2025-06-12 00:43:28
5338文字
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可愛くなったきみ

さいきん可愛くなったアゼちゃんにもやっとするエメ

 きらりと光ったそれをつい目で追った。元より血色のいい色合いをしているそれが、まるで花びらのような春の色に染まって光にあたるたびに艶やかに光っている。濡れているようだな、とぼんやりと考えながら小さく吐いた息はきっと、春にふさわしくないほど重たいものだ。
 ふと、引き止めるために手を引いた時のことを思い出す。やけにするりとした肌触りに驚いて、その爪が淡い色合いに染まってることにも驚いた。そんな、こまめな手入れをするような性質でもないくせに。
 並んで歩く時にふわりと香るのが彼女本人だけではない匂いで、花とハーブが混じった清潔感のある匂いはよく似合っているけれども、とぼんやりとした靄が心を覆うのだ。
 綺麗になった、と。人は言う。人の見目など星の行方に関係のない事象であるのに。それでも人は美しいものを好む。人々の目に、彼女は綺麗になった、美しいと写るらしい。
「でね、そこで雷属性のエーテルを……って、エメトセルク? どうしたの」
 ふと見上げる顔を見る。仮面の奥でぱちんと瞬きをするその瞼にキラキラと光る物を見つけながら何がだ、と返した。
「んー、なんか、不機嫌? 変だよ、君」
 ぴんと伸ばされた指先がツン、とエメトセルクの仮面を突いた。やはりその爪の先は細やかに彩られている。ささくれがあっても気にしなかったはずの指先はしっとりと潤っていて、いつのまにかきちんと手を入れるようになったことを知っている。
「そんなことはない。お前の勘違いだろう」
「私が、君のことを勘違いすることなんてあると思うぅ?」
 随分と傲慢な主張だ。ほーら、エメトセルク専用お悩み相談係のアゼムさまだよ、なんて手に腰を当ててえへん、と胸を逸らす姿を少し見下ろして、無視をして歩き出す。こら、と戯れるように絡む腕を振り解けば、え、とやけに驚いた声が聞こえてついエメトセルクは振り返った。
 仮面の奥で瞳が丸く見開かれている。艶やかに濡れた唇はぽかりと開いて言葉は出ない。呆然と立っているアゼムに、ふと今までこうして腕を絡められて、即座に拒否したことはなかったな、とぼんやり思い至った。
「アゼム」
「ご、めん、そこまで機嫌悪いとは、思ってなくて……ごめん!」
 くるりと振り返ってそのまま走り出したアゼムの腕を掴みそびれた。細い手首に触れていいかの一瞬の迷いが悪かった。遠くなる背中を走って追いかけることができないまま、伸ばしたままの手をそっと握りしめ、息を吐いた。



「で、何? 喧嘩?」
 本来三人で約束していたはずの食事に現れたのはヒュトロダエウスだけだった。エメトセルクの悩みを聞いてあげてだって、とアゼムから言われた言葉をそのまま告げるヒュトロダエウスに、苦く息を吐き出すことしかできない。
「ワタシ、今回ばかりは何となくキミが悪いって思ってるんだけど」
……何を根拠に」
「アゼム、ちょっと泣きそうだったよ?」
 小さく呻気が溢れてしまった。自覚はあるのだ。あまりにも自分勝手な感情が悪く働いている。けして、アゼムにぶつけるどころか、気付かれるべきではなかった。
「いいよ。話を聞いてあげる。大体想像はついてるしね」
 全くもって、理解力のある友人である。エメトセルクは肘を突いて指を組むと、額を当てて俯いた。ゆっくりと息を吐く。少しでも、苦いものが減ればと願えども、心を埋めるそれは少しも抜けてくれなかった。
……最近、の。あいつはなんだ」
「なんだって、なにがだい」
 きちんと言葉にさせようとする。エメトセルクの示すあいつを誰かきちんと理解した上でだ。色々なことを諦めながら脱力する。どうにでもなってしまえばいい、と少しだけ投げやりに口を開いた。
……そもそも、身なりにあそこまで気を遣うようなやつじゃなかっただろう。あいつはよく話すから唇を彩ってもすぐ取れるくせに、こまめに直している。香ってるのは香油か? 近付かなくてはわからない程度のもの、誰に向けてつけてるんだ…… そもそも、ほんの少し身なりを整えてみたところで変わらないと言うのに、なぜ周りはこぞって口を揃えるんだ……
