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那須野
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寿月
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夜にとける
【寿月】数年後同棲プロ時空*事後の始末をしたい毛利くんの話。
広いベッドの中央に胡座で座り、彼の大きな背中をじっと見ていた。
一度は脱ぎ落とされた(否、脱がせたのは自分だが)ナイトウェアの前開きの上着が、ひとまず、といったていで彼の肩に掛かっている。その後ろ姿が細い息をひとつ吐いて浴室へ向かうために立ち上がりかけたところで、どうにか引き止めるように口を開く。
「あの、
月光
つき
さん」
「なんだ」
「ホンマにそないすぐ動いて大丈夫でっか?」
「
……
問題ない」
彼と同じ家で暮らし始め、肌を重ねるのも何度目かのことになる。それと同じ回数だけ行われているやりとりが、今夜もまた繰り返されようとしていた。
問題ない、ただ、どちらかといえば先に浴室を借りられると有難い。受け入れる側の彼に静かに希望を述べられてしまうと「もちろんどうぞ」と頷くほかになく、事後の始末を申し出る機会を逃し続けること早数回
――
そして、今に至る。
今日こそ、今日こそは。繰り返し脳内で唱えてきた呪文をもう一度繰り返しながら身を乗り出して、汗ばんだままの手首をやわく掴んだ。
「毛利?」
「
…………
ホンマに?」
「
……
、」
「いつも風呂先に使わはるんも、体だるいの俺に見せんようにしてくれとるんとちゃいますか」
「
……
毛利」
頭ひとつぶん上の高さにある彼のひとみが、ゆっくりと自身を捉えて映すのがわかる。かすかに掠れた低音の奥にある淡い困惑、それが肯定を示すものだと察し取り、唇を引き結ぶ。
彼は優しい。自分が向けた好意も情欲も真正面から受け止めて、対等に返してくれる。
だから自身もそうありたいと思った。彼の気持ちを汲み取って、望まれたとおりにしたかった。
……
けれども。
「
月光
つき
さんが優しい人やのはよう知っとるし、そうしたい言うてはるんに口出すんは俺のわがままかもしれんて、思っとったけど。
――
やっぱ、それも、何かちゃうんやないかって」
ひとつひとつの言葉を押し出すように言い連ね、一息ついたところでようやくおもてを上げる。彼は口を噤んだまま、まっすぐに自身を見つめていた。
長い前髪越しの静かな視線がこちらに注がれているのを、視界で、肌で感じ取る。彼の素肌に自身の体温が滲み、じわりと温んだ。
「しんどいの隠して風呂行かんでええように、ちゃんと俺が後片付けまでしやります。 気ぃ遣とるとかやなくて、
…………
これからも俺と、
……
その、してくれるんやったら。 ホンマにそのくらいは、さしたってください」
もっとそつなく、さり気ない調子で振る舞うことができればいいのに。もどかしく思いはすれど、彼に対してはいつもこうだ。
ふとした拍子に溢れて零れそうな感情を持て余し、どうにか堪えようとして、けれども結局かれの手元にほろほろと零してしまう。零れ落ちたそれを掬い上げる手間をかけさせる未熟さは、一体どうすれば拭い去れるのだろう。体の深い場所で繋がるようになっても、一向に答えは出ないままだった。
「毛利」
しばらく黙して考え込んだ彼が、ぽつり、自身を呼ぶ。はい、と応えると、寝台から降りかけていたのをやめて膝を付き合わせるような近さまで戻ってくる。捕まえていた片手がゆっくりとひるがえり、やわい力加減で握り返される。五指を絡めて視線を向ければ、深い夜の色をした切れ長のひとみが自身を映してゆるく細まった。
「心配をかけてすまなかった」
「
……
つきさん」
「休む前の様子をなるべく見せないようにしていたのは確かだが
