ながひさありか
2025-06-09 03:59:09
9654文字
Public STR-Phaidei
 

ファイモス:レイト・ハネムーン1

カフェ店長現パロの二人。新婚旅行に行かないのはダメですとアグライアに諭されて、ハネムーン代わりにバカンスに行く話、の前日譚で結婚式の日の話。

前回まで→ https://www.pixiv.net/novel/series/13350804

====

 昨晩、水切りヨーグルトを仕込み忘れたことに気づいたのは、朝食の準備を始めたその時だった。
 モーディスはしばし冷蔵庫を覗いたまま悩み、結局ヨーグルトはアプリコットのジャムを混ぜて食べることにする。本当はカンパーニュに蜂蜜と水切りヨーグルトを塗って食べるつもりだったが、ファイノンがお土産に買ってきたジャムの味はなかなかのものだったのでよしとしよう、とミスを忘れることにする。残っていたカンパーニュを少し厚めに四枚に切り、コンテチーズを薄く切ったものを乗せて乗せてトースターに放り込むと、二日前に作ったピクルスの瓶を取り出す。昨晩、ミニトマトとにんじんばかり摘んでいたファイノンのせいで色味が随分味気なくなっているが、セロリときゅうりの味には満足している。
 冷蔵庫の中身は殆ど空になっていた。昨晩、ファイノンが帰宅するまでの三週間は自宅にモーディス一人だったので、いつもより余計に買い物と消費速度が完璧だ。と言うのも、明後日から二週間の旅行に出かけるので、冷蔵庫を綺麗にしておく必要があったからだ。今日明日は旅行準備の最終チェックをして、のんびり過ごす予定だ。
 店にはしばらく迷惑をかけるが……、とモーディスはカレンダーを見つめながら、迷いを断ち切るように首を振る。休みを取る話は二ヶ月前には話をしていて、オーナーにも副店長にも、アルバイトの面々にも了解してもらっている。恵まれた環境だ、としみじみ考えた。
 食卓のセットをしながら電気ケトルで湯を沸かし、目覚ましの音が寝室から聞こえてくるのを聞きながら、モーディスはコーヒーの豆を挽く。近頃は趣味と実用とファイノンの興味が合致して購入したエスプレッソマシンを利用することが多かったが、今朝はコーヒーを淹れてやりたい気分だった。
 トースターからカンパーニュを取り出し、皿に盛ると、溶けたコンテからいい香りが漂ってくる。その上に蜂蜜をたっぷりとかけ、食卓へ運ぶ。
 目覚まし音が止み、ごそごそと物音が響いてくるのを聞きながらコーヒーを淹れ、自分用のグラスにたっぷりの氷と牛乳、蜂蜜、それからコーヒーを注いだ。ファイノンのグラスにもたっぷりの氷とコーヒーを注いでおく。
「おはよう」寝室のドアが開き、小さなあくびが聞こえる。「いいにおいだ」
「おはよう。……先に顔を洗ってこい、ちょうど朝食ができたところだ」
 グラスを食卓に置いていたモーディスの頬にキスしてから洗面所に消えていくファイノンの背を少し見つめてから、モーディスはエプロンを外して食卓につく。
 昨晩、海外出張から帰宅して疲れ切っていたファイノンに散々ハグとキスを求められたが、本当にそれだけで、早々にファイノンは眠ってしまっていた。疲れ切った顔で熟睡するファイノンの髪や体を撫でているうちに、離れている間、耐えてきた熱が急激に抑え難くなるのを感じた。
 ファイノン。眠っている男の名を呼び、一時的に目を覚ましはしないかと微かに期待しながら、隣に横たわったままそっと手を添える。ファイノン。首筋にそっと唇を押し当てると、体温の温かさで唇から体が溶けそうになるほど興奮した。呼吸が荒くなるのを抑えられなくなり、モーディスは慌てて唇を離してトイレに駆け込むと、そのまま一人で果てて、それでもどうしようもなく燻ったままの熱に困惑した。
