた牌は揃いにくいとラハに説明した。だが、気まぐれな運命の女神が糸を操り、偶然字の牌が手元に複数揃うこともある。今回のエリンが、まさにそれだ。
 手番を進めながらも、順調に牌は揃っていく。後一つ、『東』の牌が手元にやってきたなら、定番の揃い方とは異なる形で勝つことができると思うと、エリンの中でじわじわと緊張と期待が高まる。
 すぅと息を吸い込み、エリンは顔を上げた。
「リーチ!」
 一声口にすると、ラハの瞳が軽く見開かれた。彼の真っ赤な双眸には、どんな勝ち方をするのだろうという期待が満ちていて、エリンはなんだか恐縮してしまう。
 もちろん、たかだか麻雀でそんなにも期待を寄せなくてもという苦笑混じりの気後れもあるのだが、もう一つ理由もある。エリンは手元の牌を見やってから、ちらりと、自分の斜め前に座っているラハへと視線を送った。
(字の牌は、揃いにくいから捨てた方がいい……って言った矢先にこれなのは、申し訳ないのだけれど)
 幾度かの手番を経ながら、エリンはちらりとラハを見やった。
 ラハの視線が、ゆっくりと自分の手元へと向かう。暫しの躊躇の末に場に置かれたのは、エリンが求めていた『東』の牌。
 それを目にして、エリンは若干の気まずさを覚えながら、己の勝ちを宣言した。
「ロン。ごめんね、ラハ。その牌を待ってたの」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返していたラハは、数秒後、敬愛する英雄の勝利に破顔してみせた。だが、その数秒後に審判員の女性が示した差し引かれる点数の数を見て、目を丸くしていたのだった。
 
 その後もしばし対局は続いたが、エリンがラハを完膚無きまでに打ちのめしたときに引かれた点数があまりに大きかったため、ラハが勝ち上がることは叶わなかった。
 エリンとしては、初心者に手解きをしつつ、教えた相手から毟り取るような結果になったので、居た堪れなさもあったのだが、当の本人は全く気にしていないようだった。
「さっきの凄かったな! さすが、オレの一番の英雄だ!」
 すぐそこのバーで買ってきた酒精抜きの果実水を片手に、ラハは興奮冷めやらぬ様子で先だっての一戦について盛り上がっていた。
「エリンがあんな形で揃えているなんて、思いもしなかったよ。後ろから不意打ちを喰らった気分だった!」
「不意打ちを喰らったと言いながら、なんだか楽しそうだね」
「そりゃもちろん、英雄と本気で手合わせできるなんてなかなかないからな!」
 結果は敗北ではあったが、ラハは純粋に勝負そのものを楽しんでくれたらしい。
 彼の喜ぶ様子を見ていると、エリンも先ほどまであった居心地の悪さがゆっくりと氷解していくのを感じた。
「今度やるときは、絶対負けないからな。そうだ。次はエスティニアンやタタルたちを巻き込んでみたらどうだ? ヤ・シュトラもきっといい勝負をしてくれそうだ」
「タタルさんは、ドマ式麻雀強そうなんだよね。クガネに滞在していた時間で、しっかり身につけていそう」
「麻雀は奥が深い遊びなのは分かったが、あくまで遊戯だろう。タタルってそんなに遊戯好きだったか?」
「麻雀って、大人が遊ぶことが多い遊戯なんだって。商談の後に一局とか、宴会の後に好きな人で集まってやるとか、そういう場面も多いみたい」
 エリンの説明を聞いて、ラハの脳裏にもすぐさま麻雀卓に嬉々として座るタタルの姿が想像できた。敏腕商人である彼女のことだ。異国の商人の心を掴むために、麻雀も交渉術として嗜んでいる可能性はかなり高い。
……それを聞くと、タタルには負けそうな気がする」
「私も、タタルさんには勝てる気がしない……
 タタル本人は、戦闘を不得手とする一介の商人にすぎないはずだ。しかし、ここ最近の活躍も相まって、エリンの中では『何でもできるタタルさん』になりつつあった。
「ともかく、麻雀が楽しいことは分かったよ。あんたがあんなふうに目を輝かせるわけだ」
「い、言っておくけれど、麻雀ばかりして遊んでいるわけじゃないからね! ゴールドソーサーの他の遊戯も遊んでいるし、もちろん遊んでばかりというわけでもないし……
「ははっ、分かっているよ。そうだ。せっかくだから、エリンのおすすめの遊び場所を他に見せてくれないか?」
 ぐいっとドリンクの入ったグラスを飲み干すラハ。彼に合わせて、エリンもちびちびと飲んでいた飲料を喉の奥へと流し込む。サボテンダーの実を使った、とまことしやかに噂されているドリンクは、少し甘みが強かった。
「じゃあ、次は気軽に遊べるゲームを紹介するね。難しいルールもないから、ラハもすぐ遊べると思うの」
「よし、任せてくれ! 今度は、あんたに負けてばかりじゃないからな!」
 グラスをバーに返してから、エリンはフードの猫耳を揺らしながら、階下に置かれているゲームコーナーへと向かった。
 
