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娘の心は猫の瞳

スリラーバーク過去話。良いパパと良い子



 此処は昼夜の差があまり無いスリラーバーク。太陽の光を遮る濃い霧の中で、メインマストが見え隠れしている。そのメインマスト下にある大きな屋敷の中、モリアのダンスホールにこの地を統べる怪人たちが集まっていた。

 今は夜討ちの時刻でもない、ただ何て事はない集まりである。この地全ての支配者であるモリアが『チェスをやりてぇ。けど面倒臭いからお前らがやれ』と、アブサロムとホグバックに命令をしたのだ。
 単なる手慰みの遊びでも他力本願。そんなものぐさ極まる主人に慣れっこな二人は、すぐにダンスホールへ机とチェス盤を持っていき言いつけ通りにした。モリアはどちらに味方するでもなく観戦をして、時々ヤジを入れたりして楽しんでいる。
 ご機嫌な呪いの歌が聴こえそうな和気あいあいとした空間。そこへ駆け寄る足音が響いてきた。

「モリア様っここに居たのか!ねぇ、今度の私の誕生日!プレゼント決まったぞっ!!」

 巻き髪のツインテールを溌剌はつらつと揺らして怪人の一人、ペローナが現れた。手には何やら冊子を握りしめている。元気に姿を見せた娘へモリアは、おぅ。と一言声をかけた。アブサロムとホグバックはチェス盤から目を逸らさなかった。どうやら勝負が良いところらしい。
 ペローナは小さな足を弾ませて歩き、モリアの元へ近づいた。持っていた冊子を手早く開き、ずいと頭上へ掲げる。娘お気に入りのゴシックなブランドのカタログだ。全く無駄の無い一連の動作に、溢れ出しそうな期待がありありと伝わる。モリアはそんな娘を見てニヤリと口角を上げ、提示されたカタログを指で摘みあげた。

「ま~たこのカタログか。お前は本当にこのブランドが好きだなぁ……ん、なんだ?服じゃねぇのか。このページ、アクセサリーしか載ってねぇぞ」
「そう!そのページで合ってるぞ。私ももう16歳になるだろ?そのモデルみたいなかわいいピアスが欲しい!ピアス開けたいんだ!」

 ペローナが目を輝かせて喋る。両手を頭上高くに居る主人へ振って、嬉しそうにアピールする。
 けれどカタログを見るモリアの顔は、娘とは正反対の表情になった。

「ダメだ」

 ペローナのお願いをバッサリと一刀両断する返事が下された。おまけにモリアは持っていたカタログを娘に素っ気なく返す。
 ペローナは予想外の出来事に丸い両目を零れそうな程大きく見開いた。今までモリアからプレゼントの案を却下された事なんか無かったのだ。毎年面倒くさそうに返事はするものの、必ず欲しいものを用意してくれた。こんなにハッキリと拒否をされたのは初めてで、ペローナの頭は混乱する。到底納得できる返事ではない。爆発しそうな気持ちのまま、まん丸になった目と同じくらい口を大きく開けた。

「え、なっ、なんで?!!」
……お前痛いの苦手だったろ。それに、だ。お前のちいちゃい耳に穴なんか開けてみろ。そこから腐っちまうのがオチだぞ」

 モリアが両目を細めて言い放つ。終いには両腕を固く組んで顎を突き出し、さも不機嫌になりましたという態度を取った。そんなモリアを見て当然ペローナは、はいそうですね。という風にはならない。

「腐るなんて事ない!!ホグバックに開けてもらうから絶対綺麗に開けられる!」

 突然ホグバックへ強めのパスが回ってきた。勢いの増す父娘のやり取りに、まさに対岸の火事だと思っていたのに。火の手に巻き込まれた彼は狼狽え、勢い良くモリアとペローナへ顔を向ける。その隙にアブサロムが誰も注目していないチェス盤の駒をササッと動かした。

「ホグバックは美容外科じゃねぇぞ。そんなバカみたいな仕事させんな!」

 モリアがじとりとした目つきを娘へ投げて忠告する。口も曲げんばかりに呆れたという大男の表情に、ペローナは大人しくなるばかりか両目を吊り上げた。耳まで顔を赤くさせると、今にも噛みつきそうな勢いでモリアへ歯向かう。

「うぅ゛~~!!バカってなんだよ!!モリア様は私のかわいいを否定するのか?!ピアス開けたい!!!」
「~~~ッ!ダメなもんはダメだッ!!ペローナてめぇ!ご主人様の言うことが聞けないのか?!おれァそんなふうにお前を育てたつもりはねェぞ!!」

 ペローナの咆哮を受けてモリアが牙を剥き出しにして怒鳴った。売り言葉に買い言葉だとしても、モリアが出す強い圧はただ傍観していたアブサロムとホグバックさえも縮み上がらせた。微動だにしなかったのは涼しい顔をしてお茶を運びにやって来たシンドリーだけである。