 本当はファイノンが眠った後に、朝食の下準備をするつもりだった。それなのに何もできなかったのは、その後すぐにベッドに戻ると、ファイノンを起こさないようにずっと眠った男を眺めていたからだった。
…………………
 モーディスは一晩中ずっと悶々としていることにまた気がつき、朝食を食べたらファイノンに断って昼寝を挟むべきだろうか、と少し悩む。自分の旅行の準備は殆ど終わっているし、ファイノンは今日中に全て終わらせるつもりだろうから、きっと昼間は忙しいだろう。今夜は多少元気があるだろうか。
 そんなことを考えながらタブレットを操作し、ポッドキャストから適当にニュース番組を小さく流すと、ファイノンが戻って来るのを待った。
「モーディス」
 戻ってきたファイノンが食卓に着く前に、肩に手を置いて屈んでくる。どうした? と顔を上げて尋ねた唇を塞がれ、すぐに離される。
 やわらかな朝日に透けた白銀の髪が綺麗だ。幸福そうに緩んだファイノンを顔を見つめ返しながら、なんだか現実ではないような気がして、そんなことを思う。きっと、三週間ぶりにファイノンと朝を過ごしたからだろう。
「さっきちょっと不満そうだっただろ」
 ふ、と唇の端を持ち上げて笑う男の得意そうな顔に生意気だな、と思ったが、おはようのキスも、それ以上もして欲しいのは確かだった。とは言え肯定するのはなんとなく癪で、モーディスはふん、と鼻を鳴らしておく。
 にこにこと幸福そうな顔で食卓についたファイノンが「お腹が急に空いてきた」と言いながら、実際に腹を鳴らす。その様子がおかしくて、思わず声を上げて笑ってしまった。
「片付けは起きてからするから、この後少し昼寝をさせてくれ。俺の旅行の準備は終わっているし、お前も今日中に済ませた方がいいだろう」
「ん? 別に構わないけど、昼寝なんて珍しいな」
 カンパーニュのチーズを口から伸ばしながら首を傾げ、ファイノンが「もしかして昨晩よく眠れなかったかい」と口にする。
「君は三週間一人でベッドを広々使ってたから、僕がいて狭く感じてたり?」
「お前一人増えたところで狭く感じるサイズでもない」
 モーディスは馬鹿馬鹿しい、と呆れたふりをしてカンパーニュを齧り、甘いカフェオレを飲んだ。チーズと蜂蜜と甘いコーヒーの風味が口の中で混ざり合う。向かいで「このチーズうまいな」と感心したように呟くファイノンの反応に満足しながら、そっと息を吐いた。
「ファイノン」
「あ、ヨーグルにお土産のジャム入れてくれたんだ。これ、試食して一番美味しかったから、君も気に入ってくれると思ったんだけど、ヨーグルトに合わせても美味しい」
 食事の感想を求められているとでも思ったのか、ファイノンがヨーグルトをすくったスプーンを咥えてから嬉しそうに笑う。青い瞳がすっかり隠れてしまった、と少し残念に思いながら、モーディスは無意識に口許を見つめてしまう。
 ファイノンが「やっぱり君の料理を食べてる時が一番ほっとする」と歌うように優しい声で呟くのを聞きながら、モーディスは無言で、機械的に食事を続けた。言われる言葉はすべて嬉しいのに、どうにも気が散って、意味が耳を通り過ぎていく。勿論、悪くはない気分だ。わたあめにでも包まれているような、いい気分だった。
 次にモーディスがハッと我に帰った時には、食卓はすっかり片付けられていて、オレンジジュースのボトルと新しいグラスが置かれている。片付けておいたよ、とファイノンの声が背後からかかり、振り返る。
「君、もしかして、休暇を取るために仕事がずっと忙しかったんじゃないか?」
 心配そうな顔で両肩に手を置いてくるファイノンを見上げながら、「お前ほどじゃない」、とモーディスは左手でファイノンの左手に触れながら口にした。