 ***
 
 その後、二人はゴールドソーサー内の各地に置かれたゲームの中から、ラハが気になるものやエリンのイチオシのゲームを片っ端から体験していくことにした。
 カードゲームのような知恵を巡らせる遊びもあれば、施設内を廻るコースターに乗って的当てをする大掛かりな仕掛けの遊び、体力を使う意外と肉体派の遊びもあった。
 高台まで登るアスレチックでは、思いがけなくラハの身体能力の高さを目にして、エリンが目を丸くする一幕もあった。
「このぐらい、戦闘のときにも見慣れているだろ?」
「そうかもしれないけれど、でも戦闘のときにこんな高いところまで一直線に登っていくことはないでしょう?」
「それは、まあ……確かにそうだな」
 施設内の中でも、自然の山を模した一角。その山の頂上に難なく登りきったラハは、隣に座るエリンを横目に見る。エリンも高台に登ったのが久しぶりだったようで、区画の中央にある人工山から見える景色を楽しそうに見つめていた。
 アスレチックの最中で汗をかいたからか、エリンは自分の顔を隠していたフードを下げている。施設内を緩く巡る空調が、エリンのミルクティー色の髪を優しくたなびかせていた。
「次はどこに行こうかな? この時間なら、そろそろチョコボレースを見に行ってもいいかもしれないし、ロードオブヴァーミニオンの戦いを観戦に行っても楽しそうかも」
 あれこれと次の予定を組んでいるエリンの横顔を、ラハは目を細めて見つめる。彼女の瞳には、まるで子供のような輝きが満ち溢れていた。これは、冒険の時の期待と緊張の入り混じったものとはまた違う輝きだ。
(あんたが、そんな顔を見せる場所がここなんだな)
 英雄のことなら何でも知っているつもりだった。けれども、今隣で笑っている彼女の横顔には、ラハの知らない笑顔が浮かんでいる。
 それを残念に思っているわけではない。寧ろ、自分が知らない彼女の一面を知れて、純粋に嬉しいと思う。
 考えてもみれば、ラハがエリンの旅路に加わってから、無心で娯楽を楽しむ時間など無きに等しかった。次から次へと問題が矢継ぎ早にやってきて、それらに一つ一つ対処している間に、いつの間にか星を救うなどという大それた結果になっていたのだ。
 だが、今は差し当たって急がなければならないことはない。だからこそ彼女もゴールドソーサーに足繁く通う自分を受け入れられているのだろう。
「ねえ、ラハ。ラハはチョコボと魔法人形たちを使った集団戦闘ならどっちが見たい?」
「じゃあ、魔法人形の方の方を見物させてくれないか。これでも賢人だからな。どんな仕組みで魔法人形たちを操っているのか、興味があるんだ」
「了解しました、ではご案内しますね」
 ぱっと立ち上がり、案内員の真似をして仰々しく一礼するエリン。彼女が差し出した手に、今度はラハの方から手をのせたのだった。
 