「ワァ、思ったよりもたくさん吐かれたな。え、香油使ってるの? 知らないなそれ」
 むすりと緩くなった口を噤む。肩が触れ合うほどの距離で香る程度だ。香油なのかどうかもわからない。ただ、それを付ける意味を考えては勝手に腹の中が煮え滾る。
…………お前は、あいつから何か聞いてるのか」
 ヒュトロダエウスは口を閉じて微笑んだ。彼は、アゼムにとっても良き親友なのだ。
「聞けば? 本人に」
「聞いてどうなる。もし、こちらの思惑に気付かれでもしたら」
「少なくとも、勝手に嫉妬して泣かせるよりはマシな結果になるんじゃないかな」
 泣いたのか。泣きそうだった、と言っていたじゃないか。呻き声しか出てこない。
 泣かせたいわけじゃないのだ。ただ、重たい物を抱え込んでいる。それをかけらも気付かれぬように隠し通したいだけなのだ。
「キミの考えを聞きたいのだけれども、キミがあの人に最近綺麗になったけどどうした?って聞いたら、あの人はどんな反応をすると思う?」
 口を閉ざす。目を閉じるだけで簡単に浮かぶ顔はこちらを見上げて無邪気に笑っている。
……どうにも。いつも通り、突拍子もないことを言い出すだけ、だ。あいつは何も、知り得ない」
 そうだ。どうやったって、アゼムはエメトセルクとそうなる可能性を考えない。アゼムにとってエメトセルクは代え難い親しい友なのだ。特別な、友人だ。
 顔を上げてグラスに手を伸ばす。すっかり水滴に覆われて濡れたそれを持ち上げて中身を一気に煽る。喉を焼くアルコールはそこそこの強さで体内を通っていく感覚を目を閉じてやり過ごす。
「今から行きなよ。本当に、随分とショックを受けてたよ」
 ここはワタシが奢ってあげる。そう笑うヒュトロダエウスに息を吐いて立ち上がる。ぱちん、と指を弾いてエーテルを解く。流れに身を滑り込ませて向かうのは行き慣れた場所だ。
 アーモロートの片隅にある高層居住区の一つ。ありふれた扉の前に姿を現して、ドアベルを鳴らす。エーテル登録がしてあって簡単に開くことは知っていても、夜という時間はあまり訪ねるに相応しくない。それでも、少しでも憂う感情を消してやりたかった。
 ドアが開いて、アゼムが顔を出す。ローブも仮面も付けてない寝巻きで、髪はしっとりと潤っていた。ふわりと香る甘い香りは昼間よりも強くて、ぐっとエメトセルクは唇を噛んだ。
「エメトセルク? こんな夜中にどうしたの」
……昼間は、悪かった」
「ええ? 何、急に。とりあえず上がって! 君、お酒結構飲んでるでしょ」
 アゼムがエメトセルクの腕を引こうとして、ふとその手が止まる。迷った末に引っ込められそうになったその手をエメトセルクから掴んでやれば、アゼムは驚いた顔をした。けれどもそれはすぐにとろりと嬉しそうに崩れる。アゼムはしっかりと手を繋ぎ直すとエメトセルクを引っ張って部屋の中へと招いた。
 小さなソファーに座ると、繋いだ手が離れてアゼムがパタパタとキッチンに向かう。すぐにマグカップに香りのいい温かいハーブティーが用意されて出てきた。アゼムはいそいそとエメトセルクの隣、肩が触れて肘がぶつかる距離に座ると、マグカップを抱えてふう、と息を吹きかけている。その爪はやっぱり、ほんのりと淡い色でツヤツヤと染められていた。
「で、どうしたの?」
 エメトセルクを見つめながらアゼムが少し首を傾げる。その瞼も唇も、昼間のようなきらめきはない。肌はしっとりと滑らかだが、ありのままの彼女のようだった。しかし甘く爽やかな香りは昼間よりほんの少し強く感じる。
……昼間の態度は、よくない物だった。すまない」
「えー、いいのにわざわざ。……私、さぁ。距離、近過ぎたり、する? 君、イヤじゃない?」
 すっと目を伏せるアゼムの肩を掴む。まだ、友人の距離だ。変わらない。大丈夫だ。
「それを不快に思ったことはない。お前はそういうものだろう。昔からのことだ。慣れた」
「慣れちゃったかぁ」
 それを、エメトセルクだけにしろ、とは言えない。代わりにエメトセルクは少しだけ深呼吸をして口を開く。
……最近、だが」
「ん?」
 首を傾げたアゼムがエメトセルクを見つめる。ほんのりと血色のいい肌は艶やかで、少しだけ目に毒だった。
「やけに、身なりに気を使うようになっただろう、お前」