 一月ほど、アグライアのショーの準備でバタバタしていたファイノンが悲痛な面持ちで「行ってくる」と口にしたのは三週間前のことで、まるで絶望的な戦地に赴く兵士のようだ、と感じていた。アグライアの美意識と完璧主義に付き合うのはきっと相当に大変なことだろう、と想像することはできたが、あまりファイノンは仕事の詳細を語りたがらないので、その全てを推し量ることは難しい。
「怪しいな。君は我慢強すぎるし責任感が強すぎるから、無理をしても無理してないって思い込むだろ」
「妙なことを言う。まさか今更、無理して休暇を取るべきではないとでも思ったか? ……もしお前が本心からは行きたくないのであれば、」
「違う違う、そうじゃない。君とゆっくり休暇を過ごしたいし、旅行を了承してくれて嬉しいよ。だけど、君がそのために無理をしていたら申し訳ないなと思っただけで」
 旅行と休暇の提案をしてきたのはファイノンからだった。お店って休める? とプランを提示してから恐る恐る聞いてきたファイノンに調整する、と答えた側ではあったが、その提案を嬉しく感じていた。旅先で一緒に過ごしたいと望まれるのは幸福なことだったし、何故旅行に行きたいのか、を普段口が回るくせに、しどろもどろに言葉を詰まらせながら伝えてくる姿が愛おしかった。
 ファイノンとこれからも、そうやって思い出を積み重ねて行きたいと素直に感じていた。だからそのためにできる努力があるのであればするし、目的のために無理をすることに苦痛もない。
 じっ、と心配するような顔で見下ろしてくるファイノンに「無理はしていない」と答えてから、モーディスは視線を床へ向ける。
「モーディス?」
 顔を覗き込んでくるファイノンの目を見つめながら立ち上がると、お、どうしたどうした、と言いながらファイノンがそっと腰に腕を回して抱き寄せてくれる。
「うーん、無理をしていないならいいけど、君は本当に昼寝をした方が良さそうだ」
………………そうだな」
 肩に顔を乗せて体重をかけると、ファイノンが嬉しそうに「ソファまで運ぼうか?」と髪に唇を潜らせながら口にする。吐息と体温にどく、とモーディスの心臓が跳ねて、昨晩の醜態を体が思い出してしまう。
 身じろぎしながら「後で行く」と答えて、鎮まれ、と目を閉じた。こんな風に密着していて鎮まるわけがあるか、と理性ではわかっているのに、どうしても離れがたい。
……もしかして昨日、したかった?」
 耳許で囁かれた言葉に、ぎく、と体が跳ねた。答えたも同然だとも思ったし、そもそも素直に聞いておけばよかったと今更後悔したが、悟られてしまったものは仕方がない。
 肩に触れている自分の頬がみるみるうちに熱くなってくるのを感じながら、ん、とモーディスは小さく肯定を表す。
「昨日早くに寝ちゃったから、ごめん、君がしたいの気づけなかった」
「いや、お前さすがに昨日は疲れていただろう……
「そうだけど、でも、君が嫌になるまでキスするくらいはできたよ」
「別に嫌だと思ったことはないが」
「うーん、そう言う話じゃないんだけど、まあいいか。今から罪滅ぼしをさせて欲しいなと思ったけど、君は眠った方がいいし、僕は旅行の準備をした方がいい。だから今夜のお楽しみにしておこう」
 体を離したファイノンに顔を手のひらですくわれて、蕩けるような笑みが視界に入る。いつも一人にしてごめん、と囁いてキスをしてくる男の背を撫でながら、「それがお前の仕事だろう」とキスの合間に笑う。舌先をぎゅっと吸われて、簡単に腰が砕けそうになった。胸が熱くて苦しい。
 この男が愛おしいと今日も飽きずに感じている。その幸福を噛み締めてしまう。