 ***
 
 かくして、丸一日をゴールドソーサーで過ごしたラハたちは、ぐるりと施設内を一周した上で玄関にあたるエントランスホールに戻ってきていた。遊んでいく過程で溜まっていった施設内貨幣ことポイントを交換するためだ。
 エリンはともかく、ラハは自分がそう頻繁にゴールドソーサーに行けるとは思っていなかった。ならば、楽しかった今日の思い出としてポイントを交換しておこうと思い立ったのだ。
「せっかくだから、エリンへの贈り物にしたいんだけど……何かいいものはあるだろうか」
 口元に手を当て、うーんと考え込む。自分が得たポイントはさほど多くはなく、高価な特別製魔法人形や特別な装身具などは選べそうにない。カウンターでうんうんと悩んでいると、
「お客様。お連れの方への贈り物でしょうか」
 受付から、すっと人影がさした。視線を机上の品書きに落としたまま、ラハは「そうなんだ」と肯定する。
「あちらのベンチに座っていらっしゃる、ミコッテ族の女性に向けたものでしょうか」
 再びラハが頷くと、「それでは」と人影が一度机上から消える。すぐに戻ってきた影の主は、机の上にあるものを置いた。
「こういったものはいかがでしょうか?」
「何かおすすめのものでもあるのか……って、これは……!?」
 おい、ちょっと待ってくれ――と、喉からそんな声が飛び出しかける。
 受付の男が置いたもの。それは胴体部分に沿うように作られた、ぴったりとしたシルエットの衣服だった。首から胸元にかけては布がなく、代わりに襟元には大きな蝶リボンがついた襟が付属品としてついている。
 それは、ゴールドソーサーの従業員が身につけている制服の一つ――バニースーツと呼ばれるものであった。
「女性の方には、意外と人気な品でしてね……。もちろん、男性から女性への贈り物としても、賞賛の言葉を頂戴しております」
「それは確かに、そうかもしれないが……いや、流石にこれを彼女に送って着てもらうのは……
 普段から厚着をしていることが多い彼女が、肌を露わにしたバニースーツを着る。
 なるほど、それは確かに胸が躍る姿かもしれない――と思いかけた自分を、ラハはぶるぶるとかぶりを振って追い出す。
「彼女がどう思うかはともかくとして、周りからの視線に耐えきれない気がする……
「そうですか。ではやめておきましょう」
 バニースーツをしまった受付のエレゼン族の青年は、よほどこれを気に入っているのか、彼自身もバニースーツを身につけていた。
 男性でバニースーツを身につけている従業員が少ないからこそ、彼の本気の度合いも想像できるが、流石にこればかりはラハも受け入れるわけにはいかなかった。
(もし、エリンにああいう格好をさせたってヤ・シュトラやクルルにバレようものなら何て言われるか。サンクレッドも、エリンを妹か親戚の子みたいに思っている節がありそうだものな)
 暁の血盟に入った新人として、仲間内で孤立するのは避けねばならないと、ラハは邪な思想を追い払ったのだった。
 結局五分ほど悩み続けても、これぞ思い出の品にふさわしいと思うものを見出せず、ラハの尻尾は垂れ下がるばかりとなっていた。すると、バニーの受付は「こちらはどうでしょう」とあるものを指さす。
「確かに、それも考えたんだが……無難すぎないか」
「ええ。もっとも一般的な土産の品です。定番の品と言い換えても構いません。ですが、楽しい日の思い出の品というのは、品そのものの価値よりも、どうやって過ごしたかを思い出すきっかけになるかどうか、が重要だと思いますよ」
 受付が指さした定番の品――それは、セニョールサボテンダーというゴールドソーサーのマスコットキャラクターのぬいぐるみだった。ラハとエリンも何度か施設内で見かけ、時にはコミカルな仕草に笑いを誘われ、挨拶を交わしてもいる。
「当たり前のように目にしていたけれど、確かにこのサボテンダーはゴールドソーサー以外では見かけないものだな」
「はい。ゴールドソーサーといえばセニョールサボテンダー。どこかでそんな風に思っていただけているのでしたら、こちらのぬいぐるみも良い思い出の品になるかと思います」
……うん。確かに、あなたの言う通りだと思う。じゃあ、これとポイントを交換してもらえるだろうか」
「かしこまりました。それと、お客様。差し出口ながら、もう一つアドバイスを」
 受付の男は、包装されたぬいぐるみをラハに渡しながら、クイっと口元を持ち上げる。
「贈り物というのは、物そのものと同じくらい、渡すときの状況も大事と聞きます。よろしければ、施設内でも人気の少ない特別な場所をお教えしましょうか?」
 