 ぱちん、とアゼムが瞬きをする。エメトセルクが肩を掴む手を動かしてアゼムの手を取る。指先の彩りが双方に見えるようにしたところで、何となく気まずさを覚えて手を離し、エメトセルクはマグカップに手を伸ばして口を付けた。
「エメトセルク、そういう変化ちゃんとわかるんだ……
「お前人を何だと思っている」
「何も言わないし、全く気付けないタイプかなって。他の人にはね、かわいいとか似合ってるとか結構好評なんだ」
 ひたり、と動きを止める。溢れそうになったマグカップを慌ててテーブルに戻して、エメトセルクはアゼムを見た。
 かわいいと。似合うと、言われたのだ。誰かに。それをよろこんで受け入れている。
「ねっ、前と比べてどう? エメトセルク的には」
 ぱっと笑ってアゼムがエメトセルクを見上げる。昔から変わらない、あどけない笑顔だ。
 比べて、か。何を言ったって、感情が滲んでしまう。けれども結局、嘘はつけない。
「どう、とも」
 アゼムの目が丸くなる。少し寂しそうにそっか、と呟くアゼムに言葉が少なかった、と気付いて慌ててエメトセルクは口を開いた。
「何をしたって、変わらないだろう。私から見るお前は、お前でしかない」
「ええー……リップとか、可愛くない? エメトセルクは好みの色とかないの?」
 必死に溢れかけた呻きを噛み殺す。好みを、聞くな。
「特に」
「特にって……じゃあ、どうやったらもっと可愛くなると思う?」
「何をしたって、そのままで充分じゃ、」
 喋り過ぎた、と咄嗟に口を噤む。そしてすぐに、正しくアゼムがそれを理解するわけがない、と不自然に切れた言葉を補おうとして。しかし、驚愕に見開かれたアゼムの顔を見て、エメトセルクもまた止まってしまう。
「なんか、それって」
「おい」
「ありのままの、私をかわいいって、思っ」
 咄嗟に手を伸ばしてアゼムの口を塞ぐ。こんな時に、正しく感情を察知するなと怒鳴りつけたい。しかしそれを口にするのも難しい。心臓がやけに速い。エメトセルクが考えあぐねていると、アゼムが両手でエメトセルクの手を掴んで口から離させる。そのままぎゅう、と握りしめて俯いた。
「じゃ、あ。どうすればいいの」
「アゼム、手を離せ」
「どうすれば、君にもっとかわいいって思わせられるの……
 わかんないよ、と震えた声で吐き捨てられて、それを最後まで聞いて、エメトセルクの思考は固まってしまった。
「今までのままじゃ、変わらない……何したって変わらないのなら、もうどうしようもないじゃん。君は、私のこと、親友としか見てくれない……
 それは、即ち。
 エメトセルクは空いた手を伸ばすとアゼムの顎を掴む。え、と声を驚いて身を引こうとするアゼムの顔を無理矢理上げさせて、そのままその唇に噛みついた。
 何も塗られてなくても、充分に甘い。驚きに開かれたままの唇の隙間から舌を捩じ込んで、驚くアゼムのそれに絡めたところで、強く胸を押された。素直に距離をとってやれば、真っ赤な顔をしたアゼムがか細い悲鳴をあげながらソファーの端へ逃げようとするので、背中に手を回して引き寄せる。それでも必死に腕を伸ばして距離を取ろうとする姿は、珍しい物だった。
「まっ、ひゃ、えっ……なに!?」
「お前が悪い」
「なにがぁ!?」
 八つ当たりだ。引き寄せて抱き締めて、唇に触れた耳を軽く噛めばアゼムは大きく身体を震わせて、また抵抗を始めた。
「噛まないで! まって、その前に今ちゅーした!?」
「お前が、まるで私を誘惑したいかのように言う」
……っ、それはぁ、真実、だけど……!!」
「今更何をしたって、変わらない」
 びくん、と震えた身体を強く抱き締めて名前を呼ぶ。アゼムじゃない、彼女の名前だ。
「ずっと、ずっと。昔から」
 彼女がアゼムになるよりも、ずっと前からだ。
「お前が何をしたって、私は、それを」
 ハーデス、と震えた声が響いてアゼムが抵抗をやめた。
 昔から、ずっと。この星で一番可愛らしいと、綺麗だと、美しいと。エメトセルクの一番は、変わらないのだ。
 抵抗をやめたアゼムを遠慮なく押し倒して、エメトセルクはアゼムの名前を呼ぶ。きっと、勘違いではないのだ。
 だから素直に、告げてやる。
「何をしても、しなくても。お前はずっと、愛らしい」
 ぶわり、と真っ赤になって涙目でアゼムがエメトセルクを見上げる。そうしてエメトセルクは知るのだ。案外、そう言った表情によって彼女のかわいらしさは増えるものらしい、と。