   *

「新婚旅行? 今のところ特に予定はないけど……
 だってモーディスはあまり長く店を休めないって言うだろうし、それになにより、僕がいなくなったら事務所の雑務は誰がやるって言うんだ? コレクション直後のリフレッシュ休暇ならさておき、今はそう言う時期でもない。もちろんトリノン先輩たちにある程度は任せても言いだろうけど、……と、素直に答えた僕に、アグライアは珍しく十秒も固まったかと思うと、額に指先を当てて深いため息をついた。
 彼女の宝石のような瞳には怒りと葛藤が浮かんでいて、叱りたいが、僕の言うことも事実で言葉が出てこない、と言った雰囲気だ。
……わかりました。確かに、あなたに抜けられて困るのは事実です。ですが、次のショーが始まる前に旅行の計画を立てておいてください。メデイモスに関してはしばらく副店長に頑張ってもらうことになるでしょうが、あの店のオーナーはそもそもわたくしの親族ですから、どうにでもします。貴方の穴はスポットでの雇用を検討しましょう」
「え? いやだから、新婚旅行の予定はないよ。アグライア、一体どうしたんだい? らしくないな、勝手に決めようとするなんて、」
「ファイノン」
 アグライアは「仕事のしすぎじゃないか」と続けようとした僕を黙らせるように、やや鋭く冷たい声を上げた。
「本当にメデイモスとは話し合いましたか?」
「した、つもりだけど……
 先々週、僕とモーディスはささやかな結婚式を挙げた。出席者は事務所のみんなと僕の両親、それからモーディスの後見人というか保護者がわりだと言うケラウトルス氏だ。残念ながらモーディスの友人たちはこちらに来ることができなかったので、写真を送ったらしい。
 そもそも、「結婚式は上げなくていい」と主張するモーディスの意思を尊重して何もしないつもりだったのだが、アグライアに「結婚しようと思ってるかは、数日イレギュラーな休みをくれないか」と尋ねると、アグライアは慌ただしくスケジュールを確認して、「半年待ってもらえますか」と珍しく切羽詰まった様相で口にした。
 半年後であればあなた方二人のタキシードを作るだけの余裕があると思います。ああでも、式場の下見や諸々を考えると、式は来年になってしまうでしょうか……と真剣な顔で考え込むアグライアに気押されて、「モーディスはしなくていいって言ってたけど、聞いてみるだけ聞いてみるよ……」と頷いてしまった。僕にとってアグライアはある意味第二の母親のような人だけれど、自国を出たモーディスが今の店で働くまで世話をしてくれたアグライアは、モーディスにとっても多分第二の母親のようなものだろう。
 アグライアがどうしても僕達に結婚式をあげて欲しいらしくて、とモーディスに言えば、モーディスはしばらく考えてから「願われているのであれば、拒絶するほどの強い理由もない」と了承してくれる。
 正直なことを言えば、結婚式を挙げたいと思っていた。いや、もっとはっきり言えば、モーディスとのことを身近な人に祝福してもらいたかったし、彼は僕の大事な人なのだと言ってまわりたかった。勿論、僕はモーディスにもそう思っていて欲しい。僕達はこんなに幸福なんだから、それをシェアするように、身近なみんなに祝福されるべきだと感じていた。

 ……と、言うようなことをぽろっと溢した僕に、モーディスは渋面を作り、『最初から正直にそう言って欲しかったが、お前の意思をきちんと確認しなかった俺が悪かったな』と謝罪した。大事なことはお互いに納得がいくまできちんと話し合いたい、と主張するモーディスの言葉は確かに物凄く正しい。僕はモーディスの意思を優先してあげたい気持ちが妙に強い自覚が少しあったけれど、それはモーディスにとっていいことばかりではなくて、時々はさみしいことだったらしい。
 俺のために自分を曲げるな、と婚姻届にサインをし終えたモーディスに言われて、思わず彼を無言で抱きしめた。苦しいぞ、と少しも苦しくなさそうな声で肩を撫でて笑うモーディスの声が幸福そうで、涙が出そうだった。
 一緒に暮らし始めたのも、指輪を渡したのも、もう数年前のことだ。別に今更結婚なんてしなくてもいいんじゃないか、一緒にいるんだし、僕たちの意識としては何が変わるわけでもないんだし、悩んでいた僕に「お前はこれ以上を望まないか?」と尋ねてきたのはモーディスの方だった。そもそも僕が結婚を言い出すのを躊躇したのは、実家や親族のごたごたで「家族」にいい思い出があんまりないはずのモーディスは、僕と家族になるのは苦痛なんじゃないか、と考えていたからだ。
『お前となら家族になってもいいと思った。たまには腹の立つこともあるが、お前は優しくて真面目で、一緒にいると気分が楽だになる』
 少し恥ずかしそうに口にするモーディスの言葉が脳に染み渡るのにはしばらく時間が必要だったし、「あれ、もしかしてこれって僕がプロポーズされてる?」と気づいたのは、感動して涙の止まらなくなった僕にモーディスがタオルを持ってきてくれたその時だった。
 僕が言いたかったのに、とちょっと拗ねたふりをすると、「言うのが遅いお前が悪い」とモーディスはとびきりやわらかくて眩しい顔で笑った。