 ***
 
 結局、ラハは受付の男が教えてくれた場所を使うことはしなかった。
 というよりも、できなかった。
 なぜなら、教えて貰った人気の少ない通路の一角では、すでにエレゼン族のカップルと思しき男女がしっかと抱き合っていたからだ。誰も見ていないよ、などと男の方は嘯いていたが、ラハもエリンもしっかりと二人の姿を目撃しており、何とも居た堪れなくなって、逃げるように退散したのであった。
 ゴールドソーサーからウルダハに戻る定期便の船内で、一日中遊んではしゃぎ疲れたらしい英雄は、ラハに体を預けて眠りこけてしまった。
 到着してもエリンが起きる気配はなかったので、ラハはすっかり眠ってしまった少女を背負って、先んじて予約してもらっていたウルダハの宿に彼女を運んだのだった。
「うーん……ラハ、それ捨てたら負けちゃう……でも、りーち……
「夢の中でも麻雀をやっているのか。随分とハマっているんだな」
 エリンを寝台に寝かせると、むにゃむにゃ寝言を漏らしながらエリンは寝返りを打つ。今日の対局を思い出してか、彼女の眉間には少しだけ皺が寄っていた。
 ラハはそっと指を伸ばし、彼女が起きないように眉の間の皺を伸ばしてやった。
 ラハの配慮をよそに、エリンの手は何かを探すように動いている。彼女は、小さい頃からそばにいる誰かの尻尾を握りしめて寝る癖があると知っているため、ラハは尻尾を掴まれないようにそっと自分の足の間に逃した。
 ここで尻尾を掴まれてしまっては、ラハは床で寝るか、同じ寝台で寝るしかなくなってしまう。一人ぶんの寝台を二人で使っては狭苦しくて二人ともよく眠れないであろうし、わざわざ衝立越しに一人ぶんの寝台を二つ並べた部屋を用意してもらった意味がなくなってしまう。
 代わりに、ラハはベッド脇の文机に置いていたものを、エリンの腕の中に滑り込ませた。
 それは、受付で交換してもらったセニョールサボテンダーのぬいるぐみだ。
 シルクハットとスーツを身につけたユーモラスのサボテンダーのぬいぐるみは、エリンのお眼鏡にかなったらしい。ぬいぐるみをしっかと抱えた彼女は、とても満足そうだ。
「ありがとう、エリン。今日は、あんたと一緒に過ごせて楽しかったよ」
 お互いに忙しい身だ。毎日遊びまわるというわけにもいかない。それでも、束の間の特別な休息の時間は、ラハにとっては忘れられない思い出の一ページとなった。それは、きっと、エリンにとってもそうであろう。
「また明日、起きたら今日の思い出話でもしようか。帰るまで、もう少し時間があるだろうからな」
 返事の代わりに、エリンは再び意味のなさない音を漏らしていた。彼女の子供のような寝姿に、ラハはたまらず笑みをこぼす。
「おやすみ。オレの一番の英雄」
 エリンの前髪を片手でそっと払い、額に唇を寄せる。触れるか触れないかの触れ合いを終えて、ラハもまた、自分の寝台に潜りこんだ。
 一日中遊び回って疲れていたのは、ラハも同じだ。彼もまた、布団を被せて一分もしないうちに眠りにおちていった。
 
 そのため、彼は気づくことはなかった。
 セニョールサボテンダーのぬいぐるみを抱きしめた英雄が、暗闇でもわかるほどに赤くなっていたことに。