…………ッ!!もういい!!!」

 モリアの圧にペローナは何とか耐えて負けじと叫んだ。けれど燃えていた両目はうるうると揺らめいてしまった。身体も震えてしまっている。このダンスホールへ来た時とはまた違う活気を持って踵を返すと、モリア達の前から走り去ってしまった。
 
 小さくなるその後ろ姿にモリアはむっつりと口を閉じたままだった。主人がだんまりなら、その名を冠するダンスホールも静寂に包まれる。そこへシンドリーが熱いお茶を少々乱暴にホグバックへ注いで、アッッツ!!!という静けさを破る叫び声がやけに響いた。


 ※

 
 ダンスホール下のペローナの自室。部屋の主は居るのに灯りはベッド際にしか点っていなかった。こんもりとしている布団がベッドで不格好な芋虫のように動く。ペローナが芋虫、もとい布団から頭を出し、近くの壁掛け時計を睨んだ。モリアとの一悶着から時刻は過ぎ夜になっていた。その間に娘のお供であるクマシーが声をかけてくれたが、うるさい!と追っ払ってからずっとふて寝をキメていた。

 大分と気持ちが落ち着いていて、ペローナは布団から頭だけ出していた体勢を起こす。ただし心がすっかり洗われたという訳じゃない。モヤつく気持ちのまま辺りを見渡した。ベッド上に放り出されているのは、お気に入りのぬいぐるみでもあるびっくりゾンビ。狸寝入りか本当に寝ているのか動かない。
 そしてその隣にあのカタログがあった。ペローナは両方を手繰り寄せて手に取る。

 片方の腕の中にぬいぐるみを抱き寄せて、もう片方の手でカタログを開いた。パラパラとページを捲ったら、憧れのピアスが載る箇所で手が止まる。
 モデルの耳元でキラキラと輝くそれを見ると、ペローナの心も同じく光るようにときめく。そして同時にチクリと誰かに刺された。その誰かの三日月のような笑みが頭に浮かぶ。

 ――モリア様は仕えるべき主だけれど、時に親としての顔も見せてくる。両方の立場で怒ってくるなんて。モリア様はワガママだ。
 
 そう感じると、ペローナの心でチクチクしたものがときめきを追いやっていく。

……ピアスかわいいな…………モリア様のバカ」

 すっかり毛羽立った気持ちは治まる術が無くて、ペローナに独り言をぽつりと言わせる。誰に対して言ったでもないのに、やたらと寂しく感じて抱えていたぬいぐるみを更に抱き込んだ。ムギュっとされたモコモコな綿の身体が身動ぐ動作をする。ペローナがそれに気づいて力を抜くと、ぬいぐるみが顔を合わせるように首を傾げてきた。

……あのね、ペローナ様。ご主人様が怒ったのは、きっとペローナ様のことが大事だからですよ」

 猫と兎が混ざったような顔を向けてぬいぐるみは喋った。優しく言い渡されたそれに、ペローナは返す言葉を見つけられない。迷う口につられ視線も彷徨えば、パッチワークをしてある額が目についた。そこに針が刺さっている。かわいいボタンを見つけたから縫い着けている最中だった。
 ――針。ペローナはある事を思い出した。

 ペローナがモリアの寝室にあるツギハギ人形を見て、羨ましくなり手芸を始めた時。針使いに慣れなくてよく怪我をした。指先にじわりと浮かぶ赤い玉に泣いていたら、モリアはすぐさま絆創膏を持ってきてくれた。彼には珍しく困ったような顔になって、ペローナに絆創膏が貼られると眉間の皺が消えていく。そして、良い子だと言って撫でてくれた。そんな事をしている間に、いつも血は止まっていたのだ。

 他愛ない昔の出来事がペローナの心のトゲを取り除いていく。ザラザラするそれが丸い柔らかなかたちになれば、モリアの事ばかり頭に浮かぶ。そして心の中から何かが染み出して、鼻がツンと痛くなる感覚が生まれた。
 
 ペローナがぬいぐるみを抱いたまま頭をかくりと下げた。瞬間、瓜二つの娘がその身体から抜け出して浮かび上がる。空中で手を羽ばたかせるように動かすと、天井目がけて飛んで行く。
 
 厚い壁をすり抜け目指す場所は、モリアの寝室だ。

 
 冷たい色の石畳から頭をにゅっと出すと、視線の先に小山があった。寝転がっているモリアの腹だ。大きくて文字通りの山で彼の顔すら隠している。
 床から生首が生えているような格好になっていたペローナは、勢いをつけて飛び上がった。寝ているかもしれない主人の顔を見ようとしたら、意外にもモリアは寝ていなかった。両目を細めて急に現れた娘を見つめている。