 結局式場はほとんどアグライアとモーディスの二人が真剣に話し合って決めることになり、僕は二人に意見を聞かれた時に二言三言応答するに終始した。僕の両親は「あの」アグライアが決めてくれるなら間違いはないだろうと不干渉を貫いてくれて、「お前のそう言うところは親譲りか」とモーディスが感心していたのがなんだかむず痒かった。
 僕も僕の両親も庶民で、君やアグライアみたいに地主だの名家の出じゃないからね、と口にしたが、モーディスには今もよくわからない感覚らしい。まあ、致命的なギャップは二人の生活で発生していないので、彼にはそのままでいてもらおう。
 モーディスがアグライアと結婚式の打ち合わせを進めるのを聞いているうちに、「結婚式をあげなくていい」と当初モーディスが言ったのは、恐らくこだわりが強く何を決めるのにもそれなりに時間がかかるので、どうやら僕に申し訳ないとでも思っていたからだろう、と言うのがわかってきた。僕は身近な人が祝福してくれるのであれば、式場にも衣装にもそれほど拘りはなかったので、ある意味アグライアが口を出してこなければ逆に喧嘩になっていたような気がする。
 そんなアグライアは特別気合いを入れ僕達二人のタキシードやスーツを仕立ててくれて、仮縫いでも衣装合わせでも熱心に刺繍の意図や生地の選定について語ってくれたけれど、普段は仕事で彼女の言葉の一言一句を漏らさないようにしている僕の耳から、情報は全てが滑り落ちてしまった。もしどこかで衣装コンセプトの記事を書く羽目になれば、まあ一からアグライアに聞きに行かなければならないだろう。自分のこととなるとどうにも恥ずかしくて落ち着かない。

 結婚式の朝は生憎の雨だった。なのに、モーディスはどこか嬉しそうで、「式までに衣装が濡れないようにってピリピリしてるアグライアと対照的だ」と苦笑すると、「俺の故郷では、結婚式の雨は幸運の兆しだからな」と窓の外の雨を見ながら口にした。
 だから俺もお前も天に祝福されている、と珍しいことを言うモーディスの姿に、こんな風に、彼の故郷の幸福な話を、僕の人生に交わらせてくれることを嬉しく感じた。
 アグライアの仕立てた体格にぴったりとあった動きやすい白いタキシードに身を包み、普段は下ろしている髪を丁寧にセットされたモーディスの見慣れない姿に、どうしても視線を取られてしまう。普段は見えないうなじが晒されていて色っぽいなと思ったし、幸福そうな微笑みを浮かべたままのモーディスは本当に眩しくて綺麗だった。
『お前は本当に白が似合うな』
 そんなことを考えていた僕の胸をそっと指先でなぞりながら、モーディスがぽつりと呟いた一言が嬉しくて、それと同時に妙に恥ずかしかった。
『わかった、もう白い服しか着ないよ』
『そう言う極端な意味ではないが……、まぁ珍妙な色合わせをされるよりはマシだな』