……
おそらく、お前の思うような殊勝な理由では、ない」
「
……
へ?」
先程までの自身とよく似た、訥々とした調子の低音が耳朶を打つ。彼の言わんとするところを掴みきれずに疑問符を浮かべて尋ね返すと、言葉を探すための幾らかの沈黙のあと、ひどくちいさな声が答えを接いだ。
「
……
俺が、困るからだ。 『次』がなくなってしまうのは」
「ッ
……
」
「不慣れなせいでお前に気を遣わせて、この時間がなくなることを避けたかった」
どーやら、逆に心配させてしまったようだったが。
呟くような言葉とともに、絡めた五指、いつも自分よりすこし冷たい大きな手のひらが、じわりと温んでいくのがわかる。焦がれてやまない温度を取り零すことのないよう、相槌の代わりに指先をぎうと強めた。
自分はといえば頬が熱い。首筋が熱い。
――
寡黙で落ち着いていて、行為の最中にすら身を引くそぶりのひとつも見せない彼が、いま、自身の目の前で気恥しさに照れている。そうした姿を見るのは初めてではないものの、およそ貴重なしぐさには違いなく。
「つきさん」
「
……
なんだ」
月光
つき
さん。
こんなときには大概、彼の名前を繰り返すしかできなくなる。無防備な許しそのものに、感情が、こころがふるえてやまない。
「
……
ふ、」
ゆるく腕を引き寄せながら、腰を上げて彼のうすい唇に口付ける。二、三、啄み、迎え入れるようにわずかに開いた口唇の隙間から、内側にするりと潜り込む。掠れた吐息の感触に、ぞわり、背すじへ熱が這い上がった。
ひとしきり体温を味わい、そのままの近さで揺れる彼のひとみを映してしまえば、息継ぎの拍子に衝動が喉を衝く。「っあの、」
「もっかい、
…………
しても、ええですか」
「
――
、」
「ッ、い、いや、ホンマにしんどくてホンマに無理やったら無理て言うたってください、勢いで言うてまっただけやか、」
言い終える前に声が途切れる。
声の出口を、いましがたまで触れていた濡れた温度が一瞬塞いだためだった。鼻先が掠めるほどの距離で、彼がつぶやく。
「
……
さしあたって、問題はない」
「
…………
!」
ただでさえ一度体を重ねたあとで、完全に感情の処理量のキャパシティを超えている。ろくな言葉を返すこともできず惚けたままの自分の様子が可笑しかったのか、眼差しと声に淡い笑みの気配が覗く。
これはまずい。
どこか焦りにも似た感情が脳裏を掠めるように抜けていったことには気付いたが、息を継ぐ無意識のしぐさにすら見惚れてしまう始末では、タイムアウトを挟む余地もない。
「その代わり、後の始末は頼む」
「ッ
……
、」
駄目押しの一言が耳朶を打つと同時、彼の名前を口走る声と寝台の軋みがぶつかるように弾けて足元へ転がり落ちる。慎ましく彼の肩を覆っていたナイトウェアは、持ち主が押し倒された拍子に広い背中の下敷きになりその役目からリタイアを余儀なくされていた。
「
……
毛利」
不意をつかれる形で組み敷かれた彼が、わずかに目を丸くしているのが見える。焼け石に水だとは知りつつも、耳元で強く打つ心臓の音を宥めつけられはしないかと深く息を吸って、短く吐いた。
月光
つき
さん。
「ホンマに、ええですか?」
いま自分がこうしているのは、子どものように飛びついたためでも、恋人同士の軽いじゃれあいのためでもない。腹の上の男が、持て余しきった情動と、明確な欲情でもって自身を組み敷いていることを、かれは本当にわかっているのだろうか。何度でも尋ねたくなるのは、かれの澄んだ部分が、あまりにも変わらないままでいるからだ。
薄く濡れた夜色のひとみが、二、三、まばたく。
「二度は言わない」
言葉の簡潔さとは裏腹に、頬を包む両手のしぐさはひどくやさしい。けれどもまた、
――
その手のひらは確かに、自分と同じ温度をしている。
「毛利」
彼が呼んでいる。
噛みつくように口付ける理由など、それだけで十分だった。