「よォ」
 平坦な声音でモリアがただ一言呼びかける。ペローナはほんの少し口を尖らせた。
……今日はここで寝る」

 ペローナが視線だけ逸らしてぽつりと呟くと、モリアは気だるそうに頭を搔いた。

「ハァ?お前いくつになると思ってる。んなガキのワガママみてェな事言うのは卒業だろ」
……モリア様もワガママを言ったんだから、私もワガママを言うぞ」

 ため息混じりなモリアの発言にペローナはすかさず切り返す。するとモリアの上下くっつきそうだった両目が満月になった。ギザギザの歯元が見え隠れして、あれは……、ウン。とままならない言葉が零れ落ちる。

……あそこまで干渉する事じゃなかった。ペローナ、……悪かった。そんなにピアス開けてぇんなら、好きにしろ」

 今度はモリアが視線を逸らし、口を尖らせて呟いた。眉間に皺が寄って彼には珍しい、でもペローナにはつい先程の、困ったような顔。娘の胸がきゅうと鳴った。

……開けないよ。なんたってさ、モリア様のお願いだもん。ワガママじゃない。言う事聞くよ。だって、」
 
「私は良い子だろ?」

 ペローナはモリアの顔を覗きこむように、上目遣いで最後の言葉を問いかけた。娘の黒い瞳が悪戯っぽく光ると、モリアの口が見事な三日月のかたちに変わる。

「キシシシシシ!あぁそうだ。だからおれはお前を見つけて、拾ったんだ!」

 おもむろにモリアの長い腕が動いてペローナへ向かう。人差し指の背を娘の頬へ当てたら、愛しそうにゆっくりと撫でる動作をした。
 幽体のペローナに感触は全く無い。けれどモリアの繊細な指先を見れば、実際にそうされたような心地になった。擽ったくなって肩を竦めてホロホロと笑う。モリアの両目が眠そうな猫のように細められた。

「そうだ、今度海軍の招集がある。ついでに外でお前のイヤリングでも見つけてきてやる」
「本当?!だったらとびっきりかわいいやつが良いな!」

 大人しく撫でられていたペローナが、モリアの一言で瞬く間に元気になった。パァアと音がしそうなくらい喜んで辺りを出鱈目に飛び回る。
 そんな忙しない様子にモリアは更に笑みを大きくさせて、度肝抜かれるくらいカワイイもん持ってきてやる!と愉快そうに宣言した。
 
 夜とてやっぱり霧が濃いスリラーバーク。
 ホロホロ、キシシシ。二人の笑い声が暫く止まずに闇へ溶けていけば、ほんの少しだけ霧の合間から満月が顔を覗かせた。



 
 ※※
 

「そんな頃もあったのによォ……

 モリアは苦々しく独り言を吐き出す。視線は斜め上で彼の脳内にある金平糖みたいな思い出を、多分見つめている。視界の下にはその砂糖菓子に値する娘が居るのに、視線を合わせないのは何だか癪だからだ。

「? モリア様、何か言った?それよりさー!コレ、かわいいだろ?!絶対いれたいと思ってたんだ!ホグバックの腕は万能だなっ。そこら辺の彫り師に頼まなくて良かった♪」

 ペローナは上機嫌で"コレ"がよく見えるように、肩を少し上げて喋る。白い二の腕がよく目立って、そこに丸くて小さいコウモリがいた。モリアの嘆きの原因で、ペローナがご機嫌な理由だ。

 つい最近20歳の誕生日にと贈ったノースリーブのワンピースを娘が着て、颯爽と現れたと思ったら。
 二の腕にタトゥーがしてあったのだ。全く覚えが無いそれにモリアがあからさまに動揺していたら、ペローナからトドメの一撃。
 『結構前にいれたヤツだよ』

 モリアが両腕を組んで娘を見つめる。ペローナの取り巻きのゾンビ達がわいわいと賑やかすと、彼女は嬉しそうにワンピースとタトゥーを見せびらかす。
 決まりが悪いモリアの口元が曲がっていく。
 
 彫っちまったもんはもう仕方ないにしても、おれに一言入れるべきだろ。

 モリアは重そうな眉間に従い両目を閉じた。この場に絶対現れないだろう外科医を思い浮かべて心中で文句を吐く。
 ほんの少し溜飲が下がって再び目を開けると、ペローナが己のタトゥーをじっと見つめていた。

「コレってモリア様が傍にいるみたいだよな」

 へへ、とペローナは口元を緩ませて笑った。腕と同じ白い手で愛しそうにタトゥーを撫でている。

……お前は悪い女になっちまった」

 モリアはとても大きな溜息を吐き出して、重そうな眉間を気持ち晴れやかに上げたのだった。