あさかわ
2025-06-10 18:33:22
3715文字
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特大デラックスは30個入り

濁り湯タイプの入浴剤で攻防する鬼水です。ちょっとセンシティブ

 鬼太郎はエコバッグに商品を詰め、眼光鋭くレシートをポケットに入れた。
 水木のアパートを訪ねる際に飲料やお菓子をドラッグストアで買うのはよくあることだ。しかし、エコバッグにはあんドーナツも新商品の炭酸飲料も入っていない。あるのは、津々浦々湯巡り濁り湯バラエティセットのみ。五個入りで各地の名湯が楽しめると触れ込むそれを水木に渡すのだ。
 昨晩、鬼太郎は地獄のような極楽湯につかった。試供品の入浴剤を貰った水木に一緒に入ろうと誘われた。水木が暮らすアパートの浴室はお世辞にも広くはない。大人二人ではギチギチだが、体格の小さい鬼太郎となら二人でも入れなくはない。
「今日、泊まっていくだろ」
「ええ、まあ」
 鬼太郎は水木と恋仲になって時折アパートに泊まるようになった。そう、恋仲だ。友人でも親子でもない。枕投げ大会もオセロ大決戦もなし。色好い相手と過ごす夜には相応しい振る舞いがある。ねずみ男が尻をボリボリかいて大運動会と相撲大会だろぉと言ったのを睨んでおいた。
「な、たまには一緒に入らないか。昔はよく入ったろ?」
 入浴剤の袋を揺らして目を輝かせる水木の誘いを断れるはずがない。親子で風呂に入った頃を懐かしんでいるとしても断るのは狭量だ。鬼太郎はざわつく心を静めて諾と伝えた。水木はニコニコ笑って風呂の準備を始め、鬼太郎は寝室に二人分の布団を敷いた。自分はその気があるのだと二つの布団をぴったりくっつけておいた。

 浴槽は濁り湯で満たされ鬼太郎は水木の膝の間に収まった。水木は鼻歌交じりに鬼太郎の左手を握った。指と指を絡めて水面をちゃぷんと叩く様子が可愛らしい。しかし湯の中に沈んだ左手の意地の悪いこと。不埒な左手が鬼太郎の脇腹をすりりと撫でるのである。
……あの」
「ん?」
 水木が鬼太郎のつむじに唇を落とした。湯に潜む水木の左手が更に深く潜っていく。濁って見えない湯の中で指が鼠径部から真ん中の方に伝う感触がした。
「あのっ!」
「んー」
 鬼太郎は愛情惜しまぬ極楽の右手に愛でられ、底意地しれぬ地獄の左手に苛まされた。
「っ……!」
 鬼太郎が身を震わせると後ろから笑い声がした。視界に入るぴたりと触れ合う手。皮膚から伝わる指の感触。陽だまりと溶岩両方に身をつけるような感覚は初めてだった。
 ぐるぐると腹に熱がたまって、のらりくらりと交わす背後の人の所行に耐えかねて。鬼太郎は水木の膝から飛び出した。荒々しい水音と大量の湯煙を生み出して、鬼太郎は大人の濁り湯水泳大会に参加した。
 筆舌に尽くしがたい湯船のアレコレの後、布団に移動し最終的に鬼太郎は極上を知ったのである。


 翌朝、鬼太郎は疲れ気味の水木のために洗濯を回し、燃えるゴミを捨て、朝食を作った。今日は休みだという水木に挨拶をしてアパートを辞し、その足でゲゲゲの森に向かい小銭入れに手を突っ込みドラッグストアに向かった。
 昨晩は素晴らしい夜だった。濁り湯の水面を隔てて何も見えぬ湯船がもたらす甘美な趣き。しかし一点腹を据えかねることがある。朝食の席で味噌汁をすすりながら水木が鬼太郎に言ったのだ。
「お前、むっつりだからなあ。好きだと思ったんだよ」
 んふふ、と満足そうに腫れぼったい目を細める姿が、幼子が集めたドングリを眺める表情に極似していたのである。
 鬼太郎の背筋を怒りと羞恥混じり合う稲妻が貫いた。むっつりで悪いが。いや、悪くない。濁り湯水泳大会が好ましくていけないか。いや、否定されていない。そうなのだが、湯船で泳ぎ布団ではしゃいだ年上の恋人に、幼く拙いものとして扱われると反骨心が生まれるのだ。自分だって楽しんだくせに。なんだその大人びた態度は。散々舌足らずな甘え声で鬼太郎の名前を連呼したくせに。いや、自分も飼い主に懐く犬よろしく尻尾が振りちぎれんばかりに甘えた。恋仲にお互い様の精神はないのか。ふつふつ湧き上がる感情のままに鬼太郎は打って出た。