 式は滞りなく進み、アグライアをはじめとした事務所のみんなと僕の両親、ケラウトルス氏に祝福されて無事に終わった。ケラウトルス氏は何か色々と思うことがあったそうで(モーディス曰く、彼の母親が少女だった頃からの知り合いらしい)、僕の顔を見て一瞬複雑そうな顔をしつつもお礼を口にされ、モーディスに対しては大号泣しながら祝福を贈っていた。
『異国の地で若が生涯の相手を見つけられたことは非常に喜ばしく、また一族の者としては情けなくもあり……
『我が師よ、めでたい席でそのようなことを言うな。俺はここで幸福を手にしたのだ、あなたや俺を気にしていた者が情けなく思うことはない』
 ——と、言うようなやり取りが交わされていた、らしい。突然二人が僕にはわからない言葉で会話を始めた時はどうしようかと思ったが、悪い内容ではなかったようで安心したが、「大した話ではない」とモーディスが涼しい顔で言ったのには、「いやたいした話だよ!」と、後から聞いて思わず叫んだ。
 僕にはわからない言葉で僕との幸せを口にするなんて……、とショックを受けていると、「お前は意外に強欲だな」と本当に意外そうに言われ、「君のことに関してはね」と答えると、ふふ、と眦を緩めて笑われてしまったのは、なんとなく納得がいかない。でもそうやって笑うモーディスは、頭が痺れそうになるほど本当に綺麗で可愛かった。
 
 式のケーキはモーディスの手作りが振舞われて、ゲストには驚きと共に好評だったけれど、実を言うと式の当日までに散々味見をさせられていたので、味についてはちょっと飽きていた。甘党すぎるモーディスの感覚が僕には今もいまいち理解しきれていないけれど、理解し合えないことを受け入れてそばにいられる相手がいるって幸せなことだな、と思った。
 まあ、僕にケーキを食べさせながら嬉しそうな顔をするモーディスが見れたので、そんなことを考えていたなんてことは、僕の一生の秘密だ。
 だから。

「良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつとも、愛し慈しみ、君を守ることをここに誓います」
「お前といてそうそう悪いことが起きる想像はつかないが」
「そんな風に思ってくれているのは涙が出そうなくらい嬉しいけど、これはそう言う誓いの言葉なんだからさ……
 指輪の嵌った手を持ち上げて口付けた僕に、モーディスはまるで何も響いていないかのような顔で口にする。
 結婚式なんて一生に一度でいいな、とへとへとになって帰宅したその夜、もう何度も二人で同じ夜を過ごしたって言うのに、何故か結婚式を挙げる前と後で少し感覚が、と言うか、世界へのまなざしが変わってしまったかのような気がした。勿論いい意味で。
 式場で誓った言葉を改めて伝えてみたくなって口にしてみたが、どうやらモーディスにはあまり刺さる言葉ではなかったようだ。
「そもそも『守る』言うのが少し気に入らない。俺とお前は対等だろう。まあ俺もお前を守ると誓えばいいのかもしれないが」
 手を取られたまま真面目に考え込んでしまったモーディスを抱きしめて、「あー、そうだよね、わかったわかった」と無理やり話を打ち切る。
 上機嫌に笑っているモーディスの顔が見たくてそっと腕の力を緩めると、僕の頬に右手を添え、慈しむように顔を撫でてくれる。
「俺が今、最も欲しい言葉を教えてやろう」
「へえ。誓いの言葉より感動的なスピーチには興味がある、」
 あるよ、と言い切る前に、モーディスに唇を塞がれる。
 言葉はいらないってことか? と思いつつ、モーディスの腰を撫でて、触れるだけの口付けから徐々に深くして行く。昼間からずっとモーディスの美貌と色香にあてられて、正直なところかなり辛かった。君もそうだといいんだけど、と思いながら舌を絡ませようとすると、そっと胸を押され、「まだ何も言っていないだろうが」と何故か呆れたように肩をすくめられる。
 え、これ僕が悪いのか? と思いつつ、大人しく口を閉ざし、モーディスの言葉を待つ。
 モーディスの金色の瞳がそっと細められて、口角が僅かに持ち上がる。やわらかな微笑みが浮かび、少し濡れた唇が開かれた。
「お前に出会えた奇跡を幸福だと感じている。この世に果てが来ようとも、その瞬間までお前を愛するだろう」


wavebox→ https://wavebox.me/wave/89uagf8c6xx6ggar/