 鬼太郎は心の中に陣を構えた反骨心とともに年上の人をギャフンと言わせる決意を固めた。何をしても拙く幼い初心で可愛いものと扱われるなら厚顔無恥で押し通す。むっつりの仮面を脱ぎ捨て、欲望という汽車に下心と助平心を大量にくべた。結果、鬼太郎は入浴剤を買って水木に渡すことにしたのだ。昨晩は大層楽しかったですね。またしましょう。この箱を空にするまで引かないぞ、覚悟しろ。己の欲望を叩きつけて水木を赤面させるのだ。あなたが選んだ男は遠慮とむっつりを捨てれば、かわいげのない野郎だと知らしめてみせる。
 ずんずん歩いて水木のアパートに向かい、一歩一歩踏みしめるように外階段を登り玄関の呼び鈴を鳴らした。
「鬼太郎? 戻って来たのか」
 扉を開けた水木に鬼太郎は可能な限り無邪気な笑みを浮かべた。
「はい、水木さんにどうしても渡したいものがあって」
 エコバックを掲げて玄関に滑り込む。ダイニングテーブルにドラッグストアで買った商品をどっかり置いた。
……津々浦々湯巡り濁り湯バラエティセット」
「ええ」
「五個入り」
「はい。昨日使ったやつと同じシリーズですよ」
「そ、そうか」
 水木の目が入浴剤の外装と鬼太郎を忙しなく行き来する。鬼太郎は心の中でうっそりと笑った。
「昨日のお風呂がとっても楽しかったので。いやでしたか」
「っ……ま、まさか。いや、しかし」
 五個入りか、と水木の声に戸惑いが混じっている。好機、攻めて攻めて攻めまくれ! と反骨心が法螺貝を吹き軍配を振り回す。動揺が隠せない水木がそわそわと人差し指と親指を擦り合わせていた。
「いつでも使えるように洗面所に置いておきますね」
 鬼太郎はすけべな下心に善意を搭載して攻め込んだ。
「え」
「どうかしましたか」
 ぎくりと肩を跳ねさせて、水木がもごもごと口を動かした。
「何か不都合でもありますか」
 追い打ちをかけると、水木が長々と息を吐き出した。ほんのり色付いた頬を硬くする。
「う……ないというか、あるというか」
 歯切れの悪さに反骨心が雄叫びを上げた。見ろ、恋人の戸惑い恥じらう姿を。己の男を羊のように愛でていても、狼であったと思い知ったのだ。勝利も勝利、大勝利である。
「すぐに戻りますから」
「待ってくれ。俺も行く」
 水木が鬼太郎の手を握った。弱ったように眉を寄せる水木に優しくほほ笑みかける。入浴剤の箱を水木に持たせてもいい。自分で好きなところに置かせてもいいかもしれない。そうすれば首筋を赤くして洗面所の戸棚に隠すか、堂々と見える場所に置くか。どちらでも楽しいし嬉しい。昭和三十年代生まれの鬼太郎は、自身の思考が立派な昭和の助平ジジイであることに気が付いていなかった。
「分かりました。一緒にいきましょう」


 アパートの洗面所は脱衣所も兼ねている。採光の窓縁には先客がいた。鬼太郎が手に持った商品より二回り大きい外装。鬼太郎は平坦な声で商品を読み上げた。
「津々浦々湯巡り濁り湯バラエティセットデラックス」
「ああ」
「十五個入り。僕の三倍」
……ああ!」
 やけになった水木が入浴剤の箱を指さした。
「そうだよ! お前が帰って早々にドラッグストアで買ってきたんだよ。くそっ、五個入りなんて慎ましい上に可愛いことをしやがって」
 風呂場の水泳大会への下心で入浴剤を買うあたり可愛げは皆無であるが、鬼太郎も水木も見た目に対し中身がジジイであったため気が付かない。鬼太郎は口元に手を当てて俯く水木を見た。
「明け方、目が覚めたらお前がいなくて……居間でごみ箱に捨てた入浴剤の袋を持っていただろ」
「はい。名残惜しくて」
 夜の極楽湯を思い出しながら袋を眺めていた。津々浦々湯巡り濁り湯の文字を噛みしめる様に何度も読んだ。
「熱心に見つめているお前の横顔がしみじみと嬉しそうで、またやったら喜ぶだろうとか、この箱を見たらどんな反応をするか知りたいと下心が抑えきれなくて」
「それで十五個入を」
 鬼太郎もバラエティセットとデラックスセットの前で悩んだ。本当なら十五個入りが欲しかったが手持ちが少なく涙をのんで諦めた経緯がある。
「いっぱい出来る方が! 喜ぶと思ったんだよ!」
 水木が肩を怒らせてふうふう荒い息をしている。鬼太郎はバラエティセットをデラックスセットの上に置いて水木の両手を握った。水木が一歩後ろに下がろうとするのを腕を引いて抑える。
「水木」
 握った手がぴくりと震えた。鬼太郎は指を絡め、熱を隠さず水木を見上げる。
「あなたが僕を思ってくれることが、堪らなく嬉しい」
 浮かれた声が口から出てくる。指先がぽかぽかと温かく、口元が緩んでしまう。鬼太郎は自分が感じる喜びを包み隠さず全て晒した。反骨心は親指を立てて鬼太郎の心の奥へと帰って行く。水木はすんと鼻をすすって瞬きをする。そうして小さく笑った。昨晩の湯船の上と下にあった極楽と地獄。いつもと同じ年下を愛おしみ、一欠けら意地の悪いほほ笑み。
「通販限定で特大デラックスセットもあったぞ」
「すぐ買おう」
 鬼太郎は力強く頷いた。